第3章 だから、僕はそんな先輩が大事にしている居場所を守りたくて、
第18話
「これ、明日翔に」
大会が終わって一週間経ったある日。部活も終わり、制服に着替えこれから帰ろうとする僕に、タブレットを持った策士先輩が声を掛けてきた。
「なんですか?」
「若葉先輩の、データ。渡しておく。多分必要になると思うから。家にパソコン、ある?」
「は、はい。パソコンもタブレットもありますよ」
「おし。なら、メールアドレス教えて。そこにPDFファイルにして送るから」
「どうもです」
ドアの鍵を閉めつつ、先輩は続ける。
「……託して、いいんだよな? 明日翔」
「……託されました」
「結構な、ギャンブルだと思うよ。僕は。反対はしないし、面白いと思うけどね。でも、貴重な選手の枠一つ潰して、アドバイザーに転向っていうのも、なかなか思い切るなあって」
夕陽差し込む背中が、少しオレンジに色づく。グラウンドのほうから、金属バットの音がどんどん響いてくる。
「兼任じゃ駄目なのか?」
「……多分、それだと意味がないと思います。中途半端に何かやっても」
先輩は鍵を掲げて見せる。「はい、ついていきますよ、職員室まで」と、僕は小さく笑いつつ職員室に向かう策士先輩の後を歩く。
沈む太陽の残光が、プロムナードに並ぶ木々を照らし、木の葉から零れ落ちる光が、道に影と日向を描き出す。
「そろそろ、廃部になるんじゃないかって、内心ドキドキしてんだ、僕」
自虐するかのように笑って言う先輩は、少しだけ寂しそうに背中に残した部室を尻目に見ていた。
「もともと、規定の最低部員数は五人なんだ。でも、エアカーリング部は今四人。去年まではなんとか五人いたから廃部は免れていたけど、今年は……」
え?
「……本当は今年で三人新入部員稼がないといけなかったんだ。でも、入ったのは明日翔一人だ」
だ、だって……若葉先輩、僕が入ればそれでいいって。
急に、足元に影が伸びてきたような、そんな気がした。
「もう、終わったことは仕方ない。今更勧誘したって、って言う気もする。……なら、今のメンバーで結果を残すしかない。確実に存続が保証されているのは、今年の夏までなんだから」
今年の夏までなんだから、という言葉が何度も頭のなかをグルグルと巡りだす。若葉先輩は、それもわかった上で……僕が専任アドバイザーになることを認めてくれたのか?
「前例として、五年前、部員数三人の将棋部が三人で戦う男子団体で東京都大会を優勝した。総文祭……あ、文化部のインターハイみたいなものだと思っていいよ、その大会でもベスト16に残った。その功績を認められて、将棋部は三人の部員数のまま翌年度の春を迎えた。っていうのがある。一般部活と魔法系の部活という違いはあるけど、少なからず都大会で優秀な成績を収めれば延命措置がされる可能性は出てくる」
「じゃ、じゃあ……若葉先輩がしきりに国立に行きたいって言っていたのは……」
「個人的な思いもあるだろうけど、この部活を存続させたいっていうのはどこかしらにあるだろうね。あの人、エアカーリング部大好きだから」
そ、そんな大事なこと……。
あの先輩は、そんな素振り一つも。何かと悲壮感漂う高坂先輩からは入部する前からこういう話は聞いた。それに策士先輩からも部活の事情を今も前も話してもらった。でも、若葉先輩は、若葉先輩からそんな話は、聞いてない。
「……正直、まあ、三人入ってもこのまま弱小と呼ばれるままなら、遅かれ早かれ存続の問題は浮上しただろうね。学校だって無限に金を持っているわけじゃない。私立高だからといってもね。それに、採算が出ない部活を切り捨てるのは、まあ、理には適っていると思う」
生徒玄関を通り、職員室に向かう。薄暗くなった校舎に、二つの足音が響く。校内に残っている生徒はもうほとんどいないみたいで、僕らの話し声がよく通った。
「もう、時間はないんだ。僕らに残された時間は。あと二か月足らずで、若葉先輩か高水を最低限国立の舞台に引き上げないといけない。それが、明日翔。君のした判断で、僕が乗っかったギャンブルだよ」
ため息をつきながら、階段を上っていく。先輩は踊り場の窓から受ける光を手で覆い、エアカーリング部の賭けの話は続ける。
「僕はね、明日翔ならもしかしたら一年の夏には国立にはたどり着けるんじゃないかって思っていた。でも、少し希望的観測を込め過ぎたかもしれない。……別に明日翔を馬鹿にしているわけじゃない。ただ、思ったよりトップレベルの実力は上だったってだけ。やっぱり、駄目かもしれない。若葉先輩が三回戦で負けたとき、玉淀さんに完敗したとき、そう思ったよ。でも、でも」
そこで一旦間を取り、ずっと前を向いて話していた先輩は僕と向き合って、こう綴った。
「僕にはできなかったことが、もしかしたら明日翔にはできるかもしれない。……明日翔が専任アドバイザーになって、どっちかを教えたら、もしかしたらって。一瞬でも思っちゃったんだ、僕は。……明日翔がそれを提案したとき、そう思ったんだ。専任アドバイザーなのに。ほんと、なんだろうな。笑っちまうよ」
「……耀太さん」
「明日翔の一回戦の前に言った言葉」
また先輩は歩き出した。前を向いて。
「僕、自分のことできた人間だとは思ってないけど、あの言葉を嘘にするほど腐ってはいないつもりだから」
そう言い職員室のドアに手をかける先輩は、きっと笑っていたんだ。理由はわからない、でも。根拠のない自信がそこにあった。
帰り道、策士先輩と中野駅で別れ、ホームで一人各駅停車を待った。若葉先輩と高坂先輩は先に帰った。なんでも、選手二人で話したいことがあるから、といって着替えを済ませると秒で部室を出た。
だから、こうして隣に誰もいない帰り道は久しぶりかもしれない。ここ最近、ずっと若葉先輩と一緒に帰っていたから。
いたらいたらで面倒だけど、いないといないでなんか面白くないんだよな。……これって僕は先輩に毒されているのだろうか。
まあ、そんなことはさておいて。
さっき策士先輩と話したことに、僕は思いを馳せる。
東都のエアカーリング部は、もう廃部寸前だということ。それはまだいい。いや、まだいいって言い方は語弊があるけど、そこは半分察した状態で入部した。問題なのは、それを若葉先輩が僕に言っていない、ということ。
どうして、言わなかったんだろう。あの部活が大好きと自他共に認める若葉先輩が、廃部になんかさせたいはずがない。それに、先輩は玉淀さんに僕さえ入れば大丈夫とすら叫んでいる。
僕を、廃部のごたごたに巻き込みたくなかったのだろうか。……先輩の本性がわかった今、そうしていた可能性は十分考えられる。
「……でも、どのしろ勝たないと廃部なら、言ってもよかったと思うんだけど……」
それに、別に本心が僕を利用して廃部を逃れよう、でも全然いいと思っているし、そこら辺のこと、どう思っているのか、聞いてみたいな。
何かと、モヤモヤを抱えながら練習したくないし。
「よし」
滑り込んで来た各駅停車に乗り込みながら、僕はそう意気込む。
今度、先輩に聞いてみよう。
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