第7話

 担任に部活強制を言い渡された次の日。例のごとく僕は朝・昼・放課後に若葉先輩から勧誘を受けた。いつも通り、ニコニコ笑顔を崩すことなく。

「……ほんと、諦めませんね」

「うんっ」

 プロムナードを出て、中野駅に向かう。午後の中野区の中心街は結構賑わっていて、駅近にあるホールでは、これからライブでもあるからなのだろうか、物販らしき列に並んでいる人もチラホラと見られる。

 部活、強制か……。

 別に従わなくてもいいんだけど、そうなるときっとあらゆる手段を使ってでも入らせるか、それとも学校を辞めさせるかの二択だろうからな……。

 別に僕はこんな学校辞めてもいいんだけど、迷惑かけるからな……親に無駄に。

「ねえ、上板橋君はいつもそんな早く家帰って何してるの?」

 隣を歩く若葉先輩が、ふとそんなことを聞いてくる。

「別に、何もしてませんよ。ただボーっとしてるとか、勉強してるとか、そんなところです」

「暇だね」

「だからなんですか?」

「もう、諦めて入りなよ、その方が楽だと思うよ」

「ほんと、そういうところは無駄に尊敬しますよ。諦めの悪いところ」

「へへへ、よく言われる。私、ひとつのことに夢中になると、抜け出せなくなるタイプだから」

 …………。

 駅舎のなかに入り、改札機にカードをタッチする。各駅停車のホームに上がって、電車の到着を待った。

「だから、今は上板橋君に夢中なわけ。ね? だから入ろうよ、部活」

「だからの順接がどこにかかっているか教えてもらっていいですか?」

「もう、つれないなあ……」

 ちょうどタイミング良く滑り込んで来た電車に乗り込んだ僕と先輩は、電車のなかでもそのようなことを話しつつ、終点の三鷹駅で下車した。

 改札を抜け、駅前の通りを歩く。

 そのまま真っすぐ家に向かおうとしたら、

「ね。ちょっと遠回りしていかない?」

 僕は先輩に手を引かれ、駅前通りを外れて少し狭い道へと連れ込まれた。

「ちょ、どこに行くつもりなんですか」

「いいところだよっ」

 後ろから見える先輩の足取りだけで、どんな気分でいるかわかってしまう。陽気と言うか、活発と言うか。

 周りまで染めてしまうような、そんな赤色で。

 少し連れられると、桜並木並ぶ遊歩道にやって来た。

「いいところって、ここですか?」

「そうだよ。桜綺麗なんだよー」

「いや、それくらい地元に住んでる人間なら知っているし……今は葉桜の時期で、もう桜なんて」

「まあまあ。そう言わずについてきなよ」

「いやちょ……ったく……」

 僕はなすがままに先輩の後をついていき、桜の絨毯が敷かれた遊歩道を歩いていく。言った通り、もうほとんど桜は散っていて、緑色の葉桜が顔を覗かせていた。

 雲一つない青空のもと、わけがわからないまま、ひたすら先輩の背中を追う。

「ほら、ここだよ」

 遊歩道も中間地点くらいになったとき、先輩は立ち止まって一本の木を指さした。

「……え? な、なんで……」

 それは、季節外れの、ピンク色の花びらがまだ咲いている木だった。緑のなかに混じれこんでいるそれは、光を反射してキラキラと輝いていた。

「ここの木だけね、魔法で桜の花びらを固定しようとしているの。実験でね。そうするとどんな影響を与えるんだろうってことで。だから、ここだけはまだ桜が見られるんだ」

「…………」

「ここの場所、私のお気に入りでね。君にも見て欲しかったんだ」

 すると、一枚の花びらがヒラヒラと舞い落ちて僕の手のひらに吸い込まれてきた。

「おっ、ラッキーだね。こうやって少しずつ魔法が切れて花びらは落ちていくんだけど、なかなかそれを実際に見ることは珍しいんだ。だから、気づいたらほとんどなくなっていたってことが多くてね」

