第2話 『パトリキの集い』
「ママ! 行ってきます!」
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
GFCの初試合から約二ヶ月後……
テキサス州の中程にある小さな田舎町。笑顔で手を振りながら黄色いスクールバスに乗り込むエイプリルを見送るレイチェル。
エイプリルは今年から、北にある大きな街の小学校までバスで通学している。いつもの朝の光景。この後はレイチェルも別の町にあるジムに
ファイトマネーを貰うプロの格闘家である以上、ジムが彼女の職場でありトレーニングが彼女の仕事であった。いや、最近はそれだけでなく、チャールズが取ってきた雑誌やローカル局への出演、インターネットでの広報活動なども
彼女は溜息を吐いた。変に名前や顔だけが売れて、
「あら? 今日はアダムじゃないの?」
レイチェルはバスの運転手が、いつもとは違う人物なのに気付いた。その人物は軽く会釈をした。
「ええ、そうなんですよ。ちょっと腰をやられちゃったみたいで……あの人ももう年ですから。ビリーと言います。しばらくは自分が代わりに送迎しますので宜しくお願いします」
いつもの運転手は初老のアフリカ系男性であったが、このビリーは30代くらいの若い白人男性であった。
「まあ、そうだったの。早く良くなると良いわね。……小学校に上がったばかりでお転婆な娘だけど、宜しくお願いね?」
「はは! 元気があって良い事ですよ。1年生だと学校が嫌で愚図る子も多いですから」
「ええ、本当に……。それだけは助かったわ」
座席に座ってニコニコしているエイプリルを見ながら本心からそう思った。実際、他に乗っている子供は泣きべそを掻いてる子もいるようだ。
「それじゃ、出発します」
「ええ、お願い」
バスのドアが閉まり発進する。スクールバスが道路の向こうに見えなくなったのを確認してから、レイチェルは気分を入れ替えて、自分も出勤の準備を急ぐのだった。
その日のトレーニングを終えて家に戻ってきたレイチェル。今日は珍しくチャールズが先に家に帰ってエイプリルを出迎えてくれるというので任せて、自分は時間ギリギリまでトレーニングに精を出した。
備え付けのシャワールームで汗を流して、家に着いた時にはすっかり日が暮れていた。
「ただいま……あら、チャーリー、どうしたの? エイプリルは?」
家の玄関を開けると、リビングにチャールズが1人で立っていた。そして真っ青な顔をしてレイチェルの方を振り返る。
「レ、レイチェル……大変な事になった」
「……大変な事? 待って、まずエイプリルはどこにいるの?」
チャールズの様子を見て急に胸騒ぎがしてきたレイチェルは、まず一番気掛かりな事を確認する。勿論取り越し苦労だろう。そう
「レイチェル、落ち着いて聞いてくれ」
「……!」
胸の動悸が一段と激しくなる。何か……事故にでも遭ったのだろうか。それとも……
いやだ。
聞きたくない。
レイチェルの脳が本能的に現実を直視する事を拒否したが、夫は容赦なく話を続けた。
「少し前に小学校から連絡があったんだ。エイプリル達を乗せたバスだけが、学校に到着しなかったらしい」
「……え?」
「それで学校側が急いで調べた所……そのバスが郊外の林の中に突っ込んだ状態で乗り捨てられていた。そして、乗っていた児童は
「……っ! ま、まさか……?」
目を瞠るレイチェルに、チャールズは神妙な表情でうなずく。
「エイプリルだけが見つからなかった。同乗していた他の児童の証言によると、
「……ッ!!」
レイチェルは今朝会ったビリーという臨時の運転手の事を思い出していた。最初からエイプリルを誘拐する目的で、何らかの手段でアダムとすり替わったのだ。
「い、一体何が目的で……。身代金の要求は!?」
確かにGFCの試合に出てからは知名度も上がり、露出の機会も増えた。だが本格的に稼げるようになるにはまだまだ実績が必要で、はっきり言えば今のレイチェル達はそれ程裕福な訳ではなかった。
そもそも総合格闘技自体、ボクシングなどに比べてそこまで稼ぎの良い競技という訳でもないのだ。
