第17話
「負けちゃったよー」
苦笑いを浮かべながら、僕らのいる場所に返ってきた若葉先輩。首に届かない短い髪の間から覗く瞳は、細められていて。
…………。
僕は、先輩に何も言うことができなかった。
もっと、悔しがるかなって思ったから。でも、先輩はいつも通りの先輩のままで、明るい雰囲気を保ったままだ。
負けた直後だというのに。
策士先輩は苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、淡々と帰り支度を進めている。
「皆、準備できたら外でミーティングねー。じゃあ、私、着替えて外行ってるから」
エナメルバックを持った先輩は口早にそう言い、ゲートへと走っていった。
「え、あ、外のどこ──」
僕が聞き返そうとしたときには、もう先輩の後ろ姿は見えなかった。
「ったく……」
こういうときまで振り回さないで欲しいけど。僕も最後に荷物の確認をしてゲートへと向かった。
試合に負けた後、制服に着替えていたので、真っすぐ競技場の外に向かった。木々が生い茂るスタジアム周りは制服をきた選手で混み合っていた。僕は、人混みの中から若葉先輩の影を探してみたけど、なかなか見つからない。
「どこに行ったんだ……?」
人垣を分けながら歩いていく僕。喧騒のなか、見つからない影を追い続ける。夕暮れの多摩の自然のなか、一つの木陰に不自然な人影と、見覚えのあるエナメルバックの端が見えているのに気がついた。
「……先輩?」
窺うように僕は太い木の裏を覗き込む。そこには。
「っ……っく……」
人知れずこんな誰もいないところで涙を流している若葉先輩がいた。
普段、笑顔を絶やさない、試合直後でだって泣いていない先輩が、泣いていたんだ。
「っ……ぁぁ……はぁ……」
僕は、何も言うことができなかった。言えるはずがなかった。
見てはいけないものを見てしまった。そんな気分になったから。僕はそのまま立ち去ろうとした。けど。
戻ろうと引きずった足が、地面の砂を思い切り削ってしまい、音が立ってしまった。
「え?」
それに合わせて、木陰から恐る恐るといったように、目を腫らした先輩が顔を出してきた。僕の姿を認めると、みるみるうちに顔が赤く染まっていく。
「ど、どうしてここにばっしーが……」
いつもの先輩とは思えないか細い声が漏れた。むしろ、高坂先輩の声だ、と言われても違和感がない。
「何も言わずに外に出るからですよ。そりゃ探します」
「……そっか。そうだよね」
ははと力なく笑いながら、両目をこすり、僕の目の前に立つ。
「見た……よね?」
いや、その腫れた顔しながらそう言われても説得力ないです。
「見ましたよ。若葉先輩が泣いているとこ」
「う、うぅ……そんなストレートに言わないでよぉ……」
「……一人で泣くような、そんな殊勝な性格だったんですね、先輩」
「も、もうやめてよ……」
右手を顔の前で左右に振り、イヤイヤみたいな素振りをする。
「だ、だって……泣くようなキャラじゃないから……私。……だよね?」
「まあ、そうですね。……でも、別にそこまで気にしなくていいと思いますけど」
「ダメだよ」
すると、明確な意思を示すかのように、はっきりと先輩はそう答えた。
「私が……みんなの前で泣いたら……みんな、悲しくなっちゃうから」
大切な決意を零すように、穏やかに話した。
「誰かは、ニコニコしていないと……辛くなっちゃうだけだから……」
「別に、それが若葉先輩である必要なんて」
「私でいいの。私でいいの」
僕の言葉を遮るように、そう言う先輩。
「それしか……私にできることはないから……だから」
「……なんだよ、それ」
気づけば、その言葉は放たれていた。
「悔しいんだろ? 泣くほど悔しいんだろ? じゃあどうして笑っていられるんですか。先輩にとってエアカーリングはその程度のものだったんですか!」
若葉先輩は他の人と違う。真摯に魔法と向き合ってくれる。そう、思ったからこそ、僕はエアカーリング部に入ったんだ。なのに。
先輩が笑っていたことに、きっと僕は、悲しんでいたんだ。
「そうじゃないよ。私にとってエアカーリングはとても大切なもの。そんな、どうでもいいものなんかじゃない!」
