Layer18-√レ―第三次層コード―


 












 酷い光景だった。


 すべて作り物だったのだ。


 悠日は自分の故郷──上田市を思い出してみる。もし自分の家からなにからが、いつの間にか偽物マナにすり替えられているとしたら。本物の自然が死んでいくことに気付かないまま、見せかけだけの綺麗な光景に心を癒されていたのだとしたら──


 次に脳裏に浮かんだのは京介だった。ハウスの中で彼は、簡単に自動化できる水やりについて、ここは人が手をかけなければいけない部分だと説いていた。偽物の世界で、京介は本物との時間を大切にしていた。本物を見失い、理想ばかりが描かれる〈積層現実〉。そしてすべてが消滅し、虚無となった世界。


 その世界に、ウラはまだ存在していた。


 ビルから地上へ退避していた〈魔法管理局〉局員や市民たちがウラへ背を向け、無言で逃げはじめる。声などあげては自分が標的になりかねないという心理だろうか──ウラはそんなちっぽけな人間たちへ両手を向けた。その両者の間に、悠日はスカイボートをまわす。


「《フローガ》」とウラの詠唱。彼女を取り巻くコード環が激しく回転し呼応する。


 指輪が情報をくれる。〈第三次層〉コード、超高速高濃度の振動粒子召喚。


 通常、〈第一次層〉のそれは《イグニス》だ。《イグニス》は端的に言えば炎のコードだが、実際には極小のマナを激しく振動させた状態を描くコードだった。またその振動によって粒子の電離が起こるため、視覚的に炎のプラズマも描かれる。また振動状態ではなく電離状態をそのまま描くと、放電を再現する《トニトルス》というマナになる。マターでいうところの正イオンと電子に解離した状態であるが、マナは傷つくとすぐに消えてしまうため現象は長くは続かない。しかしそれまでの一瞬の間、描かれたマナの状態や性質が周辺のマター粒子に伝わることで、攻撃性のあるマナとして成立している。


〈第三次層〉──つまりそれは《イグニス》の上位マナ《ティリークォ》のさらに高位のマナということになる。ウラの手の平に、ビー玉のような小さな光点が生じる。瞬間、辺りの空気が揺らいで陽炎を生じさせ、空間が発火点に達する。赤い地面は蒸気をあげてやがて溶け出し、大気は火炎の息吹となってとぐろを描き、妖しく周囲を包み込む。さらに、膨張を許容しきれず耐えられなくなった空間が指数関数的に破裂を伝染させ、大地をえぐる大爆発を起こした。世界の色が明転し真っ白になる。それでも何とか悠日は目を開けて──


 グツグツと湯気を上げ沸騰する大地。しかしスカイボートから背後へと放射状に伸びる領域は無事で、局員や市民たちもその機体の影に隠れていて無事だった。ギリギリのところで悠日は爆発を受けきる障壁のコードを詠唱していたのだ。悠日が伸ばした腕の先で指輪が光り、小さなコード環をその腕にまで描き出している。


「どういうことだい悠日!」シイナが取り乱している。「〈積層現実〉はもう落とされているのに、どうしてウラは──どうして君は!」


「……そういうことですよ、シイナさん」


「含みのある言い回しはよしてくれ! 僕は直球が欲しいんだよ!」


「シイナさんが言った通りです。ウラや僕が──僕の指輪が──操っているのは、マナではなくマターです。つまり、僕たちは繋がっているんです。マナは〈積層現実〉から。そしてマターは──」〈世界〉から。