一体何故エイプリルが狙われたのか見当も付かなかった。手の込んだ誘拐ぶりから、ただのストーカーという線も考えにくい。
「それなんだけど……丁度君が帰ってくる直前に、こんな物がポストに入れられていたんだ」
チャールズがテーブルの上に置いてあった封筒を手に取る。既に中は彼によって開けられていた。中には、ワープロで打たれた手紙のような物と、
「あぁっ!!」
レイチェルは悲鳴を上げた。その写真に写っていたのは、縛られて目隠しもされていたが、間違いなくエイプリルであった。
「け、警察! 警察に……!」
気が動転したレイチェルは電話を取ろうとするがチャールズに止められる。
「待った、レイチェル! これを見るんだ!」
「……!?」
彼が差し出してきたのは一緒に封筒に入っていた手紙だ。そこにはワープロで打たれた無味乾燥な文字が並んでいた。
『レイチェル・"ブロンディ"・クロフォードへ。
我々の「招待状」は届きましたか? あなたにはこれから我々が指定する場所に赴き、そこで我々の主催する
パトリキの集い』
「な……」
余りにも予想外かつ非常識な内容に、レイチェルの理解が一瞬追いつかなかった。
(た、大会……? 試合用のコスチュームって……い、一体何を言ってるの……?)
「なんなのよ、これ……。ふざけてるの!? やっぱり警察に……」
「よせと言ってるだろう! リスクが大きすぎる!」
チャールズに止められた事でレイチェルはカッとなった。
「何よ! エイプリルが心配じゃないの!?
「レイチェルッ!!」
ヒステリーに陥りかけたレイチェルだが、夫の怒鳴り声でハッと正気に返る。
「ご、ごめんなさい、チャーリー。そんなつもりじゃ……」
エイプリルはレイチェルがまだ十代だった頃に、当時のキックボクシングのコーチとの間に出来た娘だ。そのコーチは交通事故で帰らぬ人となってしまった。
「いいさ。君がそう思うのも当然だ。でも僕だってエイプリルを愛しているし大事に思っている。だからこそ通報はしていないんだ。もし逆らったらこの連中は本当にあの子を殺すかも」
「ああっ! やめて、チャーリー! 例えでもそんな事は言わないで!」
顔を手で覆うレイチェル。しかしチャールズはそんな彼女の肩に手を掛ける。
「しっかりするんだ、レイチェル! 現実を見るんだ!」
「……!」
「ここに奴等の要求が書いてある。そしてこの通りにすればエイプリルに会えるとも。僕としては……ここは要求通りにした方がいいんじゃないかと思う」
「…………」
『要求』。
試合用のコスチュームを持参して、この連中の言う所の『大会』とやらに出場するという物。コスチュームの事やニックネーム呼びからして、間違いなく総合格闘技の選手として出場しろ、という事だろう。
「い、一体、何が目的なのコイツら?」
「見当も付かない。パトリキの集い……。パトリキは古代ローマの貴族を指すラテン語だな。それの集いだって? 全く馬鹿げている」
チャールズは吐き捨てるように言った。
「だが現状、エイプリルの事を考えたら他に手はないと思う」
「そう、ね……」
冷静になって考えると、それしかない気がしてくる。身代金を払うのと同じだ。エイプリルが無事に戻ってくるなら何だってするつもりだ。
「学校側は僕らが被害届を出さなければ、勝手に通報したりはまず無いと思う。騒ぎで悪い評判を広められたくないだろうしね。道場の皆や仕事関係には僕の方から上手く説明しておく。君は自分の準備を進めておいてくれ。後は……コンディションの調整もね」
「……!」
コンディションと言われて初めて意識した。これから自分はどんな試合形式なのか、どんな相手と戦うのかも不明な『大会』とやらに出場しなければならないのだ。
エイプリルの事とは違った意味での緊張が彼女を襲う。
(でも……やるしかないわ。エイプリルを助けるのよ!)
レイチェルは心の中で悲壮な決意を固めるのであった。
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