Layer20-√レ―目覚め―


 












 シイナがパチパチと手を叩く。「いやいや、すばらしいスピーチだったよ。君のファンになりそうさ。アーテル独立の暁には君を主都知事に推薦しよう」

「意味の分からない皮肉はやめて」

「君は身長だけじゃなくって態度もでかくなったように思うけど気のせいかな?」

 そんなシイナの言葉を、雷星竜を監視しながら背中で聞く悠日。彼も立場としてはアダムと同じ位置にいるのだ。美結菜の言葉に対し、それなりに思うことがあるのだろう。

「美結菜。おれがあいつを倒してくる」悠日は指輪に目を落としながら言う。

「私も手伝う」と美結菜。

 しかし悠日は首を振った。「いいよ。お前がダメージを受けたら、ウラが解放されるかもしれないだろ? そうなったら困る」

「そうかもだけど……、私は空を飛べるよ? 魔法も強力だよ?」

 そうなんだよな──とは口に出さず、悠日はポリポリと後頭部を掻いた。加勢してくれればそれはもちろん心強い。けれど、美結菜はウラを封印している身だ。そこは譲れなかった。

「……まぁでも何とかしてみるから、お前は待ってろよ」そう言って、悠日は都市の風に意識を向ける。

 ビル群の底から、徐々にパニックが広がっている。人々の叫び声が聞こえる。竜の荒々しい雄たけびがアップリスに響いた。さらに悪いことに、騒ぎを聞きつけた残された八人の調査員も続々と周囲のビルに転じてきた。未だ改ざんされた記憶を真実だと信じている彼らは、魔女を殺すため雷星竜に加勢するつもりなのだろう。その漆黒の翼竜は、彼らには目をくれることもなく悠日たちを確実にターゲットとして見据え、睨みつけながら接近してくる。

 その時、悠日の指輪が光った。今度はなんだと持ち上げてみると、不意に身体が軽くなったように感じた。そんなわけないと思いながら、右足を一歩空中に置いて踏ん張ってみる。その状態で左足を持ち上げると、両足とも屋上から離れたまま身体が安定した。無言で驚く美結菜とシイナ、そして悠日自身。

「じゃあ、行ってくる」

 跳躍は軽やかだった。屋上から飛び降りた悠日は、落下のために生じる風を身体全体で浴びていた。しかし、ほんの少し意識するだけで身体の落下は停止して、空中で自由になる。ふわりと羽のように身体が上昇に転じ、重心移動も思いのままだ。つまり、悠日は空を飛んでいた。

 雷星竜がそれまでよりも大きく力強く羽ばたいて急浮上し、悠日の目の前に現れた。前足の爪を構え、青い瞳を悠日に向ける。そして、角が光った。悠日は指輪を構えてマナで障壁を描き、それを弾き飛ばす。雷星竜が不機嫌な雄叫びを上げた。

 さて。どうするかな。

 悠日の手に長剣が描かれる。それは指輪による提案だった。指輪は当然ながら〈第三次層〉のコードを扱うこともできるが、悠日は魔女とは違い自分が召喚したエネルギーを相殺することができない。つまり、〈第三次層〉コードを使用した瞬間、悠日もそれに巻き込まれて、耐えることができず、自滅してしまうのだ。かといって〈第二次層〉コードが雷星竜に効果的かどうかは微妙なところだ。そうなってくると、もはや悠日にできることは限られてくる。それこそが、指輪が描き出した長剣──物理攻撃だ。

 悠日はくうを蹴り、剣を引いて、竜の巨体へ向かう。薙ぎ払うように掬い上げた切っ先は、雷星竜の前足の爪と交錯した。すぐにもう一本の前足が側面から迫り、鋭い爪が服の一部を破いて通り過ぎた。ナギハ社ご自慢の服の修復機能が働き、破れた部分に線図の絆創膏ばんそうこうが描かれる。

 近接戦は無理じゃないかと思った。反応速度が人間に比べてケタ違いに早いし、そもそも体重差がありすぎる。剣一本あったところで、人間が翼竜と対等に戦うことなどできるのだろうか。

 悠日がそう思った途端、雷星竜の風貌がより禍々しくより凶悪になったように感じられた。これは雷星竜がなにかしたというよりは、単純に悠日の心の中にある恐怖がそれをそう見せたのだ。気持ちが雰囲気にのまれそうになっていた。さらには、ビルの屋上にいる調査員たちが悠日めがけマナを放ちはじめる。悠日にとって〈第一次層〉のそれはもはや煩わしいものでしかないが、雷星竜と戦闘する中での嫌がらせとしては十分すぎる役割を果たしていた。先に彼らの〈紋白端末〉を無効化しておけばよかったと後悔する。いや、今からでも遅くはない──そう悠日が視線を変えた瞬間、雷星竜は羽ばたきを変え、口を大きく広げて噛みつこうと急接近してきた。気が逸れていた悠日の反応が遅れる。それでもなんとかそれを躱して身体を捻り背後に回ってやり過ごしたのも束の間、調査員の《イグニス》が通り過ぎ、「熱ッ」と怯んだ所に雷星竜のしっぽが鞭のように振るわれる。それは辛うじて両手でガードしたものの、ボキッと嫌な音と鋭い痛みが身体を駆け巡る。慌てて《パソス》で修復させるが、痛みの記憶と冷や汗はすぐには引かなかった。

