Layer11-√レ―仲間―


 












 美結菜の瞳から生気が感じられない。きっと声も届いていない。けれど、刹那ながらも不思議な時の間が流れていた。まだ間に合うかもしれない──


「美結菜!」再度呼びかけても反応はない。


 どうすれば自分の声は届くのだろうか──悠日は考えた。美結菜が生まれてから、京介はずっとこの力をNALEAに隠して過ごしてきている。それは途方もない慎重さと教育が必要だっただろう。こんな時、彼ならどうするだろうか。ふと、京介の口癖を思い出した。


「美結菜! 忘れたか! 役割だ!」


 その言葉を口にした途端、意識が抜け落ちていたかのような美結菜の瞳に一瞬だけ色が戻ってきた。手ごたえがあった。悠日は続ける。


「自分の役割を忘れるな美結菜! お前のその力は人を殺すためのものじゃない!」


「人を殺す……?」


 きょとんとしながら悠日の言葉を繰り返し、そしてかざした自身の手に気付いた美結菜。その先には、熱した空気を吸い込み気管を痛め喉を押さえる峩の姿があった。地面から射す光線がマントに火をつけ、峩を包んでいく。


「違う……! 私は……そんなつもりは……」美結菜の手のひらが戸惑う。しかしすぐにそれを峩に向け、キッと目に力を込めた。「《グラキエース》」


 美結菜の詠唱に合わせ、峩の周囲を薄水色の半透明の水晶──氷──の塊が取り囲む。同時に炎の光の線が収縮し、マナの圧力が高まった。そして次の瞬間、峩を取り巻く氷の周囲の大気が突如として発火点に達し、空気そのものが電離現象を起こして炎を描く。細かい粒子の小さくも激しい振動は周辺空気の密度に不均一をもたらし、巨大な爆発を引き起こす。


 巻き込まれる──迫る黒煙を眼前に、悠日は覚悟をした。先ほど峩が放ったマナに比べると、その威力はけた違いだ。これに巻き込まれたら自分たちも命はないだろう。


 京介に謝らなければいけないと思った。美結菜を守ることができなかった。しかし、その衝撃が届く寸前に、悠日へ同期が申請される。でも、誰から?

「大丈夫。ありがとう、悠日」圧縮された時間感覚の中で美結菜と目が合う。


 悠日は頷いた。景色が転じる。


 周囲のトウモロコシ畑は黒い煙をあげて燃え上がっていて、渦巻く風はどこかコーンの香ばしい匂いを漂わせていた。悠日は、美結菜の魔女の力によって、さっきまでティゼと一緒に居た畑に転じていた。そしてそのすぐ足元の──小さく盛り上がった畝の合間に、美結菜がしゃがみこむ。そこにあったのは黒焦げのわずかな燃えた跡だ。まるでそこで焚火でもしていたかのような、僅かな黒ずみ──残されたティゼの痕跡。美結菜は膝をついて両手でそれを持ち上げて、言葉もなく抱きしめた。


 悠日は後ろからその様子を見守った。美結菜が肩を揺らし、すすり泣く静かな息遣いが聞こえる。ティゼが美結菜の自慢話をしていた光景が、悠日の目にも浮かび上がってきた。なので、首を振ってそれを振り払う。遠くから人の気配がした。畑の外縁はまだ炎に包まれておりはっきりとはわからないが、どうやら黒いマントの二人組が近づいてきてる。幸い、まだこちらには気付いていないようだ。悠日は美結菜の手を取り、地下道へ戻るよう促す。美結菜は名残惜しそうに彼が居た跡へと手を伸ばし──しかし、その手もやがて引いた。


 悠日に申請が入る。二人は先ほどのクレーターに戻った。大爆発の余韻はまだ周囲に残っていて、塵や温かい熱が宙を漂っている。峩が倒れていた。息はあるようだ。


「先を急がないとだよね」美結菜の呟きに悠日は頷いて、二人はクレーターの斜面を昇り、地下道の続きを歩きはじめた。



 地下道は長く続いていたが、それも一時間ほど歩いたところで行き止まりになった。


「ここが〈都市の最果て〉?」と悠日。


「実は私もここまで来たのは初めてなんだ。だから、まさか行き止まりになってるなんて知らなかった」


「別の道があったのを見逃してたとか?」


「そうかな。気付かなかったけど」


「引き返してみる?」


 悠日がそう提案したところで、誰かが言った。「その必要はないんだな。なぜなら、まさにここが〈都市の最果て〉ってやつだからさ」


 翻訳ソフトは反応していない。日本語のようだが、とはいえだいぶ独特なイントネーションだった。男性の声だが、トーンが高い。コケクラゲが放つ青い薄明かりの中、その声の主が現れた。おそらく金髪だろう色素の薄いサラサラの髪に猫のようなパッチリ目。光のせいかその瞳は緑色に輝いて見える。若い男だが、日本人のようには見えない。


