Layer5-√レ―入星都市シェアル―

 












 二一時間後、〈ルーフス〉は入星都市シェアルに到着した。都市と言っても、そこは一種の宇宙ステーションだ。悠日が〈ルーフス〉のデッキから見たシェアルの外見は暗く黒い箱型の構造体で──所々の窓や障害標識が白や赤の光を放っていたが、全体の輪郭は掴みにくかった。地球にある大型デパートに近い形だろうか。とても古い宇宙ステーションと聞いている。すでにシェアルとドッキングしている船があった。眼鏡に〈アルブム〉と表示される。地球とアーテルを行き来する古い輸送船のようだ。悠日たち十二人がデッキで待機していると、ルーフスから黒いフード付きのマントを渡された。


「このマントは〈魔法管理局〉の正職員であることを表す制服です。このマントの黒い色は特別役職を表しており、アーテルでこのマントを羽織る者に敬意を払わない者はいません」


「ほんとかよ」峩が笑い飛ばす。


 ルーフスは無視して、一同を移乗ゲートへ誘導した。悠日はマントを羽織りフードを深くかぶってみた。途中の窓に薄っすら映った自身のその姿はまるで魔法使いだ。マントの生地は厚く、内側にはベルトが結わえられている。一体なにに使うのか、これもまだ悠日の記憶にはない。ルーフスは、天井の低い通路の行き止まりで足を止めた。


「〈ルーフス〉船内は常に一Gで安定していましたが、ここから上は無重力です」


 ここから上?

 悠日が見上げると、円状の扉が設置されていた。扉の横には緑色に光るスイッチがあり、それが赤く切り替わると、ガコンと音がしてハッチのような扉が手前に開く。ゲートは、ちょうど人ひとりが通過できる程度の広さだった。そこに梯子はしごや階段はなく──通り抜けるにはゲートの左右にある手すりに掴まって身体を持ち上げるという、純粋に腕力が必要になりそうな構造だった。不親切な構造だ。


 ゲート先を覗き込んでみると、明るい光が溢れるひらけた領域が広がっている。所々に手すり付きの柱が立ち、人々はそれらを活用しながらすいすいと移動していた。


「では行ってください。私はこの船の一部なので、同行はここまでです。以後の行動はバディごとに判断してください」


 ルーフスはそう言った後、ゲートを見上げている悠日を促した。覗き込んでいた手前、仕方なく先陣を切ることにする。穴の両側の手すりを掴み、グッと身体を持ち上げた。


 覚悟していた筋力的な苦労は杞憂だった。足が〈ルーフス〉から離れた瞬間、フッと体重が──重力が消える。身体はふわりと浮かび上がり、ゲートに吸い込まれるようにしてシェアルに流れ込んだ。


 無重力のシェアルでは、どちらが床でどちらが天井でという決まり事がない。人々は、悠日の主観からして相対的に床や天井や壁に見える面を歩き、無作為に伸びる柱とそこに設置された手すりを器用に掴むなどして空中を泳いでいる。その泳行も──シェアル内部には悠日の主観で右から左へと向かう風が僅かに流れており、人々はみなその流れに従って、空中移動は左回りで統一されていた。まるで立体的なスケートリンクだ。


 悠日は、飛び出した瞬間に一瞬だけ身体のバランスを取るのに戸惑った。しかし身体は重心をしっかりと腰に持ち、マントの内側にあるベルトを握りしめると、右から左へ流れる風をマントで捉え──飛び出した際の慣性が失われないうちにクッと重心を移動させて空中で方向転換する。そのまま手近な泳行補助柱を掴んで足をかけ、次いで自分のその手慣れた動きに驚いた。確かに記憶はなくても訓練は積んでいたようだ。身体が覚えているというやつだろう。悠日は自分の潜在性に感動しながら移乗ゲートを見守る。黒いフードを被った調査員たちが次々に飛び出してきた。その光景はまるでおとぎ話の世界のようだ。そのうちの一人が悠日の元へ飛んできた。峩だ。


「どうする悠日。ここからは二人で自由行動だ」


「どうするもなにも、そもそも何をすればいいのかわからない。おれにとってはまずそこからなんだ」


「そうだったな」峩が笑う。「じゃあ、おれたちはこのままアップリスへ向かおう。ほとんどのバディはここに拠点を構えるそうだが、そんなことをしてもお前はなにがなんだかわからないって感じだろう。さっさとアップリスに行っちまうってのが一番良さそうだ」


 峩の提案に、悠日は頷くしかなかった。


 黒いフードを被った峩が補助柱を蹴って──悠日が正面を向いている方向に対して下に向かう。悠日も後を追った。下方向は身体をそちらに向けると途端に正面になる。柱を蹴って次の柱を掴みながら速度を上げ、正面の先へと向かっていく。都市には悠日たちと同じく接床せずに飛ぶ泳行人が多かったが、マントを帆のように使うことで衝突せずにスムーズに進むことができていた。移動にも余裕が出てきた悠日の耳は、徐々に街の人たちの声を拾いはじめる。


「あのマントは……」


「〈魔法管理局〉の魔法使いたちだ」


「あっちにも何人かいたぞ。一体なにごとだ……」


 魔法使い?

