第16話

「ナイスゲームばっしー」

 試合が終わりスタンドに戻ると、満面の笑みを浮かべた若葉先輩が僕を迎え入れた。

「ど、どうもです……」

 そう返すと、若葉先輩は僕の肩を抱き、ポンポンと背中を叩き始める。

「えっ、あ、あの、先輩……?」

「……ありがとね、ばっしー。勝ってくれて」

 耳元から聞こえるそれは、いつもより少し湿っぽい声で。

「じゃあ、僕はもう高水の一回戦行くんで。もし間に合わなかったらごめんなさい、若葉先輩、初戦は一人でお願いします」

 策士先輩は少しニヤつきながらそう言い、高坂先輩を連れてピッチに降りていった。

 スタンドに残されたのは、僕を抱いたまま話さない若葉先輩と、両手を空中で硬直させながら立ち尽くしている僕の二人。

 あ、あの……周りの視線とか、そろそろ……。

 試合後の興奮も冷めて、段々冷静になってきた僕は、それと反比例するようにこの状況が恥ずかしくなってきた。

「せ、先輩、そろそろ……」

 僕が苦し紛れにそう言いだしたとき。

「お熱いところ申し訳ないのだけれど、少しいい?」

 苦いお茶でも飲まされたかのように渋い顔をした玉淀さんが立っていた。

「あっ、み、南……?」

 すると先輩は急に僕を離し、後ろから声を掛けた玉淀さんと向かい合う。

「上板橋、君だっけ……。君、何者なの?」

 しかし、玉淀さんの興味は若葉先輩ではなく、僕にあったようだ。

「君の対戦相手、多々良君は、うちの部の新入生のなかでトップスリーに入る実力の持ち主よ。彼を、まさか五回ギブアップで負かすなんて……」

 今でも信じられない、というようなふうに彼女は言ってみせる。余程、今年の新入生に期待をかけていたのだろうか。

「パンフレットの名簿にもあったし、制服の腕章もそうだったけど。……君、本当に普通科の生徒なの? 戦術はアドバイザーの眼鏡君が立てたとしても、あれだけ正確かつ、音のない魔法、研究科の上級生がやることなのに。それに、あのシュート。今までたくさんの選手見てきたけど、あれだけ綺麗なシュートを投げる一年生、見たことない。……一体何者なの、君は」

「……別に、僕はただ普通科に入りたかっただけなので」

「それでそんな実力なの? さすがに舐めてないそれ?」

「僕の勝手じゃないですか。……別に研究科に入りたいわけでなかったんで」

「っ……ま、まあそれはいいとして。……菜摘が君一人いれば十分って言う理由はわかった。せ、せいぜい頑張るのね」

 それだけ言うと、悔しそうに足元に握った手を震えさせて、僕らのそばを玉淀さんは後にした。


 その後、スタンドで若葉先輩と並んで高坂先輩の試合を観戦した。高坂先輩相手は都立高校普通科の三年生だった。しかし、以前策士先輩が言っていたように主導権を取られる試合展開になってしまい、八回終わって6対3とリードされていた。残り二イニング。

 イニング間のインターバルで冷静に指示を送る策士先輩の姿が見える。けれど、本人の高坂先輩は自信なさげな表情で、下を向きながらスポーツドリンクを飲んでいた。

「あちゃー……いつもの高水が出てきちゃった……」

 隣に立つ先輩が頭を押さえながら呟く。

「いつもの、高坂先輩ですか?」

「うん。いつもの。……プレーに意思が見えない。ただ、どこに投げればいいかわからないままボールを投げている。自信持ってやっているときは強いんだけどね、高水は。……あっ」

 あっ? え?

 先輩は、口に手を当てたまま、黙り込んでしまった。

「三番ポケット、東都学園、若葉さん。目白桜ケ丘、福居さん」

「あ、わ、私、呼ばれちゃったからもう行くね、つ、つるせっちにはもう行ったって言っておいて、ばっしー!」

 呼び出しのコールがかかると同時に、先輩は慌ててゲートに向かい始めた。その後ろ姿に、玉淀さんのことと合わさってより違和感を持つようになった。

 ……今の先輩、素だった……?


