Layer17-√レ―魔女と魔女―


 












 街に建つビルのあちこちにスーツ姿の局員が散らばっていて、ウラに向けてマナを放っている。〈第一次層〉の、弱く小さなマナだ。ウラが手を掲げ、いかづちの矢を放つ。その一撃で、また一棟ビルが崩れて傾いた。局員たちのマナとは比べ物にならないほどの威力の差だ。それでも彼らは諦めずにマナを飛ばし続けるが、ふと異変に気付き、その攻撃を中断した。異変とは、ウラに対する美結菜の接近だ。彼女もまた、リボンテープのような環を纏っている。


 ウラは突然の静寂に辺りを見回した。そして、ゆっくり近づいてくる小さな女の子を見つける。


「ウラ」


 低い位置にいる美結菜がウラを見上げている。無垢な表情で、笑みすら感じ取れる。逆にウラは美結菜を見下す視線だ。紫色の瞳が禍々しい。


 魔女と魔女──


 少しだけ、無言の時が過ぎる。


 それを破ったのはウラだった。


「《ティリークォ》」


 このコードは悠日も聞き覚えがあった。美結菜が峩へ放った、あのマナだ。危険なマナだ。機体を傾け離脱させる。しかし美結菜は瞬間的に加速しウラに飛びかかった。


「美結菜!」


 ワンテンポ遅れて空気が熱せられ炎が広がり爆発が起こる。思わず叫んでいた悠日は水晶玉の映像に意識を向けた。ウラは美結菜から逃げるように空を移動している。それを追いかける美結菜。途中、何度か《イグニス》が飛んでくるが、美結菜はそれを素手で弾いて接近していく。


「《ウェントス》」と美結菜がコードを唱える。


 半透明の空気の刃が竜巻状になって美結菜の手から放たれた。ウラも美結菜と同じくそれを素手で薙ぎ払ったが、無数の刃がウラの手の皮を切り刻む。


「私も強いよ」遠慮がちに笑う美結菜。「だから私も、あなたと対等。……ね。だから、話を聞いて」


 ウラは逃げるのをやめ、自らの血を固めて長剣を創り出した。──と、そのウラの背後から〈魔法管理局〉局員たちがマナを集中させる。それに気付いた美結菜は「ダメ!」と彼女の背を守り、たくさんのマナを跳ね返して線図崩壊させていく。


 一方、悠日はヴィアルの姿を見つけた。ビルの屋上からウラに向け幾筋もの電撃を放ち、そのたびに黒いサングラスが青い光を反射させている。


「ヴィアルさん!」と悠日はスカイボートを寄せた。「美結菜がウラをなんとかします! だから局員全員の攻撃をやめさせてください!」


「あぁ!? なに寝ぼけたこと言ってんだ!」初めて会った時のような丁寧で低姿勢なヴィアルではない。眉間に強い皺をよせ、悠日がハンドルを握るスカイボートへ手のひらを向けた。「あの二人の魔女も、お前も! 抹殺の対象だ! 死ね! 《トニトルス》!」


 ヴィアルの手が光る。


 同時に、悠日の意識は水晶の中からの音を捉えていた。「ゴフッ」とむせ込むような美結菜の咳。映像は腹部から突き出た赤黒い刃を映している。ウラの血の剣だ。それが美結菜の背から腹部へと貫通している。


 スカイボートはヴィアルの電撃を受け〈ハチソン機関〉が火花を散らす。浮遊の力を失った機体は煙をあげて落下しはじめたが、悠日にとってそんなことはどうでもよかった。


「美結菜!」落下する機内から美結菜の姿を探す。


「ゆ、うひ……」と美結菜の声。


 水晶の中の映像が力なく揺れる。そしてウラの眉一つ動かさない顔を映した後、美結菜の視界は遥か下の地面へと向き、徐々にそれが近づきはじめる。美結菜はウラを守ろうとしたのに、ウラはその美結菜を背中から刺したのだ。


