第2話
生徒会室は特別教室棟から降りてきてすぐの場所、二階に位置していた。てっきり一階職員室の隣辺りかと思っていたので、意外なところにあったものだ。
太いゴシック体で『生徒会室』と書かれたプレート、間違いない。もう三度は確認している、間違うはずはない。
中に人がいる気配もあるからさっさと入ればいいのだ。わかっているけれど、扉から一メートルほど距離を取ったまま柚子の足が動かない。普段動いていることを意識もしない心臓が今はやたら存在感を出してくる。
どうしよう、私やっぱり早まったかな。逃げたくなってきた。
生徒会役員に立候補なんて、どうして大それたことしてしまったんだろうか。昨日の自分の行動に頭を抱えたくなる。
入学式の翌日、ショートホームルームで生徒会役員を一年生からも募集する旨が告げられた。募集人数は三名、応募多数の際は候補者で集まって話し合うという。
話を聞いたとき、生徒会長の姿が浮かんだ。
何が何でも、というほどの気持ちではなかった。風向きによってどちらにも変わる不安定さだった。
ただ、前向きに検討している部活動がなかったこと、晶に言われた「他に何やるか」が思い出されたこと、ひとつひとつの微かな風が吹いて柚子はやってみようと思ったのだ。
そろりと手を上げたのはもちろん柚子ひとり。入学早々、面倒くさそうな話だからとりあえずスルーされるのはごく普通だろう。
「ではえーっと」手元の座席表を見て担任は名前を照らし合わせる。「川之江の名前報告しておくから」
そう言われた次の日、つまり今日、柚子はさっそく担任経由で生徒会室に呼び出されたわけだ。もう自分に決定したのか尋ねたが、担任も知らないようで首をかしげるばかり。中学に比べたら――それとも担任の運永の性格なのか――クラスとの関わりもあっさりしたものである。
立候補者が少なくて決定したのか、それとも生徒会室で候補者を集めて人数を減らすのかそれすらわからない。
今さらながらキャラでないことをしたなと震え、せめて、候補者が多かったらまっさきに降りて他の人に譲ろうなどと、超消極的次善策を打ち出し、ちょっぴり前に進む。
「あれー、えーっと一年生かな? こんにちは」
横から声をかけられ、柚子の身体がびくっと縮まる。見やると、男子生徒が階段を上ってきたところだった。上ってきたということは、一階に教室がある三年生だろうか?
「は、はい。今日生徒会室にって言われて……」
「そっか、いらっしゃいー。ごめんね驚かせて」
柚子がまともにビビったのをばっちり目撃したのだろう。彼は穏やかに謝る。とても優しそうな感じが伝わってきてほっとする。制服のジャケットを着ずに、シャツにネクタイをつけて白いブイネックのニットを着ているのがまた雰囲気に合っている。学ランじゃないとこういう着こなしもありなのか、なんてちらりと思う。
「ホームルームで先生に言われたけど私何も知らなくて」
「大丈夫大丈夫。さあどうぞお入りくださいお嬢さん」
まだ名前も知らない先輩(推定)は、生徒会室のドアをガチャリと開けて極上の笑みでうながした。
え、えええええ!
何これこの人どういうこと!?
素でやってるの!?
天然執事!?
王子!?
何モードなの!?
