第3話

 次の日。この日も朝から部活の勧誘合戦が繰り広げられていた。朝からこんな騒いでいいのかってくらい、校門を入った瞬間から色々ビラを配っていた。

 僕はなんとか人と人の間を抜けて教室に入り、暇つぶしにスマホをいじり始めた。相変わらず、僕に話しかける人は、いない、はずだった。

「あっ! 上板橋君いた!」

 僕の右耳から嵐が巻き起こりそうな声が聞こえてくる。

「探したよー、もう、どこのクラスかなって一組から順に聞いて回ってたんだから」

 そんな信じがたい過去を伝えてくれながら、ショートカットの若葉先輩は僕の席に寄ってくる。

「え? 誰……?」

「上板橋と知り合いなの……?」

「研究科の可愛い先輩と?」

 あー、もう。教室で話しかけてくるから噂になっちゃうじゃん……。

「何の用ですか、若葉先輩」

「いや、昨日途中で帰っちゃうから、言いそびれていたけど……」

 先輩は僕の肩に手をポンと置いて、満面の笑みを浮かびつつこう言ったんだ。

「エアカーリング部、入ってよっ」

「……嫌です」

 それに対し、僕は直球で断った。

「えー? どうして? 入ったら楽しいのにー」

 ……まあ、一度断ったくらいで諦めるような人ではないとこの間の会話でなんとなく想像はしていたけど。実際にやられるとイラっとくるな。

「僕、部活に入る気はそもそもないので」

「そうなの? でもせっかく高校入ったんだしさ、何かやったほうが面白いよ」

「いや……そこは、僕の勝手じゃないですか……」

 ああ、もう。

「それに、あのときの投球。普通科で、初心者で、あんな綺麗なシュート回転をかけて正確に狙いをつけられるなんて、才能あるんだよっ、きっと」

 腹立つなあ……。何も知らないくせに。勝手に「才能ある」なんて言って。

「ね、入ろうよっ、悪いようにはしないから──」

「いい加減にしてください。僕は入る気なんてないんです。もう、出てって頂けませんかね?」

 どんどんとお誘いの言葉を並べる若葉先輩に、つい毒が強い言葉を吐いてしまった。仮にも先輩なのに。

 教室の雰囲気が一瞬凍り付いた。

 やばっ……さすがに怒られるかな……。

 僕が少し言葉を選ぶべきだったかなと後悔しだしたとき、先輩は苦笑いしつつ、

「そっか、じゃあまた来るね。私、君が入るって言うまで諦めないからっ」

 そう言い教室を後にした。一触即発の事態を免れた教室はホッとため息を一つついて、またもとの空気に戻った。

 トラブルメーカーになりかけた僕に、それでも声を掛ける人は、いなかった。


 先輩は宣言通り、また来た。

 放課後、教室から出ようとすると、ドアの前で表情を崩しながら待ち受ける若葉先輩が立っていた。

「……勧誘はいいんですか? 部員、足りないんですよね?」

「つるせっちと高水がやってくれてるから大丈夫だよ、心配ありがとっ」

 色々初耳の固有名詞が出てきたんですが、ええと。つるせっちはあの策士先輩で、高水っていうのはあのおとなしめの高坂先輩のことかな? うん、そうだと思っておこう。聞くのも面倒。

「それより、私の目標は君を、上板橋君を入部させることだからっ」

「そうですか……じゃあ頑張って下さい。僕は帰ります」

 先輩を背中に残して僕は教室から離れる。しかし、そこにピッタリ先輩はついて来る。ニコニコ笑顔を崩さないまま。

「あの……なんでついて来るんですか?」

「言ったでしょ? 君が入部するまで諦めないって」

 ……あれか、この先輩、俗に言うポジティブサイコパスって奴か。なんでもポジティブに捉えるっていう。

 階段を降り、玄関を出る。プロムナードに入り、また人波に揉まれる。それでもきっちり先輩は僕について来た。

「どこまでついて来るんですか?」

「ん? うーん……君の家までかな?」

「っ……」

 この先輩なら本当にやりかねない。僕の家が八王子だろうが奥多摩だろうが、神奈川だろうが千葉だろうがどこまでもついて来るだろう。それに、僕の家を突き止められたら、きっと朝から家の前に待ち伏せて若葉先輩は勧誘の言葉を連ねるだろう。

 ……困る、から。

 僕は校門を出ると同時に走り出した。

「あっ、ちょっと、待ってよ! 上板橋君!」

 中野の都心感あふれる街並みを、全力で走り抜ける。

 待つわけないでしょ、逃げてんだよ、僕は!

「ちょ、まっ、待ってよー、ここに判子押してくれるだけでいいんだからー!」

 後ろからそんな叫ぶ声が聞こえてくる。……なんだろう、字面だけ追えば婚姻届出したがっているアラサーの人に見えなくもない──っていうかもう入部届用意しているのかよあの人は!

 中野駅までの最短距離のルートは外して、曲がり角を使って先輩の視界から外れようとする。なんか、この言いかただと某大人の鬼ごっこみたいな雰囲気がするな。

「まあ、見えなくなったらさすがに若葉先輩も──」

「呼んだ? 上板橋君」

 ってなんで僕の隣にいるんだよいつの間に!

 僕はまた飛び跳ねるように駆け出す。

「化け物かよっ、あの人!」

「あっ、だから待ってよ上板橋君―」

 そうしてこの全くもって生産性のない追いかけっこは、陽が沈むころまで繰り広げられた。僕は、結局若葉先輩を撒くことができなかった。


「なーんだ、上板橋君のお家三鷹なんだー。近いんだね」

 ……本当に家までついて来た……。三鷹駅を出て、僕はトボトボと自宅までの道のりを歩く。玉川上水と呼ばれる、江戸時代では飲料水に利用されたそれなりに有名な川沿いを並んで進む。

「あれ、どうしてそんなに落ち込んだ顔してるの? 元気出しなよ、暗い顔してるとほんとに悪いこと起きちゃうよ?」

 ……今がまさにそのときなんですが。どう言えばわかってくれますかね、先輩。

 街灯が草木を照らす。明るく見える緑の奥に、テントウムシが一匹隠れているのが見えた。

 ああ、街灯が若葉先輩だとしたら、今の僕はさながら陰に隠れていた虫ってところなのか。僕はただひっそりと高校生活を送りたかっただけなのに……。

 バイバイ、穏やかな生活よ……。

 そして、見慣れた家の屋根が見えてきた。僕の家だ。

 ……適当な家に帰るふりして僕の家の場所だけは隠し通すことも考えたけど、朝から待ち伏せしかねないことを踏まえると、何も関係ない人に迷惑をかけることになる。それは申し訳ないので、諦めて大人しく家に帰ることにした。

「……じゃあ、僕はここなんで……それでは」

 そう言い、僕は家の門扉を開ける。

「うん、私もここだから、じゃあね、上板橋君」

 さ、家に帰って晩ご飯何にするか考えないと……ん?

「え? 今、なんて言いました? 先輩」

 僕は若葉先輩の物言いに違和感を覚え、つい後ろを振り返る。

「あ、私の家、上板橋君の家のはす向かいなんだー、近いんだねっ」

 先輩は道路を挟んで反対側にある家の門を開けていた。表札には……「若葉」とある。

 近いって、学校から近いじゃなくて、私の家と近いって意味だったのかよ!

「じゃあね、上板橋君っ」

「あっ、ちょっ……せ、先輩……」

 若葉先輩は上機嫌そうに鼻歌を歌いながら自宅に入っていった。

「……詰んでない? 僕」


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