Layer7-√レ―役割―
その後、京介は悠日に一つの提案をしていた。
「ようやく〈新天床〉が解放されたんだ。私は敷地内のハウスの他にも、そこでトウモロコシをハウス栽培している。しかし、若干ではあるが土地を買いすぎてしまってね。若い頃のように身体が動かないということをあまり考慮に入れていなかった。まぁつまり人手が足りないってことなんだが……それで、どうかな悠日。私の仕事を手伝ってはみないか?」
「いいんですか!」悠日は即答した。「ぜひ!」とはいえ、それは悠日にとって調査員としての本来の役割における打算があったからこその頷きだ。
悠日は、まだこの地域にどういった住民が住んでいるのかや、人間関係もほとんど把握できていない状態だ。しかしこの京介という男はどうも早いうちに信頼を勝ち取っておかなければならい人物のように思えた。そして農作業の手伝いは、その絶好の機会だった。ただし京介のこの性格なので、注意すべきこともある。それは、京介が周辺住民から疎まれている可能性があることだ。彼とのファーストコンタクトですらあの調子だった。間違いなく京介には説教くさい側面がある。問題は、それを人々がどう受け取っているかということだ。もし彼のその気質がこの地域の中で疎まれる方に作用している場合、人々は京介を信頼せず距離をおいていることだろう。彼の誘いを受けることは、悠日も晴れてその疎ましい存在の仲間になることを意味している。すると当然ながら、充分な情報収集が困難なものになるだろう。
しかしもしそうでなかった場合──もし彼の気質が逆にこの地域の中で良い方へ作用していた場合、それは強力なリーダーシップになっていることだろう。もしかしたらこの地区をまとめあげている可能性すらある。
つまり悠日にとって、これは賭けでもあった。もし京介が悠日の見込んだ通りムス地区に多大な影響をいい方面に与えている人物であれば──ここで信頼を得られれば、今後様々な地域の情報が悠日の耳に入るだろう。
「今日からでも動けます。やらせてください」
「期待できそうだ。お前に声をかけて正解だったようだな──どうやらおれには人を見る目があるらしい。農作業は明日の朝一番からスタートだ」京介は続けて言う。「代わりにこの地区の住民に──悠日。お前を紹介してやらないとな。この地区の自治会長はマリィ・レコーディだ。会長から順繰りに回っていこう。ちなみに副会長は私が担っている」
悠日はお礼を言いつつ、心の中では賭けに勝った手ごたえを感じていた。
この後、悠日は京介と共に各屋敷を回って歩いた。やはり京介からの紹介ということで悪い扱いは受けず、みな歓迎の言葉を悠日に送った。
「明日は朝四時半にこの座標に来るように」と京介。「手伝いとはいえこれは雇用だ。報酬額も添付するから確認しておいてくれ」と、京介は悠日にタグを投げる。場所は例の鉄橋──魔女が発生したとされる地点──を越えた先にある〈新天床〉だ。
「よろしくお願いします」と言って、その日は京介と別れた。
ハウスに囲まれた控えめな背丈のトウモロコシ畑は、一面ライトグリーンの色合いだった。真っすぐと伸びて葉を広げたトウモロコシの株の間で、麦わら帽子が揺れている。マナで描かれた麦わら帽子をかぶった悠日は、同じくマナで描かれたホースを使い、マター由来の水をトウモロコシに撒く作業をしていた。
時刻は朝の六時半。アップリスから届く都市の光は特殊なビニール素材によって黄色く増幅されていて、ホースから放出される水が薄い小さな虹を生み出している。
「……熱い」
『立派だぞ、悠日』頭の中で峩の声が聞こえるが、聞こえないふりだ。
悠日は地球ホームシックにかかっていた。アップリスは都市レベルの閉鎖環境だ。太陽も青空もない。寝ても覚めても人工の明りに人工の建物。できることなら早く任務を終わらせて地球に帰り、全身で大自然を堪能したいところだが──それなのになぜ自分は今、悠長にトウモロコシ農家の真似事をしているのだろう。
ハウス内の気温は五一度。湿度八〇%。つまり地獄だ。トウモロコシは高さ一七〇センチメートルほどに育ち、黄緑色の茎を太く伸ばしている。そこから
「なんで自動化してないんだ……」思わずぼやいてしまう。
「役割だよ、悠日」背後に京介がいた。「自動化すべてが人類に恩恵をもたらすとは限らない。必要なのは取捨選択だ。確かに水やりを自動化することは簡単だろう。しかし人間だって口と肛門にチューブを突っ込めば生きていられるが、それをしないのはなぜだ? 植物も同じだ。ここはわざわざ人間が手間暇かける意味のある部分で、それによって──みろ。このトウモロコシは生育が悪い。こっちには斑点がある。病気かもしれない──こういう確認をすることができるんだ。いいか悠日。これは我々の役割だ。この時間を作るための自動化なのだ。大切なのは取捨選択だ」
