Layer14-√レ―魔女の記憶―


 












 ウラ・ドルナはコクピットに居た。様々なスイッチや液晶はその殆どがオフになって電気を消し、眠っていて──まるで宇宙船も、他の船員のように冷凍睡眠に入っているかのようだ。宇宙のどこかから届く白い可視電波ひかりが薄っすらと窓から差し込んでいる。真空が演出する無音空間の静寂が、そのまま船内にもあった。

「呼吸を止めてみたの。だけど、水には溶けなかった」

 座席のベルトが無重力に踊っている。ウラのうずくまった身体もコクピットの中央で安定し、漂っていた。

「もう風呂なんて忘れちまったよ」と、男の声がした。

 通路からすっと移動してきて、空いた座席につかまって──緩やかにそこに身体をおさめたのは、ウラのバディ、ユーキー・ストライムだ。広く厚い肩と胸板は大学アメフト部の時に生成されたものだという。金色の短髪は額上部の中央でツンと立ち上がり、目は小さいが優しそうなブラウンの光を放っている。

「風呂の話なんかしていない」ウラはため息を吐きながら言った。「深い深い、心の湖の話だよ」

 ウラの白い身体も見かけによらず鍛えられていて、細身だが筋肉質だ。髪の毛は長いようだがいつも頭の後ろで巻いている。色気を出していないのは自衛の手段なのだろうか──しかしそんな女性からロマンチックな言葉が飛び出したので、ユーキーは思わず吹き出した。

「突然どうした」

「たぶんあの星に降りたら──呼吸を止めた瞬間、私たちは闇に溶けてしまう」

「なるほどな」

 宇宙船の窓から見る星々は、そのほとんどがユーキーたちの知る星座を今も描き出している。その宇宙絵画に──一箇所だけ、何も描かれていない完全な暗闇があった。球状の暗闇だ。

「アーテルか」

 直径は今のところ、地球で見る満月に近い。

「静止軌道まで?」

 ユーキーが聞く。ウラはコクピットに予定航路と距離と時間を表示させた。

「まだまだ。一週間以上かかる」

「しかしすごい光景だな」と、改めてユーキーは窓の外を望んだ。

 黒色矮星が黒く宇宙をくり抜いたように見えるのは、超高質量体のブラックホールとは違い、純粋にその天体の色が黒いためだ。呼吸を止めたら溶けてしまいそうな、漆黒の天体。

 アラームが鳴った。ローテーションで活動をしていたウラとユーキー以外の船員残り十八名が、寿命と食料を温存するために入っていた冷凍睡眠から覚醒する時間だった。



 突然、美結菜が加速した。いや──ウラが加速したのだ。カーテンに沿って上へ上へと進んでいく。後ろからシイナの光が追ってきた。

「ヒカリ! そっちはだめだ! そっちは……〈第三次層〉だ! そこは〈積層現実〉の根幹の世界で……人間が触れたら何が起こるか──」シイナの声が遠ざかり聞こえなくなる。

 黄色い光がより強くなり、一切の影がない空間にたどり着いた。カーテンはすべて途中で細切れになっており、ここからは上下左右前後に加え内側と外側にも世界が広がっている。理解不能な多次元世界だ。無理に視界の焦点を合わせようとすると思考そのものが自由を求め脳を飛び出して弾けてしまう──平衡感覚がぐるりと狂って、悠日は吐きそうになった。

 ウラと美結菜と悠日の融合光はすべての方向へ同時に進み、そのうちどれか一つがこの世界を輝かせている光へ達すると、ピンと世界がそれを残して収縮する。融合光は光に触れていた。

 悠日は聞いてみる。(この光は?)

(〈古き光源オールド・スフィア〉)知らない思考──ウラの声だ。(彼はこの先にいる。だけど今はいい。私には別の目的がある)

(彼って? 別の目的?)美結菜が考える。

(……行かなくては)と、ウラは美結菜の考えを深めることなくそう意識した。

 悠日は尋ねてみた。(行くって、どこに?)