何、やっているんだ僕は。大会直後で疲れているのに。こんな、口論なんかして。
「じゃあどうして。……どうして、そんなキャラじゃないって理由で本心を隠せるんですか!」
「そっ、それは……」
僕の問い詰めに、言葉が出なくなる若葉先輩。もともと泣いていた目が、また涙を零し始めた。
「……だって、私にはそうするしか……できないんだもん……」
膝から崩れ落ちて、座り込んでしまう先輩。言い過ぎたかな……。
「私には、エアカーリングしかない。エアカーリングしかないの……だから、この居場所だけは、絶対に失いたくない……」
木の幹に背中を預け体育座りで俯きながら、先輩は少しずつ自分の過去について話し始めた。
「私ね、本当はこんなに明るくないの……この性格、作ってるんだ……。中学までの私は友達も少ない暗い子で、話しかけられたら返す、くらいのそんなテンションの人だった。中学のエアカーリング部でもそんな感じだった。……友達は、南くらいだったかな……。それでも、私は満足していた」
でも、とそこまで若葉先輩は言って話を転換させる。足元の砂をつかんで、力なく投げる。小さな砂煙が立っては、あっという間に消えてしまう。
「南のプレースタイル、見たでしょ? 技巧派の、あの大きく曲がる変化球を軸にする戦い方。……それが、中学の先輩に疎まれていて」
嫉妬、か?
「南、中学のときから上手かったから。二年生のときには部内で一番うまかったと思う。それが良く思われなかったんだ。……それで、南は部活で仲間外れにされるようになっていった。けど、南も南で黙っているような性格じゃないから。……あからさまに部活の空気は悪くなった」
まあ、確かに気が強そうというか、そういうことされて何もやらない人ではないだろうからな、玉淀さん。
「……誰も、笑わなくなったんだ。いつもにこやかで楽し気で、そんな雰囲気の部活が私は好きだったのに。そこしか居場所なかったのに。私は、南を助ける訳でもなく、ただただ息苦しく部活に出続けていた。……悪いこと、したなあって、思った。引退と卒業したとき。結局私は逃げるように東都に進学して、今この結果。南はストイックに努力し続けて、千代田で全国が視界に入っている。別に南は私に怒っているとか、そんなことは感じてないと思う。だから、私がキャラを作ったのはただの自己満足。……でも、部活の雰囲気だけは、絶対に守りたい。魔法の実力も、エアカーリングの才能も何もないけど、部活の柔らかい雰囲気だけはなにがなんでも守りたい。何もない私に残された唯一のものなんだよっ! だから、だから……そんなふうに言わないで!」
一秒、二秒、三秒。僕と若葉先輩の間に無言の時間ができる。
「別に、いいんじゃないんですか? 作ったキャラだって。そのキャラと合わないことしたって。……そんな我慢して、壊れるほうがよっぽど不健全だと思いますけど」
いたたまれなくなってカラスが鳴き始めた頃に、僕は口を開いた。
「先輩のやっていることを否定する気はないですよ。間違っているとは思わない。……でも、感情にまで蓋をするのは、違うと思って」
僕はしゃがみ込んで先輩と同じ目線に入る。
感情を押し殺すのは、結構なエネルギーを使うから。それは、僕も知っているから。理不尽だろうが、大人の事情だろうが、変わらない事実として事実を受け入れ、気持ちを静めるのは、しんどいことだとわかっているから。
「悔しいなら、泣けばいいんです。叫べばいいんです。……何も、我慢しなくて、いいんですよ」
小さく震えている先輩の肩に左手を置き、右手でそっと頭を撫でる。
「あっ、ちょっ、今は汗かいてるからダメだよ……ばっしー」
「別に気にしないですから、いいですよ」
「っ……ば、ばっしーは良くても私が気にするのっ」
僕の右手を無理やり払って、先輩は立ち上がる。
「ほ、ほらっ……そろそろつるせっちや高水と合流しないと。もしかしたらもう探しているかもだしっ」
さっきまでの泣きべそはどこに行ったのか、先輩はもう涙を拭って少し収まった喧騒のほうへと歩きだした。
「……ま、僕も探しに来たんですけどね」
「あ、ばっしーその右手ちゃんと洗ってね、汚いからね」
