第9話


「おっしお疲れーじゃあ早速だけど、今回は上板橋君が初回、ということだし、手始めに上板橋君に試合形式の練習をしてもらおうかな。それでしっかり実力を見ておきたい。あんな綺麗なシュート回転見せられたら嫌でも実感させられたけど」

 タブレットの端末を小脇に抱え、先輩たちと同じジャージを着た策士先輩がそう言う。

「あ、あの、僕まだルールも何も知らないんですが……」

「いいよいいよ。やりながら教えるし。うーん……じゃあとりあえず高水に相手してもらおっか」

「えっ? わ、……わたしなの?」

 策士先輩の言葉に、高坂先輩と若葉先輩が反応する。

「そっ、そーだよつるせっち、初めてなら私がやったほうが」

「そんなずっと不貞腐れた顔している人に相手はさせません。上板橋君に悪い影響が出ます。若葉先輩はそこで魔法体力のトレーニングしててください。重いブロッカー用意したので」

 眼鏡をキリっと上げ、策士先輩はきっぱりと三年の若葉先輩にそう言う。

「う、うう……つるせっちが厳しい……」

「当然です。今年こそ国立行くんでしょう? 先輩。最後の夏なんですから、きっちり練習してください。ほら、高水も準備して」

「う、うん」

「はーい……」

 慌てて部室に戻る高坂先輩と、ショボンと肩を落とし、名残惜しそうに僕の方をチラチラと向いてくる若葉先輩。

「つ、鶴瀬先輩……若葉先輩の扱い上手いですね……僕なんかいつも上手いことあしらわれるというか、無視されるというか……」

「先輩はいいよ。僕は選手じゃないしね。そうだな、耀太さんくらいで全然。若葉先輩は何か別のことをやるように指示すると、意外と言うこと聞いてくれるから。ただ断るだけだと、ひたすら同じこと要求してくるから気を付けて」

「は、はあ……よ、耀太さん」

「うん、よろしい」

 その情報、もっと早く僕にくれたら、もう少し穏やかな生活を過ごせたんですが……まあ、もういいけどさ……。

「……鶴瀬君、準備できたよ」

 プレハブの部室から戻ってきた高坂先輩は、おどおどしながらかごいっぱいに入った二色のボールを持って広場に戻ってきた。

「よし。じゃあ、映すね」

 策士先輩は足元に置いていたプロジェクターのようなものから、この間の見学会でも見たポケットと呼ばれる映像を映し出した。

「見学会でも言ったけど、このポケット、って呼ばれる範囲のなかにボールを浮かせる競技。中心に近い方から赤、青、黄色と区切られている。お互い八回投げて、一番中心に近いところにボールを浮かせた選手が、得点できる。得点は、ポケットのなかにあるボール全部が対象となる。範囲は関係なく、ボール一つにつき一点。それを十回繰り返す。さ、基本はこんな感じ。とりあえず、今日は練習だから五回制でやろうか」

 そう言い、策士先輩はポケットから一定の距離が離れた場所にコーンを四つ置いた。

「ポケットから三十メートル離れたここから、ボールを投げてね。ここが、いわゆるプレーイングゾーンって呼ばれるところ」

「じゃ、じゃあ……先攻後攻決めないとね……」

 高坂先輩がそう言うと、策士先輩が一枚のコインを片手に載せつつ更に言う。

「どっちが先にボールを投げるかはコイントスで決める。一般的には後攻が有利とされている。さ、表と裏、どっちにする?」

「じゃ、じゃあ……僕はこの花が咲いてる方で」

「表ね。高水は裏で。オッケー?」

「う、うん……」

 そして策士先輩は右手の親指でコインを上に飛ばし、右手の手のひらで押さえて左手の甲に慣れた手つきで載せて見せた。

 何も見えない面が見えていた。

「裏だね。高水、どっちがいい?」

「じゃ、じゃあ後攻で……」

「はい、上板橋君は先攻ね。それじゃあ、ボール持って、プレーイングゾーンに入って」

 先輩に促され、僕は緑色のボールを一つ掴んでエリアの中に入る。

「じゃあ、投げる前に、これ飲んでください」

 策士先輩は、僕に「白粉」が溶かされた水の入ったボトルを手渡す。「白粉」を溶かした水は、法律で必ず規定のボトルに入れないといけないので、ボトルを見ればそうでないかは一目でわかる。

「ルール上、『白粉』を補給できるのは試合開始前と、試合中一度まで。そして、濃度も1%以下かつ500ミリリットル以下までと制限があります。このボトルも、そのルールに準じて作ったものだから」