 高坂先輩は最終十回に粘りを見せたものの、最後までリードを奪うことはできず、7対6で一回戦敗退となった。僕も、二回戦で昨年の夏にベスト8に入った選手と当たり、6対5で負けてしまった。若葉先輩は一回戦、二回戦と勝ち残り、一日目最後の三回戦へと駒を進めていた。

 しかし、三回戦の相手が。

「四番ポケット、東都学園、若葉さん。千代田科学技術、玉淀さん」

 そう。朝から何かと絡んできたあの人だった。

「よし、じゃあ行きましょうか。若葉先輩」

「うん。それじゃ、頑張って来るねー」

 先輩はお気楽そうに言っては策士先輩と一緒にピッチへと降りていった。

「……行っちゃいましたね。若葉先輩」

「うん……そう、ですね」

 残った僕と高坂先輩で、ポツリポツリ言葉を交わす。

「勝てると、思いますか?」

「……わかんない……菜摘先輩、どんな相手でもいつもああいうふうにのほほんって行くから」

 いつものほほん、ね……。

 ──一回戦のときは、そういうふうには見えなかった。

 高坂先輩の試合を見つめる若葉先輩は、何も考えていない明るい人ではなく、冷静に状況を分析している、むしろ策士先輩のように映った。

「若葉先輩って、エアカーリングの試合を見て解説とかするような人なんですか?」

「え? う、うーん……あまりそういうところは見たことない……ですね」

 なら、ますますわからない。あの一瞬の先輩は、何だっただろうか。それに、最後に口をついた「あっ」の一言。それがなければ、僕はここまで気にはならなかった。でも、わざわざ先輩が「あっ」と言うのは、何か失敗してしまったから。

 ……それが、普段やらない試合の解説を僕の前でやってしまったから、だとしたら。

 ……先輩のあの性格は、作っている? だからどうしたって話だけどさ、でも。

「それを隠したがるあたり、何かあるような気はするんだよな……」

 誰だって知られたくないものの一つや二つあるだろう。僕からそれを詮索する気はないけど、疑問には思った。

「あ、そろそろ菜摘先輩の試合、始まるみたいですよ」

 高坂先輩のその声で、僕は意識をピッチの若葉先輩に向けた。もうすでにコイントスまで終わったようで、これから第一投、という場面だった。

「あの、高坂先輩。玉淀さんって、どれくらい強いんですか……?」

 体を小さくしながらピッチを見つめる先輩は、僕の問いにゆっくり答える。

「……正確な投球が持ち味の技巧派で、右手から放たれるシンカーが一級品。っていうのが鶴瀬君の分析」

 し、シンカーって……平気で斜め下の変化球とか投げるんですかあの人。高校生で投げる人いるのかよ……。僕も投げられは投げられるけど、得意ではない。そもそも、エアカーリングにおいて斜め下の変化をするボールはあまり需要がないらしく、それほど多投される球種ではない、らしい。全部策士先輩の受け売りだけど。まあ、上下左右に投げられれば基本問題はないらしいけど、斜め下にも投げられると、当然使える戦術に幅が出る。

