第15話
春の東京、心地よい気温、柔らかな陽射し。天然芝の上に並ぶ選手たちが着るユニフォームの色とりどりの構図が、さながら虹のように見える。
一校一列で整列した開会式で、僕は東都と他校の部員の数の差も明確に把握した。なるほど、東都はスタンドで待っている策士先輩も入れて四人しかいないけど、他校は大体十人くらいはいるようで、魔法研究科のある千代田科学技術は三十人、同じく研究科のある都立八王子北野も二十五人は部員が並んでいた。スタンドにもチラホラ制服のまま座っている生徒がいるので、まだいるところはいるのだろう。
四人じゃね……そう言われても仕方ないか、とも思えてくる。
「それでは、これで開会式は終わります。引き続き、一回戦の選手のコールを行います。呼ばれた選手、およびアドバイザーを務める生徒はピッチに、それ以外の選手はスタンドに戻ってください。一番ポケット、都立青梅総合、豊春さん。千代田科学技術、細谷さん。二番ポケット……」
前に立つ進行役の先生から次々に選手の名前が呼び出される。
「……最後です。八番ポケット、千代田科学技術、
最後に僕の名前が呼ばれる。
「よっし、先陣は任せたぞばっしー」
「が、頑張って下さい……上板橋君」
スタンドに戻る先輩達。それと入れ替わるように、制服を着たままの策士先輩がタブレットを片手に僕のもとに来た。
「や。一回戦はアドバイザーをやろうと思ったけど、いる? 僕」
「いてくれるならありがたいです。耀太さんいると、色々落ち着ける瞬間ってあるので」
「はは、そう言われると嬉しいな。ま、落ち着いていこう。データはないけど、戦術のアドバイスはできる。明日翔の魔法なら、勝てる」
「……はい」
「……このスタンドにいる奴ら、全員の度肝を抜いてやろう。……東都は死んだ? 死んでから言え。まだ死なせないよ。僕がアドバイザーをやる限り、絶対にこの部活は殺させない。……行こう」
穏やかな目の下に、熱い気持ちを隠す策士先輩に背中を押されながら、僕は八番ポケットに向かいだした。
スタンド手前に位置する八番ポケットには、もう既に対戦相手の千代田科学技術の一年生がエリアの中に入っていた。
「多々良―! 落ち着いていけよー!」
近くのスタンドからは、恐らく千代田の生徒が集まっているのだろう、大勢の生徒が柵に身体を預けて対戦相手の多々良君を応援していた。そのなかには、さっき若葉先輩に絡んできた、玉淀さんも。険しい表情で見つめるのは、きっと。
──勿論。彼は東都の期待の一年生なんだから。彼一人いれば、他は別に、かなー
若葉先輩にこの言葉を言わしめた僕の存在。
「東都の普通科一年なんて行ける行けるー!」
「ちょっと先輩! あまりプレッシャーかけないで下さいよー!」
そう言えるあたり、彼は全然緊張していないんだな。
「ばっしー!」
視線を移すと、同じく体を前に傾けて試合を見ようとする若葉先輩と、その隣におどおどしながら僕のほうを見る高坂先輩がいた。
「見せつけてやりなよ! ばっし―の実力!」
ったく……これじゃ僕も相手に緊張していないように思われますよ。仕方ない。
「そんな大声でばっしー言わないで下さい! 言われなくても、やるに決まってますよ!」
僕がそう答えると。先輩は、少し嬉しそうに頬を緩め、右手の親指をぎゅっと立てた。
「八番ポケット、試合を始めます。選手はプレーイングゾーン、アドバイザーはミックスゾーンに入って下さい」
すると、審判の人から、そう声を掛けられる。僕は白線で象られている円の中に入った。
「では、これより、春の都大会、男子一回戦、第四試合、多々良君対上板橋君の試合を始めます。コイントスをします。多々良君、表か裏を選んで下さい」
少しニヤついたともとれる顔をした彼は、「表で」と言う。審判員はスムーズにコインを飛ばし、地面に落とした。
「裏が出ました。上板橋君、一イニングス目の先攻後攻、どちらかを選んで下さい」
芝に浮かぶコインを指さしつつ、僕に尋ねる。
「後攻で」
「わかりました。では、先攻多々良君で始めます。お互い『白粉』入りの水を規定量服用して、上板橋君はミックスゾーンに下がって下さい。一投目を投げた瞬間から持ち時間三十七分が減り始めます」
審判が僕と多々良にボトルを手渡す。お互いそれを飲み干し、僕はミックスゾーンに戻る。
「……後攻、取りました耀太さん」
「おし。まあ、隠してもしょうがないし、一回から飛ばしていいよ。後攻渡すこと、嫌がんなくていいから」
エアカーリングは、そのイニングで点数を獲得すると、次のイニングは先攻になる。それがルールだ。また、持ち時間と言って、三十七分の間に、十イニング全ての投球を完了させないといけない。それを過ぎると、時間切れ負けになる。それほど余裕のある競技ではないんだ。
「東都の一年なんて、相手じゃねーよっ」
多々良はそう言いながら、第一投をファーストポケットに静止させた。
「ナイスショット―!」
スタンドから歓声が響く。
「まあ、千代田に入ったほどだから、基本の魔法の力はしっかりついているみたいだね。でも。……完璧ではない。二投目、三投目で正面、スライダー方向にブロッカーを立てて牽制してみよう。レベルを測るのは、シュート回転のボールをしっかり投げられるかどうかでまず行ける」