 悠日は雷星竜の背を追いかける。しかし重く太い尻尾が目まぐるしい速さで暴れ──当たれば即大けがに繋がることは間違いない。悠日は距離を詰められずにいた。

「こっち!」と美結菜の声。先を行く雷星竜の意識が逸れる。

 水晶玉は、雷星竜を正面から捉えていた。つまりそこに美結菜がいるということだ。尻尾の動きが鈍くなる。

「悠日!」

 この隙に攻撃して欲しいようなニュアンスの呼びかけだ。美結菜と雷星竜はもう完全に目が合っている。雷星竜の標的は彼女になっていた。美結菜を守るためにはやるしかない。指輪が光り、そこから作り出されたコード環が指先から身体全体に広がる。悠日は足に力を溜め、剣の先端を正面にかまえる。そして、雷星竜の背中めがけ、全身全霊を以って突っ込んだ。

「あああああ!!」力のこもった叫び声が、柄にもなくあふれ出てしまう。

 その一閃は、まるで悠日自身が光の矢になったかのようだった。高速の反応でそれを叩き落とそうとする竜の尻尾を弾き飛ばし、剣が胴体の鱗を貫いて背中に突き刺さる。雷星竜は大きく身体をのけぞらせ、悲痛な叫び声を上げた。

 やった。

 しかし雷星竜が激しく身体を暴れさせたため、悠日は深く突き刺した剣を手から離してしまい──遠心力によって空中に放り出されてしまう。そこへ、鞭のような尻尾が狙いすましたように振るわれた。……すぐにわかった。これはあたる。そして速い。避けることはもちろん転じも間に合わないと、咄嗟の意識の中で諦めが広がる。あたりどころ次第では即死コースだ。

 そんな風に思っていたところで、突然、悠日は美結菜に抱きしめられた。

「悠日」

 水晶玉に自分の顔が大きく映り、悠日は恥ずかしくなった。それでも美結菜は視線をそらさない。自分の瞳の中に、大きな影が迫っている様子が映る。つまり、悠日は美結菜の背後から迫る雷星竜の尾が目に入っていた。それが、美結菜の背に激しく打たれる。二人は揃って急速に落下したが、悠日はなんとか空中に踏ん張りを効かせ、ギリギリのところで落下速度をゼロにすることができた。

「美結菜」

 しかし水晶玉に悠日の顔はない。腕の中にいる、さっきまで美結菜だった目の中で、紫色の瞳が光っている。……ウラだ。

 ウラはしばらく悠日の瞳を興味深そうにしながら──両手で悠日の顔を押さえ、覗き込んでいた。そして振り返り、雷星竜を見上げる。するとその魔女は、悠日を置いて飛んだ。弾丸のような速度で雷星竜へ向かい、直後──

「《フローガ》」

〈第三次層〉コード。極限まで振動させたマナ粒子を描き出し、その微細な運動を周囲に伝播させる。周囲が太陽表面のような赤く焼けた世界に切り替わり、灼熱の炎のプラズマが雷星竜を襲う。

「《アストラペア》」

 ウラはなんの躊躇ためらいもなく呟いた。〈第三次層〉コードの連続詠唱だ。炎は電気を良く通す。アップリスの上空に広がる炎の中で蜘蛛の巣状の放電が広がった。それはウラから雷星竜へ突き上げるようにして放たれた電光の太い槍によって生じたものだった。プスプスと鱗の隙間から煙を上げる雷星竜。しかしその青い瞳の輝きは、まだ失われていない。

 ウラは高度を雷星竜と並べる。

「《パーゴス》」

 ウラは、両手を左右に大きく広げた。これも同じく〈第三次層〉コードだ。空一面が、先ほど広がった帯電した炎の揺らめきごと凍り付いた。鮮やかな朱色のカーテンに着色された氷空の中に、雷星竜も囚われている。

「《テンペスタース》」

 やはりこれも〈第三次層〉コード。ウラが延ばした手に気圧が集中し、それが氷空めがけ放たれる。凝縮された竜巻のような気流が空一面の氷を砕破し、それらが空からボロボロと零れ、崩れ去っていく。氷は超超高層ビルに達する前に線図崩壊していった。そして、氷に囚われ同じように砕かれバラバラになった雷星竜も、氷に合わせて線図崩壊した。悠日はすでにビルの屋上に移動し、その様子を眺めていた。どちらも化け物だ。自分はそのどちらにも戦いを挑んでいたということを思うと、改めて身震いがする。ウラのコード環がぐるぐると彼女の身体を取り巻いていて、時折それがいにしえの三角帽子のようにみえる。

 緑色の線図の雨の中、悠日は空中を泳ぐようにして美結菜を探した。水晶玉の映像が回復したのだ。つまり、ウラはウラに戻ったが、美結菜もどこかにいるということだ。この映像はどこから何を見ているのだろうか──悠日は見極めようとした。美結菜は暗い空の中、スカイボートを見つめていた。その背後にはアップリスの白い光が見える。〈電防繭〉の外にいるのだろうか? しかし悠日は気付いた。そのスカイボートに乗っているのは自分だった。その自分とは、キラミを振り切ったあとのスカイボートを操る、あの時の自分だ。この水晶玉の映像は過去のものなのだろうか? 美結菜は何度かスカイボートの周辺をうろうろした後、その機体の中に侵入する。

「ゆ、う……ひ……」と美結菜の声。

 映像の中で驚く悠日。美結菜はそのままその悠日に飛びついて、指先に抱きついた。水晶玉が消滅する。

 悠日は、自分の指に嵌められた指輪を持ち上げた。ずっと一緒にいてくれて、自分に力を与えてくれていた指輪だ。美結菜──ここにいたのか。悠日はその指輪を、どんなものよりも優しくギュッと握りしめた。

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