 水晶玉の映像が復活する。それはノイズが混じりクレヨンで描いた絵のように酷く不鮮明だったが、辛うじて美結菜が何かに手を伸ばしている様子が確認できる。

古き光源オールド・スフィア〉──


 それは巨大な光だったが、角度を変えると小さな光でもあった。美結菜は光を手で掬い、するとそれは手のひらで尾を揺らしながら静かに遊びはじめる。


「あなたは……」と美結菜。


『僕は……』と〈古き光源オールド・スフィア〉。


 しかし美結菜は振り返る。


「《フローガ》」と呟いたウラの光に気付いたのだ。


「止めてこないと」


『行ってらっしゃい、ヒカリ』と〈古き光源オールド・スフィア〉。


「私のことを知っているの?」


 沈黙。


 美結菜は光を解き放ち、ウラに向かった。美結菜はウラの周囲を高速で旋回し、やがて融合する。短髪で筋肉質の──しかし優しい瞳を持ったユーキーの顔や仕草が、古い録画ビデオのように途切れ途切れに映る。ウラの記憶を、美結菜は見ていた。そしてきっとウラ自身も同じ記憶を見ているのだろう──ジャクソンビル上空のウラは、どこか遠い場所を見るように空を見上げていた。やがて映像はセピア色に古びて焦げていき、ゆっくり瞼が閉じられたような暗闇が訪れる。そして目が開かれると、そこは沸騰する大地の上空だった。一台のスカイボートが人々を守るように浮遊している。その水晶の映像の中に、悠日は自分の姿を見た。つまりそれは美結菜が見ている映像だ。


「美結菜?」と、悠日は恐る恐るウラに問いかける。


「悠日!」

「悠日!」


 ウラの声と水晶の中からの、同期した二つの声だ。悠日は水晶からの音をミュートにしてウラに近づいた。シイナが声を上げてその行動に驚いたが、彼女が恐らく美結菜であるということをシイナが納得する形で説明している時間はない。


「ウラの身体を記憶とすり替えて盗んじゃった!」ウラの身体を操る美結菜が言う。「今のうちに、早くアーテルに!」


 悠日は心の中で指輪に願いを唱えた。答えが返ってくる。ウラとシイナとスカイボートを同期させる。


「《オスティム》」


 スカイボートが〈ハチソン機関〉とは別の色の光に包まれる。〈妖精光スプライト〉の発光色と同様、青緑色の光だ。悠日たちは転じる。


 スカイボートはアップリスの〈電防繭〉外のほど近いところで光から解き放たれた。空は暗かったが、アップリスの光は地球の空よりも眩しい。青い波長が強く目に突き刺さる攻撃的な眩しさだ。スカイボートに俯瞰ふかん図が表示され、無数の赤点が表示される。それらはそれぞれ無秩序にバラバラな動きをしており、もしかしたら自分たちを探しているのかもしれない。


「やった! 〈紋白端末〉がオンラインに戻った!」シイナが飛び跳ね、天井に頭をぶつける。


「喜んでられないですよ」と悠日。「この赤いの、たぶん全部僕たちを探してます」


「なら紛れ込めばいいのさ」と、シイナは空中でピアノを叩くような仕草をする。近くをスカイボートが通り過ぎていく。コクピットの操縦者は悠日たちに手を挙げ〝ごくろうさん〟とでも言うように挨拶をしていった。


「なにかしたんですか?」


「この機体を〈魔法管理局〉所属の機体にしたんだ。データ社会の弊害だね」


 しかし自分たちはいいが、一緒に転じてきた美結菜はそういうわけにもいかないだろう。悠日は外を見回すが、見渡せる範囲にその姿はない。そういえば、美結菜はいくらウラの姿とはいえ生身なまみの状態だった。それが高重力の──それもほぼ真空の空間に放り出されてしまったとなれば、無事では済まないかもしれない。もしかして、アーテルの大地に落下してしまったのではないだろうか。


「美結菜!?」慌てて悠日は水晶の視界に注目した。音声をミュートにしていたので、解除する。途端に激しい戦闘音が響いてきた。


「もう戦ってるよ!」


 よかった。美結菜は無事だった。しかし俯瞰図を確認すると、一台一台のスカイボートを表す赤点が重力に引かれるかのように同じ一点へ向け流れはじめている。


「美結菜! 一度アップリスへ潜伏しよう!」とはシイナの提案だ。三人は転じた。


 ひと気のない〈都市の最果て〉のビルの影にスカイボートは着地した。アップリスのビルとビルの間。シイナはスカイボートから降りると、どこかから持ってきた布で機体を包み込んだ。


