Layer3-√レ―任務―

 












「準備を開始してください。〈魔法管理局〉本部で訓練がはじまります」


「いや……。え、今からですか? ちょっと話が急すぎませんか」


「アーテルへの出発は三ヶ月後から半年後を見込んでいます。今回、調査員に任命された方々の訓練次第で、出発の時期は大きく変化するでしょう」


「そういうことじゃなくて」悠日は手を投げた。「いくらなんでも横暴ですよ。国内の異動ならまだしも……海外どころか太陽系の外じゃないですか。これはあまりに酷すぎます。人権無視だ。ウチには労働組合がありますよね。そこに今回のことを話し、助けを求めさせてもらいます」


「もちろん」と頷くヴィアル。「あなたにはその権利がある。しかしそれだけ地球に危機が差し迫っているということをご理解ください」


 ヴィアルの真面目な口調に、悠日は少しだけ冷静さを思い出した。彼のサングラスの奥から、真摯な雰囲気を感じ取る。


「地球に危機って……」


「〝アーテルの魔女〟の伝説はご存知ですか?」


「子供の頃に絵本でなら」


「そのおとぎ話は真実です」ヴィアルは手のひらを差し出してそこに絵本のアイコンを表示させた。


「そう、この絵本」悠日が子供の頃にみたことがある物語で間違いない。「ウラもユーキーも実在した……?」


 頷くヴィアル。「三〇〇年前のできごとです」


「そんな昔の話を、どうして」


「復活した恐れがあります」


 にわかには信じられなかった。


「詳細は後ほど」とヴィアルは言った。「私を睨んでも現実は変わりません。出発は三十分後です。では、お待ちしています」


 ヴィアルは背を向け去っていく。


「お待ちしてるって、どこで」と悠日が言いかけた瞬間──


 突如、周囲にキィィィインと高周波が響き渡った。風や草木をヘリコプターのように揺らしている。音源は上だ。見上げると、何かの船底が見える。もしかして潜空艇スカイボートだろうか? それは空飛ぶ車として〈積層現実〉で研究開発され、徐々に実用化がすすめられている次世代の乗り物だ。なんとこれ一台で火星まで行けるらしい。そんな乗り物がおれの目の前に……? 悠日は、いよいよ観念した。


 急ごしらえで荷物をまとめて外へ出ると、親切にもヴィアルが旅行バッグを持ってくれた。スカイボートの扉が開く。機内は無人だった。運転席はなく、内装はシンプルで座り心地がよさそうなソファが車内を一周している。身長一七〇センチの悠日がソファから足を伸ばしても、向かい合うヴィアル──悠日より二十センチほど背が高い──に当たることはなさそうだ。乗り込むのが二人だけなら、おそらくそのソファに横になっても問題はないだろう。後ろのトランクに荷物を入れたヴィアルは、厚い絨毯が床に敷かれている車内に靴のまま乗り込んだ。悠日もそれに続く。


 ボディはほとんどがガラス張りだ。船体はヨットのように細長く、船のちょうど中央の部分の左右には、エンジンと思われるヴァームクーヘンのようなぐるぐるとした機関が取り付けられている。その不思議な機関から青白い閃光がまき散らされ車内にまで届く高周波音の音圧が上がっていく。気付けばスカイボートは宙に浮き、空に向かって加速していた。加速の圧は全く感じなかったので、移動していることに悠日は気付かなかった。


 一方、服の裾が海の中の海藻のようにゆらゆら揺れている。髪の毛も宙へ向かって踊り、身体から重さが消える。何が起こっているのか知ろうとキョロキョロしはじめた悠日に向かって、ヴィアルがペットボトルを投げてよこした。ふわふわと近づいてきたペットボトルを、悠日はキャッチした。そしてわざと手を放してみる。ペットボトルはそのまま宙に浮き、安定した。


「機内は無重力状態です」とヴィアル。「左右の──見えますか? 〈積層現実〉で組み立てられた〈ハチソン機関〉です。これによってこの機体から重力は消え、そしてどういうわけか加速エネルギーまでも相殺されています」