 僕は、手のなかにある花びらと、まだ桜を咲き誇っている一本の木を見比べる。まるで切り捨てられた誰かのように重なって見えた。

「桜は散るから美しい、って言うけどさ。美しいなら今を楽しまないと。楽しいって思えることを、後になってもやれるとは限らないでしょ?」

 その言葉が、一瞬。

 ……『魔法』という現象に夢中になって研究していた父親の姿を思い出させた。そういえば、父さんも似たようなこと、言っていたっけ……。

「……だから、諦めないよ、私は」

 季節外れの桜の花を見上げながら、若葉先輩はそう言ったんだ。


 遊歩道も終わりに差し掛かると、道に座って何かやっている小学生二人がいた。

「へーい、こっちこっちっ」

「いいね、飛ばせ飛ばせー」

 彼らの脇に置かれているボトルを見る限り、何か魔法で遊んでいるようだ。

 僕らはそれを尻目に通り過ぎる、はずだった。子供たちが遊んでいるものを見なければ。

「へいへーい」

「見ろよ、まだ生きてるぜ、こいつ」

 ……その二人は、きっと道を動いていた蟻を、魔法で飛ばして遊んでいた。

「っ……」

 それは隣を歩く先輩にも見えたはず。

 なんて使い方してんだよ……意味もなくそういう下品な遊び方すんじゃねーよ……。まあわざわざ言うのも面倒だし、僕は目線をいち早くそいつらから外し、足早に去ろうとした。でも。

 先輩は違った。

「ねえ、何して遊んでいるの? 君たち」

 膝を折りたたんで目線を合わせ、いつもと変わらないにこやかな表情で話しかける。

「え? あ、ああ、アリで遊んでるんだ、キャッチボールみたいに」

 いきなり見知らぬ年上の女の人に声を掛けられたから、初めこそ戸惑っていた子供だったけど、すぐに調子を戻して楽しそうな声でそう返した。

「ふーん……そっかぁ……」

 せ、先輩……? 何をするつもりなんですか?

