Layer8-√レ―工作された記憶―


 












 悠日は薄緑色のつなぎ服を描写して着こんでいた。ナギハ社が開発した独自の技術──例え服が破けたとしても線図崩壊することなく修復が開始される特殊構造になっているそうだ。


 ハウスの外に出ると、地獄から解放された。〈電防繭〉に囲まれた閉鎖空間内には人工的な涼しい風が流れ、湿度も適度で、気持ちがいい。一方のハウスの中は暑くじめじめで、有機栽培なのでたい肥の匂いも強かった。しかしなぜだろう──地獄であるはずのハウスの中の方が、最近は妙に心地いいと感じる。


 しばらくして水やりを終えたティゼが同じハウスにやってきて、二人は同じ畝間に入り、ティゼは右、悠日は左の株の摘果に取り組んだ。


「悠日さん、これはどっちを取ればいいですか?」


 段々と悠日に慣れはじめていたティゼだった。


「うーん、いや、ていうか言っとくけど、おれもわからないからね。京介さんに見てもらおう」


 悠日は網膜から京介へメッセージと株の様子を送信する。しばらくして『下の房を取るように』と指示が返ってきた。


「いいのかなぁ。下の方が大きいように見えるけど」と悠日は呟きながら、その内容をティゼに伝える。


 するとティゼは「美結菜のお父さんが言うなら、その通りにした方がいいですよ。あとでめっちゃ怒られると思います」と、下の房を刈り取った。「美結菜のお父さんはなんでも知ってるんです」


「そんな感じがするね。それに人の扱い方もうまい」


「すごい人なんですよ。あの人と話していると──なんかよくわからないんですけど、いつも何か約束をさせられているんです」


「わかる」まさに悠日もその経験をしていた。


「あの人はいつも正しいんです」


「でもそれ言うと怒らない?」


「怒ります」


「〝正しさがどういうものかを語る者がいたとすれば、そいつは間違った人間だ。つまり、これを話している私自身も間違った人間ということだ〟」


「おじさんが言ってたんですか?」


「いや、なんとなく言いそうなことを予想してみただけ」


 悠日のその言葉に、ティゼは少し驚いたようだった。「すごく言いそうです」


 ティゼの表情は明るくなっていた。もう言葉もスムーズだ。


 それからティゼは、摘果をしながらいろいろなことを悠日に話した。美結菜とは小さい頃から一緒だったということ。ムス地区は世帯が少ない地区なので、ティゼはいつも美結菜と遊んでいたということ。小学生から中学生になってもいつも一緒だったこと。美結菜は昔どんな女の子だったのか、美結菜は勉強がどれくらいできたのか、美結菜は自分よりも足が速くて、美結菜は、美結菜は──


「美結菜のこと、好きなんだな」


「そ、そういうのとは違いますよ……!」と取り乱したティゼはなんとか取り繕いの言葉を探す。「ずっと、……一緒だったんでっ!」


「とか言って」


「いや……っ」


「でも美結菜はいつも相手にしてくれない、と」


「え、美結菜から聞いたんですか?」


「勘だよ。当たりか」


「うわマジ最悪……」ティゼは頭を抱えた。「今の聞かなかったことにしてください……」


「ダメだね。お前それ京介さんにも隠してるだろ。娘に手を出そうとしてる男がいるって言いつけてやる」


「いやそれはホント勘弁してください」


 そして二人は笑いあった。ようやく一つの畝を終え、次の列に移る。永遠の作業のようにも感じられたが、話をしているとその億劫さも紛れてくれる。


「二人だけなんですよ。僕たちの世代」と、笑いを残した表情で語るティゼ。「今でこそちらちらと子供たちを見かけるようにはなってますけど。けど、僕たちがまだ小さかった頃は、この地域の子供は僕と美結菜しかいなかったんです」


 ティゼはどこか遠くの景色──遠い記憶を見つめるような視線で、小さなトウモロコシをむしり取って根元に捨てた。


「ずっと一緒だったんです。だから、これからもずっと一緒がいいなって……僕は思ってるんですけどね。でももしかしたら、美結菜はそうは思ってないかもしれなくて」


「そういうものかもしれないな。意外と女の子ってドライだから」


「ですよね……。実際、美結菜、かなりドライなんです。僕なんかホント女々しくて、自分で自分が嫌いになりそうです」ティゼの手が止まる。「……はぁ。今にして思えば、あの時の僕が一番男らしかったなぁ」


