Layer22-√レ―お父さんみたいなこと。―


 












 夢をみているのだろうかと本気で疑った。


 両親の同意を得られたティゼは飛んで喜び、そして悠日たちに向かって手を振った。


「美結菜ー! あと、悠日さーん!」


「ティゼ!?」美結菜も気付いた。瞬間的に涙が溢れ、口を覆う。


「ティゼだ……。美結菜、お前まさか」


「知らない、ホント……!」


 笑顔でそう言いいながら、美結菜はティゼに駆け寄ろうとする。しかし、その身体を後ろから引き留める腕があった。


「なにをしている? 美結菜」


 その声には悠日も泣きそうになった。というか涙は勝手に流れていた。あまりに印象深い、落ち着ていて、それでいて偉そうな口調だったのだ。誰のものか一発でわかる。


「それに悠日、お前もだ」


 おれもか──なぜか自分まで叱咤されているようだったが、嫌な気はしなかった。思わず笑みすら零れてしまう。悠日と美結菜は振り返る。そこには、いかにも真面目そうな顔をした日本人、京介の姿があった。


「お父さん……!!」


 美結菜は京介に飛びついた。代わりに悠日がティゼに手を振り返してやる。失恋でもしたかのような表情のティゼ。だが、失恋ではない。美結菜はティゼに対して少し雑なだけなのだ。


 その悠日の横で娘に抱き着かれている京介は、表情を動じさせずに言った。「聞こえなかったのか? 美結菜。私は〝なにをしているんだ〟と聞いたんだ」


 怖い口調だった。間違いなく娘を怒ろうとする父の威圧が込められている。けれど、美結菜も動じていない。京介に抱き着いたまま、顔をうずめて離そうとしなかった。


「京介さん。その。なんて言えばいいか」悠日は切り出した。「どうしてあなたがここに? というか……本物なんですか?」


「それが哲学的な問いかけでないとするならば、私は本物だ、悠日。どうやら君は約束を果たしてくれていたみたいだな」そう答える京介の手は、さり気なく美結菜の頭に置かれていた。「娘を守ってくれてありがとう。礼も兼ねて、私には君の質問に答える義務があるだろう。……君の相棒にやられてからの記憶はないが、気付いたら私はあの時のあの場所に立っていた。つい今しがたのことだ。私の目の前には一人の女性が立っていた。髪が長く、紫色の瞳をした女性だ。恐らくはウラだろう。なにがあったのかは知らないが、彼女は私を蘇生させたらしい。そして、私が死んでいた間の一部始終を教えてくれた」


 つまり、ウラが京介とティゼを生き返らせたのだ。


「美結菜」と京介は言った。「お前の話もウラから聞いた。ここまでよくやった。本当によくやった。お前は間違いなく私の娘だ──と言ってやりたいところだが、不本意ながら、今の私の役割はそれではないようだ。私はまだしばらくお前を見守らなければならないらしい。だから──―いいか、美結菜。改めて聞くぞ。お前は今、ここでなにをしているんだ? 今のお前の役割を答えてみろ」


「私の役割は……」美結菜は、京介に顔を埋めながら言った。「……困ってる人を、助けること」


「そうだ。だが、なぜそれがお前の役割なんだ?」


「人を助けることができる力が、今の私には備わっているから」


「そうだ」


「だから、私は行かなければならない」


「そうだ。お前は行かなければならない」


「それが、今の私の役割だから」


「そのとおりだ、美結菜」


「行ってきます、お父さん。でもまたあとで、ゆっくりお話できるよね?」


「地球に帰ったら、充分な時間が取れるだろう。今の私は無力だ。お前たちの邪魔をしないよう先に避難し、救助を待つことにする」


「うん。わかった。……またあとでね」


 美結菜は名残惜しそうにしながらも振り返らずに飛び去っていった。


「京介!?」シイナが一通りの作業を終えて戻ってきた。「なんだよ! 生きていたのか!」


「ややこしい奴がでてきたな」京介がまさかの笑顔を見せる。


「おれはてっきり死んだものかと……だって確かに悠日がそう言ったんだからさ!」


「わかったから。あとでゆっくり説明する。今はお前の仕事に戻れ」


「戻れるもんか! 一体なにがあったんだい!?」


「悠日。このエリアは私に任せて、こいつを連れていってくれ」


「そんな! おれたちは同僚だろ、京介!」


 そう騒ぐシイナの腕を掴み、悠日は歩きはじめた。「シイナさん。今はおれたちの役割をこなしましょう」


 なんとかシイナをなだめ別エリアへ移動すると、アダムやキラミといった旧調査員たちも避難誘導と治安維持にあたっていた。


 悠日に気付いたキラミが近寄ってくる。


「ねぇ、悠日」と、妖しげな笑みだ。「避難が終わったらさ、私たち出向社員はそれぞれナギハ社から割り当てられたスカイボートで地球に帰るじゃない? そしたらさ、悠日──私のスカイボートに乗っていきなよ」


