第21話

 ボールの一件があった週末の土曜日。練習が始まる三十分前に僕は部室前に着き、ドアを開けた。

「……なんだよ、これ」

「あ、ば、ばっしー。来たんだね……」

 ドアの先には、空き巣に入られたように荒らされている部室があった。ボールや三角コーンがそこら中に散乱しているし、ホワイトボードは倒されている。棚に置いていた「白粉」用のボトルも、普通の給水用のボトルも散らかっていて、足の踏み場に困る有り様だ。

「私が入ったときには……もう」

「……一体誰が。こんなこと……」

 僕は、ボールを一つ、つかみ上げる。

「また、魔法で駄目にした跡があります。きっと、同一犯です」

 ボールの外皮がきれいに破けて、もはや球ではなく平面になってしまっている。エアカーリング用のボールは、それなりに衝撃に強い設計になっているので、ここまでの破損は人力では普通できない。

 ……魔法で、こんなことするなんて……。今まで少しは緩和されていた魔法への嫌悪感が少し強くなる。

「……とりあえず、部室、綺麗にしよ? ばっしー」

 困ったように笑いながら、若葉先輩は部室に落ちているものを拾い始めた。

 こ、こんなときまで……笑顔作らなくていいのに……。

 そして、しばらく片づけをしていると、策士先輩、高坂先輩の二人も部室にやって来た。

入った途端、呆然としていたけど。結局、その日の練習の頭の一時間は部室掃除に取られてしまった。


 ある程度もとのように綺麗にした後、僕ら四人は部室内でミーティングを開くことにした。

「どうします、この状況。きっと放っておくとまたやられますよ」

「何か対策を取らないとだめかもしれませんね」

 僕と策士先輩が口火を切り、この一連の事件についての話し合いが行われる。

「でも、どのしろ練習はちゃんとやらないといけないから、常時しっかり監視、ってことはできないよ」

「ですよね……なら、基本僕と明日翔のどちらかが部室を常に視界に入れるようにして、あと、練習する場所も部室に寄せましょう。できるなら、犯人も見つけてこんなことに時間を取られないようにしたいのですが」

「うん、それでいいと思うよ。私は」

 一つ結論が出たところで、練習に入ることにした。かなり時間を潰してしまったので、ランニングは若葉先輩と高坂先輩で行ってもらい、今日は僕も練習の準備作業を手伝うことにした。

「じゃあ、ランニング行ってきまーす」

 先輩二人を見送り、僕と策士先輩で「白粉」を水に溶かしボトルに詰める作業を急ピッチでこなしていく。

「なーんか、嫌な感じがするんだ。ここ最近の一件」

 策士先輩はビーカーに規定量の「白粉」を注ぎ、続々と水の入ったボトルに溶かしていく。

「……誰かに邪魔されているような……」

「まあ、そうかもしれませんけど」

「……一体誰が」

「とりあえずそれは置いておきましょう。キリがないです」

 まあ、誰かわかったら全力でとっちめてやるけど。……何か、対策しないとな……。

「さ、練習行きましょ。先輩」

 全てのボトルの準備を済ませ、策士先輩は先にそのボトルを持って外に、僕はボールの入ったかごを持ってその後をついて行った。

 その日は、普段より部室に近いところで練習したためか、何も起きることはなかった。


 次の月曜日。帰りのホームルームが終わり、僕はそのまま部活に向かおうとした。が。

「おーい上板橋。ちょっと残ってくれないか? 話があるんだ」

 ひょうひょうとした担任に呼び止められ、僕は足を止める。

「なんですか、先生」

「おうおう、そう怖い顔するなって。まあ、すぐに終わるから」

 僕は教壇に向かい、先生のもとへ向かう。

「話は単純だ。……上板橋、お前、エアカーリング部を辞めて他の部に入る気はない、よな?」

「ないですけど」

 急に何を言い出しているんだ、この先生は。

「まあ、俺もそう言うと思ったよ。どうやら入った先の部活で楽しそうにやっているらしいしな。本当、上の考えることは分からん」

 また、理事会が何か決めたのか……? 先生のその言葉に思わず身構える。

「ありていに言うと、理事会は最後までわがままだったそうでな。上板橋が数ある魔法系の部活のなかでよりによってエアカーリング部を選んだのが不満だったらしくてな。お前も知ってるだろ? エアカーリング部の状況。廃部寸前の弱小の部活に上板橋が入ったことが気に食わないらしくてな。もっと強い部活に入って欲しかったんだとよ」

「……どこまで勝手なんですか、理事会は」

 もはや呆れてくる。

「ま、俺もあまりこういう自主性を考えないことは嫌いだけど、仕事クビにもなりたくないからね。一応、通告だけはしておくよ。ま、お前が従いたくないならそれはそれでいいと思うよ。俺は」