「機体が剥き出しの状態よりは目立たないだろう」とのことだ。


 そしてコンクリートに挟まれた石畳の細い路地に入った三人。


「ひどい目にあった」とビルの壁にもたれるウラ──の姿をした美結菜。


「美結菜……なんだよな」改めて、悠日は彼女を見上げながら言う。


 ウラは元々長身のモデル体型であるに加え、十五センチほどのヒールがさらに彼女の身長を高くしている。


 ウラの姿をした美結菜は頷いた。「そうだよ。……この靴、歩きづらい」美結菜は長い足のかかとを覗き込む。「でも羨ましいなぁ。身長が高いとこんなに景色が違うんだね。よく見えるし、足めっちゃ長いし、身体も柔らかいし、引き締まってるし、胸も大きいし」そう言いながら、美結菜は自分ウラの胸をまさぐりはじめる。


 悠日はさりげなくその動作をやめさせた。大人の女性がそんなことをしてはダメだ。


 シイナが割って入ってくる。「その身体はいつまで美結菜が操れるんだい?」


「しばらくは大丈夫だと思う。私が表にいるうちは、ウラは夢を見て寝ているような状態だから」


「確かなんだろうね」


「たぶん。でも、なにかあったら助けてね」


 綺麗で大人びた女性が小さな女の子のような仕草と口調をしている。本当に美結菜の意識はウラの身体に入っているのだ。しかしだとすれば、美結菜自身の身体はどこにいってしまったのだろう? 悠日は、それを聞いてしまうとその真実が事実として引き返せないものになってしまうような気がして、聞くことができなかった。


「悠日?」唐突な声掛けに振り返ると、そこにはキラミがいた。


 なんでこんなところに──と思ったが、遠くに見える〈電防繭〉の下に、コックピットが開け放たれたスカイボートが横たわっている。あの時のキラミとの空中戦闘を思い出した。〈電防繭〉に絡み取られたキラミのスカイボート──不運にも、あの時のあの場所はすぐそこだったのだ。


「わぁ……。慌てて転じなくてよかった」とキラミ。「また会えたね」


 好戦的な笑みを見せる美しい北欧の女性。


「《グラキエース》」


 彼女が唱えたそれは、《イグニス》とは逆に粒子の振動を奪い取る氷結のコードだった。これを正面から受けた京介は身体の内側から凍り付いて命を落としている。しかし、もはや低位のマナは悠日にとって脅威ではなかった。


「《イグニス》」悠日が詠唱すると、指輪を中心にコード環が生じる。


 キラミによる振動停止のマナと悠日の振動発生のマターにより、それぞれの効果が相殺された。何が起こったのか、一瞬だけ状況を飲み込めないキラミ。


「《イナクティヴァーレ》」と悠日はすかさずコードを詠唱する。


 キラミも思い出したかのように「グラキエース」とキッと目を強めるが、彼女の〈紋白端末〉はすでに〈積層現実〉から孤立していた。彼女はもうマナを操れない。


「悠日! お前! 私になにかしたな!」キラミは何度か詠唱を試すがどれも不発に終わり戸惑いをみせる。「私の魔法を奪ったな!?」


 頷く代わりに、悠日は戦いが終わったことをシイナと美結菜に合図した。


 キラミはその悠日の視線を戻そうと叫ぶ。「その女が魔女ね! 〈魔法管理局〉に報告を──」


「ジャクソンビルは崩壊したよ」悠日は短く言った。「〈魔法管理局〉も、今は機能を停止していると思う」


 さらに戸惑いを重ねるキラミ。「そんなわけない……。どうやってあなたが地球の情報を? 騙してやり過ごそうとしても、そんなものに私は……!」そして懐から何かを取り出すと、悠日に向かって頭から突っ込んできた。


 鈍い音がした。


「あはは……、やった……」悠日に密着したキラミが、笑いながらそう漏らす。


 彼女は両手でなにかを握りしめていて、その先端が悠日の身体に食い込んでいる。キラミがゆっくりと身を引いて悠日から離れると、それがナイフであることがわかった──刃の部分から赤黒い液体がしたたり落ちている。鋭い痛みが悠日の身体を駆け抜ける。意思に反して身体から力が抜け、思わず片膝をついてしまう。


「ごめんね、悠日……!」キラミは、整った顔が台無しになるほどの病的な笑みを浮かべながら言った。「あなた、私を舐めてたでしょ。どうやったか知らないけど、魔法が使えなくなったからと言って私は──」


 けれど──悠日は焦っていなかった。例えあれが不意打ちでなかったとしても、恐らく避けなかっただろう。もっとも、腹部を刺されるとこんなにも強い痛みに襲われるとは想定していなかったが。

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