第23話
前回の高山との打ち合わせから10日ほど経った。佐久間は全くといっていいほど進んでいなかった。最後の場面をどう終わらせるかという点で悩んでいるので仕方がないと割り切っていた。それに、高山ともあまり連絡を取っていない。つぶやき型SNSにもだんだんとつぶやかなくなっていた。
そのような停滞に対して、木村美夏からの連絡は一層多くなってきていた。朝のおはようから始まり、夜のおやすみまで、RINEのメッセージでなんらかのやりとりをしていた。木村美夏は、佐久間にとって、人生で関わることのなさそうな人物ランキングトップ10には入っていると予想された。人との交流を楽しむタイプの人間で、友達とどこかへ出かけるのが好きで、何をするにも一人で行動していたと佐久間とは正反対の性格のように思われ、こんな人と関わっていくのが不思議に思えた。
その日は、佐久間は、京都水族館に行くことになっていた。木村美夏も一緒である。むしろ木村美夏の方がオオサンショウウオを見たいと言ってきたのだ。
百万遍から少し西に行ったところの、いちごのあるカフェで待ち合わせをしていた。佐久間がカフェに入ると、すでに木村美夏は席に着いていて、アイスコーヒーを飲んでいた。佐久間は木村美夏の向かいに座り、同じくアイスコーヒーを頼んだ。
アイスコーヒーが運ばれてきて、佐久間がそれを飲みはじめた。
「あれ、フレッシュは?」
佐久間がシロップを入れずに飲んでいるのを見て、意外だというように言った。
「口の中が甘くなるのがちょっとね……」
「ケーキとかも好きじゃないん?」
「そういうわけじゃないんだけど、コーヒーとか紅茶にはあんまり入れないんだよね」
「ふーん。じゃあ、うちのフレッシュと佐久間くんのシロップ、交換しよ!」
「いいけど、まだシロップ入れるの?」
「うん!」
そう言うと、木村美夏は、嬉しそうに、自分のミルクを佐久間の近くに置き、そのまま佐久間のシロップを取って、すでに半分ほどなくなっている自分のアイスコーヒーに注いだ。佐久間の木村美夏からもらったフレッシュを自分のアイスコーヒーに注いで、コーヒーをかき混ぜる。
佐久間のアイスコーヒーは、さらに黒が薄まった。
カフェを出ると、外はうだるような暑さで、少し歩いただけでも滝のように汗がでるようだった。店内と店外とでは、異世界かと思うほど温度が違う。
バス停は日陰にあるのに、汗が流れてくるように感じ、そのたびにスポーツタオルで汗を拭ていたら、木村美夏は、見てるだけで暑いと言って笑うのだった。
その後、バスに乗って京都水族館へと二人で向かった。
偶然にも、佐久間も木村美夏も、京都水族館の年間パスポートを持っていた。チケット売り場のところで、お互いに年間パスポートを出して、年パス持ってるからチケット買ってきなよと言おうとして、顔を見合い、笑ったのだった。
二人とも予想していたことではあったが、オオサンショウウオは京都水族館の順路の一番最初に現れる。早くも本日のメインデッシュに辿り着くことのできた木村美夏は、目を輝かせて水槽を色んな角度から観察していた。ときには水槽の上からのぞき込み、ときには水槽の側面から、オオサンショウウオの顔をのぞき込んでは何かを話しかけていた。
対照的にオオサンショウウオは微動だにせず、木村美夏からの熱視線をじっと受け止めている。動かざること山の如し。佐久間は、オオサンショウウオの肝の大きさに感心した。
かれこれ一時間ほど滞在したであろうか。木村美夏が「佐久間くんはまだ見たい?」などと話しかけてきたので、佐久間は、木村美夏がようやくオオサンショウウオに満足したのだと思った。当然、佐久間は十分満足したと伝えたけれど、木村美夏は、じゃあ次へ行こうと佐久間の手を引いてスタスタ歩き出した。
新しく生まれたペンギンの名前について、どれが良いか選挙があったので二人はそれぞれおもいおもいの名前に投票し、その後クラゲを眺めた。クラゲってほんとに何も考えてなさそうだと考えながら佐久間がクラゲの浮いている水槽を眺めていると、隣にいた木村美夏がパチリと写真を撮っていた。
「ちょっ、何撮ってんの」
「いいじゃん! おもしろい写真撮れたよ!」
「ちょっとそれ、消しといてよ!」
「やだよー」
そう言いながら木村美夏は自分のスマホを自分の後ろへ回す。佐久間は、腕を伸ばして少しそのスマホを奪いとろうとしてみるが、木村美夏はうまいこと逃げて簡単にはとらせてくれない。小学生のころは、こういうことをされるとイラっとするだけだったが、いまではまんざらでもなく感じているのが、佐久間には少し嫌だった。
「ねぇ、このクラゲかわいい」
木村美夏がそう言って突然立ち止まるので、佐久間も慌てて止まる。はっきり言って佐久間には、さきほどまで見ていたクラゲとこのクラゲのどこが違うのかさっぱり分からなかったが、「ほんとだ、かわいいね」以外の返答を思いつかなかった。
クラゲは透明で、身体の内部まで透き通ってみえる気がする。透明な水槽で生活していて体の中までスケスケで、プライバシーなんてものはあったもんじゃないなと佐久間は思った。
そもそもこのクラゲもどこに頭があるのか分からない。どこで考えているんだろうか。全くなにも考えていないんだろうか。何も考えずにただふわふわしているというのも、それはそれで楽しそうな人生ではあるけど。
「うち、クラゲも好きかもしれへん」
「どこら辺が好きなん?」
「なんかこう、透明なところ。きれいな感じするやん」
「オオサンショウウオ議員とはどっちを選ぶんです?」
「オオサンショウウオは別格やねん。南禅寺みたいなもんや」