「よいしょっと」

 先輩は、指先で魔法をかけ、宙をさまよっていた蟻を着地させた。

「あっ、何するんだよ、逃げちゃったじゃんかー」

「そーだそーだ」

 不平を言う子供二人。しかし、先輩はあくまでも表情を変えず、続けた。

「キャッチボールするならちゃんとボールでやろうね? 別に蟻でやる必要はないよね」

「で、でもっ……」

「でもじゃなくて。魔法は確かに面白いけど、何かを傷つけてまで使っていいものじゃないよ。ね?」

 ……こ、この先輩。

「君だって、自分が今のアリみたいに誰かに投げまわされたら嫌でしょ? 私の後ろにいる男の子とか、きっとそれくらいのことは簡単にできちゃうよ?」

 か、勝手に人を会話に巻き込むのはやめてくれませんか……。やろうと思えばできるけどさ。やらないけど。絶対。

「う、うん……」

「わかったら、もうやめようねっ」

 先輩はそこまで言い、スッと立ち上がりまた歩き始める。

「じゃあ、私はもう帰るから。君たちも気をつけて帰るんだよー」

「「は、はーい」」

「ごめんね、じゃ、帰ろうっか、上板橋君」

 少し苦笑いを浮かべ、先輩は家のある方角へとまた向かいだす。

「せ、先輩……今のって……」

「んー? どうかした?」

 僕は若葉先輩の横顔を見つめながら、さっきの流れについて尋ねる。

「いや……その」

「言った通りだよ? 魔法は面白いけど、それが独りよがりであってはいけない。誰かを不幸にするものじゃいけないと思うんだ、私は」

 言葉を失った。何も、言うことができなかった。

「魔法はさ、みんなを楽しませるために、あると思うんだ」

 真っすぐ前を向きながら言う先輩の顔は、少し輝いて見えて。

 僕は、ただただ帰り道を黙って歩くことしかできなかった。


若葉先輩に「じゃあねー」と言われ、僕は家に入った。そのまま自分の部屋のベッドにダイブする。真っ白いシーツの上に、僕の体が沈み込む。

「……同じなんだよな……父親と言っていることが」

 まだ父親が魔法の研究にいきいきしていたとき。僕は父さんに若葉先輩と同じようなことを言われた。

 ──いいか、明日翔。この力はな、人を笑顔にするためだけに使うんだ。汚い笑顔じゃなく、綺麗な笑顔のためにな。絶対に誰かを、何かを傷つけるために使ったら駄目だぞ。

 今となってはそもそも魔法を使う機会がそんなにないからっていうのもあるけど、その父親の言いつけは守っている。

 というか。

 父親が命を懸けて広めた魔法を、そんなことに使えない。

 たまに、魔法を使った犯罪行為が起きる。殺人やら傷害やら。物理的に危険なものを魔法で動かして人を傷つけることもあれば、間接的に、例をあげれば「白粉」を大量に溶かした水を服用させて中毒にさせる場合もある。「白粉」も薬品なので、一気に飲むと最悪死に至る場合もある。

 ほんと、ふざけんなって思うけど。

 ……あの先輩になら……別に、いいかな……。

 絶対に部活に入らない、そんな思いは、今日の先輩の言動で揺らぎ始めていた。担任から渡された入部届の紙をカバンから出して、リビングに向かう。固定電話の横に置いてある判子を掴んだまま、届を凝視する。

 ……いいんだろうか、僕はこのまま入部して。

 かれこれ悩み続けているうちに、玄関が開く音がした。

「ただいまー」

「おかえりーお母さん」

 どうやら母親が仕事から帰ってきたみたいだ。レジ袋の音もするから、買い物もしてきてくれたんだな、きっと。

「今日は早く上がれたから、買い物してきちゃった。まだ行ってないよね? 明日翔」

 やはり片手に袋を提げた母親が、リビングに入る。すると、僕が見つめている入部届を見つけてはこう言った。

「あら、明日翔部活入るの? てっきり入らないものかと思ったけど、いいわね。お父さんも喜ぶわ」

「……そう、かな」

「ええそうよ。お父さん、いつか明日翔が魔法で何かやってくれないか、楽しみにしてたんだから」

 初めて聞く事実が、母親の口から語られた。

「……本当に?」

「うん。だから、やりたいと思うなら、やりなさい、部活」

 その一言が決定打だったと思う。

 紙の上を、ボールペンが滑り始めた。

 エアカーリング部 一年四組 上板橋明日翔

 わずかに右に流れた文字が、一瞬で書き連ねられる。最後に、名前の横に判子を押し、僕は部屋に戻った。入部届は、忘れずにクリアファイルにしまっておいた。


 翌日の放課後。僕は教室を出ると、後ろをついて来る若葉先輩に気を留めず、ある場所に向かった。

「ちょっ、今日は完全無視なのー? 上板橋君―」

 そんな声が聞こえてくるけど、お構いなしだ。僕は玄関を出て、プロムナードを進む。

「ちょっと、ねぇってばー」

 三分の二を歩いて、僕は道を曲がる。

「あれ、そっちは校門じゃないよ、帰るんじゃないのー?」

 そして、到着した一つの部室。僕はカバンから一枚の紙を出し、扉をノックする。

「え……? 上板橋君……? だって……」

 僕の背中から、そんな掠れた声が聞こえてくる。

「はーい」

 中から策士先輩の声がする。

「失礼します」

 僕は扉を開ける。ボールや木の板……えっと、ブロッカーとかが置かれている部室に部のジャージを着た策士先輩と、高坂先輩が僕の方を向く。

「あっ、この間の……上板橋君。どうかした?」

「……一年四組、上板橋明日翔、エアカーリング部に入部届を出しに来ました。よろしくお願いします」

 頭を下げつつ、差し出す入部届。

 ……先輩のためなら、魔法、頑張ってもいいかなって、思えたんだ。

「……マジで、入ってきた……スーパー一年……あ、ありがとう。う、受け取るよ」


 それが、始まりだったんだ。

 僕が魅せられた、先輩の魔法の。

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