【羽尾高校生徒会】
中村未来
第1話
高校の入学式の前日、柚子はなかなか寝付けなかった。風早くんみたいな爽やかイケメンがいたらどうしようやばい、一瞬で恋してしまいそうな気がする。それとも成瀬みたいな生意気だけどカッコイイ後輩ができたら……、いや待て、明日自分が入学するんだから一年経たないと後輩は出来ないじゃないか、これは保留。担任の先生が教師なりたてのクール系メガネだったら……ちょっとちょっと、初カレで秘密の関係はハードル高くないか?
などなど欲望にまみれ、かつ現実味のない都合の良すぎる期待、想像、いや妄想を繰り広げまくり、柚子が眠りに落ちたのは丑三つ時近くになってからだったから、寝坊するのも自明の理である。
「あと五分で七時だよ」
部屋に入ってきた
「うわー!」
ベッドを飛び出すのとほぼ同時に寝巻きのトレーナーを脱ぎ捨てる。
「晶ちゃんもっと早く起こしてよ~」
泣き言を言いながら、まだ慣れない制服をもたもた身につける。中学はセーラーだったが、高校からはブレザーだから尚のこと勝手が分からない。
「え、このリボンどうやってはめるの!?」
「そんなの後でいいから顔洗って髪直しな、入学式でボサボサはまずいでしょ」
「いやー!」
パニックになりながら柚子は一階の洗面所へと駆け込む。ヘアブラシとアイロンと寝癖直しスプレーとワックスを駆使し、どうにか落ち着いた女の子らしい髪型に整える。
元々乗るつもりだった電車から遅れること十五分、八時七分の快速に何とか乗ることが出来た。
「晶ちゃん、同じ学校なんだからもう少し早く起こしてよ」
車内でゼリー飲料の朝ごはんを終えて、やっと一息つくと恨み言が出てくる。
「いやー入学初日に寝過ごすとかアホな妹とは思わんかった」きらきらと整った笑顔で毒を吐くから晶はタチが悪い。「髪の毛も中学みたいにロングにしてたら扱いやすかったのに。わざわざ誤魔化せない肩上にしちゃって、柚子って自分を分かってない。そういうのはちゃんと手間かけられる女子がやるんだよ」
「だって、ロングだと重いかなーって。女の子らしさもありつつ適度に活動的な方が好感度いいかなと思ったの!」
高校では彼氏が欲しい。だから髪型ひとつでも、可能性が少しでもあがりそうなほうを選びたい。
マンガを沢山読んでこんな素敵な恋を自分もしたいと思った。でも、中学では何も起こらなかった。野球が上手な河本くん、帰国子女で英語の成績ダントツの矢野くん、アイドル顔の佐伯先輩、いいなと思う男の子は何人かいたけれど、彼女がいたり、フリーでも柚子が「この人いいかも」など考えてグズグズしている間に彼女が出来たり。告白なんてステージには進めなかったし、誰一人柚子に告白してくれる男子もいなかった。ラブは何も発生しなかった。
だからこそ、高校では彼氏が欲しい。いや、作るのだ。
「気合い入ってる割に寝坊するし、なーんかトンチンカンだよね」
溜息まで聞こえそうな晶の呟きはスルーする事にする。二つ上の晶も同じ高校だから、一緒に行けば道に迷う心配もないし、安心して油断した。なんて正直に伝えたら、本当に溜息つかれてしまうだろうから。
「八時半過ぎには駅に着くし、何とか間に合うよねっ?」
さすがに初日から遅刻して皆に名前覚えられるというのは辛い。すがるように晶を見上げるとさすが通い慣れた上級生、大丈夫、と大きく頷いてくれた。
