第24話

 9月が終わり、10月が到来すると、後期の講義が始まった。初回の講義が続くこともあってか、夏休みとはうってかわって、大学内に学生が多い。乱雑に並べられた自転車は、自転車並び替えおじさんにきれいに整然と並べられるが、駐輪スペースの奥の方に並べられれば、もはや取り出すことは不可能である。

 講義の教室でも、いつもは自分の座る席を含めて3つくらい陣取っても余るほど空いていたのが嘘のようにぎゅうぎゅう詰めにされて、基本書を広げればノートを広げられず、ノートを広げれば基本書を広げられない。

 示し合わせて早めに教室に来なければ隣り合って座ることはできず、佐久間は、木村美夏の隣に座らない口実ができたことに少しほっとした。そもそも、木村美夏自身が講義にギリギリに来るタイプの人だったため、示し合わせても彼女が早く来ることはなかった。ただ、それ以前に、同じ講義を取っているはずなのに、彼女の姿を見ることもなかった。


 大学に人が多いせいか、知り合いを見かけることも多いが、他方で、いつもなら見かけるような人はなかなか見つからなかったりする。木を隠すなら森の中とはよく言ったものである。佐久間は、ライトノベルに関して高山に聞きたいことがあったが、大学内で見かけることがなく、放っておくことにした。RINE等で連絡を取ってもよかったが、そうすると佐久間が催促をしているようで、連絡しづらかったし、そこまで重要な話でもないと思っていた。


 2限の民法の講義の後、佐久間が教室の中で人混みがひと段落つくまで座って待っていると、横山さんがやってきて、久しぶりと声をかけてきた。願ってもないできごとなのに、木村美夏の顔がいちいち頭をよぎり、佐久間は、不安と焦りで心がざわつく。

「佐久間くん、高山君が今どうしてるか知らへん?」

「いや、特には……。家で絵でも描いてるんじゃないの?」

「う~ん、やっぱりそうなんかなぁ」

「どうしたん。なんかあったの?」

 横山さんは、最初は笑顔だったが、佐久間の話を聞いて少し曇った表情になった。佐久間は、その表情を見て何か訳ありの予感がしたが、もしかしたら、高山が彼女とけんかでもしたのかと思いながら横山さんの話を聞いていた。

 横山さんによると、こういうことだった。夏休みも9月に入って後半戦に突入したころから、高山が少し陰鬱気味になっていたらしい。どうやらイラストがうまく描けないようで悩んでいたようだった。ただ、そのときはまだ、高山もサークルに顔を出して鴨川でのんびり過ごすなどしていた。彼女とも仲良く話していて、サークルの同期から、いつものようにからかわれていた。

 それが、9月の半ば頃から、めっきりサークルに顔をださなくなったらしい。鴨川での活動だけでなく、部室にも来なくなったのだとか。高山の彼女に問い合わせてみても、彼女も高山がどうしているのか分からず心配している様子だった。彼女がメッセージを送っても電話を掛けてもそれに応答することはなく、家までいって呼び鈴を鳴らしてみたが、高山が返事をすることはなかったという。部屋の鍵はかかっているし、郵便受けの広告もたまっているようだった。

 横山さんたちとしては、からかったことが原因ではないかなどと落ち込んでいる者もいたが、高山が急にどこかへ長期間旅行に行っているのか、あるいは、佐久間のように、家でずっと絵でも描いているんじゃないかなどの可能性も考えており、彼女に連絡していないことが不思議ではあるものの、いつかは戻ってくるだろうと思っていた。

 それが、後期が始まってもサークルの部室にも顔を見せないし、文学部の同期の話によると、講義に出ている気配もないという。それで心配が大きくなったところで、彼が何かの事件に巻き込まれているのではないかと思い始め、いろいろ聞いて回っているようだった。


 佐久間は、あっけに取られて言葉がでなかった。最後に鴨川で高山と話したときからそんなことがあったなんで夢にも考えていなかった。

「確かに、最近高山とは連絡を取ってなかったけど、そんなことが……」

「高山君って去年も同じようなことがあって、そのときには、夏休み明けくらいには何事もなかったかのように、ひょっこりサークルに顔を出したんやけどな。そのときは、自分探しの旅に出てたって言ってたんやけど。今回は、彼女も知らんっていうし、いったいどうしてしまったんやろ……」

