第28話

 12月にもなると、京都では、紅葉を見に来た旅行客も少なくなり、町は少し落ち着いてくる。他方で、洗濯物が一日では乾かなくなり、今年の越冬の対策を本格的に始めるようになる。佐久間は、こんな京都の冬でも、恋人といるとそこまで寒く感じないんだなと思った。

 高校生のときとは違って、11月末から期末テストがあるわけでもなく、ただ年末が来るのを待つだけだ。佐久間は、自身が所属しているサークルから出場する大会にも、11月に大会に出たのを最後に、もう申し込んでいなかった。それでも、師走とは裏腹に止まっているかのような時間の中でも、1月末からの後期試験への恐怖がちらついて見え隠れしていた。

 佐久間は、あれから何度か鴨川デルタに足を運んだけれど、高山と会うことはなかった。それ以外にも、散歩がてら昼や夜に鴨川を南に下ったり高野川沿いを上ったりしていたが、やはり彼の影すら見つけられなかった。うわさでは、彼は後期を休学しているのではないかと言われていたけれど、佐久間も、きっとそうなのだろうと感じていた。


 12月18日、佐久間がドイツ語の講義を受けにいくと、その講義の終わりに教授が、来週はみなさん忙しいでしょうし、私も用事があるので休講にしますと言った。教授は、講義のそこかしこで愛しい妻や子どもの話題を出していたので、佐久間は、その教授が家族でクリスマスパーティでもするのだろうと思った。もっとも、佐久間は、結局のところ民法と憲法の講義が行われることが確定していたので、どちらでも変わらなかったが。

 それでも、そんな発表があると、その日はなんとなくついている気がしてくる。夕ご飯を、食堂で横山さんと一緒に食べているときに、横山さんにその話をすると、うちはその日は自主休講の日やからと述べており、佐久間は苦笑した。佐久間が、俺は普通に講義に出席するけどね、と言うと、彼女は理解できないというように、首を横に振った。

 そのまま食堂を出て、出町柳駅まで一緒に歩いた後、佐久間は、せっかくここまで来たのだから、鴨川デルタへ寄っていこうと思った。

 やはり鴨川は寒かった。一人ではとても寒く感じたが、2人でも寒いのか、近くのベンチにくっついて座っていた男女が寒そうにしながら、立ち去って行った。ほかには、ほとんど人がおらず、おそらく鴨川好きな人しかいないように見られる。なんとなく鴨川に来てしまったが、特に何かしようとしていたわけでもないし、外でぼうっとしたかったわけでもなかったので、ベンチに腰を掛けたはいいものの、すぐに立ち去りたい気分になっていた。お風呂の熱さに我慢してじっとお湯につかっているように、上着のポケットに手を突っ込んで寒さを我慢してじっと鴨川の空気に浸っていた。

 2分を過ぎた頃、佐久間の体感ではすでに10分以上が経過したので、もういい加減立ち去ろうと思った。そう思ってベンチから立ち上がり、鴨川に背を向けて、川端通りへ出ようと橋へ向けて歩き始めた。佐久間は、寒さで肩を縮こませながら、ポケットに手を突っ込んで少し歩いたところで、橋の方から人影が見えた。こんな寒い中よく一人でここへ来るなと自分のことを棚に上げて考えながら、そんなやつの顔が見たくなって、すれ違いざまに相手の顔を盗み見るようにして、見た。すると、向こうもどうやら同じようにこちらを見ているようだった。あまりの寒さに、その日が晴れていたのを佐久間は忘れていた。月の光が照らすその人物の顔は、まさしく高山だった。


 佐久間の足はすぐに止まった。それだけの力が、彼から発せられていたのかもしれない。彼がそのまま素通りしようとするので、佐久間は慌てて駆け寄った。

「お、おい……」

 駆け寄ったはいいものの、佐久間は、どう話しかけたらいいのか分からなかった。しばらく見ないうちに、高山が全くの別人になってしまったかのように感じられた。3ヶ月ほど前までは、あれほど親しくラノベについて語り合ったのに、今は、どうしても佐久間の言葉と高山の言葉がかみ合わないかのように感じられた。