 悠日は驚こうとしたが、それよりもまだ急展開によるショックの方が大きい。


「はぁ……」と大きくため息を吐いた。


 ヴィアルが心中察するような表情で言った。「家族や友人、恋人は、旅立ちの当日に可能な限り招待します」


 それならまぁいいか──なんて、なるわけがない。そもそも悠日に恋人はいない。


「調査って、どのくらいの期間ですか?」


「十年ほどです。アーテルと地球の往復で、どうしても八年──つまり片道四年──かかります。けれど、安心してください。すでに我々は〈積層現実〉の実現によって、完全に安全な冷凍睡眠装置を開発しています。ですので、悠日さんにとって移動時間は一瞬に等しい。一方、アーテル滞在期間は調査次第になるでしょう。アーテルに到着してすぐに問題が解決すれば、悠日さんの主観時間では数週間ほどで地球に帰って来れることになります」


 果たしてその言葉を信じていいものか悠日は悩んだが、気晴らしになったことは確かだった。ヴィアルの言う冷凍睡眠装置が、もし悠日が想像するSF映画などでみたような代物であれば、悠日は二十代前半という貴重な年齢を消費することなく移動することができる。現実の世界では往復八年分の歳月が経過し悠日との時間はズレてしまうが、それは高重力体である黒色矮星アーテルの重力ポテンシャル内に入れば否応なく浦島効果が生じてしまう部分でもある。もはやこの部分については諦めるほかなかった──むしろ時間がズレて致命的となるような状況がないだけ──恋人がいないだけ──運がよかったと悠日は思うことにして、そして不思議な虚しさに襲われた。


 上田市を取り囲む、薄っすらと発光する〈電防繭〉──〈積層現実〉の領域を確保している境界──を越えると景色が開け、眼下では北アルプスや南アルプスや富士山がおもちゃのように小さく見えはじめた。足元に広がる大地は、もはや大地というより地球と呼んだ方がしっくりくる気がした。地平線と蒼穹。宇宙飛行士が見るような光景だ。スカイボートの上昇がようやく前進に転じたような気がする──例によってその圧は全く感じない。


「〈魔法管理局〉の本部ってどこにあるんですか?」


「フロリダです。調査隊メンバーも続々と集結しはじめています」


 NALEAに属する哀れな下僕は自分だけではないらしい。「全体で人数は?」


「十二名。現地では二人一組で行動する計画です」


「どういう人が選ばれたんですか?」


「これは〈NA2ナツ〉による人事調整です」


〈NA2〉とは、NALEAが所持する人工知能の名称だ。


「選考基準とかあるんですか?」もしかしたら、会社で役に立たないどうでもいい職員が集められているのかもしれない。


「私にはわかりません。ただ──」とヴィアルは続けた。「最終的には〈魔法管理局〉の局長が、〈NA2〉が挙げた職員について能力を調査し、二次選考として訓練に耐えうる素質があると評された職員のみに辞令を発行しています。つまり、これから集まる人々は、NALEAの中でも優秀な人材であるということです」


 仮にお世辞であったとしても、悠日にとってそれは慰めの言葉になった。


「訓練ってそんなに厳しいんですか?」


「悠日さんをはじめ、みなさんはこれから宇宙飛行をするわけですからね」と頷くヴィアル。「簡単な訓練ではありません」


 宇宙飛行か──

 そう言ってもらえると、任務に対する印象が悠日の中でわずかに変化した。子供の頃、ほんの少しの期間ではあったが、その職業に憧れたことがあるような気がする。いや、きっと憧れていただろう。そうだ。そうに違いない。よくよく考えれば、自分はこれから宇宙飛行士になるのだ。これはすごいことだ。〝優秀な人材〟というヴィアルの言葉も悠日に余裕を与えてくれていた。


「到着まで、あと一時間ほどです」ヴィアルが言う。


 嘘だろ、と悠日は思った。上田市から上昇してまだ三十分も経っていない。日本からフロリダまで飛行機だと何時間くらいかかるだろう。


 スカイボート。すごい乗り物だ。


「これ〈積層現実〉で作られたんですよね?」悠日はソファをぽんぽんしながら聞く。


「そうです」頷くヴィアル。


「でも〈積層現実〉で生み出されたものはその領域の外へは出られませんよね? 線図崩壊してしまうから」


「それは〈積層現実〉で描かれた仮想粒子で構成された構造体の場合です。スカイボートは〈積層現実〉が描く仮想粒子で作った工場や機械で、物質マター粒子を加工して作られた二次的な産物です。こういった使い方は今後増えてくるでしょう」


