第3話

 顔合わせ以降、役員の招集があったのは五月の連休明け、爽やかな風が開けられた窓から吹き込んでくる日だった。

「えっとね、今日集まってもらったのは……六月にね、生徒会主催で行事を行おうと思いまして」

 にこにこして会長の三木原が切り出した。両脇に座る神辺明と白石佑也はそれぞれ呆れと諦めの表情を浮かべている。

「行事って、どんな?」

 紺屋葉月は話の方向を見定めるように尋ねる。

「うちの学校って、一学期はイベントが少ないですよね。体育祭は十月、文化祭は十一月。クラス対抗スポーツ大会が三学期。ゴールデンウイークが終わって一カ月以上祝日はなし、中間テストが終わって気も抜ける、おまけに雨で気分も沈んでなんかやる気がでない……それが六月です」

「確かにだるい時期だよね~」

 阿久野真美が指先に毛先をまきつけながら同意する。話を聞くのに行儀がいいとは言えないが、三木原は気を悪くした様子もなく続ける。

「ですね。学校を辞める人が出る時期でもあります。というわけで、生徒たちが一時でも楽しめる、憂鬱な気分を飛ばせるようにイベントを、と考えまして」

「でも、そんな日程組み込めるんですか?」

 葉月が心配そうに尋ねると、三木原は顔色を変えずにうなずく。両サイドの副会長たちはげんなりして見えるが、気のせいだろうか。

「許可は先生にもう取り付けました。六月十六日の昼休み以降の時間を貰いました」

「よく先生たちがオッケー出しましたね」

 千田寿が言うと、神辺が無言で表情を強張らせる。

「行事は自由参加で、図書室、三年の理系側の一から五組までは自習室として開放。それから中間考査で欠点が二科目以上あったら参加不可っていう条件付きで何とか、ね。考えようによっては先生方も自分の時間が作れるから好意的な先生がいたのもラッキーだったね」

 場の空気がギスギスする前に、白石が説明を挟んでフォローする。

 神辺のメガネ、白石のふわふわの頭からイメージする偏見も入っているのかもしれないが、神辺はきっちりしていて少し厳しそうな印象、一方白石は優しくて話しやすいお兄さんの印象だ。

「んで会長、何のイベントやるんすか」

「千田くんいい質問です。七不思議知ってるでしょ?」

「七不思議って、トイレの花子さんとかってやつ? 俺はあんま知らねー、お真実さん詳しそうそういうの」

「え~、何だっけ~、美術室の石膏像が喋るのと、体育館でボール突く音がするのと、部室棟ですすり泣きが聞こえるのと、音楽室のピアノ、真っ赤な水の出る調理実習室……」

 真美が指折り挙げるがトイレと合わせて六つだ。

「私が聞いた事あるのは骨格標本がこの学校の生徒との骨と入れ替わってる、とか生徒玄関のところの大きな鏡に移る子供、とかあったよ」

 葉月はサラリと言うが導入だけで柚子には十分怖い。

「そう、三年生何人かには聞いてみたけど七不思議って実際ブレがあって十個くらいはあるみたい」

 白石がうなずく。

「ま、ある程度は誤差の範囲ですので有名どころピックアップしましょう。この七不思議になぞらえて学校を探索……、早い話が校内でのウォークラリーです。参加は個人でも構いませんが恐らく複数参加が多数になるので、一グループ最大六名で区切ります。細かいところは後で詰めていくとして、各チェックポイントでのミニゲームを今から皆で考えて行きます」

 急に言われても思いつかないな、と困った柚子だが、やはり白石が絶妙のヒントをくれる。

「ジャンルとしてはクイズ系、チャレンジ系とかが考えやすいかな?」

 チャレンジとなると、バットに頭つけて回って歩くとか、青汁一気飲みとかそういう感じだろうか?

