第三次領域-√レ――

Layer16-√レ―地球の空―


 












 本物の美結菜は今も座席で眠っている。


妖精光スプライト状態フォルムの小さな美結菜が悠日の周囲で踊った。ぐるぐると悠日の右腕を伝うように旋回しながら指先へと向かい、中指の付け根でリング状に輝くと、ゆっくり光を減衰させて消えていく。黒い光沢を放つシンプルな指輪が悠日の指に残された。


『繋がったぞ! ありがとうヒカリ』頭の中でシイナの声が響く。『聞こえているかい、悠日。僕だ。シイナだよ』


「聞こえてますけど……」悠日は改めて後部座席のシイナを見つめる。「なにが起こってるんですか?」


『ジャクソンビルが崩壊したんだ。ウラの仕業だよ』


 同じ名前の都市を悠日は聞いたことがあった。地球にある、アメリカの〈積層現実〉特区だ。しかしそれは地球の都市であって、今は無関係のはずだ。


『今から同期を申請するから、許可をしてくれ。僕たちの身体もあるんだから、くれぐれも頼んだぜ?』


 そう言うと同時に、スカイボートのフロントガラスに表示されるシイナからの同期申請。


「シイナさん、これは一体なんの──」


『悪いけど詳しく説明している時間はないんだな。ただ、僕たちはジャクソンビルにいるウラを止める必要があるんだよ。だから、今すぐ地球へ向かわなければいけないってわけなのさ。早いとこ、同期を許可してくれると助かるんだけどな』


 シイナはスカイボートごと転じようとしているようだ。


 しかし、まさか。アーテルから地球に転じなどできるはずがない。それができるなら〈魔法管理局〉もわざわざ四年の歳月をかけて宇宙船で調査員派遣などしないからだ。しかし、ピンと転じた景色に悠日は目を疑った。


 燃えさかる都市。火の粉が散る赤く暗い空。大規模に倒壊したビルや高速道路などの巨大構造物群。ここがジャクソンビル? 見る影もない、まるで戦場だった。


 悠日はスカイボートごと、その光景の中にいた。スカイボートを操って都市の上空を飛び──ディスプレイには仮想道路が表示されている。しかし、そこを走るスカイボートはいまや皆無だった。


 炎の紅に揺らぐ都市の中、空中で静止している人影が遠くにあった。両手を広げ、巨大な焔を操っている。


「まいったね、大したもんさ」と悠日の後ろからシイナの肉声が聞こえる。「〈積層現実〉同士は、かなり深い部分で繋がっていたんだ」


 振り返ると、シイナも美結菜も目を覚ましていた。


「それは違うよ、シイナ」美結菜が言う。「全部、繋がってるの。その一番浅い部分にあるのが〈積層現実〉で、だからそれは私たちの入り口になってくれた」


 シイナは彼女の言葉に引き気味になる。「その全部とやらが指している対象を教えてくれないかい」


「……世界」美結菜の声には力がない。顔を見ると、酷く暗い表情をしていた。


「世界……」言葉を反復したシイナは首を傾げて黙り込む。


「はぁ」と悠日は溜息を吐いて言う。「今、何が起こっているんですか?」


 シイナが静かな口調で言った。「美結菜がウラを呼び起こしたんだ。そしてご覧の状況さ」


 その言葉を受け、悠日は察した。美結菜が泣きはじめる。


「私……」街は燃え──死傷者は相当の数にのぼるだろう。「……余計なこと、しちゃったんだよね」


 悲しみと罪悪感の両方に押しつぶされそうな様子で、辛うじて声を絞り出した美結菜。京介の死を知った時とは違う、自分を許せない涙だ。


 なにがあったのか悠日にはわからなかったので声のかけようもなかったが、とにかく、ここに居てはウラのマナに巻き込まれかねない。悠日はハンドルを握り、機体を切り返した。そして少しだけ振り返って、空中に浮かぶ魔女の様子を確認してみる。


 炎、氷、雷、風──あらゆる濃縮されたマナが飛び交い、また彼女に向かっていく人影もいくつか見える。バリバリと何かが引き裂かれる音や爆発。閃光。戦いがはじまっているのだ。その景色が遠ざかっていく。