「み、……!」


 ハンドルを強く握りしめた悠日だったが、その時、自身の右薬指に嵌められた指輪がピンク色に発光していることに気付いた。〈紋白端末〉の発光によく似ている。美結菜は心当たりがないと言っていたが、しかしあの時の光は間違いなく美結菜だった。これは彼女が運んできてくれた指輪なのだ。


 悠日は荒くなりそうな呼吸を、深呼吸をして整えた。さっきから隣で騒いでいるシイナから、脱出のため〝転じ〟の同期が申請されるが、その必要はないと首を振る。次いで、視界に一気にたくさんの文字列とウィンドウを呼び寄せ──不思議と悠日はそれら特殊な言語をすべて理解することができた。どうやら指輪が展開する翻訳ソフトのようなものが特殊な言語を感覚に変換し、直接脳に流し込んでくれているようだ。


 美結菜の視界も動いた。きっと大丈夫だ──悠日は信じることにした。美結菜が導いてくれたのだ。きっと美結菜もこの言葉を知っている。


「《パソス》」悠日と美結菜の声が重なった。


〈ハチソン機関〉が高周波電光を発し、甲高い音を響かせながら復活する。美結菜の視界が持ち上がった。


「パソス……なにかのコードなのか!? え、待てよ……。悠日、大変だ!」シイナがまた騒ぎはじめる。「今の君のコード詠唱を解析したんだけど、〈積層現実〉へのアクセス履歴が見つからない! 君はこのマナの構築に〈積層現実〉を使用していないんだ! つまり、いま君が描いた粒子はマナじゃない……マターだ!」


 指輪は光っていた。おそらく〈紋白端末〉と同様の働きをしたのだろう。けれど〈紋白端末〉はマナを操る。マナは〈積層現実〉の中でしか存在が許されない特殊な粒子だ。〈紋白端末〉は〈積層現実〉の中だけであれば文字通り魔法のような現象を引き起こす。


 では、指輪は? シイナが言うように〈積層現実〉へアクセスすることなく──それもマナではなくマターを描き出しているのだとしたら?


 指輪から悠日の頭の中に情報が流れ込んでくる──疑問に思ったことを瞬時にAIが回答してくれるかのように。《パソス》とは、世界の根源的な場にいる〈なにか〉が保管している最新の構造を上書きするというものだった。コンピューター上の〝元に戻す〟ボタンに近いかもしれない。スカイボートであればヴィアルから攻撃を受け故障する前の状態に戻り、美結菜であれば剣を刺された前の状況に戻っている──傷が治っている──ということだ。つまり《パソス》は完全回復魔法なのだ。


 悠日はスカイボートを浮上させ、ヴィアルがいる屋上まで一気に上り詰める。


「な……」


 悠日と目が合い、驚くヴィアル。すぐに手を持ち上げコードを詠唱しようとするが──


「《イナクティヴァーレ》」


「トニトルス!」ヴィアルはコードを詠唱したが、何も起こらなかった。


「今のコードはアクセスを確認できたぞ!」とシイナ。


 悠日が唱えたのは、指輪から頭に流れ込んできた言葉──〈紋白端末〉を圏外にさせるコードだ。これにより、相手はマナを使うことができなくなる。


「悠日」美結菜が呼ぶ。「こっちの世界じゃ邪魔が多いから……〈裏庭ガーデン〉からウラに話しかけてみる」美結菜の身体は内側から青緑色に光りはじめ、そして中心点に吸い込まれるようにして消える。


「転じた……?」とシイナ。


「いや、〈裏庭ガーデン〉に行くって……」


幽離サイコ・アウトなら身体は残るもんだぜ?」両手を広げてそう主張するシイナだったが、悠日が見ている美結菜の視界はすでに〈妖精光スプライト〉が飛び交う〈裏庭ガーデン〉の中にある。