「ええ。まだ色々と無駄な部分が多いです。……とりあえず、行ってきます」
「おう!」
多々良と入れ違いに、プレーイングゾーンに入る。ミックスゾーンに戻った多々良は一緒にいるアドバイザーに「余裕余裕っす。今日自分調子いいみたいなんで」と話している。
天然芝の上に、ボールを持って深呼吸する。
……よし。
力まないように、ノーステップでボールを空に離した。力が抜けていい軌道で飛ぶボールは、多々良の一投目をかすめ、ファーストポケットのど真ん中で止まった。
僕がそれを見届け、右手でグッと拳を作る間。
スタンドが沈黙に包まれた。まるで一言も話してはいけない、そんな無言のルールが作られたかのように、誰も何も言わなかった。それは、ミックスゾーンで固まっている多々良も、多々良のアドバイザーの生徒も同じだった。
「……いいんですか? 時間、切れちゃいますよ」
僕のその言葉を引き金に、スタンドにどよめきが広がる。と同時に。
「ばっし―! ナイスナイス! いいよー!」
若葉先輩の音符の乗った明るい声が、僕の耳に響いた。
「多々良君、二投目、時間減ってますよ」
「はっ、はい」
時間が経ち過ぎたのか、審判から注意を促されようやく多々良はプレーイングゾーンに入った。
しかし、明らかに動揺をしていて、多々良の次の投球は大きく中心から離れ、サードポケットにも入らない大暴投となった。
僕は策士先輩に言われたように、まず正面にブロッカーを立てた。第三投で多々良がキレのないスライダー変化のボールを投げたのを見て、僕と策士先輩は確信した。
「「右も切れば勝てる」」
この間、浮き上がる変化を魔法は苦手とする、って言った。左右は比較的変化させやすいけど、どうしても差がでてしまう。右投げの場合、左に曲がるスライダー変化はある程度容易に投げることができ、変化量の確保もしやすい。しかし、右に曲がるシュート変化は反対に曲がりにくい。きっちり練習したらスライダーと同程度の変化をさせることができるけど、一年生の多々良にそれができるとは思えない。ましてや、スライダーでさえ変化のレベルが低いのだから。
なら、右にブロッカーを置けば、ストレート方向、スライダーが封じられる。残るコースはシュートと落ちるフォーク方向、そして、難度が一番高いライズボール。
そもそもライズができるならあんなにスライダーが下手なはずがない。ということは、多々良に残されるコースは、シュートとフォークの二つ。
「──コースを限定するメリットは、相手が苦手な球種を投げることを強制できること。まあ、自分のコースも限定されるから諸刃の剣だけど。この場合明日翔の方が魔法の実力が上だから問題ない」
手早く第三投に投げるブロッカーの意図を説明してくれる策士先輩。
「そうなるともう多々良は下に変化するボールしか恐らく投げられない。第四投から七投目までは、上のサードポケットあたりにボールを散らして、それすらも嫌がらせる。するとどうなる? ……袋の鼠さ。さ、きっちりブロッカー立てて行こう。明日翔」
「はいっ」
ボールを持たないままプレーイングゾーンに入った僕を見て、またスタンドがざわめき始めた。
「ま、マジで?」
多々良からも、そんな声が漏れる。
僕は構わず、ゾーン隣に配置されているブロッカーを狙った場所に飛ばす。スライダーのコースも切られた多々良は、さすがに焦りが目に見えて顔に出るようになった。
さっとミックスゾーンに戻ると、タブレットを見ていた先輩が僕に言う。
「見ろよ。さっきよりも観客増えているぞ。明日翔」
「え?」
ふとスタンドを見ると、確かに僕らのほうを見ている生徒が増えていた。
「良くも悪くも東都は知られているからな。そこの一年が攻め攻めの試合しているってなればまあ見る人も増えるでしょ。……さ、次の四投目、上に散らす前に、威嚇じゃないけどこっちはシュート回転簡単にできますよってアピールをしておこう。プレッシャーになるはずだから」
「上に散らさなくていいんですか?」
「多分、そこまでやらなくても勝手に自滅すると思う。本気の戦術なら散らすけど」
不敵な笑みを僕に見せる策士先輩。
「ほらな、勝手にミスってくれた。また枠の外だ」
ポケットの外に出たボールを見つめつつゾーンを悔しそうに出る多々良。開始直後の余裕ぶった表情はもはや見る影もなく、完全に僕のペースで一回は進んでいた。
「よし、仕上げだ。相手に無理かもと思わせる一投だ。落ち着いて、な?」
「当然です、耀太さん」
ゆっくりと足を踏みいれ、ボールを手に持つ。ゾーンの後ろよりから、一歩二歩助走を取り、ボールを投げる。
伸ばした右手で魔法をかける。
ボールは、美しいシュート回転を描き、青空を切り裂くように正面のブロッカーを避けて曲がり、赤いファーストポケットをこする位置に止まった。瞬間。
「っ、な、ナイスショットー! ばっしー!」
底抜けの明るい声が、競技場に響き渡る。一拍遅れて、悲鳴のように大きな歓声がした。
結局、その試合は五回終了時に9対0となり、多々良がギブアップを申し入れて試合終了となった。
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