 美結菜はまだ俯いたままだった。なんとかしてやりたいと悠日は思ったが、その時にふと気づく。


「美結菜。空、見てみろよ」


 ゆっくりと顔を持ち上げる美結菜。そして目を見開いて、窓に手を添える。「空が……青い……。光が浮かんでる……」


「あれは太陽だ」


「太陽……。温かくて、優しい光……」しかし美結菜の涙は止まらなかった。それどころか、より一層溢れ出してくる。


 美結菜の落ちた気持ちがほんの少しだけ持ち直したところで、悠日はシイナの案内に従って海岸近くのビルの屋上にスカイボートを着地させた。まだこの辺りは炎から遠い。


 出迎えがあった。記憶の中で見たミル・リッツフィールド──本物だ。


「はじめまして、悠日さん。ヒカリさんも」


 ミルと悠日、そして元気のない美結菜も彼と握手をした。


「さて、早速ですが、我々ナギハ社は現在〈魔法管理局〉と協力しウラから地球を守る作戦を実行しようとしています」赤く染まる遠くの空を指さしながらミルは続ける。「報告から推察するに、ウラの身体はマナで構成されているようですね」


「ちょっと待った」とシイナが遮った。「マナは生物を描けないぜ?」


「〈積層現実〉に依存する一種の幽体ではないかとされています。そのため〈魔法管理局〉はジャクソンビルの〈積層現実〉をシャットダウンさせる作戦を実行しようとしています。そうなれば、恐らく彼女は消えてしまうだろうとの算段です。しかしその間にジャクソンビルから逃げられてしまう可能性もあるので、今、〈魔法管理局〉と我々ナギハ社は懸命に彼女と戦い足止めをしています」


 そのミルから同期が申請され、一同は、一見して社長室とわかる立派な部屋に移動した。

「ですがその結末は、我々としては避けたいところです。なんとかウラも地球も救えないものかと協議を重ねていますが、答えはまだ出ていません」


 ミルは悠日と美結菜をソファに座らせ、ローテーブルを挟んで向かい合うソファにシイナと腰かけた。外から太い地鳴りの音と振動が届く。激しい戦闘がここまで伝わってきている。


「どうしてミルさんは魔女を──」


「救いたいって、どうやってだい?」と、シイナが悠日に被せて質問する。


「彼女をここに連れてきたみなさんが、同じような手段で彼女をアーテルに連れ帰る──それしか思いついていません」


「責任を取れって話かな」


 シイナの言葉に美結菜がピクリと反応する。「なんとかしてみます」


「美結菜」


 安請け合いはするなと悠日は言ってやりたかった。そんな悠日に、ミルは言った。


「あなたはどうしますか、悠日さん」


「ウラを倒して美結菜を見逃してもらって、このまま日本に帰って平和に暮らします」そして悠日は先ほどシイナに遮られた質問をしなおした。「どうしてミルさんは、魔女を救いたいって思っているんですか?」


「不思議な質問です」ミルは口に手を当ててクスクスと笑う。まるで小学生が簡単な質問をした時の教師のようだ。しかし嫌味は感じられなかった。「あなたは魔女であるヒカリを守っています。さらには、その際に迫る魔法使いを撃退していますが──、私が得た情報によると、まだ魔法使いの死者はゼロだとか」


「それが?」


「なぜですか? なぜ悠日さんはヒカリを助けるのですか? 敵はあなたとヒカリさんの命を狙っています。しかしなぜ、あなたは敵を殺そうとしないのですか?」


「どうしてって──」


「つまり、それが私の言葉です。もうお判りでしょう」ミルは微笑を崩さずに、まっすぐ悠日を見つめていた。「人を殺そうとする人がいる。けれど、それではいけないと考える人がいる。それは、とても自然なことだと私は考えています」



 悠日たちは再びビルの屋上に転じてきた。世界一面が焼けている。


「《クリヴフォス》」


 美結菜が呟くと、彼女の手の平に野球ボールほどの水晶玉が描写された。美結菜はそれを悠日に向かって放り投げる。


「うわ」なんだよ突然──と悠日はキャッチしようとしたが、その水晶は美結菜の手を離れた時点で線図崩壊する。その代わりなのか、悠日の視界が承認を求めてくるので許可をした。すると水晶玉が悠日の網膜に入り込んで漂い、そこに悠日自身の顔が映りこんだ。


