第13話

 そして、迎えた春の都大会当日。会場の多摩陸上競技場に現地集合、ということだったので、僕は学校を経由せず直接向かうことにした。

 エナメルバックにタオルやらジャージやらを詰め込んだ僕は、朝の七時に家を出た。

「……早いですね、先輩」

 鳥のさえずりが響く早朝、僕の家の前に、やはりスポーツバックを持ってにこやかな表情浮かべる若葉先輩が立っていた。やはりって。やはりって。

「おはようっ、ばっしー。楽しみであまり寝られなかったよ、昨日はっ」

 キラキラと目を輝かせながら言う先輩は、さながら遠足前の小学生のように見える。いや、実際テンションの高さは小学生並かもしれないけど。

「さ、駅行こっ、駅っ」

「はいはい、焦らなくても駅も大会も逃げないので安心してください」

 鼻歌を交えながら歩く先輩の後ろを、僕はゆっくりと歩く。休日の朝、ということでそれほど道を歩く人はいない。時折すれ違う車の走行音と、風が吹きつける音だけが、辺りに響き渡る。

「ねえ、ばっし―は緊張とかしないの? 初めての大会だけど」

 前を歩く先輩が、横目でこちらを向きながらそう聞いてくる。

「いや、あまり、ですかね……」

「ふーん。そうなの?」

「まあ、まだ部活入って数週間ですし、それほど強い思いがかかっているわけでもないですし、力試し的な意味合いが濃いですから。僕にとっては」

「へぇー、まあ、そうだよね。私はもうドッキドキだよ。楽しみであると同時に、凄く緊張してる」

 僕の答えに満足したのか、先輩は前を向きながらいつも通りの口調でそう言った。

「なんてたって、夏のシード権がかかってるからね。頑張ってまず一日目、突破したいよね」

「……はい」

 駅に到着し、先輩は三鷹駅の駅舎を見上げる。

「あの空の先に、私達の未来があるって思うとさ、なんかワクワクしない? ばっしー」

 雲ひとつない青空を指さしながら、先輩はニコッと笑みを僕に向ける。

「あそこに虹をかけ続けていたら、夢が叶うんだよ、ばっし―」

「……はい」

「……よし、じゃあ、乗ろうっか」

 意を決したように、若葉先輩は改札にカードをタッチする。けど、それに水を差すかのように改札機は先輩の行く手を塞ぎ、こう言った。

「チャージしてください」

 ……先輩ぃ……。

「ははは、チャージしてかなきゃ。ちょっと待っててばっしー」

 ちょっといい感じのこと言ったのにすぐこれだよ……。まあ、いいけど。

 そうして僕と若葉先輩は、三鷹駅を出発して、会場の多摩陸上競技場に向かい始めた。


 ロングシートの端に並んで座る。朝陽が柔らかく電車内に差し込んできて、思わずうとうとしてしまう。

「ふわぁー、陽射し気持ちいいねー、ばっしー」

 それはどうやら隣にいる先輩も同じようで、大きく口を開けてあくびをしては、小さく笑いながら僕に話しかけてきた。

「ええ、まあ春ですしね」

 しばらく心地よい感覚を味わいながら、僕と先輩は電車に揺られる。乗換駅がそれなりに近づいてきた頃、ふと先輩が切り出した。

「ばっしーはさ、どこまでいけたらいいなって、思う?」

「僕は……一つでも勝てれば、それで」

「えー? あんなに魔法のキレいいのに、そんな目標じゃつまんないよー」

「いや、つまるつまらないの問題とかじゃなくて」

「でもさーせっかくやるんなら、高い目標持っていたほうがよくない?」

「…………」

 その言葉に、僕は押し黙る。足元に伸びる影を見つめつつ、先輩の声を聞き続ける。

「これくらいでいいやって思っちゃったら、もう終わりだと思うんだよね。それに、一つ勝てればって思って一つ勝ったら、もうそれからの勝負は全部漫画とかならエピローグになっちゃうよ?」

