Layer15-√レ―妖精光《スプライト》―


 












 彼女から放たれた言葉は不意打ちのようにグサリと悠日の心に突き刺さった。けれど、それに落胆している暇はない。キラミはスカイボートの高度を僅かに落とし、加速させる。その軌道は大きく円を描き、悠日の背後を取ろうとするものだ。それを許すわけにはいかなかった。悠日は努力して落胆を振り払い、顔を上げ、機首を反転させてキラミを追いかける。すぐに後ろを取った。機関銃の標準の中にキラミの機体がある。彼女の操縦はハッキリ言って下手くそだ。いつでも撃ち落せる。けれど、悠日はハンドル裏のトリガーに指をかけられなかった。キラミのスカイボートが、逃れようとどんどん加速していく。時速はすでに一万二千キロを超えていた。平面に近い大きさを持つアーテルの地平線にアップリスの光が消えていく。すると、途端に星空が輝きだした。とても地球ではお目にかかれない、青と白に輝く天の川。夏の大三角形が大きく輝き、その少し右下に逸れた場所に黄色く輝く一等星──〈太陽〉の光が見える。


 悠日は目の前のことに意識を戻し、キラミの機体を追いかけた。キラミは縦横無尽にスカイボートを操り悠日を振り払おうとしているが、彼女にできることは悠日にもできた。キラミの不意のブレーキにも悠日はしっかりと反応し、徹底して背後をマークし続ける。


「キラミ。魔女のことは忘れて、もう地球に帰った方がいい」


『やっぱり。あなたは間違いなく裏切り者。私は地球に帰るつもりなんてない。だって、この星が好きだから。もう魔法なしの生活なんて考えられない』キラミはスカイボートを操縦しながら手のひらを後ろへ向け『《トニトルス》』と詠唱した。電撃を描くマナが、矢のように悠日のスカイボートをかすめていく。


「おれは地球に帰りたくてしかたがないよ」悠日は言った。「ニセモノの物質で作られた汚れ一つない街で暮らしていると、なんだか眩暈めまいがする」


『地球での暮らしこそニセモノだらけでしょ! 平和も笑顔も友達も、全部ニセモノなんだから! 私はこのニセモノの街に住む人たちが、必死で本物であろうとする姿が好きなの!』


 必死に本物であろうとする姿──その言葉に、悠日は京介の背中を思い出す。


 キラミの機体がクッと上に一回転し、悠日の背後を取る。一瞬の油断だった。慌ててハンドルとレバーを握り、左右のペダルを踏んで加速する。相手の射程に入らないよう複雑不規則な操縦をおこない、キラミ機の動きが鈍ったところで左に旋回する形でさらに速度と高度を上げ──その右側をダッダッダとオレンジ色の光弾が流れていく。キラミ機が放つ機関弾だ。その弾数も悠日のスカイボートと同じくきっと無限だろう。機体はアーテルに背を向ける形になり、フロントガラス一面に星空が広がって光る。暗闇にソーダをまき散らしたかのように光る星々と、背後に迫る殺気。キラミが後ろから放つ機関銃の弾は、アーテルの重力とスカイボートの加速のおかげで届かなくなった。この方向へ進行しているうちは弾よりも早く移動できる。しかし〈積層現実〉の領域外に出ると美結菜とシイナがまずいらしいから、いずれは方向転換をしなければならない。遅いか早いかなら──と悠日はハンドルを引いて機体をひっくり返し、アーテルへ落ちる方向に切りかえした。キラミもくるりと機体を回転させて追ってくる。


 そのキラミは、もう機関銃を撃ちっぱなしだ。きっとトリガーをグッと握りしめたままなのだろう──スカイボートのすぐ横を無数の弾が通り過ぎていく。


 どうにかくことはできないだろうか。悠日は、ハンドルを引いて機体を水平にした。アクセルを踏み込んで、加速に加速を重ねていく。時速はあっという間に四万キロを超えた。すぐに六万キロも超える。やがて一〇万キロに達してからも悠日は加速を緩めず、弾丸が近づけない加速度でスカイボートを操縦する。時速三〇万キロ。四〇万キロ。この速度ともなるとさすがにアーテルも球体に感じられた。キーンと〈ハチソン機関〉が稼働音を発し、それ以外は一切文句を言わず仕事をこなすこのスカイボートに愛着が芽生える。