「あの時?」と聞いて欲しそうだったので、悠日は聞いてやった。


「はい」と頷くティゼ。「もう四年も前のことなんですけどね。あの時は珍しく美結菜とお父さんで喧嘩したみたいで」


「あの二人が喧嘩したら凄そうだな。お互い絶対譲らなさそうだ」


「きっとそうだったんだと思います。それでアイツ、家から飛び出しちゃって。その頃はここもまだ放置された状態の土地で、めちゃくちゃ寒くて、監視もされてなかったんで、無法地帯で危なかったんですよ。だから僕、〈新天床〉まで行くって言ってきかない美結菜を追いかけて」


「立派だな。確かにそれは男らしい」


「それで僕たち、橋の下でしばらく過ごしたんです。二人だけで。とても寒かったですけど──すごく幸せな時間でした」


「そしてまた、あの時みたいな時間を過ごしたい──か」


「そういうわけじゃないですけど」照れ笑いをするティゼ。


『純粋な恋愛がこんなに羨ましいとはな』と峩が呟いている。


 悠日も同感だ。


 今度はしばらく沈黙が続いた。房を刈り取る音が、ハウスの中でしばらく響く。


「あの、悠日さん」とティゼがなにやら深刻そうな口調で切り出した。「魔女って、実在すると思いますか?」


「……突然どうした?」


 頭の通信の奥で峩が跳び起きた様子を感じ取った。この場所、このタイミング。偶然ではないだろう。


「絶対黙っててくださいね」


 覚悟あるティゼの表情だ。悠日は頷いた。頷いたが、しかし一方で〝なにも言うな〟と願っていた。おそらくその約束は守ることができない──そんな予感があったからだ。


「おれ、美結菜に見せてもらったんです。あいつが手の平から、火を出すところ」


 あぁ……、馬鹿野郎──

 一瞬、悠日は自らの立場を忘れてティゼにそう言ってやりたくなった。きっと二人だけの秘密だよって──美結菜はお前のことを信頼して、分かち合いたくて、お前に打ち明けたんだよ。やっぱりお前は美結菜にとって特別な存在なんじゃないか。なのにそんな誰にも言えないようなことを、今日会ったばかりの──それもよりにもよっておれなんかに話すなよ──


 悠日が深刻そうな顔をしていると、ティゼは笑って取り繕った。


「す、すみません突然。でも本当なんです。悠日さんは美結菜のお父さんに気に入られているみたいだし、美結菜も……なんかその……、気にしているみたいだし。それに僕も話しててなんか信頼できそうだなって思ったから……」


「……見たのか?」と、悠日はできるだけ冷静な口調を心掛けた。


 悠日はすでに自分の立場を思い出していた。自分は調査員だ。これはお手柄てがらだった。地球へ帰れるかもしれない──その鍵が目の前にあるのだ。悠日は、中々答えないティゼの肩を掴んで揺さぶってやりたくなったが、ここは辛うじて我慢した。


 ティゼはゆっくりと頷いた。「一年くらい前に、この畑に来るまでの鉄橋の所で」


 情報と一致した──



『決まりだな』と峩。


 その言葉に峩が立ち上がった雰囲気が込められていたため、思わず悠日は制止した。


『いや、まずは事実確認を』と、口を動かさず通信に答える。


 一般的な倫理として、情報提供者は守られなければならない。しかし今すぐに行動をしてしまっては、このままではティゼが秘密を漏らしたことが明白だ。これではティゼは美結菜の信頼を失ってしまう。それを避けるためには、なんとかうまく美結菜自身から秘密を引き出すよう作戦を立てることが必要だ。時間はかかってしまうが、そうすることで情報提供者であるティゼを守りながら任務を完遂させ、自分たちも気持ちよく地球に帰ることができる。


 そこでふと、悠日は考えを止めた。


 ──このあと、美結菜はどうなるんだ?