後ろを振り返りながら恥ずかしそうにそう言ってくる若葉先輩。
「はいはい。前向いて歩かないと危ないですよ先輩」
「ってあっ!」
「……ほら言わんこっちゃない」
洗いますよ、洗いますけど。
……そんな顔もできたんですね、先輩。やっぱり女の子じゃないですか。
作ったキャラだとしても、そんな表情できるなら、もうそれは「本当の自分」ってカウントしていいと、僕は思いますけどね。
無事に競技場の外で、高坂先輩と策士先輩、顧問の先生と合流し、ミーティングを行った。各メンバー反省点とコメントして、最後に顧問が一言、という簡素なもの。五分程度で終わり、その場で解散となった。
「んじゃ、お先に帰りまーす」
「あっ、耀太さん、ちょっといいですか」
僕は、バス停に向かおうとする策士先輩を引き留める。
「え? あ、ああいいけど」
「じゃあ……」
バスに乗り込み、聖蹟桜ヶ丘駅で降りる。駅の近くにあるショッピングモールのなかにあるベンチに場所を取り、近くの自販機で適当にジュースを買う。
「で、話って何?」
片手にペットボトルを持ちながら、僕の隣に座る策士先輩。
「……もし、アドバイザーの業務を一人に集中したら、成績伸びると思いますか?」
「それって……僕が高水か若葉先輩、明日翔の誰かに集中したらって意味?」
「はい」
「……まあ、そうなんじゃない? 実際、一人で回していると、若葉先輩の一回戦と明日翔の二回戦、行けなかったからな」
「……そうですか」
「どうかしたか? 明日翔」
「いや、えっと。僕がアドバイザー専任になったら、どうかなーって」
それを聞いて、一瞬策士先輩の顔が強張る。
「マジで言ってる……? 明日翔」
「……ええ、大マジです。別にアドバイザーの仕事を舐めているわけではないです。それは耀太さんを近くで見続けていればわかります。……僕に足りないのは、戦術理解の部分だと思うんで、アドバイザーを務めることで、そこを補えるんじゃないかって」
「いや、それはそうだと思うけど」
「……それに、どうしても勝たせてあげたい人がいるんで」
「ん? 今なんか言った?」
「いや、なんでもないです」
「別に……僕は反対しないけど」
「ありがとうございます。……次の部活にでも、二人にも、言いますね」
「あ、ああ」
「……この夏だけは、アドバイザー専任になります、僕」
日曜日を挟んで、週明けの月曜日。練習前の部室、全員が揃ったタイミングで僕は宣言した。
「耀太さんとも話して決めました。僕、今年の夏の大会が終わるまでアドバイザー専任になります」
僕のそれを聞いて、ポカンと口を開けて立ち尽くす二人。
「この間の大会で感じました。皆さんに魔法の力はあるあると言われましたけど、決定的に、戦術に理解が足りてないんです。なので、アドバイザーの経験を積んで、そこの弱点を潰そうかなって思いそうすることにしました」
じゃあ、と僕は更衣室でジャージに着替えて、また戻っても、二人の先輩は同じ場所に立っていた。
「ランニング行きましょ? 若葉先輩、高坂先輩」
部室のドアに手をかけ、そう声を掛けると、
「い、いやちょっと待ってばっしー。急な話で頭が」
「は、はい……私も」
理解が追い付かないというふうに僕を見る先輩方。
「……勝つためです。今年も、来年も」
その目線に応えるべく、僕ははっきりと力強くそう答える。
「今年、も……?」
「はい。今年も、です」
勝たせたい、そう思った。あなたが泣くほど悔しがるのなら。僕の一つの夏を使って、勝たせたい。そもそも、初対面で「危なっかしい魔法」と僕が形容した人なんだ。僕が、なんとかしてみせる。
「そうそう。専任が二人になるんで、担当分けすることにしました。僕は若葉先輩、耀太さんは高坂先輩の専任アドバイザーっていう配置になるんで。まあ、僕は練習も参加するつもりですけど……」
「そ、そうなんだ」
「耀太さんと比べて色々至らないところもあると思いますが、夏までよろしくお願いします。若葉先輩」
春も終わり、これから迎える夏。一つの決断を、僕は下したのだった。
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