第22話
次の木・金・土・月の練習はどこか気まずい雰囲気になった。僕が入部した日の練習は若葉先輩が不機嫌だった、っていうこともあったけど、今回のはそれとまた違い、二人で練習もするし最低限の会話はするのだけど、どこか壁がある、そんな印象を持った。
さすがの先輩も気にしているのかな。
練習中に基本目が合わないし、話もぎこちない。策士先輩や高坂先輩と話すときは自然なのに。いつも一緒だった帰り道が別になった。
これだけで十分でしょう。
近づいている大会への緊張感、部室を荒らされているという不安、そして今の先輩。出せと言われている退部届。
僕の気持ちも、また沈んでいる。
そろそろ明けて欲しい梅雨は、まだ終わりそうにない。
火曜日。小雨降る広場で、僕らエアカーリング部は通常通り練習を始めていた。プロムナードのランニングも終わり、「白粉」入りの水も服用して、それぞれのペアに別れた。
「……じゃあ、とりあえず今日も最初に軽く全球種投げてから、スライダーを色んなシチュエーションで投げていきましょうか」
「……うん、わかった」
指示も終わって、僕は三角コーンで仕切ったエリアのなかにいる若葉先輩に次から次へとボールを渡していく。
浮かない表情をした先輩は貰ったボールをどんどん空へと投げていき、ポケットの中に止めていく。
「今日は、結構いいですね、先輩」
「そう? かな」
「ええ、フォームも安定しているので、制球よく投げられていますよ」
「そっか、やった」
喜んでいるはずなのに、先輩の声に元気はない。いつもの明るい先輩の面影は、どこにも見えない。
これが、もしかしたら前に言っていた素の先輩なのかもしれない。
かごに入れた最後のボールを渡し、先輩は灰色で埋まった空にそれを飛ばす。
その瞬間。策士先輩達が練習しているほうから。
「高水? おい、高水! 大丈夫か⁉」
ただならない叫び声が聞こえてきた。僕と若葉先輩は何事かと策士先輩のところへ向かい始める。
そこには、策士先輩の体にもたれて倒れてしまった高坂先輩の姿があった。
「──えっ、た、高水? どうかした、大丈夫?」
元気のない若葉先輩とは言え、後輩の一大事に低体温な対応をするはずはなく、高坂先輩の隣に膝をたたみ、彼女の顔を覗き込みながら声を掛けた。
「ご、ごめんなさい……、ボトルの水、飲んでからなんか体がフラフラしてて……」
か弱い声で、呟いた高坂先輩。顔も火照っていて、息も荒くなっている。
「先輩、部活前の体調はどうでした? 普通でした?」
僕は、一つの可能性を思いついてしまった。考えたくもない、クソな可能性を。
「う、うん……いつも通りでした……」
「耀太さん! 高坂先輩が飲んだ白粉のボトル、僕に見せてください! 早く!」
その答えを聞いて、その可能性は現実味を帯びてきた。
策士先輩はそれに反応して部室に急いで戻って一本の空になったボトルを持ってきた。
「これだっ。でも、これがどうかしたのか?」
「……盛られたかもしれません。ボトルに過剰な白粉を」
僕はボトルの底を注意深く覗き込んで観察する。もし、原因がこのボトルにあるとするならば、間違いなく──
「……やっぱり。このボトルの底に、溶け残った白粉がくっついています。飽和してしまうほど白粉を溶かした水を服用したら、こんな事態になります!」
「えっ……そ、そんな馬鹿な、僕はちゃんと容量守って作ったはずだぞ!」
策士先輩は僕からボトルをひったくって底を見る。
すると、先輩はみるみるうちに顔が青くなっていき、
「う、嘘だろ……?」
へなへなと座り込んでしまう。
「違います、耀太さんはきっとちゃんと容量を守って規定値通りに作りました! 耀太さん、一瞬でも部室から目を離したときってありました⁉」
「あ、ああ……三角コーンとかボールのかごを外に出したとき」
「きっとそのとき、誰かに白粉を入れられたんです! こうなることを期待して!」
「っ」
「な、ならはやく保健室に連れて行かないと! ばっしー!」
ようやく事態を飲み込めたのか、若葉先輩はそう提案した。しかし。