駅につくと二人は慌ただしく改札を抜ける。モタモタとICカードを探す柚子と違い、晶はカバンごとタッチしてスムーズに出ていく。カバンの底にカードを忍ばせているらしい。些細なことで経験値の違いが出る。というかそういうことは先に教えてくれてもいいんじゃないかな、同じ家に住んでるんだしとちょっぴり恨めしい気持ちで、先を行く晶の背中を小走りで追う。
校門を通る頃には八時四十分を過ぎていて、県立羽尾高校入学式と墨で書かれた看板の辺りに保護者と思われるスーツの人達が数名いるだけだった。もっと早い時間なら出迎えの先生もいたのかもしれない。
「っていうか娘の入学式に来てくれないなんて酷くない!?」
今更ながら、勤務だからと来ていない看護師の母親の事を思う。
「柚子、クラス探しな! 四十五分までに教室って言ってなかった!?」
昇降口のガラス戸にクラス名簿が横長く貼られている。名前がたくさんあって見つからない。
「晶ちゃん、十組から見て、私一組から探すから」
情けない声を出して一番左の塊から目を走らせる。あいうえお順で記載されているのでか行だけあたりをつけ追って二組、三組……。
「あった!川之江柚子!七組!」
右から晶の声が弾む。
「七組? ありがとう晶ちゃん!」
「ほら急げ、一年の教室三階だから。下駄箱はそっち!」
お礼もそこそこに柚子は大慌てで自分の靴箱を探し、ローファーを放り込む。持参していた上履きをはいて目に付いた階段でとりあえず三階へかけ昇る。息を切らしながら慣れない校舎でどうにか自分の教室を見つけ、ドアを開けるのと同時に予鈴か本鈴か知らないがチャイムが鳴る。
「ギリギリセーフだな、はよ座れ」
教壇に立つ教師が促す。窓から二番目、前から二番目の席が空いているので一礼してそそくさと着席する。
担任はどうも母親より年上のようだ、白髪混じりというより白髪の方が多い。さらにてらい無く表現すれば、ハゲ散らかしている。怖くはなさそうだがどこからどう見ても立派なおじさん、幸か不幸か間違っても恋に落ちることは無いだろう。
「じゃあ名前の確認を兼ねて出欠取ります。あいださくら」担任の名前と返事をするクラスメイトの声が室内で響く。
「川之江柚子」
「はい!」
返事をする頃には切れた息も整って気持ちも落ち着いてきた。
「くしだひなた」
「こうだらら」
ららちゃんだって、やっぱり可愛い名前が多いよね、柚子じゃなくて柚希とかならもう少し今風だったのに……なんて人の名前を聞いて少し考える。
「さとうきらら」
ららときらら、似た名前だなあ。
「すがのゆみ」
「そばたえりな」
そばたさんってのは初めて聞いた苗字だ。
「たちかわここみ」
た行に入り、柚子はようやく違和感に気づいた。名前が可愛いとか漢字が想像出来ないとかそういう事ではない。よくよく考えてみれば、教室に入った時からそれはあった。
慌てて席に着いたし前の方だったから気づかなかった。だってまさか、そんな事あるはずがない。気づく気づかないではなく、有り得ない事態。
柚子はおもむろに首を回し、教室全体を見渡した。整った顔、愛嬌のある顔、つまらなさそうな表情、緊張していそうな表情、ぽっちゃりした子にシュッとした子。千差万別ながら見えるのは全員、女子――。
柚子が入学したのは「共学」の県立高校なのに?
クラス編成を間違えたのだろうか?
「私は七組を受け持つ
女子クラスって、何!?