 ヴィアルから説明はあっただろうか。一番の目的は魔女を見つけることだ──それは覚えている。だが、自分たちはなぜ、遥々四年もかけて地球からアーテルにやってきて魔女をさがしているのだろうか。悠日は冷凍睡眠の後遺症により自分の記憶が未だ開花していないことを思い出した。とはいえ状態はつぼみみたいなものだ。強引に頭の中を探ってみる。


 突然の異動。辞令を持参したヴィアル。スカイボートで訪れたジャクソンビル。契約の説明を受けたミーティングルーム──当時の映像が蘇ってきた。どうやら思い出せそうだ。悠日は集中した。契約の内容を話すサングラスをかけた白人の男性はヴィアルだ。彼が、集まった調査員十二名に説明をしている。


「もし新たな魔女を見つけた場合は、まずは速やかに保護をすること。また魔女出現の情報が周囲に拡散されていた場合は周辺住民を安心させることにも努めてほしい。これは強調して伝えたいことだが、相手が例え魔女であっても、我々は彼女の一切の権利を奪うことはしないつもりだ。遠い昔、魔女は確かに我々にとって脅威となった。しかしそれは三〇〇年も前の話だ。時代は移り変わっている。先にも述べたように、君たちは魔女を守らなければならない。一方、魔女の情報を得たもののそれが確信に至らない場合は──」


 この記憶だ。速やかな保護。そして、確信に至らない場合は?


 ヴィアルは口を開く。「その時は、可能な限り──」


 可能な限り……。なんだっただろう。


 悠日はそこまでしか思い出せなかった。記憶の中でヴィアルの映像が口を開けたまま停止している。あとちょっとのような気もするが、映像は一時停止したまま受信不良をおこしたように動きそうにない。


 それはともかくとして、悠日は安心した。四年前の時点でこのような事態は想定され、自分たち調査員は説明も受けていたのだ。それなら峩が思い出しているだろう。悠日は無理に記憶をほじくり返すのをやめようとした。しかし──


 悠日は不思議な感覚に襲われていた。抜け出せないのだ。意識が、停止したヴィアルや他の調査員やミーティングルームをイメージしたまま、現実に戻れなかった。こんなことがあるだろうか? 意識を頭の奥から目に戻せばいいだけのはずだ──けれどそうしているうちに、ミーティングルームからヴィアルのイメージが薄まっていき、徐々に身体が透過していって、やがて消えた。悠日の周囲に座る調査員たちも、一人また一人と次々に消えていく。これは記憶のハズだが、まるでそれが塗り替えられていくかのようだ。気付けば室内にはもう誰もいない。一体何が──


 声がした。


「悠日さん。この情報をお伝えできるのがあなただけという点が悔やまれます」


 さっきまでヴィアルが立っていたミーティングルームの正面からだ。ストライプのシャツにスーツ姿の、一人の男性が立っていた。


「私はミル・リッツフィールド。魔女を守りたい立場にあります」


 ミル……? 知らない名前だった。


「幸い、あなたの正しい記憶は守ることができました。しかし他の十一名の調査員は、冷凍睡眠から覚醒する際に開花すべき記憶が改ざんされています。もちろんあなたの記憶も改ざんされかけましたが、私がそれを防ぎ、代わりにこの記憶を挿入しています」ミルは一歩二歩と悠日に近づく。「悠日さん。魔女を守ってください。その行動によりあなたは〈魔法管理局〉から除名されるでしょう。しかし戦う時間はあります。あなた以外の調査員が思い出す記憶はあなたとは別の記憶──魔女と疑われる者を暗殺するという記憶です」


 悠日は耳を疑った。そして問いかけようとしたが、声が出ない。


 ミルは続ける。「〈魔法管理局〉の狙いは魔女の抹殺です。しかし契約の時点でそんなことを伝えても、多くの調査員が任務を辞退するでしょう。そのため彼らは工作を企て、あなた以外の十一名に偽物の記憶を埋め込みました。そして冷凍睡眠から目覚めた彼らは工作された記憶の開花を自然に受け入れ、任務を遂行することになります。〈魔法管理局〉は〈積層現実〉を支配したいのです。しかし〈紋白端末〉を必要としない──つまり自分たちの管理下に置けず、さらには〈積層現実〉を誰よりも深く利用できる魔女は邪魔者でしかありません。ウラもほかの魔女もそのために抹殺されました」


 ミルは悠日の前で足を止める。悠日は相変わらず声を出せず、身体も動かせない。そう、これは記憶なのだ。

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