「そしたら、俺の方でも高山に連絡とってみるよ。ちゃっかり出るかもしれないし」

「うん、お願いするわ。ありがとう!」

「う~ん、あいつのこととはいえ、確かに心配ではあるよな……」

「そうやねんな。いつも楽しそうにしてたけど、やっぱりなんかあったんかな」

 こっちも何か分かったらまた連絡する、そう言って、横山さんは、立ち去っていった。その後、すぐに佐久間は、高山にRINEで「生きてるか?」とメッセージを送った。


 次の日、佐久間が大学に行くと、第四教室付近でひょっこり木村美夏に会った。佐久間は、最初、彼女が木村美夏だと気づかなかった。いつもは、明るく、前をしっかり見て歩いていたのに、今日は少し暗い感じで、さらに背を少し曲げてうつむきがちに歩いていたのだった。佐久間は、その様子に驚いて心配になり、思わず声をかけた。

「おはよう、ねぇ、何かあった? 大丈夫?」

 その佐久間の声に、木村美夏は、はっと顔を上げ、佐久間の方を見ると、ぱっと笑顔になった。

「うん、大丈夫だよ! 元気元気!」

 木村美夏は、肘を曲げて腕を振って見せる。

「そう? なんか暗い様子だったけど……」

「大丈夫だって! なんでもないよ。ほら、早くしないと、席なくなっちゃうよ!」

 木村美夏は、そうやって佐久間の腕をつかみ、教室へ入っていった。佐久間は、木村美夏に手を引かれながらも、今の会話で、ずっと木村美夏の声が弾んでいたのを聞いて、ただの思い過ごしなのかと思った。

 しかし、木村美夏は、今までほとんど毎日のようにRINEで、その日彼女にあったことを連絡してきていたのだ。楽しかったことでも嫌だったことでも、笑い話から愚痴までいろんなメッセージを送ってきていた。それが、ここ数日、ぱったり途絶えている。佐久間にも言えないような悩みでもあるのかと思ったが、さきほどの笑顔を見る限り、そう考えるには少し違和感があった。いったいこの違和感はなんだろうか。佐久間には、分からないままであった。



 こういうときは、鴨川に行くのだ。佐久間は、そう思って、いつも高山に誘われる鴨川デルタへと向かった。高山にRINEでメッセージを送ってから5日が過ぎようとしている。それなのに、返事がないどころか、いまだそのメッセージは読まれていない。高山は、いつも返信は遅い方であったけれど、遅くとも2日後には返事があった。見ていないだけという可能性も否定できなくはないが、横山さんのあの話を聞いていると、やはり何かがあったのだろう。その何かが気になって、勉強にもラノベ制作にも集中することはできなかった。

 その日も、鴨川へ向かったのは夜10時を回っており、電灯はついているものの、人影は少なく、辺りは少し不気味だった。今宵は大きな満月が上るはずであるにもかかわらず、雲に隠れてしまっており、少し先も見えない。水面も暗くてよく見えず、流れが止まっているように見える。佐久間には、この時間に鴨川デルタへ行けば高山がいつものベンチに座って川面を眺めているのではないかとの期待もあった。しかしながら、そこにいたのは、仲睦まじくいちゃいちゃしているカップルだけであった。

 佐久間は、カップルとは反対側にある、賀茂川寄りのベンチに腰掛けた。いつもは隣に高山がいるだけに、今日はなんだか足りない気がするし、寂しい。鴨川とはかくも切なくさせるものであったか。

 思えば、7月に100キロウォークに、高山とともに参加し、その後ファブリース氏であると知ってから、かなり頻繁に連絡を取っていていたように思う。それが9月に途絶えたのだから、あのときに異変に気付くべきであったのだ。それなのに、自分が別のことにうつつを抜かしていたから……。横山さんたちが探しているらしいが、かなりの間高山が返事すらしていないことを考えると……。もしや自殺でも……? しかし、高山に限ってそんなことをするはずもないと、佐久間は思った。佐久間は、高山を、気にしすぎて悩みがちなところはあるが、自分をしっかり持っていると思っていた。今頃、何かを抱え込んでいるのかもしれない。そうであったとしても、連絡がつかないのでは、佐久間もどうしたらよいか分からなかった。


 佐久間が、しばらく鴨川デルタでぼけっと川面を見ていると、後ろでかすかに砂利を踏む音が聞こえた。佐久間の心臓は、高鳴った。彼が来たのだと思った。いつも会っていたこの時間。連絡が取れなくても、こんなにあっさりと再会することができるのだと思った。砂利を踏むその音は次第に近づいてきて、どんどん大きくなっていく。佐久間の座っているこのベンチに一直線に向かっていると思った。振り返れば解が分かってしまうということへの不安もあったが、きっと彼だ、そう信じて佐久間は、勢いよく後ろを振り返った。

 そこにいたのは、佐久間よりも小柄な人だった。身体の細さから、明らかに女性であると分かった。佐久間は思わず立ち上がった。その人影をじっと見つめてしまう。そのとき、満月にかかっていた雲がちょうど切れていったらしかった。辺りが少しずつ明るくなって、視界が開けてきた。そこにいたのは、横山さんであった。