「前と違って今回は友好的なんですね、先生」

 僕がそう言うと、先生ははははと軽く笑い声をあげ、真面目な目をしつつ続けた。

「まあ、な。これに関しては約束の後出しだろ? フェアじゃないと思うんだよ、俺は。エアカーリング部に入って欲しくなかったのなら、エアカーリング部以外で、と条件を付ければ良かったんだからな。そういうことはしたくないんでね」

「そう、ですか」

「期限は一週間だそうだ。まあ、好きにしな。上板橋。部活、頑張れよ」

 話が終わったのか、それだけ言い先生は教室を後にした。

 僕は、辞めない。若葉先輩を国立に連れて行くためにも、エアカーリング部は辞めない。


 水曜日。部活は休みの日だけど、また何かされるのも嫌なので、僕は部室に寄って帰ることにした。何か特段意味があるわけではないかもしれないけど。

 昇降口を降りて、生徒玄関に出る。外靴に履き替えていると、視線に黒髪ショートの見慣れた先輩が入った。

 若葉先輩は僕の姿を認めると、「ばっしー」と言いつつ、こちらに寄ってきた。

「今から帰るの?」

「いえ、部室寄って帰ろうかなって思ってて。先輩も帰りですか?」

 僕がそう言うと先輩はパッと光が灯ったように表情を明るくさせ、

「ばっしーも同じこと考えていたんだね、私もそうしようと思ってたんだ」

 待っててと隣の下駄箱に駆けて行った。僕がチラリとスマホを眺める間に先輩は戻ってきて、

「さ、じゃあ部室寄ってこっか」

 僕と若葉先輩は校舎を出て、プロムナードを歩き始めた。

「雨、降るのか降らないのかはっきりして欲しいよねー。これだと練習もどうするかの判断しにくいね」

「梅雨ですからね、仕方ないですよ」

 先輩が言うように、空は灰色の雲で覆われている。まだ雨粒は落ちていないけど、いつ周りに傘の花が咲き乱れてもおかしくはない。

「雨降ったら外で練習しにくいからね、この時期は毎年悩んじゃうよ。体育館なんて使わせてもらえないし、基本エアカーリングの試合は雨が降ったら中止だからね」

「でも、練習期間減るのは痛いですよね」

「うん、そうだね」

 天気同様、少し湿った話になってしまう。それを変えようとしたのか、若葉先輩は、

「ねえ、ばっしー。私、少しは上手くなってるのかなあ」

 おもむろに僕に尋ねてきた。

「上手くなってますよ。それは結果が示してます。この間の練習試合だって……って、誰か部室の前にいません……? 若葉先輩」

 僕が答えようとしたとき、目に入ったのは部室の近くをうろついているスーツ姿の男二人だった。

「誰だろう、今日は部活休みなのに」

「ったく、あの息子はまだ退部届を出さないのか、腹立たしい」

「ええ、彼は自分が置かれた立場を理解していないのですよ、理事」

 少し年配の男が忌々しげに吐いた言葉を聞き、僕と若葉先輩は反射で立ち止まり、近くの木陰に隠れてしまう。

「え、り、理事? 理事の人がどうしてうちの部室になんて」

 背筋にひとつ、冷たいものを感じた。若葉先輩に、知られたくないことがばれてしまいそうな気がして。

「担任には言ったんだろう?」

「ええ、彼の担任にはすでに伝えていて、もう通告はしたとのことです」

「ったく、手間をかけさせる生徒だな、上板橋君も」

「え、ばっしー?」

 先輩は、理事の口から僕の名前が出てきたことに驚いたようで、丸い瞳を僕に向ける。

「彼がエアカーリング部なんて弱小部ではなく、他の魔法系の部活に入れば東都学園は全国にその名を轟かせられるというのに」

 ……本音ダダ漏れだよ理事のジジイ。

「少子化が進む今、学校の宣伝は重要だ。彼が持つ稀有な魔法の実力を存分に発揮すればどれほどの広告効果が期待できるか」

「ええ、しかも、彼は坂戸浩二の一人息子ですからね」

 やばっ……今あの若いほう、父さんの名前出しやがった。

「ん? 坂戸? ばっしーの名字って、上板橋だよね」

 案の定だよ。先輩は僕の顔を覗き込むようにして目と目を合わせる。純粋無垢と言うべきだろうか、年上の人なのにそんな感想が口をつきそうになる。

「白粉の開発者の一人息子にして、十五歳という若さですでに魔法検定一級を持つ天才。そんな彼がどうして普通科に入学し、エアカーリング部に入部したのか。ああ、なんて悲劇だ」

