Layer21-√レ―古き光源《オールド・スフィア》―


 












 ふと、視線を感じた。見上げると、ウラが紫色の瞳で見下ろしている。慌てて悠日は意識を戦闘モードに切り替えようとしたが、しかしなぜだろう──彼女からは特に敵対的なプレッシャーを感じなかったので、すぐに緊張させた拳から力を抜いた。彼女はロングスカートをゆったりゆらゆらと揺らしながら、ゆっくりと降下してくる──と、そこへ一斉にマナが降り注いだ。周囲の調査員たちによる〈第一次層〉コードだ。しかしウラは攻撃を気にする様子はない。彼女を取り巻く目に見えない壁が、すべてのマナを遮っていた。その中で悠日は、ウラが「《パソス》」と呟いたのを聞いた。

 何に対して? ともかく、悠日はようやく調査員たちのマナを封じるコードを唱えた。彼らの〈紋白端末〉が圏外になり、攻撃が止む。ウラは、悠日の正面に浮かんだ。

「ヒカリはいるか?」

 その言葉に悠日の指輪が反応して激しくピンク色に発光し──線となって図を作り、そこに肉が描写されて髪が流れて服が揺れ、悠日が知っている少女、美結菜が現れた。

 その美結菜に、ウラは話かける。

「自分が何をしたのかわかっているのか?」

 美結菜は頷いた。「覚悟はできてます」

「美結菜? なんの話だ?」と悠日が聞く。

 美結菜は振り返り、悠日を見上げた。

「ごめんなさい」

「だから、なにが」

 会話にウラが割り込んでくる。「彼女は、この世界に戻ってくるために〈古き光源オールド・スフィア〉に触れたのだ」

 悠日は俯いた美結菜に視線を向けた。美結菜はウラの言葉に頷いて言葉を引き継ぐ。「えっと……ウラさんの意識と融合するときにね。……覚えてもらうことにしたの」

「しかしそれはするべきではなかった」

 悠日は美結菜の手を引いて自分の後ろに下げながら言う。「よくわからないけど、するべきでないことをしたから、お前が罰を与えるってことか?」

 ウラは首を横に振った。「誰も彼女に罰など与えない。これは現象に過ぎないし、私はこの現象が存在することについて酷く残念に思っている。彼に観測された者は固定されるという現象は、結果的にヒカリにとっては罰となるだろう」

 美結菜が言う。「〈古き光源オールド・スフィア〉は、どんなものをも観測しないまま受け入れる存在。その存在が私の存在を観測してしまった。そうするとね、悠日。私は固定されるんだ。本当なら〈古き光源オールド・スフィア〉が私たちを観測していないからこそ、この世界には時間が存在していて、一定方向に流れることができているんだけど。それはつまり、みんなには無限の未来があるということ。固定されていない不確定な将来があるということ。でも私はもう、そうじゃない。〈古き光源オールド・スフィア〉は観測によって私の状態を固定して、もう私には未来がないことが未来になっちゃった」

「いや、全然わかんないよ。結局どうなるってこと?」

「今のバージョンの私のモーメントが、これからずっと繰り返されるということ」

「今のバージョンの美結菜のモーメントってなんだよ」

 しかし美結菜も困り顔だった。その表情をみて、悠日は少し反省する。もしかしたら美結菜自身、これから何が起こるのかしっかり理解できていないのかもしれない。

「すまん」

「なんで謝るの。大丈夫」ほんのりと笑顔を作る美結菜。

 事態を全く理解できない悠日だったが、とにかく起こっているのは美結菜にとって悲劇的なことなのだと思うことにした。だとすれば、それでも笑おうとしている美結菜を受け入れてやりたかった。悠日は美結菜の頭を──多少雑ではあるが、撫でてやった。

「うわっ」と声を漏らす美結菜。

「人類はヒカリを救うために〈積層現実〉を活用するといい」ウラが言った。「地球で再現された人工の〈積層現実〉で彼女の未来を救うのは人類の共通した使命となる。人類にとって開拓とは野蛮な歴史でしかなかったため私はそれを抑制していたが、ヒカリの存在によって今後は開拓者に倫理が伴うことになるだろう。先駆者の倫理は、それが大衆化した暁には道徳となる。人々が〈積層現実〉をいつまでも神秘的で壊れやすい貴重な資源として大切にしてくれることを私は願っている」

「それってつまり、もうウラは人類に敵対しないってこと?」

 頷くウラ。

 美結菜が嬉しそうに悠日を見上げる。

 悠日は、自分の立場を改めて整理した。NALEA職員として〈魔法管理局〉調査員に任命され、魔女を探すことを目的にアーテルへとやってきた。そして美結菜という魔女を発見し、局の命令に背き、彼女を守ろうとここまで努力してきた。そして今、ウラが復活し、地球の〈魔法管理局〉は壊滅的被害を受けている。