「ああ、なんだ横山さんか……」

「ああ、佐久間くんやったんか」

 二人は同時に声を出していた。佐久間は、少し口元を緩めながらも肩を落とした。横山さんも同じようであった。

「ここ、座る?」

 佐久間が自分の隣を指し示すと、横山さんは頷いた。二人は、ベンチに並んで座った。

 二人は、黙っていた。目の前の賀茂川の水がゆっくりと穏やかで、まるで流れが止まっているかのようだった。二人の間には、iphone一つ分の空間があり、もっと詰めた方がよいのだろうかと、互いにその空間を気にしていた。秋風が二人の間を吹き抜けていった。

 沈黙に耐えられずに口を開いたのは佐久間だった。

「横山さんは、こんな時間に鴨川に来るなんて、どうしたの?」

「なんとなく。高山くんの話になってしまうんやけど、いつもサークルで鴨川のデルタに来ててんか。それで、今鴨川にいたりせえへんかなと思って来てみただけ。佐久間くんは?」

「俺も同じかな。いつも高山に呼び出されるときはこの時間のここだったし、今日いるかなと思って」

「呼び出しって何の呼び出しなん?」

 佐久間の言葉に反応して、横山さんが佐久間の方を向いた。その横山さんの言葉に、佐久間は、しまったと思った。つい口が滑って高山とのラノベ会議を話してしまった。これで二度目である。佐久間としても、自分の今まで書いた物語が一般人にとっては気違いに見えるだろうと思っていたので、横山さんに自分が物語を書いていることを黙っていたのだった。その延長として、高山とのラノベ制作の話も全くしていなかったというのに。高山が話してしまっていれば別であったが、高山は、自分が何を作っているかを他人に話すことはあっても、誰が何を制作しているかをあちらこちらに言いふらしたりするようなやつではなかった。佐久間は、自分が全く反省してないなと思った。

「高山とさ、今、ラノベを作ろうってことになってたんだよね……。それで、話の構成とか内容とかいろいろここで話したりしてた」

 佐久間は、しどろもどろになりながら、説明を始める。

「ああ、あれのことか! 高山くんが、前にラノベの絵を描いてるってゆうてたけど、それは佐久間くんが書いたやつやったんやね」

「あ、知ってたんだ……。うん、まぁそれのこと」

 佐久間は、急にドキドキしてきた。さきほどとは質が異なる。冷静を装いたいが、明らかに言葉や態度がこの場にそぐわない気がした。横山さんの様子を見る限り、高山はラノベのことについて話しているらしかった。自分の特殊性癖のようなものが横山さんに明らかになってしまった気がして、耳だけでなく顔が赤くなり、頭がオーバーヒートしそうになる。動悸、息切れがひどくなってきた。

「内容をちょっと聞いたんやけど、けっこうおもしろそうだったで。佐久間くんは、ああいうのが好きなん?」

 横山さんは、笑顔だった。付け加えるならば、いたずらっぽい言い方だった。横山さんの「ああいうの」がどういうものなのかいまいちよく分からないが、思い当たるものはいくつかある。数えると片手では収まらないが。

「う、うん。まぁ、そうかな」

 佐久間は、歯切れの悪い返事をしてなんとかこの場をしのごうと思ったが、態度を含む発言の全趣旨を見れば明らかに肯定していた。佐久間の返事を聞いた横山さんは、ふ~んと言いながら、川面を向き直った。少し口元が緩み、脚をぶらぶら揺らしている。

「やけど、そういうのって、なんだか楽しそうでええやんな」

 横山さんが、ふとそうつぶやく。満月の光で照らし出される彼女のその横顔はあまりにきれいで、佐久間は、思わず自分はこんな表情になれるだろうかと憧れていた。

「ラノベを作るためにも、高山くんを早く探さんとね!」

 横山さんは、そう言うと、ベンチから静かに立ち上がった。佐久間もつられて立ち上がってしまった。

「そうだね」

 横山さんの言葉には、人を動かす力があると、佐久間は感じた。


 それから、横山さんとは出町柳駅で分かれた。佐久間は、家に帰ってパソコンの電源を点けると、ふと今日はメールを見ていなかったことを思い出し、パソコンのメールを開いた。何通か新しいメールが届いているが、いつものとおり、サークル関係のメールか、広告のメールがほとんどである。しかし、その中に、一つだけ、ひと際目を引くメールがあった。佐久間は、全身が震えるのを感じた。思わずiphoneを手にとって横山さんにRINEでメッセージを送る。それは高山からのメールだった。

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