(戻るべき場所)

 思わず悠日は地球のことを思い浮かべた。アパートの一室から上田城が見える一室。

「ここは……」

 振り返ると、ベッドに横になった悠日自身が驚いた様子でこちらを見つめている。そしてノイズ。気付けば悠日はスカイボートの機内に戻ってきていた。左右の〈ハチソン機関〉から零れる青白い光がとても眩しい。シイナは後部座席でシートベルトに縛られ目を瞑っている。美結菜は悠日の手を握り、無重力の中で身体を丸めて眠っていた。そして、一面見渡せる黒い大地と黒い宇宙の光景の遠くで青白い光がいくつか煌めいている。おそらく他のスカイボートだろう。通りすがりか、もしかしたらシイナが言っていた追手かもしれない。

 悠日は眠り続けている美結菜を座席に移動させ、シートベルトを装着する。

 遠くに見えていた光は、どうやらまっすぐこちらに向かって来ているようだ。光は四つ確認できた。その光の内一つから、おもむろに炎玉が放たれた。間違いない、追手の調査員だ。

 悠日はペダルを踏み込み、ハンドルを捻り、レバーを持ち上げ、機体を急旋回させた。その横を炎弾が通り過ぎ、窓越しに放射熱を感じる。悠日はスカイボートの高度をグッと下げた。アーテルの地表はゴツゴツとしたダイヤモンドの岩場がほとんどだ。ライトを照らすと深い渓谷や切り立った山が浮かび上がる。ピピピとスカイボートが何かを警告する。反射的に悠日はハンドルを切った。元居た場所を可視化された電光が通り過ぎ──そこから枝分かれした電撃が片翼の〈ハチソン機関〉に干渉する。スカイボートは激しく揺れ、機関の光がチカチカと消えかけた。幸い、機体は持ち直したが──このままでは撃ち落されるのは時間の問題だ。再びスカイボートが警告音を出す。ハンドルを回し右足のペダルを踏み込んで速度を上げる。

 機体の時速は二千キロを超えていた。正面を照らすライトが行く手の山麓のシルエットを浮かび上がらせ、フロントガラスが線図でそれを縁取った。この高度では確実に激突するだろうが──敵機からの攻撃は執拗で、悠日はやむを得ず逃げるように機体の高度を下げ、地面すれすれの低空飛行を開始した。

追手は四機いた。そのうち、一機が高度を下げてくる。そんな後ろに気を取られているうちに、突き出したクリスタル状の岩がスカイボートの船底をかすめていく。地表は山麓に向け緩やかな傾斜になっていて、無数の岩柱が複雑に絡み合う地形を形成している。

スカイボートはトンネル状の岩柱の合間を通過する──機内には衝突警告アラームがけたたましく鳴り響いているが、悠日はそのすべてを無視して運転に集中した。岩を右に避け、左に避け、するとまた別の警告音が鳴り、マナの電撃がかすめていく。その流れ弾によって正面の岩場が砕け、ダイヤモンドの塊が飛沫となってきらきらと乱反射し、落下してくる。幻想的な文字通りのダイヤモンドダストだったが、見とれていては命がない。悠日はアクセルを踏み込み、その美しい岩雪崩の下を通過する。後方カメラは、追走するスカイボートがそれを躱しきれず岩柱へぶつかり爆発する場面を映し出した。敵機に同情すると同時に、ほんの未来の自分の姿であるようにも感じる。

悠日のスカイボートは山麓斜面を滑るように駆けのぼるが、高高度から様子を見ていた残り三機にそこを狙い撃ちにされた。どうすれば逃げ切れるのだろう──悠日は必死に考えた。フロントガラスの山麓の縁取りが、その中腹に洞窟があることを描き出す。悠日は右足で急ブレーキをかけて時速を一気に落とすと、その洞窟へ侵入してみる。上空の二機が降下し追ってくる様子が確認できた。低速で移動するスカイボートが洞窟内をスキャンする。洞窟の全長は最大で六〇〇キロ。途中、星の深部へもぐりこみながらも、山麓の反対側まで続いているようだ。出口もいくつかあることが分かったので待ち伏せを食らう心配もない。とはいえ、あらゆる場所から突き出した鍾乳石の不意打ちは殺人的だった。