 漠然としていたものが、幾らか具体的にイメージが湧いてくる。

「じゃあ、校内に鏡は何個あるでしょうか、とか?」

「おっ、安田くんいいね」

 三木原が安田秀斗の案に頷く。

「え~それ誰が数えるの~?」

 真美は面倒くさそうにぼやくが、絞るのは後にして思いつくままに挙げてみようと三木原が促したので、続く案にも否定的な意見は出なかった。というよりも、まず皆が思いついたそばから発言したのでそれどころではなかった。

 神辺が出てくるものをホワイトボードに書留めていく。大人っぽい、綺麗な字だ。

 それにしても皆次から次にアイデアが出てきて感心だ。千田など思いつくままに言うからめちゃくちゃなものもあるが数が凄い。

「柚ちゃんは何かある?」

「はい……え、ええっ!?」

 三木原に応えかけたところで、自分が何と呼ばれたか認識してついどもる。

 驚いた柚子の表情に気づき、彼は笑顔を崩すことなく、

「僕、川之江と同じクラスなので、川之江さんと呼ぶと混同しそうで……柚ちゃんと呼ぼうかと。せっかく可愛い名前だし」

 晶と同じクラスだから、区別をしやすくするため、という事らしい。

「あ、は、はい、大丈夫です分かりました。あの、えっと青汁早飲みとかくらいしか思いつかなくて」

 落ち着け、可愛い「名前」って言われただけだよ。

 内心の混乱を抑えつけながらしどろもどろで答える。誰かが反応するより先にホワイトボードに『青汁早飲み』と書かれる。

 名前を呼ばれたのと、名前を褒められただけなのに、鼓動が早い。

 三木原は柚子の予測のつかないことをしてくる。そのせいかどうも、終始笑顔で機嫌よく見えるのに、他の人よりも刺激が強い気がする――。

 柚子はぽっぽっと熱い頬を指先でそっと押さえた。

 

 晶が部活を終えて帰宅したのは午後八時半近くだった。リビングで待っていた柚子は廊下に顔を出す。

「お帰り、晶ちゃんお腹減ってる? お母さん夜勤だから今日は作り置きのカレーなんだけど」

「ありがと。でも先にシャワー浴びてくるよ、汗かいてくさくなっちゃった」

 制服のシャツをぱたぱたとあおぎ、晶が答える。

「わかった、じゃあ上がってきてから温めるね」

「うん、ありがと」

 晶はぽんぽん、と柚子の頭を撫でて浴室へ向かった。

 晶が姿を消すと、柚子は自分で頭を押さえる。子ども扱いされているような気もするが、母親でさえ、もうそんなことはしないのに、血のつながっていない晶がジェスチャーつきでほめてくれるのはくすぐったいけれど嬉しくもある。

 

 リビングでスマホゲームをして時間をつぶし、晶があがってくる音がするとカレー鍋をおいたコンロのスイッチを入れる。

 簡単にドライヤーをしてきてはいるが、まだ湿った髪からシャンプーの匂いを漂わせ、晶が隣にきた。

「いい匂い。お母さんのカレー好きだな」

「カレーが嫌いな人って少ないもんね」

 柚子は白ご飯をよそった皿に、ルーをおたまですくって入れる。具が小さめに刻んであるのが、母親流だ。

「今日生徒会あったんだよね、どうだった?」

「んー、一年生だからまだあんまりよくわからないんだけど……しろさんて呼ばれてる先輩がすっごく気を遣ってくれてるっていうか、色んなフォローを自然としてくれてて、居心地良くしてくれてる気がする。神辺先輩はクールビューティーって感じに見えてちょっと近寄り難いかも。あ、そういえば三木原会長と晶ちゃんは同じクラスなんだね」

 昼に三木原が言っていた事を思い出す。スプーンをくわえながら、晶がうなずく。

「席も近いよ。あの人結構クセ者でしょ?」

「そうそう、そんな感じかも!」

 自分が三木原に対して感じていたものに、ピタリとくる言葉を当てはめられて柚子は前のめりになる。

「人当たりはいいんだけど無茶な事言って、しかも仕事を人にふるのがうまくてさ。でも押しつけてる、っていうのとも少し違うかな。芯がある割に掴みどころもないって言うか」

