Layer10-√レ―約束―


 












 

「驚いたさ」悠日は仕方なく答えた。「ちなみにおれは〈魔法管理局〉だ」


「えっ」美結菜は足を止め、悠日の手を振り払おうとする。しかし悠日はそれを離さなかった。


「驚いたか? 隠していて悪かったな。おれは魔女を見つけ出すために地球から派遣されてきた。三〇〇年ぶりに現れた魔女を探しているんだ。そして今日、その魔女を見つけ出した」


「そう……」美結菜は抵抗をやめて大人しくなった。「悠日は魔法使いなんだね」


「調査員だよ。なんだよ魔法使いって」


「私のお父さんはなんで死んだの?」


「悪いけどその話はしたくない。とにかく京介さんの言うとおりにするんだ」


「悠日が殺したの?」


「そんなわけないだろ!」


「でも無関係じゃないはずだよね」


 あぁ、その通りだ。けれど、望んだわけじゃない。止められるものなら止めたかった。それをどう伝えようか考える一方で、悠日の中の冷静な思考が声を上げた。不思議な違和感があるのだ。


「美結菜。この先にはなにがあるんだっけ?」


「言ったでしょ。〈都市の最果て〉だよ」


「なんで京介さんはそこに行くよう指示したんだ?」


「わからない。でもきっと、なにかがあるんだと思う」


 そう、これが一つ目の違和感だ。さらには京介が悠日に向けた死に際の語り掛け。その内容はまるで、ミル・リッツフィールドが記憶の中で悠日に伝えた情報をすでに知っているかのようなものだった。


 そしてもう一つの違和感──それは美結菜が生まれた時の現象を、なぜ〈魔法管理局〉は察知できなかったのかということだ。美結菜の母親の身に起こった事故は、予期せぬ形で起こったはずだ。最愛の人を衝撃的な形で亡くした人間が、いくら京介であろうと、果たして〈魔法管理局〉に察知されない何らかの的確な処置を瞬時に講じることができるものだろうか。いや、そもそも事後では遅いのだ。アクセスは記録される。つまり考えられることとしては、京介は、予め美結菜の出生に関してこうなることを想定していたのだ。


 しかしそれはなぜだ? 情報はどこから? そして、どうやって〈魔法管理局〉の目を欺いた? それは美結菜の言う〝この先のなにか〟とやらに関係があるのだろうか。ミル・リッツフィールドだろうか? ──いや。


「なにかって、なに?」


「敵に言うわけないじゃん!」


「敵って……」その言葉が妙に重く悠日の胸に響く。


 そんな時、地下道が大きくズズンと上下に揺れる。美結菜は悠日にしがみつき、悠日は壁に手をついた。


 地震──浮遊都市で?

 悠日がそう思っていると、太い地鳴りと共に地下道の正面周辺が一斉に線図崩壊した。空の暗黒と〈電防繭〉みえ、アップリスの都市から光が差し込む。地下道の行く手はクレーターのようにえぐれ、悠日は危うくその崖下へ落ちそうになった。


「居たな、悠日」


「峩」


 黒いローブを靡かせて、峩は地上から悠日と美結菜を見下ろしていた。


「おれから逃げるなら座標くらい隠しておいたらどうだ。……とりあえずさっきのは何かの間違いだったってことにしてやるよ。魔女の確保、よくやった」


 掴んでいる美結菜の手が暴れる。しかし悠日はそれを離さなかった。


「しかしなぜそいつをすぐに殺さない」峩が不満そうに言う。「さっさと任務を済ませて帰ろうぜ。地球が恋しいんだろう? ……まぁ、お前が手を汚したくないってんなら、あとはおれがやってやるよ。氷狩を前に出せ」


「離して、悠日」と後ろから声がする。しかしその声に恐怖はなく、むしろ覚悟で満ちていた。美結菜のモノとは思えない、暗く低い声だ。「私、わかっちゃった。あいつでしょ。お父さんを殺したの」