柚子は思わず目をむく。
彼氏を作りたい、主にはその希望だけを胸に抱いてきた柚子。少なくとも「クラスメイトとの恋愛の可能性」は入学式もまだ始まっていない午前九時、あとかたもなく崩れ去ったのだった。
「確かに女子ばっかりだったかもね、一瞬しかクラス表見てないけど」
デザートにイチゴをつまみながら、晶が頷く。
「もぉー、有り得ないよー」
柚子はダイニングテーブルに突っ伏して口をとがらせる。
「彼氏無し記録十六年に突入しそうね」
流しで鍋を洗いながら母親の優香が茶化す。父親は残業で不在の、気楽な夕食後タイムだ。
「母さん、洗い物変わるよ。コーヒーでも飲んだら」
晶がすっと席を立って流しに立つ。
「あら本当? じゃあお言葉に甘えて。あとは食洗機につっこむだけだから」答えて手を拭くと母は嬉しそうにイッタラのカップを取り出している。「柚子はこういう気配りが足りないからねえ、先は長いかな?」
「お母さん追い打ちやめてよ」
イヤミではないが遠慮もない言葉にますます口をとがらせる。
「クラスが駄目なら、他でやる? 知り合い増やすなら部活が手っ取り早いかな。バスケ部大歓迎」
柚子が振り向くと、晶が皿を持ってにっこり笑った。しかし晶がキャプテンのバスケ部は県大会常連で夏休み冬休みはもちろん、土日もかなり潰れるのを知っているし、何よりもまず。
「私にあんな練習メニュー無理だよ。中学だって書道部でたらーっとしてたのに」
とりあえず何かしらに所属しなければならない学校だったから入っただけの書道部だ。なお、八割が女子だったこともあり、ときめく出会いは無かったが友達は増えた。つまり逆の環境になればいいのではないか、とそこでひらめく。
「あ、マネージャーとかどうかな!? 男子バスケ部に女子マネいたら可愛く見え」
「練習前の用具準備、後片付け、テーピング、スコア付け、日々の練習の記録、ストレッチやアップの手伝い、シュート練習のボール拾いやパス出し、ドリンクやジャージ類の管理」
発言が終わる前に晶が業務を淡々とした声でかぶせてくる。
「うわー、ごめんなさい。楽そうって思ってごめんなさい」
「あと重要なのが」
「まだあるの? 既におなかいっぱいなんだけどっ」
「バスケが好きとかではなくて、色目使ってるようなのはすぐ見抜かれて女バス部員に敵認定される。もちろんちゃんと仕事してくれるマネージャーは大歓迎だけど」
晶の口調がさらりとしていて、逆にそれが、よくあること感があるだけに笑えない。
「ごめんなさい反省します」
何しろ、女子マネの発想自体がマンガから来ている安直さを否めない。
「まっすぐなところは柚子の美徳だけど、男漁りの為だけに高校行った訳じゃないでしょ? 他に何やるか考えたら。こればっかりは運とタイミングもあるしね」
すっとホットココアが差し出される。丁度つま先が冷えてきて、温かいものが欲しかったところだ。
「ありがとう晶ちゃん、いただきます」濃いめのココアは甘ったるく、柚子好みだ。「何でこんなにかゆいところに手が届くんだろう晶ちゃんは」
「ふふ、血が繋がってないからって惚れないでよ」
晶は口角を上げる。それが妙に色っぽいのと、発言の内容とで二重に心臓を跳ねさせた。
「もお晶、そういうブラックジョーク嫌よ私!」
「ごめん母さん」
テレビを見ていた優香がダイニングテーブルを睨んで振り返る。晶は軽く手を振って話題を切りあげる意を示したので柚子も何となく口を出せず、ひたすらマグカップを口に運んだ。
血がどう、はともかく――柚子と晶はいわゆる連れ子同士で事実血は繋がっていない――高校で何をするのか、という議題は柚子の心に引っかかった。
ベッドで抱き枕を抱え、常夜灯にした部屋で改めてその事について考えてみる。
進学校だし大学に行くつもりだから、もちろん勉強はする。けれどそれ以外となると、アルバイトは興味あるが校則で原則禁止らしいし、部活はしっくりくるものがない。
運動はおしなべて得意でない上に根性がある方でもない、文化部と言ってもブラスや演劇は体づくりを考えれば、半分体育会系みたいなものだ。かと言って、美術や漫研もピンと来なかったからの書道部だ。中学でこれだったのに、通学時間もかかるようになった高校で頑張れる自信もない。得意なものとか好きなこともあまり浮かばないし、なくてもやってやる! といった強い気力もない。ないないづくしで溜息が出る。