「……京介さんの仲間ですか?」悠日は尋ねてみた。


 男は頷く。「僕はクアル・シイナ。戸籍上は日本人だ。日本系企業ナギハ社に所属している特別プログラマーさ。ま、いわばハッカーってやつだな」


 シイナは悠日へ、先に進むよう手を差し出して促す。悠日が振り返ると、先ほどまで行き止まりだったハズの地下道が開け、アーテルの暗黒世界が広がっている。そこには、以前ヴィアルに促されて乗ったものと同じタイプのスカイボートが停泊していた。


「注意してくれよ。ここからはアップリスの外の世界──途端に重力が四〇倍の世界なんだな。スカイボートから落ちたら助けられないぜ? でも、もし上手に乗り込むことができたなら、僕の研究室にご案内するよ」


 シイナは誇らしげな口調でそう言った



 *



「そうか。京介、死んだか」


 スカイボートの中で、シイナは静かに呟いた。


 悠日と美結菜は特に苦労することなくスカイボートに乗りこむことができたので、約束通りシイナの研究室に案内されている途中だった。その移動中、悠日はシイナと美結菜に京介の最期の場面について語っていた。語り終わってから美結菜は静かに涙を流しはじめたが、話を聞いている時はしっかり悠日の顔を見て、目を背けず、彼の最期をしっかりイメージしているかのようだった。強い子だと思いながら、悠日は話していた。


「ヒカリ」とシイナ。「辛いだろうね。でもすごく強そうな子だ。京介のためにも、これから一緒に戦っていこう」


 戦う? 引っかかる言葉だ。


「その前に」と悠日は訝しげな視線を向けて聞いた。「シイナさんは何者なんですか?」


「なんだい悠日。自己紹介はついさっき済ませたろう──もう忘れたのかい? おれはしっかり覚えているぜ。君は悠日で、こっちが美結菜ミユナ氷狩ひかり──そうだろ?」


 そういうことではないと思いつつも、悠日は丁寧に答えた。「おれは合ってますけど、美結菜の名前が逆です。日本人はファミリーネームが先に来るんですよ。外国に合わせてわざわざ逆にするのは古い風習ですが今も現存しています。でも、少なくとも今この場は日本人しかいないので、氷狩美結菜という並びで大丈夫です」


「ヒカリなんだから美結菜氷狩の並びであってるじゃないか!」シイナはやや感情的に抗議した。


「それがファミリーネームなんですよ」


「君は僕を騙そうとしているのかい!? ヒカリってのは日本人の女の子の名前なんだぜ!」


 シイナにつられて悠日の言葉にも若干感情が混ざる。「だから、彼女の場合はそれがファミリーネームでファーストネームが美結菜なんですよ!」


「そうかい! なんでもいいさ!」シイナは手を払う仕草をして、スカイボートのソファにもたれかかる。「わかったよ! 日本人はファミリーネームが先に来るってんだろ! ちゃんと覚えたさ! 子々孫々まで継承してやるよ!」


 確かにシイナの言い分には一理あった。こんなものはなんでもいい。話を振ったのは悠日だったが、まさかこんなに盛り上がるとは思わなかった。


「それでシイナさん」と悠日は仕切り直す。


「まだなにか用かい!」


「本筋です」そう言って、悠日は冷静さを保つために深呼吸した。「あなたは──シイナさんは一体何者なんですか? 何者というのはつまり──京介さんとの関係は? ナギハ社って、あのナギハ社ですか? ハッカーって? 目的は? 研究室って、アップリスの外にあるんですか?」


「知りたければ教えてやるさ。京介と僕は、昔は仲間だったんだな。もちろん〝昔は〟といっても、今は違うってんじゃないんだぜ。だけど当時は、──君と同じさ悠日。僕らは元々〈魔法管理局〉だったんだ」