「美結菜、これは?」


「私が目で見た映像がそこに映ってると思う」


 美結菜がシイナとミルを順に見ていくと、水晶の中の映像も同じように動いていった。


「悠日には全部見ててほしいんだ」


 これは明らかに〈紋白端末〉を使ったマナの操作範囲を超えている。魔女の力だろうか。魔女の力といえば──悠日は自身の指に巻き付いている指輪を持ち上げた。


「ところで美結菜。この指輪はなんなんだ?」


「指輪?」美結菜が首を傾げる。


 悠日は右手中指を二人の手前に持ち上げて、黒く輝くシンプルな指輪を見えるようにした。後ろからミルも覗き込んでくる。


「スカイボートの中で美結菜がくれた指輪なんだけど」


「え。知らない」と首を振る美結菜。


「じゃあこれは……? というか、あの時のあの光は美結菜だろ……?」


「あの光? 知らないよ……」


 どういうことだ? 幽離サイコ・アウトしていたから記憶がないのだろうか。

 だとすると、得体えたいがあやしくなったものを身につけてるのはやや不気味だ。悠日は指輪を取り外そうとしたが、そもそも自分の意思で嵌めた指輪ではなく、巻き付いた風だったことを思い出す。どんなにひっぱっても指輪は微動だにしなかった。


「若干の懸念材料にはなりますが、検証している時間はありません」ミルが仕切る。「ジャクソンビル〈積層現実〉シャットダウンの時間が迫っています」


 美結菜の視界がミルを捉え、そして悠日に流れる。


 悠日は仕方なく「行こうか」と頷き、スカイボートに向かう。


 ところが〝美結菜の視界〟は悠日の背は追わず、ビルの二メートルほどのフェンスを軽く乗り越え──まずはその行動に悠日は驚いたが、次いで美結菜はそのままビルから飛び降りた。あまりに自然で、制止する間もなかった。


「美結菜!」悠日が驚いて声を上げる。落下の臨場感が水晶に映る。


「お前、もしかして?」と悠日は映像の中の美結菜に聞いた。


「うん」


 峩と戦った時に〝無茶〟と言っていたこと──視界は落下をやめ、遠くの激戦地が見据えられる。美結菜は空を飛ぶ力を会得していた。幽離サイコ・アウト以降、美結菜が操るマナは確実にレベルアップしている。


「まいったね、大したもんさ」


 悠日とシイナは、美結菜を追ってスカイボートに乗り込んだ。シイナが迷わず後部座席に座ったので、自然と悠日が運転席に着く。〈ハチソン機関〉を起動させ、空を飛ぶ美結菜の横に機体をつけた。シイナが窓をあける。


「ヒカリ、なにか方法はあるのかい? ウラをアーテルに連れ戻すいい方法がさ」


「そんなの、ウラと話してみないとわからないよ」


「話す?」と悠日は水晶玉経由で美結菜に聞いてみる。美結菜の視界が悠日の方を向いた。


「だって、ここまで、誰もウラの想いを聞いてあげることができていないでしょ? 信じてたユーキーですら……。〈妖精光スプライト〉の時に彼女とちょっとだけ融合したけど、すごくもやもやしてた。話を──考えを聞いて欲しそうにしてた。でも誰も聞いてくれなくて、憶測だけで自分が何者か勝手に決められてしまって、そして悪意を向けられて。だから彼女は辛い思いをしていて。……だから、私が聞いてあげないといけないんだ。それが今の私の役割なんだと思う」


 窓から迷い込む空気に徐々に熱が混ざりはじめている。戦いの緊張が伝わってくるかのようだ。


「悠日。その指輪だけど、私は本当に何も知らないんだ。だけど、きっとすごいものだと思うよ。感じるの。だから悠日も指輪を信じて、〈積層現実〉と繋がって。〈世界〉と繋がって」


 そして、都市の一区画を抜けた。炎が暴れ、空高く立ちのぼっている。赤く染まる景色の中に、一点、黒い人影がある。


 ウラ。


 髪の毛は長く、細い切れ長の目の中で紫色の瞳が光っている。服装はロングスカートのオフショルダードレスで、星へアクセスするための文字列が、彼女を取り巻く環となり揺らめいている。絵本でみた彼女そのままだった。

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