「でも、一番の特徴は……」

 高坂先輩がそこまで言い、じっと玉淀さんの一投目を見つめる。凛とした表情でゾーンに入った彼女は、ゆったりとした美しいフォームでボールを投げ、そして。

 大きな縦変化を描いてボールはポケットの中心へと吸い込まれていった。

「その、変化量の凄まじさ」

「…………」

 あまりの変化量に、言葉が出なかった。それは、周りも同じだったようで、いままで雑談をしていた生徒達も、玉淀さんの投球を見ると、一瞬のうちに黙ってしまった。

「……ボール何個分落ちました、今?」

「……鶴瀬君のデータだと、去年の秋の時点で七個分です」

「そ、そんなレベルではなく沈んだように見えたんですけど」

「た、多分、もっと磨きがかかっているんじゃないかと思うんです」

「……あんなに落ちるなら、もはや正面のブロッカーなんて意味をなさないじゃないですか」

「……うん。それで防御を無効化してしまえるのが、変化量が多いと得られるメリット。むしろデメリットなんてあるなら教えて欲しいくらいです……」

 すまし顔でミックスゾーンに帰る玉淀さん。入れ替わりで若葉先輩がゾーンに入る。

 顔色変えずにボールを持つ先輩は、すっと息を大きく吐きながら間を取る。

「いつもより間、長くありません?」

 僕がそう呟いた瞬間。先輩は少し硬い動きでボールを宙に放った。僅かに感じた不安は的中してしまう。

 わずかにシュート回転がかかったストレートは中心を避けるように曲がっていき、そして……ポケットを通過していった。

「……え?」

 スタンドいっぱいにそんな声が並んだ。ボールはそのまま遥か彼方へと飛んでいき、向こう側のバックスタンドまで届いた。

「……し、失投です……か?」

「う、うん……多分。魔法がうまくかからなかったんだと思う。初心者とかはよくやるプレーで、……でも、若葉先輩ほどのベテランがやるようなミスじゃ……」

「で、ですよね……」

 この試合、大丈夫か?

 第二投に入る試合を見ながら、僕はそんなことを思うのだった。


「ここっ、止まって、……ああ」

 九回の第八投、後攻の若葉先輩が投じたボールは無情にも中心に近づくことができず、この回も玉淀さんに得点が入った。これで7対2だ。

 普通、エアカーリングにおいて最終回に3点以上差がついたらギブアップする場合が多い。一イニングで取れる点の上限は8点。しかし、それは全部のボールがイニングの最後までポケットに残ったらの話。そんな展開、なかなか起きない。

「……ギブアップ、ですかね……」

「多分、鶴瀬君はそう言っていると思います……でも、若葉先輩が頷いているかどうかは……」

 そこらへん、あの先輩は簡単に諦めないだろうな。僕のこともあれだけ諦めなかったんだ。大事な試合を、投げるような人ではない。

「まあ、若葉先輩なら最後まで、やりそうだけど……」

「うん。……でも、5点差ついているから、3球枠外に飛ぶか、弾かれた時点でゲーム終了。……もう、玉淀さんは菜摘先輩のボールを弾き続けるだけでいい」

「……厳しいですね」

 やはりと言うべきか、若葉先輩は十回の投球をするようだ。軽くセカンドポケットに投げた玉淀さんとすれ違い、プレーイングゾーンに入った。

 ──今、何か若葉先輩に言った?

 玉淀さんの口が、少し動いたように見えた。そのまま立ち去る玉淀さんに対し、若葉先輩はゾーンの中で言葉を発する。

 その直後、先輩はボールを投げだした。

 力なく放たれたボールはセカンドポケットに入った。だが、二投目で当然のように玉淀さんは若葉先輩のボールめがけて投球し、当然のようにぶつけてきた。

「わざわざブロッカー使わないで、ボールで当ててくるなんて……」

 高坂先輩が震える声で呟く。

「どれだけ制球いいんだよ、あの人は」

 僕もつられてそう言ってしまう。完全にスタンドは決着ムードで、トーナメントの山の話に移っていた。

「玉淀、次の相手は……」「青梅総合の二年生じゃない? 順当に行けば」「まあ、一日目だとこんなもんだよなー」「しかも、東都の三年だもんな。他の三年よりも当たりくじだろ」「よく残ったなーあの相手も」「あー、一年だ。一回戦二回戦」「なら、さすがに勝つか。ま、運はよかったけどここまでだな」

 その会話の近くに座っていた僕と高坂先輩は、ただただ唇をかみしめて聞くことしかできなかった。

 これが、実情なんだ。

 先輩の第二投はキレよく行ってファーストポケットへ。しかし、示し合わせたかのように玉淀さんがボールでそれを弾き飛ばす。

 もう、後がない。

 強張った顔でゾーンに立つ若葉先輩。先輩が投げた第三投は──


「あっ」


 隣にいた高坂先輩がそう叫んでしまうほどの大暴投で。

 残酷にも、ポケットに入ることはしなかった。

 その瞬間、審判員の人が「ゲーム!」とコールし、試合中の二人の間に入る。恐らく得点と結果を宣言して、握手を促したのだろう。

 ぎこちない雰囲気で手を握り合う二人。そのままスタンドの方へと引き下がっていった。


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