 彼がこちらに目を向けた。そんなことを考えていたからか、今度は磁石が逆を向いたように、佐久間は後ずさりしそうになる。しかし、佐久間はぐっと足に力を入れてこらえた。高山はうつむいていた。早く何かを言わないと、この状況が壊れてしまう気がする。高山とは、もう話さないような気がする。しかし、言葉が出てこない。なんと声を掛けたらよいのだろうか。

「……あのさ、メール、返信してなくて、ごめん」

 なんとか自然に切り出せたことに、少し佐久間は安ど感を覚える。不自然ではないよなと心の中で思っていた。

「いや、別にいいよ」

「あのさ、ほんとに止めるの」

「うん、ほんとにごめん」

「理由を、もう一度教えてほしい」

「俺に、才能がなかったから。それだけだよ」

「今でも、そう思ってるん?」

「うん」

「そんなら、才能がなくても一緒に作ってほしいって言ったら、一緒に作ってくれるん?」

 佐久間のこの言葉に高山が少し顔を上げたが、またすぐにうつむいてしまう。しかし、そのときの彼の表情は、何か希望を求めるようなものだったように思われた。佐久間は、立ったまま、賀茂川と高野川の合流地点の方を向いて話し始めた。

「俺さ、高山からメールをもらった後、いろいろあったんだけど、それから少し考えてみたんだ。俺もなんでラノベなんか書いてるんだろうって。高山は自分に才能がなかったって言うけど、俺だって、自分で物語を書いてて才能がないなって思ってるんだよ。それこそ、高山が感じたように、構成とか表現とか稚拙でさ。それなのに俺は偉そうにネットに投稿してて、そういうのって、後から考えると、すごく恥ずかしいし、それこそキモいのかもなって思ったりもしたんだよ。確かに、上手くなるには時間が掛かるわけで、ちょっと始めたくらいでうまくなるとは思ってないんだけど、それでもさ、有名な小説家の本を読むと『格の違い』みたいなのを感じるんだよね。勉強してる量が違うんだよ。それにはきっと追いつけないよ。

 でもさ、ほんとにこれ以上物語の創作を止めた方がいいんじゃないかと思ってやめようと思っても、やっぱり自分の中から湧き出てくるものがあって、それが止まらなくなるときってあるんだよね。俺はさ、そういう、湧き出てくるものをいろんな人に伝えたくなって、その自分の伝えたい思いみたいなのをうまく表現に載せて伝えようとするのが芸術なんじゃないかなって、今、少し思ってる。

 確かにさ、技術的にうまくて、いろんな技法を使って表現できたらそれは本当に素晴らしいことだと思うし、何かの賞に選ばれるようなレベルの高い作品もそういうものなんだろうと思う。だけど、きっとそういう作品を作る彼らだって、今の彼らの力量では満足していないと思うんだよ。もっとうまく表現できるはずだと思って日々検討して練習をしていると思うんだよ。

 これは俺の憶測だから、そんなことを基にさらに検討していくのは良くないんだろうけど、もしそうなら、自分の作品に満足いくことなんて永遠になくて、きっと人生をかけて自分の満足のいく表現を探していって、それが見つかったらラッキー、みたいなことだと思うんだよね。才能があってもなくても、そこは結局一緒なんだと思うんよ。

 そしたら、一番何が大事なのかっていうことだけど、結局、自分の伝えたい思いが何かっていうところにあると思う。私はこれが好き、私はこう思うんだ、そういうのを込めて作ることが大事なんだと思う。ただ、それは、自分が満足しているんだからそれでいいっていうのは少し違う。自分が発信して、誰かが受け取って反応して、それをまた自分が受け取って反応する。そういう相互作用の中にあるんだと思う。その相手の反応には、肯定的なものもあれば、否定的なもの、無関心なものもある。自分のその思いがどのように社会に受け止められるかは、結局は多数決によって決まるんだろうけど、それはいつだって流動的なんだ。自分がもっとうまく思いを伝えれば相手が考えを変える可能性だってある。