「……なんでだよ」


「地球まで一緒に居られるじゃん」


 小型のスカイボートかつエネルギー供給のない〈積層現実〉外の運用では、どんなにスピードを出したところで、地球までは早くて五年はかかると算出されていた。


「キラミとおれが一緒に? 命を狙われたおれが、命を狙ったお前と?」


「それはもう忘れて」キラミはお茶目に笑いながら悠日の腰に手を回す。「私はあなたと一緒に居たいの、悠日。ね? ただそれだけ。五年も一緒に居られるってヤバくない?」


「スカイボートは人工重力がないから冷凍睡眠は必須だぞ。そうでなければ無重力で身体がボロボロになるし、そもそも空気も食料もなくなる。というか、おれはシイナのスカイボートに乗せてもらう予定だから」


「え。もしかしてこれって失恋?」キラミの灰色の瞳が上目遣いで悠日を見つめる。


 そのあまりの魅力に、ついつい「いや、そうじゃなくて」と答えてしまう悠日。


 すると、超超高層ビルの遥か上空に妙にどす黒い霧が暗雲のように広がった。その拡散の中心にいるのは──小さな魔女、美結菜だ。上空で服を靡かせながら、軽蔑したような目で悠日を見下している。思わず、身体を密着させているキラミを引き剥がす。それをみた美結菜はにっこりと怖いくらいの笑みを作ってから飛び去った。


 そんなことをしているうちにも避難は着々と進み、〈雲の糸〉へ続く列の最後の一人が建物の中に入った。これまで避難誘導に従事していた人々が歓喜の声を上げ、手を叩きあう。


「悠日、やったぞ!」ちょうどいいタイミングでシイナがスカイボートに乗ってやってきた。「避難終了だってさ! 〈ルーフス〉は乗車率二二〇%、〈アルブム〉は貨物量で見れば八〇%、シェアルで長い旅をする人、約八千人。総人口二万人がよく収まったよな。食料も空気も計算上はギリギリらしいぜ。大したもんだよ」


「もう! 悠日! 本当にダメなの!?」キラミが後ろで騒いでいる。


「また地球で会おう」悠日は手をあげて、そう応えた。


「行こうぜ、悠日。ヒカリも待ってる。みんなで宇宙旅行さ」


 シイナがスカイボートのドアを開ける。悠日が乗り込むと、機体は〈雲の糸〉を辿るようにして緩やかに上昇した。


 マナで描かれた白く輝く超超高層ビル群の都市が、ゆっくりと小さくなっていった。


 *


 スカイボートの中、悠日と美結菜とシイナの三人はアーテルに別れを告げていた。周囲には〈ハチソン機関〉の電光を煌めかせる小型スカイボートが何百機と集まっていて、その光景はまるで海中で鱗が光る魚の群れのようだ。群れは、宇宙船〈ルーフス〉と巨大な貨物船〈アルブム〉を取り囲むようにして、ゆっくりと宇宙空間を流れている。速度の出ない〈アルブム〉は徐々に後方へ、速度の速い〈ルーフス〉は群れの先から頭一つ飛び出して、いずれもこれから一人旅をはじめようとしていた。この二つの大型船とはここでお別れだ。


 それにしても、沢山の船が密集して宇宙空間を流れる光景は心強いものだった。背後にあるアーテルはまだ変わらず黒い穴のような天体だ。けれどその放射線量は確実に増加をはじめていて、悠日たちが地球に到着するころにはシリウスBと同じ程度の明るさになっているらしい。三人はそれぞれ、スローモーションに見える船の流れや漆黒の星アーテルを眺めて過ごした。


 いよいよ冷凍睡眠の時間が迫ってきていた。


 もともと小型スカイボートは長距離航行用には作られていないが、緊急避難時に使う寝袋タイプの冷凍睡眠装置シュラフが一つの機体につき四つ用意されている。悠日たちが使わない残り一つは、すでに貨物船に寄付済みだ。


 三人は座席をフラットにした機内に寝袋を川の字に並べ、長い眠りに入る準備をした。


「まるでキャンプに来たみたいでワクワクするね」とシイナが言う。彼はスペースのど真ん中で寝袋をベルトで床に固定し、サッと素早く中に潜り込んだ。「あれ、これってどうやってスイッチ入れるんだろう?」