自分でも魅力を思いつかないような人間だ、彼氏が出来ないのもある意味当たり前だと、我ながら巡らせる考えに悲しくなってくる。
そう言えば……、入学式ではひとつだけ印象に残った事があった。正確には印象に残った人、だろうか。あれは、生徒会長のあいさつだった。
式典ではさすがに私語でうるさいということは無かったが、先輩達の校歌斉唱、校長挨拶、来賓挨拶、祝電披露と形にハマって滅法面白みもない儀式に、新入生達は明らかにうんざりした様子だった。柚子も例外ではない。
地元議員なんて知ったこっちゃないし、市長からの電報など部下が機械的に出しているテンプレだろうに、あれもこれも様式ばかりで全てにおいて実用性の欠片もないのだ。
壇上を見上げる生徒の目は軒並み死んでいる、そんな時間帯に生徒会長挨拶も組み込まれていた。進行の教頭が名前を読み上げると、会長はごくごく普通に壇上を歩いた。特別姿勢が良いことも無く、何かにつまずくこともなく、マイクの前に立つと今までの登壇者と同じように頭を下げた。違っていたのはその下げる勢いと角度だ。
ぶんっ、と効果音でもつきそうな勢いで深く速く下げられた頭はマイクに強かにぶつかった。マイクに直撃したためスピーカーから鈍く大きな音が鳴り、上履きや体育館のラインや自分の指先を見ていた生徒達も反射的に面を上げる。
ほぼ全員の注目を集めた頃合で、彼は左から右へとゆっくり視線を渡らせた。柚子は一瞬目が合ったのでは、と錯覚した。他の生徒何人もがそう感じたと思うし、実際何人かは確かに視線が交わっただろう。そのくらい彼の目線はしっかりとしていた。頭の薄い校長も、厚化粧の来賓客にもなかった、「こちらを見ている」という確かな感覚に無意識に背筋が伸びる。
新入生達が思わず見つめる中、彼はぱっと笑顔になって口を開いた。
「新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。えーっと先ほどは失礼しました」おでこをさするジェスチャーをすると何人かが小さく笑った。「僕は生徒会長を務めています三木原です。お祝いの立派なスピーチは十分に足りているでしょうから、ここでは同じ学校の生徒として少しだけ。今年の新入生は三百七十八名です。これだけいたら、どうしても馬が合わない人もいます、ケンカや行き違いも起きます。生まれも育ちも違うのだから仕方ありません」
いきなり、身も蓋もないことを言い出したものだ。会長の笑顔は既に消え、表情からウケ狙いではなく真剣な話というのが伝わってくる。真面目に、という意味では先に話した大人たちも引けを取らないだろうに、不思議なことに三木原の言葉だけが上滑りせずに入ってくる。
目が覚めるようなイケメンというわけではなく、すっきりとした目鼻立ちでいわゆる塩顔、背は百七十を少し超えるくらいだろうか。
「家庭でうまくいかないこと、病気やケガ、他人にとっては些細な事でも本人には人生を左右するような重く苦しい困難もあるかもしれません。だから僕は、この学校が皆さんにとって何かひとつでも意義のある場所になることを願います。それは進学のための勉学かもしれません、一生つきあえる友人との出会いかもしれないし、恩師との出会いかもしれません。部活に一所懸命に打ち込むことや、体育祭や文化祭で才能を発揮することかもしれません。積極的にしろ消極的にしろ、皆さんは義務教育ではないこの高等学校へ通うことを選んだのですから、三年という限られた時間を終えるとき、ひとつは宝物を持って、この学校を選んでよかったと感じながら卒業してほしいと思います。今日から一緒に、楽しみましょう!」
快活に言い切ると、三木原は一歩後ろへ下がってから再び勢いよく礼をした。
その瞬間、柚子は思ったのだ。彼が初めにマイクにぶつかったのは、事故ではなく故意だったのではないかと。彼は終始緊張しているように見えなかった。あれは、ぼんやりしていた新入生たちを自分に惹きつけるためのパフォーマンスだったのではないか、と。
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