第一次領域-√レ――

Layer1-√レ―魔女の炎―

 











「秘密があるの」


 氷狩ひかり美結菜ミユナは十歳になったばかりだった。彼女の隣にいるのは同学年の男の子、ティゼ・レコーディ。大きな口、好奇心旺盛なキラキラした目が特徴的な男の子だ。主都アップリスの郊外──気温調整がいき届いていないスラムの一角の鉄橋の下に、美結菜とティゼはいた。


 鉄橋は、アップリスの超超高層ビル群が連なる都市部と、ここ一年で拡張されたアップリスの〈新天床〉とを結んでいる。しかしその橋を使う者は今はまだ誰もいなかった。二人がいる鉄橋の下もそうだが、環境管理がおこなわれていないのだ。


 現在〈積層現実〉を管理しているのは〈魔法管理局〉という団体で、本部は地球にあった。〈魔法管理局〉はアーテルへ足を踏み入れた人々に〈積層現実〉への接続権を与え、一人ひとりに接続アドレスを割り振って管理している。日常的なことであれば人々は自由に〈積層現実〉を利用することができるが、対外的に強い影響を与えうる利用は厳しくチェックされ、どうしても必要な場合には〈魔法管理局〉の承認が必要だった。


 アップリスには地球からの移民が増え、都市はそろそろ受け入れの限界を迎えようとしていた。そこで都知事は〈魔法管理局〉へ都市拡張を申請し、美結菜とティゼがいる鉄橋から繋がる新しい土地──〈新天床〉を展開し確保した。しかしその後の再審査で〈魔法管理局〉は〈新天床〉の利用目的が不透明だとして、都知事からの再申請がおこなわれるまでの間は開拓を凍結すると決めた。都知事は〈魔法管理局〉のその態度に激怒し再審査の結果は不当と主張して、現在は裁判の真っ最中だ。〈新天床〉については裁判の結果が出るまでは凍結が続くことになり、結果、管理は放棄されている状態だった。


 アップリスと〈新天床〉との溝は、幅がおよそ十メートル、深さがその半分ほどなので、だいたい五メートルだ。美結菜とティゼは互いに身を寄せ合って、震える身体を温めあいながら、その溝にかかる鉄橋の影に身を潜めるようにして座っていた。


「秘密? 秘密って?」ティゼは問いかけてみる。寒い。息が白かった。


 でも美結菜の顔はほんの少し赤く火照っていて、服装もラフで、Tシャツの奥には胸元が広く広がっている。そこに羽織った一枚の薄いカーディガンから、二の腕が透けて見えている。美結菜は寒くないのだろうか。でも、なんだかドキドキする……。横を向くと、美結菜の横顔があった。身体は寒いはずなのに、震えているのに、彼女の顔を見るだけでティゼの身体は指先までぽかぽかになる。肩が触れ合う距離に、美少女の美結菜がいる。いつも一緒に遊んではいるが、今までこんなに胸が高鳴ることはなかった。距離が近いから美結菜のいい匂いも仄かに漂ってくる。


 今日の美結菜はなんだか大人っぽい。秘密って、一体なんだろう?