 悲劇なのはあんたらの頭だ。そう言ってやりたくなったけど、そうもいかない。どんどんあまり知られたくない情報が理事たちによって話されている。

「え、え? ばっしー、一級持ってるの?」

「なんのために彼を特待生として受け入れたのか。彼は自分が特待生である、学校に貢献をしないといけない立場だということを自覚して欲しいものだ」

「しかも特待生なの?」

 ……全部バレるんじゃないの、これ。

「ま、いい。悲劇も次の月曜で終わる。それまでに彼が退部届を出せばそれで終わる。そうすれば東都学園に再び繁栄が訪れる」

 反吐が出るほど気持ち悪い。こんな欲にまみれた奴のために、魔法なんて使いたくない。ただでさえ嫌いな魔法なんだ。

 それに、僕は若葉先輩だから魔法を使おうと思ったわけで、この部活を辞める気はさらさらない。

 しかし。

「ば、ばっしー、辞めちゃうの……?」

 不安そうに瞳を揺らす若葉先輩。理事の言うことを信じてしまっているようだ。

「辞めませんよ、僕は」

 部室の近くから立ち去る理事を見つめつつ、僕は続ける。

「辞めるはずがないです。約束したじゃないですか。国立に連れて行く努力をするって」

「ば、ばっしー」

「安心してください。途中で投げ出すようなことはしません」

「私、ばっし―が辞めたらやだからね」

 気づけば、先輩は僕の腕にくっつき、子供のように潤んだ目で僕を真っすぐ見つめている。

「せ、先輩、ちょっ……人に見られているんで、これは近すぎますって」

「私、やだからね、ばっしー」

 聞いていないし。ま、曲がりなりにも可愛い顔してるからそんな至近距離で目を向けないでください。

「ああもう、辞めませんって僕は。だから一旦離れましょうっ。近いです先輩」

 とうとう我慢しきれず、そう吐き散らした僕。若葉先輩もはっと我に返ったようで、慌てて僕の腕から体を離した。心なしか、少し顔が赤くなっているようにも見える。

「ごっ、ごめん……ばっしー」

 十五センチの空間が僕と若葉先輩に生まれた。珍しく萎んだ声を出す若葉先輩は、俯きながら変わらずの顔の色。

「……帰りましょ。多分、今日は大丈夫だと思うんで」

 僕は木陰から出て、立ち尽くしている先輩に声を掛ける。なんとなく、この一連の事件の黒幕が誰かはわかった。これ以上部室を見ている意味は今日はないと思い、そうした。

 実行しているところ見つけたら、絶対に許さない。


 帰り道。隣を歩く若葉先輩はいつもより少し口数が少なかった。いつもならニコニコしつつ能天気な話を僕にするのだけれど、さっきの理事の会話が残っているようで、心ここにあらず、というような感じだった。

 ほとんど会話も生まれずたどり着いた中野駅。改札を通りエスカレーターを上がってホームに。

 乗車口に並んで電車を待つ間、重たい口を開くように若葉先輩が僕に尋ねた。

「……ねえ、ばっしー。ばっしーって、本当に開発者の息子さん、なの?」

 こま切れになる先輩の言葉。

「それなのに……どうして、魔法、嫌いなの?」

 ああ。ほんとうに。

 この先輩は、こんなときもデリカシーなくズバズバ人の踏み入って欲しくないところに足を出す。

 モーター音を鳴らしながら停まる電車を眺めつつ、先輩はそう続けた。

 ドアが開いて、何人かの乗客が降りる。先輩はそれから電車に乗り込んだ。けど。

「……そんなの、若葉先輩にはわかりませんよ」

 僕はホームに両足を残したまま、低い声で、吐き捨てた。

「ば、ばっしー……?」

 発車ベルが鳴り終わり、ドアが閉まる。各駅停車は、僕をホームに残したまま、駅を出発していった。

「わかるわけ、ないじゃないですか」


 先輩の次の電車に乗って家に帰った僕は、すぐに自室のベッドに飛び込んで枕に顔を埋めた。

「やっちゃったな……」

 別に若葉先輩が悪いわけじゃないのに、先輩にあたるようなことしてしまった。

「ひどいこと、したかも……」

 しんと静まる部屋に、僕の声がこもる。締め切ったカーテンの隙間から覗く光が、うつ伏せに寝る僕の背中を温めるのが、また辛い。

 先輩なら僕の家の前で待ち伏せるとか、何かするかと思った。けど、やはり元気がないのか、僕の目の前の家に住んでいる若葉先輩はそんなことはしなかった。だからこそ、やってしまったなって思っているわけだけど。

 先輩が簡単に心の大事な領域を聞いてくるのは、出会ったころからわかっていたのに。先輩の人柄を見て、僕は部活に入ったというのに。

 先輩の性格で、僕は先輩に怒ってしまった。つくづく、都合のいい奴だ。

「明日、どんな顔して会えばいいんだろう」

 気づけば雨が降りだしていて、窓の外から雨粒が道を叩く音が聞こえだしていた。


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