「だったらどうするんだよ」


「戦ってやる」


「どうやって」


「私は魔女だよ」


「あいつはマナを扱いなれてる。敵うわけない」


「いいよ。別に死んでも」


「それだとおれが困るんだよ。京介さんと約束したんだ。あいつとはおれが話をするからお前は引き返せ」


 しかし美結菜は「引き返してなにになるのよ!」と抵抗し、おもむろに悠日を後ろから突き飛ばした。


 悠日は体勢を崩し「うわ。バカ!」と地下道から崖の下へと落下して、しかしそれでも掴んでいた美結菜の手も離さなかった。


「え、離してよ!」


 そしてそのまま二人は峩がえぐって作り出した大穴の底へと転がり落ちる。


「いてて」と悠日は後頭部を抑えた。


「ちょっと!」折り重なっている美結菜が怒る。「もっと私に気をつかってよ! あなたの落下に私を巻き込まないで!」


「敵に気をつかってほしいのかよ」


「やっぱり敵なんじゃん!」


「別にさっきも否定してないし」


「なにそれ! サイテー!」吐き捨てるように言って美結菜は立ち上がる。パンパンと洋服の埃を払い、地上から見下す峩を見上げながら、今度は落ち着いた口調で悠日に語り掛けた。


「でももう本当に離れて、悠日。私はどうなっても構わないの。だって、もう誰もいないんだよ。だから、私は大丈夫だから。だから──、ありがとう」


 峩が手のひらに巨大な炎の塊を発生させる。対して美結菜は両手を広げ、それを浴びる構えだ。とはいえ、ただで死んでたまるかというような──なにか一つ抗ってやろうという強い表情を持っていた。


「よかったな悠日」峩が炎を操りながら言う。「これで任務終了だ! 《イグニス》!」


 そして放たれた紅く吠える灼熱が、美結菜に襲い掛かった。両手を広げた美結菜は、ギンと目に力を入れる。


「アーテル。私に力を貸して。《トニトルス》」


 悠日の耳に聞こえたのはいかづちを操るマナのコード詠唱だ。しかし発生した小さな電撃はとても峩のマナに敵うものではなく──「あっ」という美結菜の声。か弱い放電流は、無情にも一瞬で焔に巻き込まれてかき消されてしまった。美結菜は、自分の無力さを一瞬で察したようだった。身体や表情から力が抜けていく。圧倒的な炎が目の前に迫る。空気が焼けている。お父さん──


 そんな風だったので、これはもうやむを得なかった。悠日はそう思う。やむを得ず、悠日は美結菜の身体に手を回して抱きかかえ、もう一方を焔へとかざす。


「……守って、くれるの?」


 キョトンとした表情の美結菜が、腕のなかにいる。


 さぁ、それは果たしてどうだろう。悠日は思い返していた。突然の辞令。若手職員を狙い撃ちにした地球外への出張命令。年単位を消費する長すぎる旅。不透明な任務。記憶の改ざんとそれを防ごうとした謎の人物。懐いてくれた男の子と、その彼に起こった悲劇。目の前での惨殺。京介から勝手に期待された役割と、それを断れない自分。強気で自分勝手な少女に崖から突き落とされ、その時にできた擦り傷の地味な痛み。


 かざした手に灼熱が達した。それはズシリと重く、沸騰するやかんのように熱い。受け止めた掌の一面に鋭い針が刺されているかのようだ。悠日は無言で焔の滝を受け止めていた。どうやっているかなど、そんなことはわからない。ともかく身体が勝手に動いてしまったのだ──まだ開花していない訓練の記憶だが、身体がしっかりと覚えていてくれていた。