 美結菜は垂れた髪の毛をかき上げて耳に運ぶと、その動作のままティゼの方を見た。


「お父さんからずっと言われ続けていたの。誰にも見せちゃいけないよって」


 美結菜はすっとカーディガンを脱ぐ。Tシャツ一枚になると、発育のいい胸と二の腕がぷっくりとしていて、ティゼは目のやり場に困った。


 美結菜が聞く。「どうしたの?」


「寒く……ないのかよ」ティゼは照れて、うつむくことしかできなかった。


「ちょっと寒いかな。でも、みてほしいから」


 美結菜がそう言うと、寒い寒い風に不意打ちの温かい温度が混ざった。青白かった気温が、途端に朱く色づいた。


「ミユ……?」


 美結菜の手のひらで、一握りの炎が揺れていた。


「え……?」


〈紋白端末〉を彫れるのは大人になってからのハズだ。しかし美結菜の手の中で──その紅は透けていて儚くも見えたが、確かな熱を帯びている。


「言いつけを破っちゃった」


「どういうこと……?」


「私、生まれた時からこういう体質なんだ。〈紋白端末〉がなくても〈積層現実〉にアクセスすることができるの」


 炎が揺らぎ、緑色の線に分解され、消滅する。美結菜は、なにもなくなった自分の手のひらに視線を落とし、そしてティゼの方を見て笑った。


「絶対秘密にしてね。ティゼがこのことを誰かに話したら、私、お父さんにとてもキツく怒られてしまうから」


 ティゼは頷いたものの、首を傾げた。「ならどうして言いつけを破ったのさ?」


「今、お父さんと喧嘩をしてるから。家から飛び出してきちゃったから。でも、そんな私をティゼは追いかけてきてくれたから」


 つまり、これは美結菜にとって小さな抵抗だったのだ。今までどのようにしてこの力を隠してきたのかはわからない。わからないが、ティゼにはその苦労がなんとなく想像できた。


 美結菜の父親は厳格を絵にかいたような人物だ。門限は厳しく、勉強もしっかりと管理され、遊びに出掛ける時ですら、どこに行くのか、何をするのか、何時に戻るのかを答えさせられた。そして彼に話すと、それはすべて破ってはいけない約束になった。ティゼにですらこうなのだ。もし美結菜が生まれた時からずっと、実は大人たちと同じことができたのだとしたら──同地区の人たちは美結菜のこの能力に、ほんの欠片も気付いていないだろう。彼はそこまで管理し、そして美結菜を教育してきたのだ。自分なら息が詰まって死んでしまうとティゼは思った。


「そりゃ追いかけるよ。この辺りを女の子が一人でうろつくなんて危ないからね」


「ありがとう。そんな優しいティゼに隠し事なんてできないよ。ううん、隠し事なんてしたくない」


「ありがとう。ねぇ美結菜、それよりもう一度、今の火を出すことはできる? 寒くて風邪をひきそうでさ。一緒に暖まろうよ」


「そうね」美結菜は再び手のひらを出して炎を灯す。


「あたたかい」とティゼは炎に手をかざす。「どうやって火を出してるの? 何かを念じているとか?」


 美結菜はかぶりを振った。「わからない。だって自然にできるんだもの。でも、この炎の名前は知っているよ」


「炎の名前?」


 美結菜は一度、優しく手を握りしめて炎を消した。そして再び開いて、今度は両手を合わせて器を作り、呟いた。


「《イグニス》」


 すると、美結菜の両手のひらに白と赤のプラズマが生成された。それは霧のようにゆっくりと揺らめいて渦を巻き、まるで手のひらに収まる小さな銀河のようだ。美結菜は、そのプラズマにフッと息を吹きかける。吐息に揺れた赤い銀河は美結菜の手から溢れだして、途端に巨大な大火となった。思わず身体をのけぞらせるティゼ。炎は鉄橋へ達するか達しないかという所まで届き、すぐに消えた。


「あはは、ごめんねティゼ。驚かせちゃった。でももう寒くないでしょう?」


「もう。でも本当、一気に温かくなったね。すごいや。なんで美結菜にはそんなことができるんだろう?」


「なんでだろうね。でも、調べようとはしないでね。きっと怪しまれちゃうから」


「うん。美結菜のお父さんは怖いからね」


 それから、二人はしばらく鉄橋下で身をくっつけて過ごした。美結菜はここぞとばかりに父親の愚痴をティゼに吐きだし、ティゼは黙って聞いてあげた。やがて美結菜の気が晴れた所で、二人は揃って住宅街へと戻った。美結菜は心配していた父に抱きしめられた。


「ごめんなさい」美結菜はそう言って、父を抱き返した。

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