脳内では絶賛パニック中なのを悟られまいと、ぺこりとお辞儀。さっきまであんなに躊躇していたのも忘れ、半ば転がり込むように柚子は生徒会室に足を踏み入れた。
「し、失礼します」
「いらっしゃい、川之江さん、で合ってるかな? あそこに座って」
にこやかに対応したのは生徒会長三木原だ。登壇時の笑顔より自然な感じだ。
コの字に向かい合わせた長テーブルの一角を示され、空いている椅子に座る。
「柚ちゃん」
隣に座っていた女子が小さく声をかけてくるので見ると、知った顔だ。
「瑠那ちゃん!?」
同じ中学だった佐藤瑠那。アウェー感満載のところに友人がいて、気持が少しほっとする。
「遅くなってごめんねー」
先ほど柚子に声を掛けてきた王子、もとい先輩(推定)が入ってきてドアを閉めた。
「しろさんありがとう」
三木原が彼に礼を述べる。彼は会長の隣の席につく。これで空いているイスはなくなったようだ。
「では今年度第二回生徒会役員会議を始めます。進行はわたくし神辺です」しろさん、と呼ばれた男子とは反対の、会長の隣に座っていた男子生徒が立つ。フレームレスのメガネをかけたシャープな面立ちだ。「一年生から三名募集しましたが、候補者三名でしたのでこのまま決定と致します」
「よろしくお願いします」
三木原が横で畳み掛ける。
け、決定してしまった! 逃げ場が既にないことを知って柚子はおののく。そりゃもちろん自分が立候補したのだが。
「一年生は、
「よろしく~」
しろさんがぱちぱちと手を叩いたのでほかのメンバーもつられて拍手。その優しい笑顔といいふわふわのくせっ毛といい、妙に癒されるタイプだ。
「では二年生から自己紹介をどうぞ」
「え~、神辺さん俺らの紹介してくれないんすか」
「このおちゃらけた彼が庶務の
眉一つ動かさず、神辺が淡々と紹介する。千田は「ひでぇ」とぼやいたが訂正はしなかった。
「次、あたしかな?
ゆるふわ系女子、かな? 柚子は胸の内でカテゴライズする。
「書記の
紺屋が軽く頭を下げると肩上の髪がサラリと揺れる。細くてサラサラでダメージの少なそうな、羨ましい髪質。とっつきやすそうな印象だ。
「三年生がわたくし、副会長
「俺と違ってチョー真面目のカタブツです」
千田がヤジを飛ばすが、神辺は一瞥しただけで終わる。紺屋が千田の肩をぽんと叩き、阿久野は薄いピンクの自分のネイルを見ていて話を聞いてすらいない。
「俺は
え、可愛い系なのに俺とか言うんだ。ギャップだ。しろさん……白王子って出てくるマンガあったよねそう言えば。
マンガの事を思い出してトリップしかけたのを慌てて柚子は現実に思考を戻す。
「僕が生徒会長の
仕事内容はざっくり言うと、行事ごとに必要な書類の作成補助や、生徒会からの通達を一年生に行うこと――何とか自分でも出来なくはないかな、と柚子は胸をなで下ろす。
一年間の行事の流れやその際生徒会での業務などを説明し、三木原は席に着いた。
「一年生はおいおい慣れてくるから、あんまり構えないでね」
さらりと入る白石のフォロー。
「そうそう、頼もしい二年生もいますし」 三木原があっけらかんとそれに乗っかる。「じゃあ今日はこのくらいで。皆さんお疲れ様です、これからよろしくね」
お開きになり、ほっとした足取りで部屋を出る。
「瑠那ちゃん、一緒に帰らない?」
瑠那は中学の時は違うグループだったが、話しやすいタイプだ。おしゃべりでもしながら帰ろうと思ったのだが、ごめんと手を合わせられた。
「私茶道部に入るつもりで、これから行くんだ」
「あ、そうなんだ、部活もやるんだ凄いね」
「一緒に入部する?」
瑠那は誘ってくれたが、柚子はやんわりと断って一人で帰ることにした。
下駄箱からローファーをぱこっと落とすと、肩をとんとんと叩かれた。
振り向くと、先ほど生徒会室で同じく一年生の席に座っていた、安田である。
「佐藤さんと同中なら西方面? 俺も途中まで同じだから一緒に帰っていい?」
「う、うん」
なるべく平静を装って返事したが、耳が熱くなっていく。
男子と下校するなんて、初めてだ!
