第5話 『開会式』

 名残惜しかったがエイプリルを一旦チャールズに預けて、レイチェルは試合用のコスチューム姿で『開会式』とやらに臨む。因みに各控室や客室に備え付けられているTVで大会の様子は逐一視聴できるらしいので、エイプリルが見ていると思えば力が湧いてきた。


 ジョンに案内されてアリーナ会場へと続く通路に辿り着いたレイチェルは目を瞠った。そこはすり鉢状になった巨大な空間で、地下にこんな空洞をよく作れたものだと感心する程であった。


 すり鉢の中央には大きなリングが設置されていた。レイチェルにも馴染みのある八角形の金網に覆われたリングだ。ただし広さはGFCのそれの倍くらいはありそうだ。


 そしてそのリングを見下ろすように、すり鉢状になった壁面は観客席となっており、あの仮面を着けた無数の男女で埋め尽くされていた。ざっとニ、三千人はいるようだ。これが全部『パトリキの集い』とやらの会員なのか……


 天井や壁面には巨大な照明が備わっていて、リングを煌々と照らしていた。


 明日からあそこで戦う事になるのだ。レイチェルの喉がゴクッと鳴る。ジョンが何故かそんなレイチェルを見て、再び薄く笑った。



「さあ、間もなく『開会式』が始まります。名前を呼ばれたらリングまで入っていって下さい。それまではここで待機です。あなたは参加番号十六番……即ち一番最後になりますので」


「…………」

 嫌らしい笑いを浮かべるジョンの様子を訝しむものの、ここはとりあえず言われた通りにする他ない。その時大音量のアナウンスが流れた。いよいよ始まるらしい。



『紳士淑女の皆様! 大変長らくお待たせ致しました! 只今より我々『パトリキの集い』主催の異種格闘技大会の開催を宣言致します! 本日は参加選手の紹介と顔合わせを兼ねた『開会式』となります! 会員の皆様におかれましては、どの選手に賭ける・・・かを改めて見定めて頂く場ともなります! 刮目してご照覧下さい!』



 ――ワアァァァァァッ!!!



 観客席を埋める仮面の会員達の熱狂。どうやら賭け試合でもあるようだ。娘を誘拐して参加を強制するというだけでも常軌を逸しているが、こんな賭博試合まで開催しているとなると、いよいよまともな組織ではない。


 島一つ所有してこんな大掛かりな施設を作り、これ程の会員を集めている事からも、かなり規模の大きい闇組織なのだろうか。



『さあ、それでは一人目の選手入場です! 東洋の日本発祥の空手の源流、極神空手のマスター! リュウジ・オギワラだぁぁぁっ!!!』



 大歓声と共に、レイチェルがいるのとは別の通用口から現れた人物、それは……


「……え?」


 その姿を見たレイチェルが困惑する。横にいるジョンの笑みが増々深くなる。


 現れたのは白い空手の道着に黒い帯を締め、黒髪を短く刈り込んだ六フィート程の東洋人の……『男性』であった。


 そう。出てきた人物はどこからどう見ても女性ではなかった。間違いなく男だ。レイチェルは思わずジョンの方を仰ぎ見た。


「ど、どういう事!? この大会って……男性『も』出場するの!?」


 ジョンは心底可笑しそうに笑う。


「く、くく……男性『も』。『も』、ですか……くく。ええ、そうですよ。女性限定などと一言も言った覚えはありませんが?」


「……ッ!」

 レイチェルは青ざめる。そうしている間にも次の選手が呼ばわれていく。



『二人目は東南アジア、タイから来たムエタイの寵児! ファーラング・ドルベルチクルだぁぁぁっ!!!』



 続いて現れたのは裾の長いトランクスのようなズボンを履いた、上半身裸の男であった。その極限まで鍛え抜かれた肉体がこれでもかと言わんばかりに強調されていた。


 また男性だ。対戦表にもよるが、この大会で優勝しなければならないレイチェルとしては厳しい状況に追い込まれた形だ。


 そしてどんどん選手の名前が呼ばわれ、新たな選手が入場していく。


 プロレス、柔道、ボクシング、サンボ、レスリング、中国拳法、相撲、テコンドー等々……。ジョンの言っていた通りの格闘技の選手たちや、他にも聞いた事のない格闘技の選手まで次々と入場してくる。その度に観客席は更なるボルテージに包まれていく。


 だがそれと反比例するようにレイチェルの顔色はどんどん青ざめていき、今や完全に血の気が引いてしまっていた。



 入場してきた選手はタイプは違うが、皆ことごとく鍛え抜かれた男性であったのだ。女性は只の一人もいなかった。……自分自身を除いては。



 そうこうしている内に、リングには十四人の選手が出揃っていた。一人だけ不在の選手がいるようだったので、参加番号順とやらでいくと次は……レイチェルのはずだ。


「……! ま、待って、そう……解ったわ! 男子部門と女子部門とに分かれているのね!? 私は女子部門の十六番目という事で……」


 一縷の望みを掛けて願望混じりの確認をするが、ジョンはやはり酷薄な笑みを浮かべたまま無情にもかぶりを振った。


「くくく……女子部門? そんな物はありませんよ? 次に呼ばれるのはあなたの名前ですよ、"ブロンディ"」


「……そ、そんな」


「これであなたを『普通』に招待しなかった訳が解りましたか? 言ったでしょう? あなたは大会を盛り上げる為の『特別ゲスト』なのだと」


「……!!」


「ただの同性同士の異種格闘技戦なら『表』でも実現は可能です。しかしあなたのような美女ファイターが、男性の格闘家と本気で戦う試合など『表』ではまず実現不可能でしょう。非合法の『裏』ならではという訳です。お陰様で会員の皆様には大好評ですよ」