「……きっと、学校の保健室はあてになりません」
「ど、どうしてっ!」
「これを仕掛けたのが学校側かもしれないからですよ! ……救急車なんか待っていたら手遅れになる。……仕方ないです、ここは僕が」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、策士先輩のほうを向いて、一つ。
「……耀太さん、僕を殴るなら全部終わってからにしてくださいね」
「は、は? どういう……ぁ」
先輩が答えを言うよりも先に、僕は高坂先輩の着ていたジャージのチャックを開けて、中のシャツもめくった。ちょうど、へそからスポーツブラジャーが露わになる程度に。
「一応、救急車を呼んでおいてください。どうなるかは、わからないんで」
目には目を。魔法には魔法を。
白粉の大量服用で危険になった体を正常に戻すには、魔法を使わないといけない。
「……明日翔、まさか……高水の体内に魔法をかけようとしているのか……?」
「あいにく、服越しにできるほど僕も慣れているわけではないので。こうさせていただきました。忘れろと言ったらすぐに忘れますんで、少し待っていてください」
「え、ば、ばっしー。人の体に魔法をかけるって……それ、資格がないと……犯罪だよ」
「若葉先輩。……明日翔、魔法検定一級持っているんです。……医師免許か、一級さえ持っていれば、『非常事態での体内への魔法による干渉』は認められています」
「そ、そうなんだ……」
僕は先輩達の会話に構わず高水先輩の体にゆっくりと、魔法をかけ始める。
血管のなかに溶け込んでいった「白粉」の成分だけを、体外に出すように力をかける。「白粉」はあっという間に体中を駆け巡ってしまう。だから、簡単にスポーツができるのだけれど、このような事故……いや、悪意があるなら今回は事件か、そういうときには迅速な対応を取らないといけない。
「高坂先輩、体、起こしますよ。……吐き気がするかもしれませんけど、我慢しないで吐いてください。むしろ、吐いてもらわないと困るんで。あと、耀太さん、普通の水をそこの自販機で買ってきてください、もう、部室の水道も信用しないほうがいいかもしれません」
僕は華奢な高坂先輩の体を起こして、顔を下に向けさせる。
「うぐっ……けほっ……っ……」
予定通り、高坂先輩の口から、少し血が混じった吐しゃ物が吐き出された。
もう少し遅かったら、口ではなく、別のところから出さないといけないところだった。高坂先輩には申し訳ないけど、助けるためだから、ここは我慢してもらいたい。
「まだ、吐きそうですか? しゃべらなくていいんで、吐きそうなら右手を上げてください。そうでないならそのままで大丈夫です」
僕の問いかけに対し、高坂先輩はゆっくりと右手を上げる。
「何もしなくても出そうですか?」
今度は、右手は上がらなかった。
「高坂先輩、ちょっと我慢してください。すぐ終わるんで」
「明日翔っ、水買って来た──」
僕は、高坂先輩の口のなかに指を一本、入れた。
「うぐっ……けほっ、ごほっ……はぁ……」
体にまだ残っていた「白粉」が、吐き出される。
「はぁ……ご、ごめんなさい……上板橋君……汚いの、かけて……はぁ……」
「全然いいです。大丈夫ですか? 少しは楽になりましたか?」
「は、はい……さっきよりかは……」
「耀太さん、水、ありがとうございます」
僕は策士先輩からペットボトルの水を受け取り、高坂先輩に渡す。
「これで、口軽くゆすいで、吐いちゃってください。そのままだと気持ち悪いですよね?」
「う、うん……」
「……明日翔、お前……凄いな……」
隣に立つ策士先輩が呆然と立ち尽くしながらそう言う。
「……別に、一級を持っているならこれはできないといけないので。それに、魔法で人を傷つけさせなんて、させたくないんで」
「……明日翔」
校門の方から、救急車のサイレンが聞こえてきた。
どうやら、なんとかなりそうだ。
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