 悠日は首を傾げながら、峩の後を追った。


 眼鏡は道案内を表示していた。この先に軌道エレベーター〈雲の糸〉があるという。目的地の主都アップリスは〈雲の糸〉の先にある。


 前を行く峩が言った。「悠日。今回の任務について、どこまで記憶は開花しているんだ?」


「三〇〇年ぶりに現れた魔女を探しにアーテルへ来た──という所まで。詳細は一切」


 悠日は補助柱へ掴まり、一気に跳躍する。ようやく峩と並ぶことができた。


 峩は頷いて悠日に言う。「数日前──といっても、もう何年も経っちまったか。おれたちが選定される数日前に〈魔法管理局〉がアップリスから〈積層現実〉への不正アクセスを検知したんだ。通常〈積層現実〉へは〈魔法管理局〉が割り当てた〈紋白端末〉を使わないとアクセスできない。つまり不正アクセス者は、違法に〈紋白端末〉を作成したか、そもそもそれを使わず直接アクセスしたかのどちらかということになる。今回、それを調査するのがおれたちの役目だ」


「魔女の復活ではない可能性もあるってことか」


「そういうことだ──が、どういうわけか〈魔法管理局〉は魔女によるものとほぼ確信しているようだ。不正アクセスにある種のパターンのようなものがあるのかもしれないな。ただしそれがウラの復活なのか、あるいは全く別の魔女が新生したのかまではわからない」


「普通に考えたら後者だろうな」


「普通じゃない相手だからおれたちが派遣されたんだ」


「確かに」と頷く悠日。「もしウラが復活したら不正アクセスじゃ済まない」


「つまりおれたちは新しい魔女を探す方針ってことだな。もっとも、ほとんどのバディが同じ選択をするだろうが」


〈雲の糸〉入り口が見えてきた。眼鏡が搭乗ゲートを丸線で囲んで強調する。悠日と峩はその手前に着地した。支給されたブーツが床に吸着し、髪の毛が暴れそうになるがそれをフードが柔らかく押さえつける。悠日たちに続いて二人の黒マントが着地した。フードの中の顔が見える。


 一人はアダムだった。


「お前たちもアーテル先行か?」と峩が聞く。


 しかしアダムは、誰とも目を合わさないよう顔を伏せたままだ。


「彼、人との関わりが好きじゃないみたい」ともう一人の調査員が言った。芯の強そうな女性の声だ。「船内ではすれ違ったりしたかもしれないけど、話すのは初めてね。私はキラミ。キラミ・ウェヴ。フィンランドで観察官をしていたんだけど、気付いたらこんなところにいる」


 キラミはフードを後ろにずらして肩を竦ませてみせた。金色の髪。灰色の瞳。深い堀に整った輪郭。悠日が今まで見た中で確実に一番の美人だった。思わず、しばらく見とれてしまう。その美人の表情の眉間に薄く皺が寄った。


「まだあなた達の名前を聞いてない」


「峩だ。中国から」


「よろしく。シャットダウン事故の時は大変だったでしょう?」表情を豊かに変えて峩に同情するキラミ。しかしそれは一瞬のことで、すぐに彼女は悠日に顔を向けた。「それで、あなたは?」


「悠日。日本から」


「よろしく悠日。日本はとても遠い国だけれど、いつか行ってみたいと思っていた国なの。私たち友達になれるかもね。任務が終わったら自分の国をみんなで案内し合うってのはどう?」


 悠日に身体を寄せ、覗き込むようにして提案してくるキラミ。その横から峩が口を挟んだ。


「楽しそうな旅行計画だが、まずは任務の遂行だ。悠日、乗るぞ」


 悠日は頷いた。ホッとしたような、残念のような。


 若干、不満気な表情のキラミがアダムを促して峩と悠日に続き、四人は搭乗ゲートの中へ入った。入り口は大型スーパーの出口のような二重の自動ドアで、二枚目のドアは悠日たちの〈紋白端末〉をスキャンし認証した。その先に広がっていたのは、エレベーターへ搭乗するための七つのホームと、定間隔に灯りが設置された果てないトンネルだ。悠日たちが足を踏み入れたホームには三つのレーンがあり、そのうち一つに電車状のエレベーターが止まっていた。悠日の眼鏡に座席が表示され、そこまでのナビが矢印で表示される。


 四人はエレベーターに乗り込み──車内は細長く三列シートで、一人がけのソファ型の座席は背もたれを完全にフラットに倒すことができた。席はもちろん清潔だったが、一部色あせするなど年季も感じられる。


 悠日と峩は隣り合って席につく。アダムとキラミはその後ろの席に座った。


『アップリスまで五時間です』アナウンスが響き、エレベーターは滑るように動き出した。

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