第六章「陽炎」
翌日、彩菜はいつも通り授業を受けていた。
さすがにヒナミまで連れてくることはできないので、彼女が学校に行っている間は、祖母の刹子が面倒を見てくれることになったのだ。
「ヒナミちゃん、昨日は大丈夫だったのかよ?」
昼休み、中庭のベンチで隣に座っている康平が尋ねた。
「うん。ちゃんとご飯も食べてたし、笑ってくれることもあったよ。ただ……」
そこまで話すと彩菜は昨晩ヒナミが泣いていたことを思い出した。
今朝起きた時は大丈夫そうだったが、彼女は喋れないので、本心のところはどう思っているかまではわからない。
彩菜は小さくため息をつくと、何とは無しに山手の方を見た。下鴨山の上には、今の自分の気持ちのようにどんよりと大きな雲が覆っている。
「昨日一緒に寝てる時に、ヒナミちゃん泣いてたの。何か夢を見てたのかわからないけど、やっぱり家族と離れてすごく寂しいんだと思う……」
「そりゃあんな小さな女の子だったら、不安にもなるし寂しいだろうな。早く見つかるといいんだけど」
そう言って康平は顎をさすった。
「ねえ優介、ヒナミちゃんって空き地でいたんだよね?」
彩菜はくるりと瞳を動かして、目の前に立っている優介の顔を見上げた。
「うん、空き地から女の子の泣き声がするのが聞こえてヒナミを見つけた」
「もしヒナミちゃんがそこで迷子になったなら、家族がまた戻ってきたりするのかな?」
「うーん、どうだろう。俺もどうしてあそこにヒナミがいたのかわからないし、それに誰かに連れてこられて迷子になったのかもしれないし」
「そっか……」
彩菜は「はあ」と息を吐き出した。出来れば一刻も早くヒナミの家族を探してあげたいところだけど、こうも情報がないとどうすることもできない。
うーんと難しそうに眉間に皺を寄せている彩菜を見て、今度は康平が口を開いた。
「だったらヒナミちゃんがいた空き地に行ってみたら何かわかるんじゃないか? もしかしたら、手がかりが残ってるかもしれないし」
それもそうだよね、と答えようとした彩菜は一瞬口をつぐんだ。空き地に訪れることを考えて、以前自分が経験した奇妙な声のことを思い出したからだ。ゴクリと一度唾を飲み込む彼女は、決意を固めるかのようにゆっくりと口を開く。
「そ、そうだよね……。みんなで空き地に行けば、何かわかるかもしれないし……みんなで、行けば」
しどろもどろで話す彼女を見て、康平と優介は顔を見合わせると頭に「?」を浮かべた。そんな二人をよそに、彩菜は目を瞑って頷きながら、「みんなで行けば大丈夫」と一人何度も呟いている。
「まあでも早いとこヒナミちゃんを家族のところに戻してあげた方が良さそうだな。じゃないと、俺たちが誘拐したと勘違いされたら襲われるかもしれないし」
「ちょっと康平、怖いこと言わないでよ」
もう、と頬を膨らませて睨む彩菜に、康平が「冗談だって」と苦笑いで返す。そして話しをそらすかのように優介の方を向いた。
「と、ところで優介。なんであの子に『ヒナミ』って名前つけたんだ?」
「あ、それ私も気になってた」
康平の質問にけろりと態度を変えた彩菜が、今度はその瞳に優介の顔を映した。
「何か心当たりでもあったのか?」と聞く康平に、優介は小さく首を横に振る。
「なんとなく……似てたから」
「似てた?」
優介の言葉に彩菜の眉毛がピクリと動いた。
似てた? 似てたって……誰にだろう。
優介とは昔からずっと一緒にいるけど、少なくとも私は『ヒナミ』という名前の女の子は知らない。でも、あの優介が名前をつけるぐらいの女の子ならもしかして……。
じーっと何かを疑うように鋭い視線を向けてくる彩菜に、優介は「どうしたの?」と少し戸惑ったような表情を浮かべる。
彩菜は喉元まで出かかった言葉を声にしようとしたが、万が一自分が立ち直れなくなった場合を考えて、「別に……」と返事を濁した。
「とりあえず今度みんなで空き地でも行ってみるか」
康平はそう言って立ち上がると、「そろそろ戻るか」と校舎の方へと歩き出す。
「あ、うん」と彩菜も立ち上がろうとした時、ふと誰かに見られているような気がして正門の方を振り向いた。
「どうした、彩菜?」
「なんか今……誰かに見られてたような気がして……」
彩菜はそう呟きながら、視線の正体を探ろうと付近を見るも、そこには自分たちと同じ学生の姿しか見えない。
「おいおい、また熊が出たとか言うんじゃないだろうな」
いつかの病院の件を思い出したのか、康平が怪訝そうな顔をしながら言った。
「そんなのじゃないって! でも何となく誰かが……」
ゾワリと動く不安と恐怖を隠すように、彩菜は胸元で両手を握った。しかし、そんな彼女の気持ちとは裏腹に、視界に映るのはいつもと変わらない学校の風景だ。
「彩菜、大丈夫?」
優介の言葉にはっと我に返った彼女は、「うん、大丈夫」と返事をする。
「たぶんヒナミちゃんのことであんまり眠れなかったから、疲れてるだけかもしれない」
はは、と力なく笑う彩菜は、一瞬感じた違和感から背を向けるように校舎の方へと身体を向けると、康平たちと一緒に歩き始めた。
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