第21話 【第四試合】vsプロレス


「『観客が満足するまで』もうちょっと付き合ってもらうぜ?」


 アンドリューはまた意味深なアクセントを置いたセリフと共に、レイチェルの髪を掴んで再び強引に引き起こす。完全にグロッキー状態のレイチェルは、されるがままの技掛け人形となっていた。


 無理やり立たされフラフラと足元も覚束ないレイチェルの背後に回り、後ろから股の間に手を差し入れ抱え上げると、仰向けのレイチェルの身体を両肩で担ぐような体勢となる。アルゼンチンバックブリーカーだ!


「おらっ!」

「あがぁぁっ!」


 両肩に担いだレイチェルの身体を締め上げると、彼女の口から再び苦鳴が響いた。だがやはり碌に抵抗も出来ないまま、ただ技を掛けられ苦しんでいるのみ。その姿を見て喜ぶ観客達。


 最早これは試合ではなく、ただアンドリューが一方的に技を掛けてレイチェルを苦しませ、それを見て観客が喜ぶだけの悪趣味な拷問ショーへと変貌していた。


 そのまましばらく観客を喜ばせたアンドリューは、技を解くと無造作にレイチェルを放り捨てた。苦痛から解放されたレイチェルは物も言わずにマットに突っ伏す。



「……もう充分だな」



 アンドリューが小声でボソッと呟いたが、当然観客にもそしてレイチェルにも聞こえる事は無かった。アンドリューはわざと観客の歓声に応えるように咆哮するようなアピールを取った。盛り上がる観客席。


 そしてまたもやレイチェルの髪を掴んで無理やり立たせる。背後から彼女の身体を捻るようにして脚を開かせ、自らの足でフックする。いわゆるコブラツイストである。


「あああァァァッ!!」


 本来柔軟性の高いレイチェルであれば抜け出すのはそう苦労しないはずの魅せ技だが、今のグロッキー状態のレイチェルでは抜け出す事も適わず、見栄えの良いストレッチ技の数々と、それに苦しまされる美女の姿に観客席の興奮はもうマックス状態だ。うるさいほどの歓声が響き渡る。



「……嬢ちゃん。俺の声が聞こえてるか?」


 その歓声に紛れるようにアンドリューがレイチェルの耳元に口を近づけてボソッと呟いた。コブラツイストの体勢からそう不自然な位置関係でもないので、誰も不審に思わなかった。


「…………ぇ?」


 その静かな小声は、しかし半ば自失しかけていた彼女の耳に不思議と残った。


「今から俺が技を緩める。そうしたら嬢ちゃんは全力で俺の顎を殴れ」


「……!?」 


「その後はとにかく無茶でも何でも俺に攻めかかれ。こっちで上手く『合わせてやる』」


「な……何、故…………」


 レイチェルには何が何だか解らなかった。これまで彼女に地獄の責め苦を与える悪魔そのものであったアンドリューがいきなりこんな事を言いだす理由が解らない。


「話してる暇はねぇ。あのチビちゃんを守りてぇんだろ!?」

「……ッ!!」


 その言葉がレイチェルの意識を覚醒させる。同時にアンドリューが言っていた通りに技を緩めてきた。これなら今のレイチェルでも抜けられそうだ。


 アンドリューの真意は解らないが、どの道このままではいいように甚振られ続けるだけだ。ならば何であっても乗る以外に選択肢はない。


 悲鳴を上げる身体に鞭打ってコブラツイストから抜け出す。振り向くとアンドリューが僅かに顎を上げていた。



「う、うわぁぁぁっ!」


 考えている暇は無い。無我夢中でその顎目掛けてストレートを放つ。万全の状態でもダメージを与えられるか甚だ怪しいというのに、今のふらふらのレイチェルの腰の入っていないストレートなど、文字通り蚊に刺された程度の物だろう。だが……


「ぬがっ!?」


 顎に打撃を喰らったアンドリューが怯んだ。余りにも自然な動作で、攻撃したレイチェル自身がもしかして本当に効いてるのか? と錯覚してしまう程だった。


「このアマぁっ!」


 アンドリューはその目を怒りに燃え上がらせる。だがすぐには襲い掛かってこない。


「……!」

 彼が先程言っていた、「とにかく攻めかかれ。こっちで上手く合わせる」、という言葉が思い出された。



 レイチェルは倒れそうになる身体を踏ん張って前に出た。そして全力を振り絞って拳打のラッシュを浴びせる。やはり万全の状態とは程遠く実際には全く効いていないであろう打撃に、アンドリューは不自然にならない程度に怯んで、丁度レイチェルの前に顔面を晒す形となる。


 考えるより先に手が出た。鼻面に思い切りストレートを叩き込む。アンドリューが鼻血を噴いて後退する。そこにすかさずローキックを入れると、彼が怯んで片膝を着くような姿勢になった。


「クソがっ!!」


 喚きながら両手を広げ、大振りな動作で掴みかかってこようとする。今の消耗したレイチェルでもギリギリ対処できる遅さであった。それを躱すと丁度背中に回り込みやすい位置関係になった。


「……!」

 彼女は咄嗟にアンドリューの背中に回り込み、その太い首に腕を回しチョーク・スリーパーを仕掛けた。


「うげげげっ!?」


 アンドリューは呻きながらレイチェルを引きはがそうと暴れる。そして暴れながらまた小声で呟いてきた。



「……今から『かなり』本気で暴れる。絶対に振り落とされずに俺を、落とせ」


「……!」

 レイチェルはその警告に従って残された力を振り絞って、アンドリューの頸動脈を締め上げる。


「うがあァァァァッ!!!!」

「……っ!」


 アンドリューは背中に手を伸ばしレイチェルの髪を鷲掴みにしてその握力で引っ張る。髪を引き抜かれるような激痛に、しかしレイチェルは死に物狂いで耐え抜いてチョークを継続する。


 『業を煮やした』アンドリューが、その巨体に物を言わせて強引に立ち上がるとそのまま後ろに下がり、ケージの金網に背中を叩きつけた。勿論レイチェルを間に挟んだままにだ。


「ぐぅぅぅ……!」


 身体を引き裂かれるような苦痛。レイチェルは割れんばかりに端を食いしばって耐える。何度も何度も金網に叩きつけられたが意地でも離さなかった。


 地獄のような時間がしばらく過ぎた後、徐々にアンドリューの動きが弱まってきた。これは演技ではなさそうだ。一瞬動揺したレイチェルだが、先の彼自身の言葉を思い出してチョークを続ける。


「ぐ……げ……」


 やがてアンドリューが尻もちを着いた。そしてクタッと頭を前に垂れさせてそのまま動かなくなった。


「…………」


 恐る恐るレイチェルがチョークを解くと、アンドリューの巨体がゆっくりと横倒しになった。その顔は完全に白目を剥いており、口からは涎が流れていた。……間違いなく落ちている。



『お、お、おおぉぉぉっ!! し、信じられない! 奇跡だ……奇跡の逆転勝利だぁっ!! ブロンディ、二試合目も逆転勝利を決めたぁぁっ! 現実は映画よりもエンターテイメントだ! このような結果が現実に起ころうとは! 神に愛された女、レイチェル・クロフォード! 彼女の快進撃はどこまで続くのかぁぁぁっ!?』



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!



 怒号と歓声がアリーナを埋め尽くす。ケージの扉が開きエイプリルが飛び込んできた。彼女を抱き留めながら、レイチェルは未だに信じられないような思いで、倒れているアンドリューの姿を凝視し続けるのだった……

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