禍、転じて福となりけり<前>

 賀根町かねまち付近で行われる祭りは、大きなものではない。花火見物をするには足を伸ばす必要があるし、商いをしていれば、なかなか遠出とは相成らない。

 近場の祭りとなれば、見物ではなく、むしろ客足を見込んでの稼ぎ時。

 つまり、いとにとって祭りとは、自身が出向いて楽しむものではなく、楽しみを提供する側なのである。



「屋台?」

「そう。一緒にやらねえか?」

 珍しく萩屋はぎやへやって来た兵衛ひょうえが持ち込んだ話に、絲は目を丸くする。

 なんでも、兵衛の店が祭りでちょっとした屋台を出すのだという。共に並ぶはずだった店は所用で都合がつかなくなり、空いてしまった。それならばと、話をこちらへ持ちかけてきたらしい。

「うちは、例の菓子を出すんだ。ちょいと細工をしてな」

「細工?」

「なあ、佐田彦さたひこの旦那はいるかい?」

「とは思うけど……、なあに、佐田彦さまを巻き込むつもりなの?」

「むしろ、旦那がいないと成り立たねえんだよ、これは」

「どういう意味よ」

「辻占菓子を作ろうと思ってな」

「――ああ、そういうことなのね」

「そういうことだ」

 絲が合点し、兵衛も笑みを浮かべる。


 事の起こりがいつの頃であったかは忘れてしまったが、それが効果となって現れたのは、兵衛の店でのことである。

 古びてきた萩屋の品書きを佐田彦が請け負ったのは、男の書く字がたいそう整っており、美しいと知った松が依頼してのことだった。日頃より、絲の家族らに世話になっている自覚のある佐田彦は、墨をすり、書き上げた。

 壁に貼りだされたそれは見栄えもし、評判にもなった。売り上げもあがった。

 それに関しては、花見の時期と重なったこともあり、たいして話題にもならなかったのであるが、兵衛の店では別の効果をもたらしたのである。

 字を見た兵衛が、自身の店も是非に――と頼み込み、佐田彦もまた請け負った。

 こちらに身を置くと心を決めたからには、「人」としての自分を構築しなければならない。絲にばかり頼っている現状は、少々恰好がつかないだろう。

 町での暮らしに馴染むにあたり、兵衛という男との関係を深くしておくに、越したことはないと考えたのである。

 兵衛の茶屋でも、同様に客が増えたのであるが、評判を呼んだのは別のことだった。

 大工に弟子入りした息子のためにと頼まれ、乞われるがままに「護り」と書いたお守りを作った。その懸守かけまもりを身につけていたところ、現場で起こった事故――、材木が崩れて下敷きになろうかという危機に、怪我ひとつなく助かったのだという。

 それだけではただの偶然だが、似たようなことが、別々の人の間で数回起こった。

 また、茶屋で会話をしている際に口にした佐田彦の弁を思いきって実行したところ、成功をおさめて褒められただとか、失せ物が見つかっただとかと、小さな幸運が広がった。

 偶然にしろなんにしろ、発端となっているのがすべて佐田彦であったものだから、兵衛の店界隈では「福を呼ぶ男」として評判となり、やれ字を書いてくれだの、話を聞いてくれだのという依頼が飛び込んでくる始末。

 直太郎なおたろうなぞは「小屋を借りて占いをすればどうか」などと言い出したものだが、絲がぴしゃりと断った。

 見世物ではないし、それに第一、変な注目を集めるのは佐田彦の身を危うくすると考えたからだ。

 知られるわけにはいかないし、知られたところで信じる者も少ないであろう。

 佐田彦が、人の身でありながら稲荷神に仕える神使しんしである、などと言ったところで、気が触れたとしか思われないだろうが、そういったふうに見られるのもどうかと思うのである。