そう言いたいことを言って、京介は別のハウスへと消えた。
悠日はその京介を、トウモロコシたちに水のシャワーを振りまきながら黙って見送った。反論こそしなかったが、それは悠日が熱さや疲れでまいっていたからだ。退屈さや眠たさも相まって、朦朧とした意識の中で水を撒いていた。
「あの、日本人って本当ですか?」と、後ろから声が聞こえた。女の子の声だ。
振り向くと、背の高いトウモロコシが作る小さな畝間の道に、やはり声の印象どおりの女の子が立っていた。彼女はおそらく京介の長女、
「そう。日本人だよ」と悠日は水を撒きながら答えた。
「マジですか! すご!」黒髪を揺らし、黒い瞳をきらきら光らせる。「私、氷狩美結菜です!」
「おれは悠日」
目を爛々と輝かせる美結菜は飛び跳ねる勢いで言う。「すご! 地球から来たんですよね! 本当に地球は実在しているんですね! 地球のどこから来たんですか?」
「長野県の上田市って所。知ってる?」
「聞いたことあります! 私のご先祖は横浜って所から来たらしいです」
「おれの地元だ」
「そうなの!?」
「就職するまではそこに住んでたよ」
「すご! やば! 横浜駅はずっと工事してるって本当ですか!?」
「ここ五〇〇年はずっと工事してるよ」
「嘘でしょ! そうなんだ! 教えてくれてありがとう! あ、邪魔してごめんなさい! また話そうね!」
そう言って美結菜は飛ぶようにハウスから出ていった。
『いい子じゃないか』と峩。
「子供に懐かれてもな。すでに敬語が崩れていたのがよろしくない。それよりも今のおれたちに必要なのは情報だ。子供の相手なんてしていられないよ」
『案外、子供が知っているものさ。大人のすること言うこと、ちゃっかり覚えているからな』
「もう話しかけないでくれ。この水を頭からかぶりたいほど暑いんだ」
『かぶればいいさ』
「ああ、そうするよ」
悠日はホース持ち上げて頭に運び、シャワーのようにして一気に水を浴びてやった。気持ちいい涼しさに包まれたが、その後は半乾きの生暖かい服で作業するハメになった。
悠日の毎日の習慣が徐々に確立されはじめていた。
朝四時に目覚ましが鳴り、その三〇分後には氷狩のハウスに行く。そこで京介の指示に従いながら昼過ぎまで農作業を手伝い、十四時以降は解放され、自宅で過ごすようになった。時々、美結菜もその作業を手伝ってくれるので、彼女と話す時間も増えていた。
「それで、その猫はどうなったの?」美結菜が首を傾げる。
敬語が完全に消失していることに彼女の将来を憂いながら、悠日は答えた。「一〇〇万回泣いて、そのまま死んでしまったんだ。でも、その猫はもう二度と生き返らなかった」
「不思議な話」美結菜は、どこかうっとりした表情で遠くを見つめる。「だってその子、悪い猫じゃないんだよね? それなのに〝死んでよかった〟なんて思えるなんて」
「きれいな感想だ。さすが京介さんの娘。感性が違う」
「ちょっと。そういう言い方はやめてよ」
どうやら皮肉は理解できる年頃のようだ。「敬語が使えないのは親譲りかよ?」
「すみませんでしたー」美結菜はベロを出してそう言うと、今日はもう帰るとハウスの外に姿を消した。その外から、帰りがけの美結菜の声が聞こえる。
「ハァイ、ティゼ」
「やぁ美結菜」
「手伝い?」
「そう。怖い人?」
「ええとても。気を付けてね……」
「怖くねえよ!」と悠日は思わず叫ぶ。
「キャー」と、はしゃいで駆けていく足音が聞こえる。
入れ替わりのような形で男の子がハウスに入ってきた。大きな口。きらきらと輝いて見える大きな青い瞳。
「うわー、えっと、こんにちわ」その表情は引きつっていて、目も悠日と合わない。
「こんにちわ。ティゼ?」
「は、はい……」
「京介さんに言われて?」
「手伝えって……」
「そんな怖がらなくても大丈夫だよ」悠日はティゼの頭にポンと手を置いた。「悠日だ。このハウスの水巻やってもらっていいかな──今やってるみたいな感じで。おれは隣のハウスで
「えっと……」
「いらない実を取り除くんだって。トウモロコシは一株に一個以上の実ができちゃいけないらしいんだ。これが結構大変な作業だから、水をまき終わったら一緒に手伝ってほしいんだけど」
「は、はい。わかりました!」とティゼは悠日を見上げ、ようやく目が合い、笑顔もみられた。
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