「〈裏庭ガーデン〉からウラに話しかけてみるらしいです」


「ウラの身体も意識もこっちの世界にあるってのにかい!? もう僕にはわからないことだらけだよ!」シイナは天を仰いで嘆く。


 ナギハ社のハッカーが理解できないのなら自分が理解できないのも無理ないだろうと悠日は思ったが──しかし、色々なことをこの指輪は教えてくれる。ウラは、今この場だけでなく、〈裏庭ガーデン〉のさらに奥にある〈第二次層〉にも〈第三次層〉にも、その層を貫いて同時に存在していた。つまり悠日たちの目の前にいるウラには、〈積層現実〉の目に見えない層が多重に覆いかぶさっているということだ。


 ミルから通信が入る。


『悠日さん。市民の避難が完了し〈魔法管理局〉局員に撤退命令が出ました。間もなく〈積層現実〉のシャットダウンが実行されます』


 悠日は、なにか重要なことに気付きそうな予感がした。けれど、それよりも深刻なことを考えたため気が散ってしまう。「シイナさん、このまま美結菜が〈裏庭ガーデン〉にいる状態でシャットダウンされたらどうなるんですか!?」


「それなら僕でもわかるぞ!」と少し自信を取り戻すシイナ。「このシャットダウンはいわゆる強制終了だ。直近のデータは失われると思った方がいい!」


「ってことは美結菜は……」やはり深刻だった。


 一歩遅れて、シイナも事の重大さを表情に出す。「ウラもヒカリも、たぶん失われてしまう」

「美結菜……」悠日は唇を噛み締めて水晶玉の映像に集中する。


 美結菜は〈第二次層〉に居た。〈妖精光スプライト〉が銀河の渦を巻いた先にある、カーテンが漂う海の底のような世界だ。光を纏った美結菜と対峙しているのは、暗く光る〈妖精光スプライト〉のウラだ。


「魔女と会ったのは初めてだわ」

「魔女と会ったのは初めてだわ」


 いずれもウラの声だ。水晶玉の中とこちらの世界の、同期した二つの声。芯があり、女性にしては太い声質だった。強い性格が表れているかのようだ。


「私もです」と美結菜が言う。長身の外国人の横に並ぶ小柄な日本人少女の細い声だ。「あの。どうしてあなたは戦っているんですか?」


「彼らを〈古き光源オールド・スフィア〉に近づけるわけにはいかないから」

「彼らを〈古き光源オールド・スフィア〉に近づけるわけにはいかないから」


「その前に、ジャクソンビルの〈積層現実〉がシャットダウンされちゃうみたいですよ。だから早くここから移動しないと、私たちは消滅してしまいます」


「試してみればいい」

「試してみればいい」


 ウラのその言葉を受け、悠日はハッとした。先ほど気付きかけていた重要なこととはこのことだ。


「ミルさん! 今すぐシャットダウンを中止させてください!」


『なぜですか』


「たぶんウラは消滅しません! だとすると逆にこちらはウラに対して無力になってしまいます!」


『どういうことかわかりませんが、すでにスイッチは切られています』


「美結菜! 戻れ!」悠日が水晶玉に向かってそう叫んだ直後、ジャクソンビルを取り巻く〈電防繭〉の光が乱れはじめた。淡い黄色の膜は緑色の線図に分解されて天部に穴が開き、溶けるようにして光の衣が消滅をはじめる。それに合わせるようにして、マナで描かれた都市も消えていく。


 水晶玉の映像が砂嵐になった。


「美結菜!」


 水晶玉に呼びかけても反応はなく、それどころか砂嵐だった映像は暗転してなにも映さなくなった。悠日はスカイボートの高度を上げてジャクソンビルの〈積層現実〉シャットダウンの様子を見守りつつ、網膜の中に描かれる水晶玉へ呼びかけ続ける。


 ビルが付け根から線図となってゆっくりと消滅し、公園、アスファルト、街路樹、電灯、ベンチ──街に設置されたあらゆるものが次々に緑色の線に戻って消えていく。シャットダウンが終わると、燃え盛っていた炎もチリチリと黒い炭の胞子を飛ばしながら消滅した。風景は一転し、赤い土の荒れ地が広がった。

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