落ち着け落ち着け。
柚子は自分に言い聞かせる。ただ方向が同じだから一緒に帰るだけ、意識しすぎるのも変だ。瑠那と帰ろうとしていたのだから、同じ感覚でやればいいのだ。
けれど「同じ感覚」というのがまず難しい。歩くスピードもどれが正しいのかわからない。ゆっくり目なのか、相手の方が歩幅大きいから少し速足なのか、でも小走りになると気を遣わせるかもしれない。
「俺、佐藤さんと同じ三組なんだ。川之江さんは?」
「えと、七組っ」
声が少し裏返ったのがバレませんように。祈りながら、横を歩く安田の顔を盗み見る。彼は前を見ていて、こちらの視線に気づかない。
こういう時、ずっと進行方向を見ていればいいのか、どのくらいの頻度で話し相手を見ればいいのか。もはや自分の一挙一動、正解がわからずに悩む。
「川之江さんは何で立候補したの?」
「えと、えっと……」
自分でも疑問なので、うまく説明出来ない。言い淀んだのを彼はどう思っただろうか。
「俺はさー、頭あんまり良くないから生徒会とかやっときゃ、内申ちょっとは良くなるかなーって打算」
「そ、そうなんだ。内申とか思いつきもしなかった……ないよりはあった方がいいよね」
「でしょでしょ?」
軽やかな安田の返事で、やっと歩くのが普通にこなせるようになってきた。
「私は深く考えてなくて、勢い、っていうか、ノリっていうか。ちゃんとした目的がなくて」
「フィーリングってこと? そういうのって大事にした方がいいよね」
「ほんとっ?」
意外と好意的に受け止めてもらえて、気持ちが軽くなる。
「まあ痛い目見るときもあるけど」
続く言葉に今度はつんのめりそうになる。よくわからない人だ。
帰りの改札は、定期をかばんの底に移し替えたので晶方式でタッチしてスムーズに通ることができた。安田は胸ポケットから薄手のパスケースを出してタッチしていて、それを見てなるほどそういう方法もあるのか、と秘かに感心する。
「川之江さんは茶道部入らないの? 茶道部じゃなくて他の部活でも」
「私、抹茶が苦手で」
「そうなんだ、じゃー無理だね。抹茶ソフトとかも?」
「無理すれば、何とか」
「そっか、ほんとにダメなんだ。俺はテニスかバレーしようかなって思ってるんだ、明日から体験入部してみる」
「テニスとバレー……、全然違うね? あ、でもネットはどっちもあるね。あ、あとはバドとか卓球も?」
「そうそう、ああいう打ち合うのが好きで。でも速すぎるのは苦手だから、テニスかバレー」
快速が来たので乗り込む。ホームにいた同じ制服の数名も違う車両に乗り込むのが見えた。車内はそこそこの込み具合で、ところどころ座席が空いているが二人並んで座れるところはない。
「川之江さん座ったら?」
「あんまり遠くないし大丈夫」
安田はドア近くの通路側が空いている座席を示したが、自分だけ座るのも申し訳.ないので断る。二人並んで座るのも気まずい気がするし、ガラガラでなくてよかった。立って座席の裏のところに寄っかかって話すくらいがちょうどいい。
「そう? うちの姉ちゃんたちなんてこんな時ソッコー座るよ」
「お姉さんいるんだ?」
「三人ね」
「三人もお姉さん?」
「そうそう、二人は大学行ってて、そのうち一人は家出てるんだけどね。可愛がられてるっていうかいじめられてるっていうか虐げられてるっていうか」
何とも複雑そうな表情の安田に、くすくすと笑いが出てくる。
「四人きょうだいって賑やかそうだね、うちは二人だから想像つかない」
「川之江さん、二人なんだ。弟……はいなそうだし」
弟の勘だろうか。
「私はね、三年生に」
「あ、着いた」ひとつめの駅に到着し、エアー音を立てて扉が開く。「俺、ここなんだ」
晶のことを話す前に、安田はホームへ降りる。
「じゃ、じゃあ、またね」
せっかく緊張を忘れて話していられたのに、去り際のあいさつがわからず噛んでしまう。たったこれだけのことがうまくやれないなんて、経験値が低すぎる自分がむなしい。
しかし安田は笑顔で手を振ってくれた。
「今度連絡先教えて、今日聞き損ねたから」
爽やかに彼が言い終えたところで、ドアが閉まった。
駅を出て、居酒屋やコンビニ、美容院といった店舗からやがてマンションやオフィスビルの並ぶ風景へと車窓が移り行く。
しばらく思考停止して放心状態だった柚子の脳がようやく動き出す。
思ったよりは、普通に会話できたよね、私?
一駅分、五分足らずの短い時間の自分を反芻する。質問を投げかけてくれたから、会話の糸口を探さなくても良かった。それでいて質問攻めではなく自分のことも話してくれたから気分を害されることもなかった。
緊張のなごりと、少しばかりの期待感と、安堵のようなものも僅かに。気分は興奮しているけれど、悪いものではなく、頑張ろうと思えた。――何を、かは未だ見えないけれど。
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