 ちょうど悠日の〈紋白端末〉にNALEA本部からメッセージが入った。関係する調査員全員にも同時送信されている。


 魔法管理局 アーテル派遣調査員各位

 魔女によるジャクソンビル壊滅ならびに魔法管理局機能停止により、積層現実管理を暫定的にナギハ社へ移管する措置を取る。よって、今後のアーテル派遣調査員は一時的にナギハ社への出向職員となることを、ここに辞令に代わり任命・通知する。


 つまり悠日は、魔女を守りたいと話していたナギハ社CEO、ミルの部下になったということだ。すぐにそのナギハ社からもメッセージが入り、調査員は任務を終了し状況が落ち着くまでは現地待機という指示を受ける。

 どうやら、自分たちは〝勝った〟らしい。悠日はそれを美結菜に伝えた。

 しかしウラは、神妙な様子でゆっくり首を横に振る。「残念だがこの都市に待機することはできない。なぜなら先ほど、私はアーテルをよみがえらせるコードを使用した。黒色矮星を形成する炭素の高度な数学的構造は徐々に崩壊し、アーテルの〈積層現実〉は使用不能になる」

「……甦らせる?」悠日はハッとした。あの時、ウラが呟いた修復のコード。

 黒色矮星は死んだ星だ。もしウラが星そのものに修復のコードを使ったとすれば、アーテルは生き返り、白色矮星になる。

「悠日!」シイナがスカイボートに乗ってビルの屋上にやってきた。「大変だ! この星の放射線量が徐々に上がりはじめているんだ! はじめはなにかの間違いかと思ったけど、この現象はどうやら……わあ! そのウラは本物かい!?」と、そこでシイナはようやくウラの瞳の光に気付いた。彼女に怯えた様子のシイナだったが、それを悠日と美結菜がなだめて説明する。

「黒色矮星が甦るって!? もしそれが本当なら、アーテルは白色矮星に逆戻りする──白色矮星は恒星の一種なんだぜ⁉ つまり、白い太陽になるってわけさ! 一刻も早くアーテルから脱出しないと!」

 美結菜はウラを見上げる。「あなたはどうするの?」

「私は星と運命を共にする」

「そんな……」

 美結菜にとって、ウラは同じ魔女として姉であり先輩だった。ウラは、そんな妹であり後輩の頭に手を添えた。過酷な運命を背負った小さい美結菜に、ウラは言う。

「アーテルが完全に白色矮星となり〈積層現実〉を失うまでには五年かかる。しかし放射線による汚染はすでに開始されている。私であっても、この身体のままでは二、三日程度しか生きられないだろう。私はこの後すぐにでも幽離サイコ・アウトし、〈古き光源オールド・スフィア〉のもとで星の再生を見守るつもりだ。またコードはいつ使用不能になるかわからないので、特に転じコードの使用は避けた方がいいだろう。転じの瞬間にそれが使用不能となった際、使用者の身体がどういうことになるか私にはわからないからだ」

「悠日!」スカイボートの中からシイナが叫んだ。「都知事が放射線量の増加を受けてアップリス全都民に入星都市シェアルへの緊急避難命令を出した! でもこれは〈雲の糸〉の完全なキャパオーバーだ! 殺到した人たちの大混乱と暴動が予想されるから、僕はこれから救出活動に向かう!」

「美結菜、おれたちも行こう」

「うん」

 そして悠日はシイナのスカイボートに乗り込み、美結菜は空中に浮遊した。都市の中心地に垂れ下がる一筋の糸のような軌道エレベーターに向かう間際、美結菜は振り返った。ウラは優しく笑い、手を振って応える。美結菜も手を振り返し、ペコリと一礼をした。

 あなたに会えてよかった。本当によかった。そしてしばらく飛んでからまた振り返った時──

 ウラはもう、そこから姿を消していた。



 シイナが言った通り〈雲の糸〉周辺は大パニックとなり、一部暴動なども起きていた。エレベーターに殺到した人々は、はじめのうちは丁寧に列を形成していた。しかし徐々にそれに割り込む者が増えはじめ、その割り込みを見て並ぶのをやめた人々がさらに割り込みを加速させ、混乱を生み出していた。〈雲の糸〉は完全に輸送限界を超えている状況で、二四レーンのうち一レーンが故障のため使えず、三レーンが停止と復旧を繰り返している状態だ。エレベーターのサポートとして完全自動操縦を含めた空を埋め尽くすほどのスカイボートが〈雲の糸〉とは別ルートで人々をシェアルへ運んでいる。やがて避難情報が更新され、人々に緊急地球帰還指示が発令された。アーテルの放射線量や密度の増加はまるで急速に時間が遡行そこうしているかのようで、このままいけば五日後には太陽の三分の一ほどのエネルギーを発生させる天体になることが予測されるという。そうなれば、入星都市シェアルもその熱に耐えることができない。人々の避難先はシェアルから宇宙船へと切り替えられた。

