第11話

 佐久間は、第一話の制作に取り掛かっていた。イラストに関しては、まだ案が来ていなかったが、ファブリース氏から時間がかかりそうだと伝えられており、協議の結果、物語の制作とイラストの制作を同時並行で行おうということになったのだった。

 物語の導入は、主人公が貴船神社の鳥居をくぐったときに異世界へ行くというように変えていた。おみくじもあるので、そこに神のお告げでも載せておけばよいであろう。そして、主人公が鳥居をくぐった先を立入禁止エリアにしておけば、すぐに警備組織に捕まる流れができる。

 佐久間は、思っていたより順調に書き始めることができたことに安心した。しかし、最初は割とうまいこといっているように思っても、後半にネタが尽きて失速する。一山二山考えておかないと、目標の12万字にはとても到達しないだろう。主人公にはいろいろな騒動に巻き込まれてもらわなければ困る。主人公には、一度死んでもらう必要がある。

 一方でダラダラと書いているとさすがに読者に飽きられてしまうはずだった。難しい。ファブリース氏に、何かおもしろそうなネタを思いついたら知らせてもらえるように頼んでおこう。


 次の日、佐久間は、大学で講義を受け終わった後、いつものように教室の外へ出ると、横山さんが例のよれT男と話しているのを見かけた。なんだってこんなところでもあのよれT男と横山さんが話しているんだと思った。

 佐久間に気づくと笑って手を振った。手を振ったのはもちろん横山さんだったので、佐久間は、にやけてしまいそうになり、慌てて下唇をかんでごまかそうとする。佐久間は、自分の顔が今どれだけ滑稽なものになっているか、気になってしまった。よれT男と目が合い、この滑稽な顔を見られたと思って恥ずかしくなった。そしてとりあえず会釈をしてやりすごした。

「おお、佐久間くんやん。ちょうどいいところに。あんな、この前友人から預かったんやけど、このボールペン、佐久間くんから借りたんやって。はいこれ。みかちゃん、今実家に帰ってて返せないから、代わりに返しといてって頼まれたんやけど」

 ボールペンを受け取りながらも、みかちゃんなる人物にポールペンを貸した記憶がないので、佐久間は少し困惑した。

「え、ああ、ありがとう。えっと、みかちゃんっていうのは……」

「あ、ごめんだけど、俺、先行くわ」

 そう言ったのは、よれT男であった。足がもうすでに進行方向を向いていて、そういえばさっきからそわそわしていたような気がする。

「うん、分かった! がんばってな。また明日!」

 横山さんがかなりあっさりとよれT男と別れたのには、佐久間は少し驚いた。そして、よれT男は、また明日と言いながら去っていった。

「ごめんな、あれ、知らんの? この前ボールペン借りたってゆうてたで」

「ああ、あの人かな……」

「たぶんその子やで。あの子、木村美夏って言うねん。うちの高校の同級生やねんけど、佐久間くんと知り合いかと思ってたわ」

「ああ、違うよ。この前たまたま席が隣で、なぜかボールペンを貸すことになって……。まぁ、確かにボールペンは受け取りました」

 佐久間は、ボールペンを上げて受け取ったことを確認してみせる。

「うん! そういえば、佐久間くんはもう今日は講義終わり?」

「そうだね、もうさっきの憲法で終わりかな。今から部室に行くとこ。横山さんは?」

「うちは、今からそこで講義やで。法制史のやつ」

「ああ、あれね。おもしろいやつ。けど、そろそろ時間大丈夫?」

「あ、ほんまや。じゃ、またね」

「また。がんばってね」

「うん、ありがとう」

 横山さんは、そう言って手を振ると、教室の中へ入っていった。



 その日の夜のことである。佐久間は、部室から一人で家に帰った。新入部員歓迎会の準備をしていて、友人たちとそのままご飯を食べに行こうと考えていたが、全員に振られてしまったのだった。家には着いたが、時刻は8時を回っており、自分で晩ご飯を用意するのも面倒であった。そこで、その日の晩ご飯は、食堂で済ますことにしたのだった。

 食堂には、いつもだいたい似たようなメニューが並んでいる。しかし、佐久間が注文するものも、いつも決まっていた。

「炒め」

 この食堂に来たとき、佐久間は、主菜コーナーの隣にある炒め物コーナーで、いつもこう唱える。というよりも、この食堂を利用している者はたいていここで同じことを唱える。この食堂では、炒め物がおいしいと評判なのである。そして、この炒め物コーナーの調理担当が料理を「炒め」と呼ぶことを望んでいて、学生たちもそれを暗黙の了解として知っているからだった。

 これは、別の見方をすれば、新入生を除き、炒め物の料理名を全部読み上げることが、周囲の者に、「私は学外者です」と宣言しているようなものとなっているのであった。なお、ここの炒め物は味付けがあまり素晴らしく、吉田山の地下にある秘密工場で特製ソースが作られているのではないかとひそかに噂されている。


 佐久間が到達したときには、すでに前に並んでいた2人の分をシェフが作っている途中であり、佐久間の分は、その2人分の完成を待たねばならなかった。佐久間が、ぼけっとつっ立って順番を待っていると、後ろから誰かが近づいてきた。

「そちらの方、ご注文は」

「炒め」

 佐久間と同じく炒めを注文した人と横に並んで整列できるように、佐久間は、すこし横にずれてスペースを作る。そうすると、後ろに並んでいた者は、軽く会釈をしながらそのスペースに進んできた。

 佐久間はその人の横顔をちらと盗み見た。すると、驚いたことに、その人は、例のよれT男であった。昼に教室の外で会った時と同じで、よれよれのTシャツに、下はジャージで、なぜか髪にはひどい寝癖がついている。

 佐久間が驚いてよれT男を見ていると、どうやらよれT男の方も佐久間の視線に気づいたようで、佐久間の方を向いた。佐久間は、慌てて目をそらしてしまったが、目が合ったのにそれをあえてそらしてしまってばつが悪いので、そらした目を少し戻した状態で軽く会釈をした。ちらと横目で見ると、よれT男の方も会釈をしているようであった。少しの間、佐久間にとって気まずい沈黙が流れた。

 いったいどれだけの時間が流れたのか分からない。ようやく前に並んでいた2人が各自の皿を持っていったのは、気まずい沈黙が始まってからおそらく2,3分経った頃であっただろうが、佐久間には、急いでいるのにちょうど赤信号に捕まってしまい青信号になるのを待っているときのように時間の流れが遅く感じた。要するに永遠を感じたということである。

 シェフが佐久間たちの分を作り始めた頃、気まずい沈黙に佐久間は押しつぶされそうになっていた。

「あの、今日、法経第四教室のところでお会いしましたよね……? 横山さんと一緒に話していらっしゃった……」

 佐久間は、自分の口から言葉が出たのかと思って驚いた。そして隣に目を向けた。

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