「わかりました……」

 僕と高坂先輩は少し甘い味がするその水を飲む。ほとんど風の吹かない芝の上で、僕はサッカーボールくらいの大きさの丸いボールを赤いポケットめがけて投げ込み、魔法を使って中心に近いところで静止させる。

「ほんと、音もなく綺麗に止めるよな……上手いなあ上板橋君は」

 腕を組んで感心するように、頷きながら策士先輩は僕に言う。

「じゃ、じゃあ……次は私の番だね……」

 僕と入れ替わるように、高坂先輩が白色のボールを持ってプレーイングゾーンに入る。それと同時に、今まで目もとを隠していた前髪を払って、しっかりと狙いを目で付ける。

「……よしっ……」

 小さくそう呟いて、小柄な高坂先輩は思い切りボールを宙に放り投げた。

 真っ白なボールは、限りなく赤色に近いところの青色のポケットで動きを止めた。

「おー、狙い通り、セカンドポケットギリギリに入れたね、ナイスショットー」

 ん? 狙い通り……?

「あー、まあそうだよね、エアカーリングにも色々戦術って奴があってね、今高水はあえてファーストポケットではなくセカンドポケットにボールを置いたんだ。しかも、手前の方にね。そうすると、イニングの終盤、色々ボールが相手のに当たりまくって動く展開になっても、今投げたボールは最後までポケットに残る可能性が高い。説明したように得点はどのポケットにあっても一点だから、ポケットにボールは多く残しておくに越したことはないんだ。まあ、その分相手にいい位置にボールを置かれるリスクも高まって、負けてしまう危険もあるけどね」

 頭上に「?」マークを浮かべた僕に、策士先輩はわかりやすくそう説明してくれた。なるほど、そういう戦術もあるのね……。

「さ、次は上板橋君の番」

「は、はい」

 再びコーンの範囲の中に入り、緑色のボールを持つ。伸びる右腕から放たれたボールは綺麗な放物線を描きながら真っすぐ赤いファーストポケットに向かっていった。

 中心にほぼ近い位置に、僕のボールは止まった。

「おおっ、すげぇ、いきなりそこかぁ!」

「……や、やっぱり投球の精度……高いよね……」

「それだけの精度が基本でついていたら、もう今の段階でも一次予選抜けられるんじゃないのか……?」

「い、行きます……」

 そう言い、高坂先輩は今度はボールではなく、地面に置いたブロッカーを宙に放った。木の板は真っすぐ飛んでいき、僕の二つのボールを弾き飛ばしてからポケットの中心で静止した。

「うわっ……一気に弾かれた……」

「うん。ブロッカーって、ああやって一度に複数の相手ボールを弾けるからね。一発逆転に使えるんだ。その分、自分のボールも飛ばしてしまうリスクは増すけど」

「なるほど……」

 そうやって試合形式の練習は続いていき、最終的に五イニング終わって2対5で高坂先輩が勝利した。

「いやいや。今日が初実践なのに、高水から点を取ったのはやっぱり実力だよ」

 終わった後、手を叩きながら策士先輩は笑みを浮かべながらそう言い寄ってきた。

「ど、どうもです……」

「後攻で必ずラスト一投で中心に放れる力があるなら充分充分。困ったときに必ず点が取れるってことだからね」

「う、うん……どれだけ戦局有利に進めていても、中心に投げられたら……困っちゃいます」

 二年生の先輩二人に、そう褒められる僕。ふと視線を横でトレーニングしている若葉先輩に向けると。

「むぅー」

 ……ほっぺたを大きく膨らませながら、上空に浮かんでいるブロッカーに魔法をかけ続けていた。

「あ、あの……耀太さん。むしろ若葉先輩の機嫌、悪くなってません?」

 僕は策士先輩の耳元でそうは話すと、

「ああ、うーん。先輩、そろそろ軽くボール投げて練習締めますから戻ってくださーい!」

 そう叫んで若葉先輩と合流させようとした。

「むすぅー」

 いや、口でむすぅ言いながらご機嫌斜めアピールする人初めて見たよ。

「はいはい。今日は前回よりある程度重いの投げられましたね若葉先輩。いい調子です。このまま魔法体力を伸ばしていかないと、国立は遠いですからね」

「え……つるせっち、ちゃんと見ていてくれたの……?」

 一瞬で機嫌戻ったよ。忙しい人だなあ。

「練習を管理する立場として当然です。さ、クールダウンがてらに十球投げましょう」

 そして、最後に軽くポケットに向けてボールを投げて、練習は締められた。片づけをして部室に戻る間、僕は策士先輩に気になったことを一つ聞いた。

「あの、この部活、顧問の先生っているんですか?」

「ああ、いるよ。いるけど、大体試合のときしか顔出さないから、名前だけ貸してる、みたいな感じだけどね。だから他の部よりも活動時間短いんだ。ほら、六時回ると顧問が付き添わないと活動できないから」

