黒色矮星の魔女

丸山弌

PROLOGUE-√レ――

Layer0-√レ―暗黒の星―

 











 宇宙を漂う漆黒の天体、黒色矮星アーテル。


 その地表から約三万キロメートル上空に、銀色に輝く浮遊都市──主都アップリスが浮かんでいた。アップリスの面積はマンハッタン島の二倍ほどで、所狭しと立ち並ぶ超超高層ビルは内側から煌々こうこうと輝き、下界に広がる暗黒の大地を見下ろしている。アーテルは恒星も惑星も衛星もない、孤独な天体だった。アーテルの空は常に夜で、しかし都市の灯りで星空はかき消されている。人々はこの闇の中、星をながめることよりも都市を明るく保つことを選んでいた。重力が一Gに固定された空飛ぶ街は品のある明るい広告で溢れ──美容、旅行、音楽、新型〈紋白端末もんしろタトゥ〉の宣伝映像が、ビルに埋め込まれたモニターの中で流れている。


 主都の中央には、遥か宇宙の果てへと伸びる軌道エレベーターがあった。アップリスと宇宙とを繋ぐ細いラインは人々から〈雲の糸〉と呼ばれ、主都の象徴となっている。


 漆黒の大地とそこに浮かぶ都市──そして、白色に輝く細い糸。その根元が突如、爆炎を巻き上げた。〈雲の糸〉は力なく傾きながら仮想マナ粒子崩壊を起こして、物質を演出する肉付けが剥がれ、緑色の線図がむき出しとなる。そしてその緑線もやがてフッと幻のごとく消滅した。爆発は、さらに二か所、三か所と立て続けに起こった。無作為というよりは、何かが移動しているような移り具合だ。また光が輝いて爆発が起こり、煙が立ち上る。ビルのディスプレイでは地球から輸入している新色グロスを塗った黒人モデルが思わせぶりに唇を膨らませるが──フッと何かが横切った瞬間、そのモデルが顔から火を噴いて内側から爆発が起こった。高さ数キロに及ぶ超超高層ビルが次々と傾き、〈雲の糸〉同様、崩れる中で線図崩壊を起こして消滅していく。


 一つの影が、〈都市の最果て〉へ向かい高速で移動している。〈都市の最果て〉は住民の落下防止のため、目に見えない厚くやわらかなカーテン〈電防繭でんぼうけん〉が張られているアップリスの辺境だ。


「いいぞ。追い込め」準超高層ビルの屋上からその様子を眺めていた男、ユーキー・ストライムが言った。「〈電防繭〉に干渉させるなよ。過剰なぐらい守っておけ」その言葉に対し網膜がチカチカと反応する。ユーキーは眉間に皺を寄せたまま、厳しい表情だった。「……分かった。あとはおれがやる」彼は独り言のように呟き、右手の甲にある〈紋白端末〉を光らせると「《オスティム》」と、再び独り言のように呟いた。準超高層ビルの屋上は無人になった。


「これが最後の勧告だ、ウラ」


 ユーキーは、先ほどの準超高層ビルの下──都市の石畳の上を歩いていた。視線の先にはウラ・ドルナがいる。彼女は薄っすらと淡く光る〈電防繭〉とその先の漆黒の大地を背にし、退路は断たれていた。


「ユーキー……」ウラは首を傾げた「どうしてあなたが私と向かい合っているの?」


「話し合いたいからだ」


「今までは同じ方向を見ていた」


「お前がこちらに来ればそうなる」


「地球には戻れない──わかるでしょ? 調査機構にこの星を明け渡すわけにはいかないの」


 ユーキーは大きく息を吸い、声を荒げた。「この星はお前だけのものではないんだ!」しかし自分の側に来てくれれば、それはそのままウラの身を守ることに繋がる──ユーキーはなんとかしてウラを説得したかった。瞳の裏側で、これまでの調査任務の日々が思い出される。


 遺伝子的にマッチングされた相方バディ。共に地球から打ち上げられ、宇宙船で過ごす退屈し尽くしたある日、窓から肉眼でアーテルを確認した時の感動。身体が闇に消えてしまいそうな、重力に吸い込まれてしまいそうな緊張感の中で目の当たりにした、彼女とアーテルが引き起こす不可思議な現象。彼女が天を仰げば炎が舞った。彼女が睨めばすべてが凍てついた。彼女が疲れたと思った時は、彼女の記憶の隅にある子供時代に愛用していた小さな椅子が現れた。彼女がイラついた時は、ボクシンググローブが現れた。彼女が寂しさに包まれた時、よくカントリーを弾いていた頃のアコースティックギターが現れた。アーテルは、彼女がイメージしたすべてを描き出していた。


 なぜウラだけがアーテルと繋がっているのか。ウラとアーテルのはじめての遭遇から三年──原因はまだわかっていない。しかし研究は進み、アーテルの重力圏内の領域はある特定の特殊な言語の影響を受ける性質があることがわかっていた。調査機構は人間の言葉を〈紋白端末〉によってその特殊な言語へ翻訳させることで、ウラとほぼ同様に星とやり取りすることができることを発見する。やがてこの特殊な言語の干渉が可能な領域のことを、人々は〈積層現実〉と呼ぶようになった。


