第二次領域-√レ――

Layer9-√レ―私、魔女だよ―

 












「あなたがこのメッセージを受け取っているということは、きっとあなたが真っ先に魔女を見つけたということ。それはこの上ない幸運です」


 ミルの姿には徐々に線図が混じっていく。


「魔女を守れるのはあなたしかいません。ただし、なぜ魔女を守らなければいけないのか──それは魔女の顔を思い浮かべ、あなた自身が理由を見つけて判断してください。私はあなたの行動を強制することはできません。現時点では情報提供にとどめます」


 ミルの身体は完全に緑色の線図となる。


「私はミル・リッツフィールド。魔女を守りたい立場にあります」


 ハッと意識が返った。悠日はトウモロコシのハウス畑にいた。正面にはティゼがいる。そしてその背後には──


「峩」


 峩は両手を正面で構え、ティゼに向かい、一言呟いた。


「《イグニス》」


 悠日の目の前で、炎がティゼにこぼれ落ちた。


「悠日さん……」


 ティゼと目が合う。しかしその瞳は徐々に溶け出して、内側から炎が湧き出してくる。


「ティゼ」


 ティゼの身体はあっという間に溶け落ち、焼け焦げ、さらさらとした煤がハウスの中に舞った。炎がトウモロコシ畑に延焼し、ビニールハウスが線図に戻っていく。


「でも、よかったな」峩がいつもの調子で言う。「任務、早く終わりそうだ。地球に帰れるぞ」


 パチパチとトウモロコシが燃えていく。その中での峩が、あまりにいつもの調子すぎて悠日は驚いた。すこし遅れて人の焼けた臭いが漂ってくる。目の前に人間がいたハズの空間を悠日がぼーっと見つめていると、峩が心中察するといった具合で肩を叩いてきた。


「魔女に味方することは、誰であっても許されないんだ。氷狩の長女をかくまっていた人間があと一人いる」そして峩から同期が申請された。「行こうぜ、悠日。任務を終わらすんだ。《オスティム》」


 峩が指定した座標を悠日は本能的に掴み取った。ここで峩を一人にするわけにはいかない。二人は転じる。


「なぜ私がお前を信用したかわかるか、悠日」


 音もなく現れた悠日と峩に対し、京介は背を向けたままそう言った。まるですべてを悟っているかのような背中だ。


「それはお前に、魔法使い特有の雰囲気がなかったからだ。特有の雰囲気とは、どうやら不正に記憶を改ざんされたり、洗脳されたりした痕跡らしい。私はそれを見分けることができる」


「何の話だ」峩が舌打ちをした。「まぁいい。長女の座標が特定できない。隠したな」


 しかし京介は峩に耳を貸さず振り返ると──その横に立つ悠日をみつめた。


「地球から来たならわかるだろう、〈積層現実〉の違和感に。すべてがそれらしく作られた無意味な偽物だ。現実のように必要性と合理性と芸術性と工夫によって生み出された知恵の産物とはまるで違う。魔法使いも同じだ。人間味が欠けている様子が、その雰囲気のどこかに見て取れる」


 京介は、さりげなく峩に手のひらを向けた。


 峩は、なんら様子を変えなかった。「悠日、次のこいつの言葉で決めよう。長女の居場所を聞き出してから殺すか、すぐに殺すか」


 いったいなにを考えて──と言おうとした悠日だが、それを遮ったのは京介だった。


「しかしだからこそ、悠日。私はお前に話しかけているんだ。お前の横にいるその男のその行動はやむを得ない。なぜなら、あまりに無防備な部分に恐ろしいほど圧倒的な力が加えられたからだ。本人ですら抵抗しきれない力だ──彼もまた被害者と言える。しかしお前はどうだ。お前は今、無防備ではない。お前は救われている。だからこそ、お前には責任が生じるんだ。選択は自由だ。だがお前は自分が選んだ結果から目を背けられない。目を背けるな、悠日」


「くそ。後者だな」峩は、自らの失敗を悔やむように呟いた。「《グラキエース》」


 その言葉は古代の氷結を意味していた。京介の四肢の先端から身体が膨張し、血が血管を、血管が肉を、肉が皮膚を破り、はじけ飛ぶ寸前で凍り付いていく。それが指先から波のように京介の身体を駆けあがり──


「私を見ろ、悠日。役割だ」


〝京介と話したことは約束になる〟


 そこには、すべてを受け入れつつも決して屈しているわけではない覚悟の瞳があった。


「娘を頼む」


 京介の身体はすべての肉が皮膚を裂く形で膨張したまま固体化した。その低温が空気中の水分を液体に戻し、凍り、霜が貼りつく。



「すまん悠日」峩が失態を恥じながら言う。「こいつから長女の居場所を聞き出すのは不可能だと判断した。少し時間がかかっちまうかもしれないが許してくれ」峩はさらに「さて、これからどうやって長女を探すか……」と、遠くに聳えるアップリスの超超高層ビル群を眺めている。


 なんとなく様子がおかしいと悠日は思った。峩には京介の言葉が聞こえていたハズだ。峩は京介が喋っているうちは黙っていたし、それを遮ることもしていない。つまり峩は京介の話をしっかりと聞いていたことになる。しかしそれには反応を示さず──ぷいっと他方を向くように、まるで別のことを言い出していた。