 浮かれ気味にチャックをしめて、中でゴソゴソするシイナ。そしてそのうちに、その寝袋の膨らみは動かなくなった。どうやら装置を起動させたらしい。


「シイナがいると気が滅入らなくていいね」美結菜が笑う。


 彼女は寝袋に下半身だけ入れて、身体はまだ起こしていた。シイナを挟んで寝袋を準備し、その上にあぐらをかいて座っていた悠日が頷く。


「地球に着いたら、悠日やシイナとはお別れなのかな?」


「どうだろうな」


「……やだなぁ」


「寂しがり屋」


「そりゃそうだよ。だって、せっかく出会えたんだもん。みんなとずっと一緒にいたいよ」


「……そうだな。まぁおれも」


「ん?」


「お別れになるのは、少し寂しいからイヤだな」


「起きたらいないとかやめてね」


「お互いにな」


「約束ね。……ねぇ、悠日」


「なに」


「悠日ってさ、なんかお父さんに似てるよね」


「京介さんに?」


「うん。なにか偉そうなこと言ってみて」


「なんだよ偉そうなことって」


「お父さんみたいなこと。ね、なんか言ってみて」


 その口調はまるで父親に甘える娘そのものだ。まだまだ自分はそんな歳ではないが、まいったなぁ──と、悠日は溜息を吐く。


「別におれなんかが偉そうなことを言わなくても、お前はこれからまた京介さんと二人暮らしだ。地球に帰ったら嫌というほどありがたいお言葉を聞けるんじゃないか?」


「そうだけど……」


「でもまぁ、これからの地球での生活は大変かもな」


「どうして?」


「美結菜が魔女だからだよ。地球に到着した瞬間、どんな歓迎を受けるかわかったもんじゃない。もちろん京介さんやナギハ社がついてるから大丈夫だとは思うけど、例え拍手で迎えられたとしても、それははじめのうちだけだと思った方がいいかもな。特にお前に近づいてくる大人には注意しろよ。その大人は、きっとあらゆる手段を使ってお前を手に入れようとするだろう。そしてそいつが欲しいのはお前ではなくお前の力だ。お前の力が自分のものになるならば、お前がどうなろうとそいつは興味を持たないだろう。そんな奴らがあちこちから手を伸ばしてくる世界にお前は足を踏み入れるんだ。色んな大人たちのパワーバランスの中でうまく立ち回りながら生きていく人生になるだろう。つまり、目を覚ましたら──美結菜。お前は賢く生きなければならないということだ。ただ注意すべきは、自分が賢い人間であると相手に知られるのもまずいということだ。なぜなら、お前が手に負えないほど賢い人間だと知られれば、そいつはお前を思い通りにすることを諦めて、逆に始末しようとするかもしれないからな」


「理不尽。賢くても、賢くなくてもダメなら、じゃあどうすればいいの?」


「賢くてダメなんてことはない。もちろん相手を信用も信頼もしたっていい。ただ、油断だけはしないことだ。賢く生き、それを表に出さないこと。相手の思惑を悟っても気付かないふりをしつつ、かつ相手の思い通りにことを運ばせないことだ」


「すごい! すごくお父さんっぽい! 言いそう!」拍手して称える美結菜。


「喜んでもらえてよかったよ。でも別に真似しようと思ったわけじゃなくて、本当にそう思っておれは言ったんだ。それに京介さんなら、きっともっと難しい言葉を使うんじゃないかな」


「そうかもね!」


 二人は笑いあったが、一方で美結菜は大粒の涙を無重力の機内にまき散らしていた。それに気付いた悠日は美結菜の元にいき、頭に手を置いてやる。


「よかったな美結菜。京介さんは生きている。ティゼも生きている」


 美結菜は悠日の手を掴み、声をあげて泣きはじめた。心ゆくまで泣けばいいと思った。


 周囲のスカイボートの灯りが、一つ、また一つと消えはじめている。みな深い眠りについているのだ。〈アルブム〉も〈ルーフス〉も、もうどちらもスカイボートの群れには属していなかった。


 しばらくして、美結菜は泣き疲れたように寝息を立てはじめた。その寝顔を見ながら悠日は思う。美結菜が今のバージョンで固定され、モーメントが繰り返されるとはどういうことなのだろうか。しかし悠日の疲れももう限界で、うまく頭が働いてくれない。


 美結菜の寝袋を説明書通りにチャックを締め、冷凍睡眠装置を起動させる。そして機内の電気を消し、悠日も自分の寝袋に身を埋めた。チャックを頭まで締め、冷凍睡眠装置を起動させる。


 目が覚めたら、また地球での生活がはじまる。なんだか不思議な気分だった。調査員としてのアーテル派遣。はじめは驚き、宇宙の神秘に触れ、しかしすぐに地球に帰りたくて帰りたくて仕方がなくなったが、意外と悪くない出会いや冒険があった。


 おれはこのできごとを一生忘れないだろうな──


 意識が強制的に暗転していく。



 悠日は、五年間の長い長い眠りについた。

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