 アップリスは〈積層現実〉の性質を利用して作られたデータ都市だ。崩壊した建物が線図となって消滅したのはそのためだ。


〝星と話すの〟


 魔法のような現象を起こすウラの言葉を、ユーキーは思い出した。今は自分も〈紋白端末〉という媒介を用いて〈積層現実〉にアクセスしている。ウラと同じように、星と話をしている。ユーキーの右手の甲に彫られた〈紋白端末〉は淡い光を放っており、左手の甲にある同じ紋様も光りはじめた。光る両こぶしを、ユーキーは強く握りしめる。


「ウラ! おれの側へ来い!」


「私の邪魔をしないで!」向かい合うウラは両手を広げた。


 嘆願のようにも聞こえたが、彼女はそんな弱い人間ではないことをユーキーは知っている。彼女は強い。戦う人間だ。黒紫色をしたリボンテープのようなが、回転しながらウラを取り巻いていく。ウラは手の中に、赤から白へ渦巻きながら移行するプラズマを宿らせた。同時にその身体が宙に浮き、これまでの戦いで黒く煤けた服は裾が破れ風に靡いて──その姿はさながら古の魔女のようだ。


「ウラ! 人類を──地球を裏切るな!」


 叫ぶように言ってから、ユーキーは自分の言葉こそ嘆願に近いと気づき、心の中で自嘲した。彼女は、戦う人間なのだ。


 次の瞬間──ウラは銀色の都市に響く、大気を切り裂く風を巻き起こした。凄まじい高周波を纏っている。ユーキーは〈紋白端末〉を操り、衝撃波を遮断する保護膜を展開させる。さらに巨大な剣を描き出し、大きな手でそれを握りしめる。


 風が止んだ──しかしそれは、彼女が両手に準備していた高温のプラズマが仕上がったことを意味していた。


「星を選ぶのか? ……おれよりも大切か?」


「あなたこそ。私よりも世界を選ぶの?」


 束の間の沈黙だった。


 意を決して、ユーキーは一歩踏み込む。ウラは両手のプラズマをこぼさないように合わせると、それにフッと息を吹きかけた。途端に広がり、捻じれ、迫る、灼熱色の竜巻だったが、ユーキーは構わずウラに飛びかかった。保護膜によって熱波から守られてはいるが、それもはじめのうちだけだ。徐々に頬に熱を感じ、耐えがたくなり、皮膚が熔けて、めくれていく。


 轟く振動は灼熱のうめきかユーキーの叫び声か──しかしついに凪ぎ払われた剣の切っ先は、ウラの身体へと達した。


 刃を受けたウラは弾き飛ばされ、〈電防繭〉にぶつかってゆっくりと都市に降下する。空中に舞っていた火の粉も消え、倒れたウラからどろりとした血液が這い出してくる。


「ウラ……」


 着地したユーキーの手にあった剣が、緑の線図となって消える。倒れたウラは、力を振り絞るように肩を震わせ、身体を起こそうとしている。思わずユーキーは駆け寄って、彼女を支えようと膝をつき、その顔を覗き込んだ。ウラは、笑っていた。まさしく魔女のような、痩せこけて、目は剥き出しになり、口は裂け──身の毛のよだつ笑い顔だ。あっという間の変貌にユーキーは言葉を失った。思考も止まり、一瞬だけ何も考えられなくなった。そして、ハッとした。しまった。ユーキーがそう思った時には、ウラは〈電防繭〉に添えた手で抜け穴を作っており、そこから都市の外へと飛び降りた。ウラの身体は木の葉のように気流にあおられながらアーテルの高重力に引かれ、遥か下の漆黒の大地へ落下していく。〈電防繭〉はすぐに再生され、ユーキーは後を追えなかった。


「すぐに捜索隊を」


 ユーキーは指示を出しながら、暗黒色の地表を見下ろした。それから六時間が経った。都市の直下で、ゴツゴツとしたブラックダイヤモンドの地表にシミが見つかったと報告が入った。


 アーテルの重力は地球の四〇倍になる。地表に人間が降り立つと、その身体は自重に押しつぶされて液化し、すぐに蒸発してしまう。そうすると、シミができるのだ。そのシミがみつかったと、捜索隊はユーキーに報告した。それはつまり、彼女は死んだということだった。


「奴は魔女だぞ!? こんな死に方があるか!」


 捜索隊の報告を認めたくないユーキーだったが、彼女が負っていたケガなどから、星との疎通はもうできなかったのだと──アーテルの重力から逃れる術はなかったのだと、捜索隊員たちは彼の肩を叩いて戦いを労った。それでもユーキーは、またいつか彼女がどこかで復活するのではないかと警戒を続けていたが、結局、ウラは現れなかった。



 それから三〇〇年。

 ユーキーは魔女と戦った勇者として称えられ、今もその名はアーテルに残されている。

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