「……別にいいんじゃないですか? 無駄に長いエピローグでも」

 そもそも、エピローグにすら入れてもらえない人も、いたんだし。

「一つ勝てたらとは言いましたけど、そうしたらもう負けてもいいやなんて微塵も思っていないので」

「そう来なくっちゃ、よかった、安心したよ。あんなに嫌がっていたけど、なんだかんだで本気になってくれて」

 本気、か。……今の僕は、本気なのだろうか。

 確かに、先輩の魔法に対する姿勢を見て、「この人となら魔法を使ってもいいかもしれない」とは思った。でも、まだ魔法に対する嫌悪感は拭えていない。そんな簡単に払拭できるものでもないと思う。

 嫌々やっているわけでもない。エアカーリングはやっていて楽しいし、上手くなれたらとも思う。

 けど、本気だねと言われると、素直には頷けない。

「……だと、いいですね」

 だからだろうか。僕は掠れるような声でそう絞り出した。しかし、降りる駅に到着して席を立っていた先輩に、その言葉は聞こえていなかった。


 乗り換えを二回済ました後、バスに揺られること五分。僕と若葉先輩は無事、会場に到着した。正門前に、すでに到着していた策士先輩と高坂先輩、さらに今まで一度も会ったことのない顧問の先生と合流する。

「やっぱ一緒になったか、明日翔」

「え、ええ。耀太さんもそう思ってましたか?」

「ああ。若葉先輩ならきっとニコニコ鼻歌歌いながら後ろ手に明日翔の家の塀に背中預けながら待っている画が容易に想像できる」

 ……九割合っている……。エスパーかよ。いや、若葉先輩が単純なだけか。

「こほん。えっと、君が一年生の上板橋明日翔君?」

 すると、僕と策士先輩の間に若い男性の先生が話しかけてくる。

「はい」

「初めまして、顧問の鉢形はちがたです。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

 そう簡単に挨拶を交わすと、先生は僕らの側を離れつつ、こう言った。

「じゃあ、みんな揃ったし、先生は運営の仕事あるから、あとは若葉さんよろしくね」

「は、はいっ」

 競技場の中へと消えていった先生を見つめ、若葉先輩は僕達三人の前に立つ。

「よし、じゃあ、スタンド行って場所とろっか。あ、つるせっちは受付行ってパンフレット貰ってきてくれる?」

「わかりました。悪い、明日翔、僕の荷物も一緒に持って行ってくれないか? そんなに重くないから」

「いいですよ、大丈夫です」

「サンキュ、助かるよ」

 そう言い、策士先輩も走って競技場の中へと向かっていった。

 残った三人もさあ行こう、としたとき。

「ふーん……部長らしいことしてるんだね、菜摘」

 後ろから、聞いたことのない声に呼び掛けられる。三人は一斉に振り返り、若葉先輩は一瞬複雑そうな顔を、高坂先輩は恐れおののくような表情を浮かべた。

 え? 誰。

「ま、まあねー、三年生私しかいないし。元気だった? 南」

 先輩はしかしすぐいつもの明るい表情に戻し、エナメルバックを持った女子に答える。

「私のことはなんだっていいの。……一年生は? 知らない顔、そこの男子しかいないけど。……しかも普通科なの? 勧誘、ちゃんとしたの?」

「勿論。彼は東都の期待の一年生なんだから。彼一人いれば、他は別に、かなー」

「そう……まあ、せいぜい頑張るのね。研究科がある高校なら、せめて二日目に選手を送り込んでもらわないと」

「うんっ、ありがと南」

「っ……ほんと、菜摘は変わったよね」

 一瞬の、間を置いて。

「えー? そうかなー。あ、私達そろそろ行かないとー。南も頑張ってねー」

 若葉先輩は僕と高坂先輩の背中を無理に押してその場を離れていく。

「あ、ちょっと、菜摘っ! まだ話は終わってない!」

 後ろから、そんな叫び声が聞こえてくる。

「い、いいんですか? 菜摘先輩」

「いいのいいの高水。さ、それよりスタンド行こう? ね?」

 有無を言わさず僕らを引きずる若葉先輩。その顔色は、少し強張っていた。

 初めて見る、表情だった。


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