フロントガラスが縁取った瞬間に現れた黒く透き通るクリスタル柱を悠日はぎりぎりの所で躱していく。背後で一機もギリギリ避けるが、もう一機は躱しきれず右翼を破損し、〈ハチソン機関〉の光が途切れる。途端に重力に捕まったその機体は墜落して地面に押し付けられ、湯気を放って暗闇に溶けていった。パイロットの寸前の転じを悠日は願う。そして敵を気遣う自分の能天気さを笑い飛ばした。

 洞窟を進む中、背後のスカイボートが速度を上げてきた。悠日は逆にブレーキをかけ、二機の距離を極端に接近させてやる。その不意打ちに相手は慌てて回避行動をとり、狭い洞内で横に並ぶが、しかし今度はお返しとばかりに機体を激しくぶつけてきた。

悠日は相手の操縦席に目をやった。黒いマントを身にまとった調査員がハンドルを握っている。〈ルーフス〉内で見かけた顔のような気もするが、名前までは思い出せない。そのパイロットと目が合う──と同時に、相手が消えた。転じたのだ。相手の機体の〈ハチソン機関〉の電光も消滅する。するとその無人のスカイボートはアーテルの重力に引かれ、悠日のスカイボートの上にのしかかった。操作が乱れ、ズシンとした重さがハンドルから伝わる──そして目の前にはクリスタル柱が。ブレーキは間に合いそうにない。悠日は右手で座席横のレバーを強く引き、左足の上昇と下降ペダルを傾きに合わせタイミングよく踏みかえた。機体が勢いよく回転し、敵機を振り落とす。クリスタル柱は回転する機体の〈ハチソン機関〉ギリギリをかすめて通り過ぎた。ボンと背後で爆発が起こる。

「ふぅ……」と悠日は大きく息を吐いた。

 敵はあと一機だ。背後から追ってきている気配はなかったので、適当なところでスカイボートを停止させ、一休みする。とはいえ電光がとても明るい光を放っているので、このまま身を潜めてやり過ごすことはできないだろう──〈ハチソン機関〉を切ると途端にアーテルの高重力に対して無防備になってしまうからだ。そもそも相手は美結菜の幽離サイコ・アウトを検知しているので潜伏は不可能だ。つまり、いずれは残り一機とも戦わなければならないことになる。

洞窟をスキャンした地図によると、出口はもうすぐそこだった。悠日はフロントガラスの隅にこの機体の武装を表示させる。現れたのは左右に取り付けられた古典的な機関銃で──とはいえ弾はマナを利用する残弾無限の武器だった。トリガーはハンドルの後ろに設置されているようだ。安全カバーをパチンと解除する。

 覚悟を決め、悠日は機体を浮上させて洞窟を抜けた。敵機は上空で様子を伺っており、すぐに攻撃してこようとはしない。悠日は、同じ高さまで機体を上昇させる。

『ハァイ、悠日』

 通信に聞き覚えのある声が入る。ガラス越しに見てみると、案の定だった。

「キラミ……」

『こんなところで会うなんて、とっても奇遇』キラミの魅力的な表情がフロントガラスに拡大表示される。白人女性特有のはっきりとした顔立ち。金色の髪。灰色の瞳。『峩がやられたって聞いた。彼、命に別条はないみたいだけど、まだ意識は取り戻してないみたい。その情報が回ってからみんな悠日を探してた──そのことについて今もまだ意見が割れているから、真実を聞き出したくて。つまり、あなたが今も一人で任務を遂行しているのか、それとも裏切ったのか、ということについて』

 向き合ったスカイボート越しに、キラミが悠日をみつめる。心臓がおもわず揺れ動いてしまうほどの上目づかい。

もしかしたら、彼女は味方になってくれるかもしれない。元々キラミとは仲良くなれそうな雰囲気があった。そもそも彼女のこの様子なら、なにか幸運な手違いが起こって記憶が改ざんされていない可能性だって考えられる。むしろ、たとえ改ざんされていたとしても、その任務に疑問を抱くことすらできるかもしれない。

『なにがあったの? 悠日』

悠日を信じているかのような、気遣うような、心配そうなキラミの瞳がフロントガラスに映っている。その瞳が、クッと笑みを描く。

『なんてね。答えなくていい。私は裏切りの方に賭けをベットしてるから』

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