 確かに、基本的な技術がマズければ見向きもしてもらえないかもしれない。砂のように大量にある作品の中に埋もれていくのかもしれない。でも、結局そこは自分で努力していくしかなくて、悔しくて泣きながらでも練習を積み重ねていくべきところなのかもしれない。でもそれは、伝えたいことを伝えるためにするものであって、練習すべきだからするのでも、人から褒められるためにするものでもないんだと思う。写実的なものとかそういうものよりも、自分の好きなものや思いが込められている方がもっとキラキラしていたり、より人を惹きつける作品になっていたりするんだと思う。それに、砂の中に手を入れたら、その中から偶然自分にとってのお宝を発見するときだってあるしね。

 自分の思いに自信が持てる限り、俺たちは、きっと自分の作品について自信をなくす必要も他人からの評価も怖がる必要はないんだ。技術的な部分についてとやかく言われたって、そこは練習してどうにかするところで、具体的な指摘について自分に活かせるように検討すればいいだけなんだ。

 それに、今の、この多様性が重視される世の中なら、自分の出した結論ならば、その結論自身に対する評価に動じる必要はないはずなんだ。それだって、きっと採る得る結論の一つなんだから。前提が間違っていたら、それを踏まえてもう一度考え直せばいい。他方で、俺たちは、他人の出した結論を、肯定的であるにしろ、否定的であるにしろ、無関心であるにしろ、一度は自分の中に受け入れる必要があるんだと思う。最初からすべてを拒絶しないようにして、受け入れられない他者の結論の存在を把握しながらも、うまいことやっていく方法を探るしかないのかもしれない。

 俺たちは、最初のやりとりからずっと書きたいこと、描きたいことは決まってたんだ。俺は、高山から声を掛けてもらったときからそう思ってた。ほんとに大丈夫かとも思っていたけど。でも、俺たちは、お互いいい感じのつり合いでそれをぶつけてこれたと思ってる。俺は、結局それを十分に表現できていないかもしれないし、あとは高山の力量でどうにかするしかない。正直なところ、高山のイラストはすごくうまいと思う。つまり、魅力を引き出せてるんだと思う。人を惹きつける力があるんだと思う。それを感じられるんだ。ほかのイラストにはない、そういう魅力があるんだよ。そうでなければ、俺が高山からの、あの依頼を受けるはずがなかったんだ。あの物語は、どうしても高山のイラストがないと締まらないから、俺と、あの物語を一緒に完成させてほしい」

 佐久間は、最後には、完全に高山の方に向かって語り掛けていた。自分の身体中から言葉を発していたような感じがして、そのせいか少し息が上がっていたが、爽やかな気持ちだった。自分の表情が柔らかくなっているのを感じた。

 高山は、目を見開いていて、驚いているようだった。そして、不意に笑いだした。

「そうか、そうだったのか」

 高山は、つぶやくように言う。

「確かに、そうなのかもしれないな」

 そう言って、高山は、佐久間は肩を強くたたいた。そして、しょうがないから、また描いてやるかと言った。

「おい、お前さぁ」

 佐久間は、そう言いながら高山の腹を殴るふりをした。高山は殴られたように腹をかかえた。そして二人は笑った。

「いや、ほんとに悪かったよ。ごめん」

 高山が頭を下げる。

「ほんとに、12月のラノベのコンテストには間に合わなかったしな。イラスト5億枚くらい描いてくれたら許してやるよ」

 佐久間のその返事にも、高山は厳しすぎるだろと笑って答える。

「あ、そうか、でも佐久間の彼女とはちょっと会いづらいわ」

 高山は、急に思い出したように答えたが、佐久間が別れたことを伝えると、ええ!というような声にならない声を上げていた。

「そんなことより……」

「いやいや、そんなことよりじゃなくて」

「まぁ、そんなことより、ラノベの方は、俺は最後まで作ったからな。あとは高山がイラストを描くだけだぞ」

「うわ、マジか。ちなみに最後はどんな感じで終わったん」

「ああ、最後はね……」

 佐久間と高山は、近くにあったベンチに腰を下ろした。そして、佐久間が物語について話し始めると、少し風が吹いた。寒さを運び、木の葉を揺らす。そして今、ちょうど止まっていた時間が動き出したようだった。川の流れはゆったりとしているが、どこまでも続いている。その先で満月が輝いていた。

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