「そうなんですね……」

「それに、こんな弱い部活の顧問なんて、真面目に見るだけ時間の無駄、なんて思っている先生もいるみたいで、まあ色々と大変なんだよ」

 部室に入ってボールが入ったかごを隅に置き、ブロッカーがたくさん積み重なったカートを部室の奥にしまう。魔法を使って戻してもいいけど、それにはまた「白粉」を飲まないといけなくなってしまうかもしれないし、「白粉」だってお金がかからないわけではない。人力で移動できるなら人力で移動させてしまうのが、一般的だ。

 全部の用具を所定の位置に戻すと、部室内にある更衣室で制服に着替える。

 帰る準備もできて、全員が部室の外に出ると、策士先輩が扉に鍵をかけた。

「じゃあ、僕は鍵返してくので。お疲れさまでしたー」

 そして、先輩はそう言い校舎の方へと歩いていく。

「わ、わたしも一緒に行く……」

 それにつられて、高坂先輩も校舎へと戻っていく。残された僕と若葉先輩は、どことなく気まずい雰囲気のまま、駅へと歩き始めた。

「……どうして、何も言ってくれなかったの?」

 車が行き交う交差点で、赤信号を待つ間、若葉先輩はふと、そう尋ねた。言葉尻の余韻に、通り過ぎていく車の走行音が響く。

「いや……あらかじめ言ったら言ったで、若葉先輩は騒ぎそうだったから」

「騒ぐよ。嬉しいから」

 即答だよ。やっぱり期待を裏切らないなあ。

「別に、言ってくれたらそれなりに準備とかしたのに……」

 信号が変わり、横断歩道を渡る。ビル風に少し揺らされ、先輩からデオドラントスプレーのいい香りが流れる。

「どうして、入ってくれたの? あんなに、絶対部活はやらないって言っていたのに」

 人で混み合う中野駅の改札を抜けながら、僕はゆっくりと答える。

「……若葉先輩となら、別に魔法を使ってもいいかな、って思っただけです」

 言い出した言葉は、しばらく返事をもらうことなく、上るエスカレーターを泳いでいった。

「せ、先輩?」

 あまりに何も返ってこないので、つい呼び掛けてしまう。

「嬉しいこと、言ってくれるね? 上板橋君」

 上から僕を見下ろしながら、花が咲いたような笑みを先輩は浮かべた。

「あ、先輩。前、前向いてくださいっ」

「えっ? あ、あっ」

 しかし、後ろを向いたままだったからか、エスカレーターから上手く降りることができず、前のめりになって転びそうになってしまう。

「ったく、危ないな……先輩」

 僕は足を伸ばして、地面に向かっていた先輩の右肩をつかむ。おかげで、先輩も転ばずに済んだ。

「あ、ありがとう……。上板橋君」

「こういうところはやっぱりぶれませんね」

「ま、まあね」

「ほめてません」

 軽口を交わしあいながら、乗車口に並ぶ。

「あ、そう言えば名前呼んでいて思ったんだけどさ、上板橋君って呼ぶの長くて疲れるんだよね。ほら、か・み・い・た・ば・し・く・んって八文字もかかるんだよ?」

 そんな、おもてなし、みたいに言わないで下さい……しかも三文字多いし。

「別にどう呼んでもいいですよ」

 考えるのも面倒なので、とりあえず僕は先輩にそう答えておいた。すると、少し考える素振りを見せてから、しばらくして先輩は電球が光り出したかのようにパッと明るい顔を浮かべた。

「あっ、じゃあ。ばっしーって呼んでいい? 上板橋君」

 ……え? 抜歯?

「っ……な、なんすかそのセンス……」

 策士先輩のつるせっちと言い、僕のばっしーと言い、どうして微妙にずれたネーミングセンスを発揮するんだこの先輩は……。笑っちゃったよ。

「えー? そんなにおかしい?」

「は、はい……さすが若葉先輩って感じです……」

 僕がお腹を抑えながらそう言うと、若葉先輩は少し苦笑いをして、

「ああ、それってほめてないよね?」

 と僕の顔を覗き込む。目の前に先輩の丸い瞳が映りこみ、じっと目が合う。

「ほめてないですよ」

「ばっしーひどいなあもう」

「くっ……ふふっ……」

「もう、笑わないでよー」

 駄目だ、もう、抜歯にしか聞こえない。

 そうして僕が若葉先輩のネーミングセンスに爆笑している間に、帰りの電車がやって来た。電車に乗ってからも、思い出し笑いをしてしまいそうになって、色々と大変だった。でも、こんなに笑ったの、いつぶりだろうな……。


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