 美結菜が顔を上げる。


 悠日も驚いた。「京介さんが?」


「そうさ。僕たちは組まされて、アップリスで調査をしたんだ──もちろん魔女の調査だぜ。もう三〇年くらい前のことになるのかな」


 三〇年前。

「魔女は、美結菜が三〇〇年ぶりの出現では?」と悠日は聞いた。


 シイナは足を組んで答える。「そう聞いてただろ。でもそれも、これから時が経つにつれて四〇〇年ぶり五〇〇年ぶりと言われていくぜ。つまり〈魔法管理局〉は魔女出現を察知するたびにそいつを暗殺していたんだ。世界に隠しているんだよ。そしてそれに気づいたのが、我々ナギハ社のCEO、ミル・リッツフィールドってわけなんだな」


 美結菜が聞いた。「お父さんは……魔女を殺したんですか?」


「逆だね。守ったよ。そして二人は愛し合ったんだ。もうその人は死んでしまっているけどね。知ってるだろ」


 不意打ちだった。再び美結菜の瞳から涙がこぼれ、口に手をあてる。


「お母さん……!」


 シイナは頷いた。「素敵な人だったよ。命を掛けて守るに値したし、実際にたくさんの仲間が死んだ。そして生まれたのが君なのさ、ヒカリ」


 スカイボートは移動を続けている。外を見ると、アップリスは遥か遠方の光の点になっていた。まるで一番星だ。


 沈黙した船内で、シイナが口を開く。「このスカイボートは僕の研究室に向かっている。僕のといっても、実際の所有権はナギハ社が持っている。もうすぐ着くよ」


「ナギハ社って、本当に──」悠日が言いかける。


「君のそのつなぎ服。このスカイボート。AI用素体。その他パンツから巨大ロボットまであらゆるものを手掛ける〈積層現実〉活用型メーカー企業だよ」


「そこでシイナさんはなにを?」


「だから、ハッキングだよ」


「〈魔法管理局〉を?」


「〈積層現実〉を。僕らが使いこなしている〈積層現実〉は、実はまだ全体機能の数パーセントに過ぎないってことを知ってるかい? リンゴで言うならほんの隅っこを遠慮がちにかじってる状況さ。だから僕はいろいろ探しているんだ。〈積層現実〉という領域では、他にどんなことがどんな風にできるのかってね」シイナは黒色矮星の漆黒の空を眺めながら続ける。「〈魔法管理局〉は〈積層現実〉を使いこなしていると自負してるようだけど、残念ながらこの道では僕の方が上をいってるね。ちなみにこの遊びの成果はちゃんとナギハ社にも還元している。僕はそれで給料をもらっているんだ。つまり、〈魔法管理局〉を抜けてからは、僕はナギハ社に。京介は農夫になっていたのさ。着いたよ」


 外を覗くと、スカイボートの発光のおかげで辛うじて地表の様子が見て取れる。ゴツゴツとした岩場のようにも見えるが、突き出た岩盤はそこはかとなく透過度があり結晶状になっている。


 黒色矮星がダイヤモンドの星ということは悠日も知っていた。地表のこれらすべてが炭素の結晶なのだ。


「この下に僕の研究室があるんだな」とシイナ。


 その言葉が合図だったかのように、スカイボートは大地にできた裂け目に降下していく。〈ハチソン機関〉が放つ青白い光を乱反射させ、何倍にも煌めかせ輝かせる薄黒い結晶の数々。やがて〈電防繭〉と思われる薄い光の膜を通過し、スカイボートは裂け目の底に着陸した。


「僕の研究室へようこそ」


 スカイボートのドアが開くと、途端に眩しい光が広がった。転じたのかと悠日は思ったが、シイナは見越したように首を振る。


「さっきの地下道の壁と一緒だよ。切り替えたんだ」


 意味がさっぱりわからなかった。美結菜はもう泣いてはいなかったが、まだ目は赤い。一緒にスカイボートからおりる。


 白い室内。白いテーブルに白いソファが四つほど無作為に置かれている。そのうち隣り合った二つに、シイナは二人を座らせた。


「ノド乾いてないかい? お腹は?」


 美結菜と悠日は顔を見合わせて頷いた。

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