 晶がカレーを口に運ぶ合間に宙を見つめながら三木原の特徴を挙げる。

「ああ、ちょっとわかる気がする」

 今日の会議はとても活発に進んだけれど、行事の日程、学校からの許可、実際に何をするのか、という大枠は既に決まっていたのだ。

 副会長たちは、今日の様子から見るに、許可取りなどの段階で巻き込まれたんだろう。

 柚子を名前で呼ぶ、と言ったときも呼んでいいか、ではなくもう彼の中で決まっていた様子だった。そのことを言うと、晶は顔をしかめた。

「三木原のそういうところがいけ好かないんだよね。うちの純真な妹ちゃんをたぶらかしたりして」

「名前で呼ばれただけだよ、たぶらかされたなんて」

「じょーだんじょーだん。でも何かあったら言って、あいつに文句つけるくらいはするから」

 晶は笑うが、どことなく悪い顔をしているのがちょっぴり気にかかる。もちろん、たぶらかされるなんてことはあるはずもない、のだけれど。


「おはよ、柚ちゃん」

 駅で名前を呼ばれて振り向くと秀斗がいた。

「お早う、安田君。同じ電車だったんだね」

 当然、同じ方向に向かうので自然と並んで歩く形になる。

「あー、そろそろテスト週間か、だるいね」

 すっかり葉が茂った桜並木の道を歩いていると秀斗がぼやく。

「そうだね、中学の時から私数学苦手で」

「俺は英語だな。リーダーはまだいいけどオーラルが嫌。でも生徒会は欠点一個でもあったら行事参加禁止らしいから頑張らないとな」

「え、そんなこと言ってた?」

 初耳の情報にぎょっとする。

「言ってた言ってた、会長が最後にさらーりと」

「け、欠点って何点のこと?」

「四十切ったらダメ、って聞いた」

「じゃあ最低でも四十点とらなきゃってことだよね?」

「そうだね」

「えー、四割か。大丈夫とは思うけどマークシートとかじゃないよね、筆記だと当てずっぽうできないし。これは晶ちゃんを頼るしか。テスト週間っていつからだっけ」

 確か晶は理系を選択していたはずだ、一年生初期の数学くらいわけないだろう。部活が休みに入ったら時間を貰おう、と算段する。

「テスト前一週間。五月二十七日からだったと思いますよ」

 横にいる秀斗ではなく、後ろから声がしたので反射的に二人で振り返る。副会長の神辺だった。

「おはよーございます」

 秀斗が先に反応する。

「お早うございます」

 柚子も慌てて続ける。

「お早うございます。部活が活動禁止になるのは、テスト一週間前ですよ」

 先ほどと同じことを繰り返す神辺は、秀斗と反対側、柚子の左手にすっと並ぶ。一緒に行く感じ、なのだろうか。並ぶと彼の背の高さが改めてわかる。百八十を超えているのではないだろうか。

「ありがとうございます、神辺先輩」

「いえ」

 柚子は高い位置にある彼を見上げてお礼を言う。一週間前なら何とか、晶の勉強の邪魔をせずにポイントだけ教えてもらえそうだ。

「あれ、神辺先輩ちょっと顔赤くないです? 熱あります?」

 秀斗が神辺の顔を覗き込むように動く。

「……いえ、大丈夫です。ちょっと用があるので先に行きます。また、会議で」

 神辺は軽く手を振って足早に先を行く。正直、神辺と何を話していいかわからなかったので助かった。

「安田君はすごいね、誰にでもすぐフランクになれる感じ」

「そう? 友達や先輩は姉ちゃんたちみたいに理不尽なことあんまり言わないじゃん。普通にしてるだけだよ」

「その、『普通』がすごいと思う」

 秀斗が話しやすいので柚子も彼となら、比較的楽に接することができる。


 三組の秀斗とは別れ、自分の七組に入り、席に着くと隣の席の心美が声をかけてくる。

「おはよーユズ」

「心美ちゃんお早う」

「おっはよ!」

 後ろから来たのは咲良。少し大人びた雰囲気の心美と、明るく女の子らしい咲良、この二人が柚子がよく一緒にいるメンバーだ。

「お早う、咲良」

「ユズー、朝見たよ? 一緒に歩いてた男子誰? 彼氏?」

 咲良が目を輝かせる。お昼の話題でも彼女が一番くいつくのはコイバナだ。他校にいるという自分の彼氏のこともたまに話すが、クラスの動向や芸能人のスキャンダルもよく話している。