「なるほど……」


 仮想粒子で作られたものは〈積層現実〉の外に出ることができない。しかし当然ながら物質マター粒子で作られたものならば、その外に出ることができる。だから、マナではなくマターを〈積層現実〉内で加工すれば、このようなスカイボートを生み出せる。それにしてもマナとかマターとか、まるでオカルトの話をしているかのようだ。


「他に質問があれば今のうちに。任務については現地で話があります」


「魔女は。──ウラは、実在しているって話ですけど」


「はい」


「彼女はやっぱり、人類の敵だったんですか?」


「そのとおりです」ヴィアルは無表情で即答する。「彼女は〈紋白端末〉によるアーテルへの接続を良く思っていませんでした。自分以外は星に触れるべきでないと考えていたのです。理由はおそらく選民意識でしょう。そのため彼女がいるうちは〈積層現実〉について充分な研究ができずにいたのです。しかし悠日さんもご経験の通り、〈積層現実〉は人類に大きな進歩をもたらします。例えば現在、恒星間インターステラー旅行を実現するための大型のスカイボートを生み出す計画があります。もしその開発がうまくいけば、地球から一光年ちょっとであれば簡単に旅行ができるようになるでしょう。それだけ〈積層現実〉の恩恵は凄まじいのです。ですから、黒色矮星の〈積層現実〉は人類全体で共有し分析すべき自然現象でした」


「でもウラがそれを許さなかった……。だからウラと人類は対立した?」


「そのとおり。やがて彼女は人類に対し攻撃的な敵意を向け、それにユーキーが立ち向かいました。結果はご存知の通りです」


「でも、復活した」


「詳細は後ほど」


 スカイボートが下降に転じる。世界地図でよく見る北アメリカと、その南にはメキシコから繋がる南アメリカ大陸が雲の中から確認できた。大地はアンデス山脈が目立って白く、そこからブラジルや南にかけては緑が濃い。一方で北アメリカは茶色の大地がほとんどだった。スカイボートはメキシコ上空を通り過ぎ──この頃にはもうだいぶ高度は下がってきていた。メキシコ湾は地球の弧の先まで続いていて、次第にフロリダ半島が見えてくる。


「フロリダのジャクソンビルが、アメリカの〈積層現実〉特区に指定されていて──」とヴィアルは指をさす。「〈魔法管理局〉本部もそこにあります」


 聞いたことのない街だったが、外人にとっては上田市もそんなような街だろう。ヴィアルがさす指の先にジャクソンビルが見えてきた。立派な高層ビルが林立している。


「すべてマナで構成された都市です」とヴィアルが言う。


 都市にはスカイボートもたくさん潜空していた。〈ハチソン機関〉の電磁波が青白く光り、道のない道に隊列を作って移動している。悠日たちのスカイボートもフロントガラスに仮想路が描かれ、それに沿って隊列に加わった。しばらくビルの森を進むと、見上げた所にある、一つのビルの屋上が赤くマーキングされた。スカイボートはゆっくりと隊列から離れて上昇し、一度ビルよりも高度を上げた後、マーキング地点にゆっくりと降下した。


〈ハチソン機関〉の出力が弱まっていく。伴って、身体が重力を感じはじめた。全身がダルくなり、筋肉が軋んで、自分の体重を思い出す。ヴィアルはスカイボートのドアを開け、悠日に降りるよう促した。


「到着しました。〈魔法管理局〉本部です」

 ビルの屋上へ足を踏み出すと、ジャクソンビルの景色が一望できた。規則正しいコンクリートとビルの世界が広がっていて、同じ〈積層現実〉特区の上田市とは全く様子が違う。ビルとビルの間にある定間隔の隙間に綺麗に並んだスカイボートの光があり、ゆっくりと動いている。


 ヴィアルは悠日の前を歩き、ビル内部に通じるエレベーターまで誘導した。


「〈魔法管理局〉へようこそ。悠日調査員」


 ヴィアルが隣でそう言うと、エレベーターが「チン」と古典的な音を鳴らし、静かに下へと動きはじめた。


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