 宇宙船〈ルーフス〉は、冷凍睡眠を使用しなければ悠日たちが乗ってきた時の一〇〇倍の人数を収容することが可能だった。しかしそれだけでは全都民の一割程度しか収容できないので、古い貨物船〈アルブム〉にも可能な限り人が搭乗した。また入星都市シェアルも最終的にはエレベーターを切り離し、アーテルを利用した重力加速をおこなってから、およそ一二〇年かけて地球へと向かう予定だ。もちろんその間もシェアルに避難した人々の救出は順次行われる計画が立てられている。

 悠日とシイナは暴動の鎮圧にあたっていた。悠日が前衛を担い、相手を軽く痛めつけた所でシイナが拘束していく。治安を乱した連中のシェアルへの輸送は後回しだ。

「おれを先に乗せろ!」禿げ頭の中年男性が、空から降りてきたスカイボートのフロントガラスに飛びついた。それを引き剥がした悠日だったが「《イグニス》!」と、その男性はコードを詠唱し炎を飛ばしてくる。危うく顔面に食らいそうなところをなんとか躱したが、その炎の流れ弾は順番を守る善良な人々の列へと向かう。

 危ない──そう思った時、それを美結菜が素手で弾き飛ばした。実際は素手というよりは、魔女としてなにかをしていたのだろう。ありがとうと悠日は手をあげ、そして禿げ頭の男を捕まえ、シイナと協力して拘束した。美結菜が手をあげて応える。

「私も手伝うよ!」もはや歩くのを面倒くさがり、常に数センチ浮遊して移動している美結菜だ。

 彼女の存在は、それだけである程度の秩序の維持に貢献していた。彼女の姿があるエリアでは、パニックが確実に鎮静化しているのだ。それはここも例外ではないなと、悠日は周囲を見渡しながら思った。さっきまで騒いでいた暴徒たちが、誰にも何も言われないまま列の最後尾に並び直している。

「心強いけど、お前の存在感は特に混乱してるエリアでこそ必要だよ。ここから少し先の東エリアが酷いことになってるらしい」

「でも」

 美結菜が躊躇ためらった時、群衆の中で泣いている女の子がいた。迷子だろうか──顔を見合わせて駆け寄ろうとした悠日とシイナだったが、一歩早く、その子の両親が駆け寄って少女と合流した。涙を流して再会を喜ぶ家族の姿に悠日はホッとしたが、一方の小さな魔女は、その様子をどこか遠くを見るかのように眺めていた。

 そうか──

 美結菜の想いを察する悠日。京介とティゼはもうこの世にいないのだ。しかし、美結菜の魔女の力を使えば彼らを蘇生することは容易たやすいだろう。美結菜はその話をしたがらなかった。必死に考えないようにしているのかもしれない。

「美結菜」悠日は、ポンと肩に手を置いて声を掛ける。「ウラに失望されるのが怖いのか?」

 俯く美結菜。「だって……。ウラは、私たちが正しく〈積層現実〉を使えるだろうと期待してくれているから。〈積層現実〉の乱用は倫理の崩壊をもたらすってことは私もよくわかる。人が死んでもすぐに生き返る世界がもし実現したら、そこは本当に人間が暮らす世界なのかなって……。なんだか間違った世界になってしまいそうだなって……。だから、そんな風に思う私が、自分の感情だけで自分の大切な人にだけ特別なことをするわけにはいかないと思うの」

 本当に、彼女が持つ信念からして京介のそれを受け継いでいる──悠日はそのことにとても強く感心した。悠日が彼女に掛ける言葉を考えていると、ふと、〈雲の糸〉に続く列の中に、どこか面影のある家族を見かけた。彼らのイギリス英語が聞こえてくる。

「ティゼ、列から出るんじゃないぞ!」

「でも、あそこに美結菜がいるんだよ! 一声だけ! ね!」

 聞いたことがある名前だと、悠日は漠然と思った。次いで、すぐに驚いて列の方を見た。前に峩が調達してきたレコーディ家の写真と同じ──ティゼの両親が、旅行バッグを持ってそこに立っていた。そしてその少し後ろに、トウモロコシ畑で一緒に作業をしたあのティゼが、同じく旅行バッグを持って列の中にいたのだ!

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