「え、安田君のこと? 違う違う!」柚子は手を振って慌てて否定する。「生徒会のメンバーだから知ってて、方向が同じだから駅で一緒になってそのまま歩いてきただけ!」

「ふーん?」

 意味ありげにうなずく咲良に対し、心美はクールな面持ちを崩さない。

「安田って安田秀斗? あの人は人懐っこいからね」

「えー、ワンコ系男子?」

「ワンコ、いや、あれは犬っていうよりツバメかな」

「やだー、ツバメって、年上の女に飼われてるの?」

「そういう意味じゃなくて、いつの間にか家に巣を作っちゃうみたいな」咲良の想像を心美が即座に打ち消す。「んでヒナがかえってピーピー言ってたらもう巣を壊したり退かすわけにもいかないじゃん? そんな感じ」

「ふーん?」

 咲良はピンときてないようだが柚子にはしっくり来るような。彼はこちらが気づかないうちに距離を縮めて来ていることがある。よく考えたらいつの間にか「柚ちゃん」と呼んでいたし。

「ユズの恋バナ聞けると思ったのに残念!」

「彼氏ができたら報告するよ……いつになるか分からないけど」

 兆しとか予感と言ったものさえ見当たらず、悲しくなってくる。

 まだ入学して一ヶ月ほど、クラスの子たちとはそれなりに馴染んできたものの全員女子だ。恋どころか男友達らしき人もほとんどいない――安田を入れていいならやっとこさ一人。

 その上テストに早くも追い詰められそうで。はたと気づく。一時間目の数学、今日当てられた問題があるのだった。

「心美ちゃん、咲良、ここの問題教えて!」

 慌てて教科書を開くが、

「ごめん分からないや」

「今日当てられてないからやってないもん」

 友だちは薄情なものだ。

「チャイム鳴ったぞー」

 担任の運永が時間ぴったりに入ってきて、柚子の広げた教科書とノートを目ざとく見つけしまうように言う。

 これはやばい、詰んだ。ホームルーム後の十分できちんと解ける自信はない。でもいきなり宿題忘れましたは心象も良くないだろう、何か方法は……。

 晶がいる。

 追い詰められた柚子に閃いた晶の顔。朝のホームルームが終わるなり、教室を飛び出て三年のクラスがある一階へ駆け下りる。

 晶のクラスを廊下から覗くと、廊下側の窓が開いた。

「柚ちゃん、どうかした?」

 顔を出したのは三木原だ。キョロキョロしているのを中から見ていたのだろう。

「あ、会長。晶ちゃん……、川之江晶はいますか?」

「川之江いるー?」

 三木原が即座に教室に聞いてくれるが、トイレじゃない? と返事が聞こえた。

 ええい、背に腹は変えられない!

「三木原先輩、すみません、この問題三の解き方教えて下さい」

「僕で良ければ。えっと、二次関数だからこの公式を使って」 神辺に比べると少し丸みのある文字で、三木原はノートに数式を書いていく。「はい、あとは計算するだけ」

 ノートを渡して三木原が笑む。

「ありがとうございます、すぐ戻ってやってみます」

「うん、ここで計算してみて。間違ったらすぐ教えてあげられるから」

「あ、なるほど」

 その発想はなかった。

 窓枠でノートを支え、三木原の数式に続きを足していく。三木原がこちらを注視するので緊張はしたが、スムーズに計算できたと思う。

「aは2と4だから、y=……」

 答えの式を書き終え、視線をノートから上に上げる。

 頬杖ついた三木原の視線と交わる。思ったより距離が近く鼓動が跳ねる。

「正解、よく出来ました」

 そう言ってにっこりしてくれるから、何だか柚子は、自分が凄く認められたような気がしてくる。

「ありがとうございます、助かりました」

 上気する頬をノートで気持ち隠して礼を言う。時間もあまりないのでそろそろ戻らなくてはいけない。

「あれ、柚子どうしたのこんなところで」

 今教室に戻ってきたらしく、晶が右手から声をかける。

「数学の問題聞きに来たの。でも丁度三木原会長がいて教えてくれた」

「ふーん? うちの妹がお世話になりました」

 晶は教室に入らずわざわざ柚子の隣にきて、肩を抱き寄せて三木原に礼を言う。

「いえいえ、大したことは」

 三木原は変わらず穏やかに笑みを作っているが、晶は言葉にとげがあるような……?

「ごめん、チャイム鳴る前に帰るね」

 居心地が悪くなったのもあって、柚子は切り出して晶の腕からするりと抜けて教室へ駆け出す。

「柚ちゃん、廊下は歩いてねー」

 三木原の声が背中から追いかけてきた。

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