「う……あ……」


 レイチェルは今度こそ絶句した。そして同時にこれが非合法の格闘大会なのだという事をようやく実感した。


「ああ、勿論あなたが負けたら天使が翼をもがれるというのは事実です。それを念頭に置いて文字通り死力を尽くして戦って下さいね?」


「ぐ……」

 レイチェルは奥歯を噛み締める。その時無情にもアナウンスが流れた。



『さあ、いよいよ最後の十六番目の選手が入場だ! 今回、会員の皆様のご要望にお応えして当組織が用意した特別ゲスト! 総合格闘技の新進気鋭の金髪美女ファイター! 今大会の『紅一点』! レイチェル・"ブロンディ"・クロフォードだぁぁぁっ!!!』



「ほら、行って下さい」

「……っ!」


 思わず硬直するレイチェルだが、ジョンが無情にもその背中を押して彼女をアリーナへと突き出した。つんのめるようにしてリングへの一歩を強制的に踏み出されたレイチェル。



 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!



 レイチェルの姿を見た観客達が一斉に囃し立てる。物凄い大歓声だ。特別ゲストというのは本当のようだ。


 ここで逃げれば恐らく試合放棄と同じ扱いをされるだろう。逃げ場のないレイチェルは、観客達の熱狂と圧力に押されるかのようにフラフラとリングまで歩いていく。全く現実感が無かった。


 リングの脇に控えていたスタッフが金網のゲートを開ける。そこに入れという事だ。中には既に十五人もの屈強な男性の格闘家達がスタンバイしている。


 夢遊病者のような足取りでリングに入ると、背後でゲートが閉じられた。同時に十五対の目が一様にレイチェルに注がれた。


「……!」


 好奇、侮蔑、好色、歓喜、憤怒、観察……。様々な種類の視線が一斉に自分に突き刺さるのを感じて、レイチェルは本能的に身を固くする。



「ほぅ……GFCにも出場した噂の『カワイ子ちゃん』とまさか同じリングに立つ事になるとはなぁ」


 興味深げに話しかけてきたのは七フィート近くある縦も横も巨大な白人の大男で、レイチェルもTVで何度も見た事があった。


 アメリカの一大プロレス団体WEWに所属していた有名プロレスラー、アンドリュー・"レッドブル"・カーティスだ。


 四年程前、興行の試合中に相手がブックにない攻撃をしてきた事で思い切り顔面を殴られ、それに激昂して相手の意識がなくなるまで狂ったように痛めつけ、最後に強烈なバックドロップを仕掛けて止めを刺した試合は、色々な意味で有名でネット上ではカルト扱いになっている。


 怒り狂ったレッドブルを止めるのに屈強なスタッフ十人掛かりを要し、その後その対戦相手は治療の甲斐なく息を引き取った。


 この事件で団体を追放されたアンドリューの足跡は定かでは無かったが、まさかこのような闇試合にスカウトされているとは。


「……!」

 その逸話を思い出し身を固くするレイチェルだが、アンドリューは意外な程気さくに破顔した。


「俺は他の奴等とは違うぜ? プロレスじゃリングに女が上がる事も珍しくねぇからな。歓迎するぜ、ブロンディ! そんな隅っこで縮こまってねぇで真ん中に来いよ! お前さんはこの大会の『華』なんだから、目立ってナンボだろうがよ!」


「あ……!」


 アンドリューに手を引かれてリングの中央、屈強な男達のど真ん中に引き据えられるレイチェル。女が自分一人という状況が、今ほど心細く感じた事はない。露出度の高いコスチュームが非常に心許なかった。


 周りの格闘家達もこのような闇試合への誘いに応じる程度にはモラルの低い、曰くつきの男達であろう。だがアンドリューがそうであるように曰くつきである事は格闘家としての実力とは関係ない。いや、むしろこんな大会に出るくらいなので、全員腕に覚えのある一流の格闘家と見ていいだろう。


 それらを相手に女である自分が果たして勝てるのか……


 弱気になるレイチェルだが、脳裏にエイプリルの顔が浮かぶ。


「……!」

 そうだ。自分が負ければエイプリルまでが巻き添えとなってしまう。それだけは絶対にさせない。相手が男であろうが一流であろうが関係ない。自分は絶対に勝たなくてはならないのだ。



(やってやる……。やってやるわよ! エイプリル、私に力を貸して頂戴!)



 覚悟を決めたレイチェルはその瞳に闘志を燃やして、指ぬきのグローブに包まれた拳を握り締めるのだった……

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