『いつまで逃げるの、悠日!』


「そろそろやめるよ」


 ちょうど正面にアップリスが見えてきた。遠い夜空に煌めく白い輝き──それがぐんぐん巨大化して星空を消し、あっという間に浮遊都市の超超高層ビル群を目視で確認できるようになる。そして悠日は機首を反転させ──間髪入れずキラミに向かって最大出力で加速した。それは悠日の勘によるタイミングだった。一瞬ですれ違ったキラミも真似て機首を返し加速するが、どんなに強力に加速をしても背後からのアップリスへの接近速度はそう簡単には下げられない。背後からアップリスを取り囲む〈電防繭〉が迫り、アップリスに対しての相対的な速度は一〇万キロ、六千キロ、二千キロと落ちて三〇〇キロ代にまで落ちていく。そして反転加速してから一〇〇キロまでスピードが落ちた所で、キラミはようやく背後から差し込む光の強さに気付いたようだった。彼女は慌てて機体を上昇させ都市を回避しようとするが、それはもはや間に合わず──

『嘘でしょ! なにこれ!』と、キラミのスカイボートはアップリスの都市上部で〈電防繭〉に捕まった。


 一方、悠日の機体は速度が反転方向に時速一〇キロに転じ、ギリギリのところでアップリスから距離を取る。もし反転加速が一秒でも遅れていたら、悠日もキラミの機体のように〈電防繭〉に捕らわれていただろう。


『悠日! 待って! 逃がさない!』


〈電防繭〉にめり込んだキラミのスカイボートは、蜘蛛の巣か蜂蜜の壁にでもつかまった虫のように空中でもがいている。悠日は機体を翻して、彼女のスカイボートに狙いすました機関弾を撃ち込んだ。弾はピンポイントで〈ハチソン機関〉を破壊する。動力を失ったスカイボートは暴れるのをやめ、〈電防繭〉に沿って緩やかな下降をはじめる。


『悠日、この裏切り者! 魔女を見つけたんでしょ! どうして〈魔法管理局〉の指示通り殺さないの! どうして魔女を守るようなことをするの! 魔女が存在しているだけで私たちの〈積層現実〉がおびやかされてしまうのに!』


「人を殺すのはよくないことだよ」悠日は子供をたしなめるように言った。


 そして、彼女の報告によりさらなる追手が迫る前に、この場を去らなければならない。スカイボートを切り返す。


『こんな穏便なことをして! 絶対に逃がさないから! 絶対に後悔させてやる!』


 キラミがそう叫んだ時、フロントガラスの隅に周辺の俯瞰ふかん図が表示される。アップリスの底部で、真っ赤な点が数えきれないほどうごめいている。どうやら大量のスカイボートが都市から解き放たれ、接近してきているらしい。一歩遅かったか。いや、まだ間に合う──悠日はスカイボートを加速させた。


 それにしても、一体いつまで操縦していればいいのだろうか。悠日は座席を振り返り、シイナと美結菜を眺めてみる。二人は相変らず寝息をたてていて、静かに座席についている。向こうの世界で、二人はなにをしているんだろう──そう思った瞬間に、自分も美結菜と一緒に〈裏庭ガーデン〉を飛んだ記憶が開花する。


 ウラ──


 自分たちは、伝説の魔女を名乗る黒い光と接触していた。二人は大丈夫なのだろうか。ウラは人類と敵対した魔女だ。〈裏庭ガーデン〉、〈第二次層〉、そして〈第三次層〉。そこで二人がウラに何かされてしまい、もう意識が戻ってこないなんて可能性は考えたくもない。


 スカイボートの正面を何かが横切った。敵機だろうか? もう追いつかれた? しかし俯瞰図の赤点からはまだ距離がある。実際に外を覗いてみても何もいない。悠日は座席に重く腰掛け、ため息のような深呼吸をする。疲れを感じようと思えば感じることもできるが、今はまだそのダルさを受け入れるわけにはいかない。また機体の周囲を何かが横切ったような気がする。


 目の錯覚だろうか。悠日は目の周囲を軽くマッサージして、改めてスカイボートの外の様子を見回してみた。やはり特になにかがいるような雰囲気はない。改めてドッと座席に腰を落としたとき、突然、目の前から赤白い閃光が発せられ目が眩んだ。誰かがマナを放ち、それが被弾したのだろうか。しかし衝撃は感じない。閃光は時間と共に落ち着いていった。そして、どこかで見たことがある光の点に収縮した。その光の中央に、極小の誰かがいる。


「ゆ、う……ひ……」


 それは〈妖精光スプライト〉状態の美結菜だった。

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