 腕を振り、峩の炎を弾き飛ばす。舞い散った火の粉一つ一つが緑色の線となり、蒸発していく。


「マジかよ悠日」と峩。


「それはこっちのセリフだよ」悠日は手のひらをパタパタと振って痛みを誤魔化しながら答える。


 峩はおどけた様子で両手を広げた。「いやいや。なんで魔女を守る? おれたちの目的は同じだったハズだ」


「逆に教えてくれ。なんで魔女を殺そうとしてるんだ? おれたちは調査員だ。そんな任務、おれは聞いてない」


「記憶が開花していないだけだろう。契約時に話があった。おれたちは〈魔法管理局〉の魔法使いとして、魔女を殺すためにこの星に派遣されたんだ」

「だからなんだよその魔法使いって。じゃあ聞くけど、お前はその説明を受けて〝はいわかりました殺します〟って簡単に任務に同意したのか?」


「その部分の記憶は開花していない。だが納得はできている」


「もっと単純な話だと思うことはできないのか? お前が持つ一部の記憶が植え付けられた物だという可能性があればどうだ?」


「なにが言いたい悠日。お前、〈魔法管理局〉を疑っているのか?」


 峩は心からそう聞いているようだった。悠日は、峩が本当の記憶を思い出してくれればと淡い期待を抱いていたが──


「これ以上魔女を守るのであれば、もう記憶が開花していないでは済まされないぞ、悠日。お前は裏切り者として処理される」


 そう高らかに宣言する峩に、もはや話し合いの余地はなさそうだ。悠日はこっそりと、先ほどの地下道を探した。クレーターの中腹にぽっかりとその入り口がある。よじ登ってたどり着くには難しそうだが、かといって他になにか峩から逃れる手段はあるだろうか? 転じるのは簡単だが、しかしそれでは〈紋白端末〉を持たない美結菜は連れていけない。


「(美結菜)」と悠日は小声で話しかけた。「(空、飛べるか?)」


「飛べるわけないでしょ!」


「でかい声だすな! ウラは最後の戦いのとき宙に浮いたと絵本にあっただろ!」


「知らないよそんなの!」


 峩がイライラした口調で怒鳴る。「早くその魔女を差し出せ!」


「それはできない!」そして悠日は網膜の中に多様な〝峩を吹き飛ばせるもの〟を表示させ、その中から空気圧の操作を選んだ。


「《ウェントス》」とコードを唱え、手の中で空気を圧縮し旋回させて、それを峩に向け解き放つ。その空気の弾は鎌鼬かまいたちをまき散らしながら峩を捉え──峩はそれを両手で正面から受け止めるが、ローブや皮膚が鋭くえぐり取られ、その痛みに声を漏らした。


「行くぞ、美結菜!」と悠日は美結菜の手を引いて走り出す。


 その光景を見下す峩が叫んだ。「お前も殺してやる! 悠日!」


 はじめて声を掛けてくれた、あの時の優しい峩はもういない──悠日は美結菜の手を強く握る。クレーターの反対にたどり着き、地下道の入り口を見上げた。五メートルほどの高さにそれはあり、斜面は途中からほぼ垂直になっているのでもはや崖だ。峩がいる中でここを登るのは不可能だろう。


 峩がマナを放とうと構える。また受けとめてみるか? できるかどうかわからないが。悠日は美結菜を守ろうと手を引いた。しかし、その手はひどく緊張していて重く、強張こわばっている。


「お前も?」と、美結菜は峩の言葉を真似て呟いた。そして、悠日を見上げる。「お父さんだけじゃない……。ティゼを感じない」


 それは信じられないものを見たかのような瞳だった。


「ティゼは?」


 首を傾げ、悠日に問いかける。悠日は答えない。答えられない。


 美結菜は峩に聞いた。「どこにいるの?」


「残念だが、もうどこにもいない。お前の幼馴染は──」


 そう言いかけた峩の表情が、直後に固まったことに悠日は気付いた。


 しばしの静寂。まるで時間が止まったかのようだ。


「《ティリークォ》」


 美結菜の小さな呟きだ。呼応するように彼女を取り巻く環が生じ──それはウラを伝える絵本に描かれていた環にとてもよく似ていた。魔女を取り巻く無数の黒紫のリボンテープは、魔女が星と会話をしている時に描かれる星の言葉なのだという。


 悠日はハッとした。赤と白の閃光が、細く、無数に、峩の足元から漆黒の空へ向けて立ち昇っている。彼が羽織っていたマントがその光に触れた瞬間、その部分が瞬時に蒸発した。


「美結菜!!」思わず悠日は叫び、美結菜の両肩を掴んだ。


 詳しいことはわからないが、美結菜が本能的に魔女の力を発動させていることだけは理解できた。強力な炎のマナだ。おそらくいま発動されている炎のレーザーはまだ単なる前駆作用で、このあとにこそ本格的なマナの奔流ほんりゅうが放出されるだろう。


 このままでは峩は死ぬ。それはつまり美結菜が人を殺すということだ。そんなことをさせるわけにはいかなかった。なぜなら悠日は、京介から美結菜を託されているからだ。

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