 これも記憶が改ざんされ、洗脳されたためだろうか? いや、そうではないと悠日は思った。自分自身を保つため──というやつだろう。自分を〈何者か〉にするために、京介の憐れみさえ込められた言葉を確かに認識しながらも──まるで耳に入っていないといった風に装い、自分すらも騙しているのだ。


 〝目を背けるな〟と京介は言っていた。峩はそれだけの悲劇に見舞われたのだ。誰も知らない場所で、自分すら気付かない瞬間に。だから京介は彼を被害者と言った。彼は目を背けても仕方がないと、京介はすでに峩を赦している。


 しかし、自分はどうだ? 悠日は、京介の最期の瞬間──目を背けなかった時に彼から受け取っていた遺言のような一つの座標を目の隅に置いていた。京介の固体化が線図崩壊する。血液が風船を割ったように地面に落ちて弾けた。《グラキエース》の効力が消えたのだ。


「〝目を背けるな〟」悠日は口に出してみた。


「どうした? 長女の手掛かりか?」と峩。そこには、一片の悪気も持たず悠日に問いかける中国人男性の姿があった。「悠日?」


「すまん、峩」悠日は目の隅の座標を展開し有効にした。「〈魔法管理局〉と話をする。それまでおれは魔女を守る」


 京介から受け取った座標を展開する。イメージが広がっていく。暗く狭い。地下通路だ。


「裏切りか? 悠日」峩から表情が消える。「残念だよ。イグニ──」


「《オスティム》」とコード詠唱。


「わっ」


 暗く冷えた通路に出たと同時に、恐らく美結菜の驚く声がした。


「美結菜か?」


「悠日? えっ、どうしてここに──」


「お前こそ」石造りの暗い通路の中、うずくまっている美結菜のぼやけた輪郭が見て取れる。「隠れてたのか?」


「うん」と、その輪郭が少しだけ動いた。「お父さんに言われて」


「そうか。ここは……」


「ウチの地下にある通路だよ。〈都市の最果て〉まで繋がってて、子供の頃はよくティゼと遊んでた。〝今も子供だろ〟なんて、そんなこと言わないでね」


 悠日の皮肉を先読みして冗談を言う美結菜だったが、何かを察しているのか──若干おとなしく、利口な美結菜だった。彼女の小さな口が、続けて動く。


「お父さんに言われたよ。ここで人を待って、人が来たら〈都市の最果て〉へ行きなさいって。誰が来るのって聞いたんだけど、それは教えてもらえなかった。それって、悠日のこと?」


〝娘を頼む──〟


「そう……だと思う」


 悠日は美結菜に手を差し出した。それを掴んで立ち上がる美結菜。


 通路は真っ暗ではなかった。薄っすら青く発光する通路が続いている。


「コケクラゲ。天然物マターってお父さんが言ってた」


「おかげで歩きやすいよ。行こう」


 地下通路は、高さおよそ二メートル、幅が一メートルあるかないかで、二人並んで歩くのは少し難しかった。それでも美結菜は悠日の手を掴んで離さず、横に来ようとする。


「狭いよ」と悠日。


「わかってるけど」


 美結菜の声は泣きそうなものだった。薄暗い地下通路に二人の足音が響いて反響する。


「ねぇ、悠日」


「……なんだ」


「お父さん、死んだの?」


「……黙って歩けよ」


「なんとなくわかっちゃったんだよ。……隠さなくていいって」


 そうは言うものの、美結菜の声のトーンは一気に暗くなっていた。きっと冗談と思いたくて口にしたのだろう。しかし悠日は否定せず、それどころか今も沈黙を続けている。つまり、そういうことなのだ。


「どうして突然……」美結菜の言葉が言葉だったのはここまでだった。美結菜は後ろから悠日を抱え、声を上げて泣き出した。


 悠日はどうすればいいのかわからなかった。今からでも嘘をつくべきか──しかし腰に張りつき泣きじゃくる美結菜に、そんな残酷なことなどできるはずもない。京介は死んでしまった。もうどうしようもないのだ。こればかりは……


 しばらくの間、地下道に美結菜の泣き声が響いた。


「急いでいるのにごめんなさい。でも、ありがとう……」


 長い時間をかけて落ち着いた美結菜にかける言葉を見つけられず、悠日は黙ったまま彼女の手を引いて歩きだした。


「私ね。お母さんもいないんだ」と、不意に美結菜がしゃべりはじめる。「私を産んだ時に亡くなったって、お父さんが」


 その情報は確か峩が仕入れた情報の中に入っていた。しかし詳細までは掴めていないと言っていた。


「私、その時のこと、たぶん覚えてる」


「生まれた瞬間の記憶が?」


「わからないけど。だけど、とても狭くて苦しくて。だから、全部燃やしちゃったの」


 悠日は想像しかけたが、途中でそれをやめた。彼女は、母親を内側から──


「物心ついて、お父さんから真実を聞くことができてさ。やっぱり、私の記憶の通りだった。お母さんは燃えてしまったんだって。そして燃え尽きたその中で、産声を上げたのが私」


 悠日は沈黙を守っている。しばらく無言の時間が流れ、景色の変わらない地下道を歩く。


「驚かないんだね、悠日。私、魔女だよ」



 静かな口調で、美結菜は告白した。

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