「なるほど」
二人は、晩ご飯を食べるべく、水族館を出て、京都駅へ向かった。木村美夏が、スパゲッティが食べたい! というので、イタリアンを食べられる店に入る。佐久間は、店員さんの扱いが木村美夏には丁寧な気がするのに、自分に対しては雑であるように感じ、その扱いの差から、自分が場違いであることを感じさせるのだった。かわいいことが特別なのかもしれないが……。
木村美夏は、あれだけスパゲッティが食べたいとおっしゃっていたのに、メニュー表でピザや、別のスパゲッティが薦められているのを見て、う~んとしばらく唸っていた。
「スパゲッティが食べたいんじゃなかったの」
佐久間が笑いながら尋ねると、
「ちゃうねん。あんまり外食せぇへんから、ここで選択をミスると、次の日の昼ごはんまで、ああ昨日の晩ご飯は選択を間違えてしまったな、と思うことになるねんな。それに、人生では、一秒一秒が大事なように、ご飯も一食一食が大事やし」
「そうですか。まぁじっくりお選びください」
「そうする」
その後も、木村美夏は、真剣な目でメニュー表とにらめっこを続けていた。そして、悩んだ挙句、最初に目をつけていたスパゲティにしていた。
「今日は楽しかった! オオサンショウウオたくさん見れたし!」
「あれだけ見たらな……」
「それに、このオオサンショウウオのぬいぐるみもありがとう!」
「いや、あれだけ欲しそうにしてたらな……」
木村美夏が大事そうに抱えていた袋の中には、特大のオオサンショウウオのぬいぐるみがあった。大きい袋にも入りきらなくて、オオサンショウウオの頭がまるまる出ている。これが1500円で買えるというのだから安いものである。ちなみに、これのために二人が京都水族館に行った帰りであることは袋を見るまでもなく分かった。
「今日はこれを佐久間君だと思って抱きしめて寝るわ」
「それはいいけど、スパゲティで汚さないようにね」
「はーい」
木村美夏は、そう言うと、大事そうに足元の荷物入れにオオサンショウウオを入れた。
「ところでさ、最近なんか悩み事とかあったりせぇへん?」
佐久間は、木村美夏の突然の質問の意図を図りかねた。
「ん? いや、特にはないけど……」
「ほんとに?」
「まぁ、ないわけじゃないけど……。まぁそんな大したことないから」
「それならいいけど、何かあったら相談してね。絶対ちゃんと話聞くから」
「あ、ああ、ありがとう」
なんでこんなことを今言う必要があるのだろうか。自分がそんなに申告な悩みを抱えているように見えただろうか。佐久間は不安になった。確かに、ライトノベルの最後はどう締めたらいいのか分からないし、今まで横山さん一筋だったのに、急に木村美夏が現れて、今では京都水族館に一緒に行ったり、一緒にご飯を食べたりしている。佐久間にとってはそれが悩みの一つだった。しかし、なんとなく、どちらも木村美夏に告白するのはためらわれた。特に後者は言えるわけがなかった。
しかし、佐久間がもう一つ気になったのは、木村美夏が、悩みを聞き出そうとしたときは深刻そうな顔をしていたのに、今では楽しそうにしていることだった。佐久間に悩みがないことが分かったから安心したとでもいうのだろうか。それにしては、木村美夏の顔が嘘を吐いているような気がした。あれは本気で人を心配している顔ではないと直感していた。
そもそも、まだ木村美夏と出会って、遊ぶようになってからそんなに日が経っていないのだった。悩み事を聞いたり教え合ったりするような関係にまで発展しているはずがなかった。佐久間は、やはり、木村美夏に遊ばれているのかと思った。
京都駅から市バスに乗って2人で帰路についた。佐久間は、あの後、木村美夏といろいろ会話をしたような気がするけれど、遊ばれているのかという落胆からか、あまり内容を覚えていない。
百万遍についたところで、一緒に下り、木村美夏は、鴨川の方に住んでいるというので、別れて帰った。
佐久間は、家に着くと、疲れがどっと足に現れてきた。このまま寝ころぶと、そのまま寝てしまいそうなので、シャワーだけ浴びて、さっと布団を敷いた。RINEを見ると、木村美夏からメッセージが来ている。「また一緒にお出掛けしようね!」などと書かれているのを見ると、思わず顔がにやけてしまう。さっきの落胆が嘘のように引いていった。
佐久間は、自分の部屋で眠っていた。すると、チャイムを押す音がする。その音で佐久間は目が覚めた。外は明るかったが、玄関の方は暗く、布団の上からでは、玄関の扉に鍵がかかっているのか見えなかった。佐久間は、ふと今チャイムを押している誰かが勝手に入ってきたら怖いなと思い、起き上がって鍵を掛けに行こうとしたが、身体が動かない。玄関のドアノブががちゃがちゃ動いている音がした。佐久間は、入ってくるなと言おうとしたが、言葉にならない、あ、あ、と出るだけである。
がちゃがちゃする音が止んだ。そして玄関のドアが開いた。もう一度入ってくるなと言おうとするが、やはり声が出ない。その人は、ドアを開けると中へ入って佐久間に近づいた。そして、こう言った。
「佐久間君、大丈夫? 心配になって来ちゃった。ドアが開かなかったんだけど、無理やり開けちゃった」
そう笑いながら言ったのは、木村美夏だった。
彼女は部屋に入るなり、佐久間が着ていたお気に入りのアニメキャラの服を脱がすと、それをゴミ箱に入れて佐久間に覆いかぶさるようにして抱きついた。そして耳元でこうささやいた。
「私がいつでもそばにいるからね。」
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