 その点、兵衛は信用がおける。兄よりもずっと「きちんと」している、いっぱしの商売人だ。

 長屋の住人だけでなく、兵衛と仲が良くなることは、佐田彦にとってもよいことであると、絲は考えている。

 気分はすっかり、母親であった。



  ◇◆◇



 辻占菓子とは、文字通り、お御籤みくじを付けた菓子である。煎餅なぞはよく見かけるものだが、兵衛が作ろうとしているのは、店で取り扱っている小麦の菓子だ。

 それなりに浸透し、味も落ち着いてきた。固いと言われて配合を見直してみたりと改良を重ね、今では一定の評価を得ている。

 しかしだからこそ、売り上げの方も落ち着いてしまった。

 祭りの客を当て込んで、味を知らぬ者へ売り込み、また既存の客には佐田彦の書いた御籤を付けておけば、購買欲をそそられることだろう。


「それで、俺はなにをすればよいのだ」

「適当な言葉を書いておいてくれれば、それでいいよ」

「適当と言われてもな」

「よくあるようなものでいいんだ。長寿とか、待ち人来るとか。悪いことは書かずに、よいことだけで頼むぜ」

「なにやら、あざむいておるようで気が進まんのだが……」

「旦那、これは祭りだ。楽しくいくもんだ」

「楽しく、か?」

 呟いて頭をひねる。

 佐田彦にとって「祭り」といえば、五穀豊穣といった印象が強い。

 社に捧げ、神職が祈りを捧げる。常世にとっては、奉納されたものを受け取る日であるし、現世うつしよの様子を垣間見る機会でもある。ここで実りが悪ければ、よどみがある証拠であるし、天候の調節が必要にもなる。天照大御神がお出でになることもあり、緊張を強いられる期間でもある。

 だが、兵衛らのいうところの「祭り」は、事情が異なるようだった。


 腕を組んで思案する佐田彦を見やりつつ、兵衛は屋台についての詳細を書き出しておく。

 当日は、佐田彦や絲にも店に立ってもらわなければならない。萩屋の看板娘たる絲はともかくとして、佐田彦には役割について理解しておいてもらわなければならない。

 売り物としては、辻占菓子に加え、甘酒、麦湯。萩屋に交渉し、団子も確保した。冷や水も売るつもりであったため、この協力はありがたい。同業者も多かろうが、ここは白玉の味で勝負をかけたいところだ。

 萩屋が夏場に売っている葛饅頭は、兵衛の好物でもある。ぱくりと幾つでも食べられる菓子だった。

 最近は餡子の味が深みを増したように思えるため、今年のそれは、例年を上回る味わいなのではないかと、今から期待が持てる一品だ。

 数を絞って提供してもらい、好んだ者には「萩屋」の名を伝える。店の宣伝を兼ねて、いくつかの品を出してもらうつもりである。

 兵衛としては、はじめは直太郎を誘うつもりだった。

 だが、絲の母親である松から断られた。あのボンクラよりは、絲を使ったほうが店の為になると踏んだらしい。

 どうせならば、佐田彦に祭りを見せてやってくれ、とも頼まれている。

 その案内役とはきっと、己ではなく、絲なのだろう。

 兵衛から見ても、あの二人の仲はよくわからないところだ。

 冬の頃、絲の反応はそれなりに娘らしいものであったが、共に過ごすにつれて慣れてしまったのか、どうにも初々しさに欠ける。恋い慕う相手に対する態度ともなにやら違うのだ。

 佐田彦にそれとなく話を向けてはみたものの、こちらもまたかんばしくない。

 そもそも恋情があるのかどうかも、よくわからない。その辺りの感情自体が、薄い気がしてならないのである。

 絲の両親としては、今の状態をどうにかしたいと考えているのではないだろうか。

 己に課せられた任は、きっかけ作りであると、兵衛は考えた。

 絲は友人であり、妹のような存在だ。

 自身のことで周囲から誤解を受けていることを自覚しているだけに、絲が望むのであれば仲を取り持つのはやぶさかではないし、それならそれで、佐田彦という男を見極めなければならないとも考えている。

 生半可な野郎には、絲はやらん。

 それは兵衛にかぎったことではなく、長屋の住人の総意であった。



  ◇◆◇



「ぼくもやりたい」

「駄目よ、これは佐田彦さまのお仕事」

「じゃあ、ぼくのおしごとは?」

「今日のお仕事はおしまいよ。白旺はくおうと遊んでいらっしゃいな」

「俺様にも都合というものがあるのであるが」

「お願い、白旺。ちょっとだけ相手をしてあげてくれないかしら?」

「――仕方がないのである。小豆丸、行くぞ」

「にゃー、どこいくの?」

「見回りである。そして、にゃーではない」

 ゆらりと尾を振りながら進む雷獣の後を、ぽてぽてと紅丸が付いていく。長屋の付近を歩く程度であれば、白旺に任せても問題はないだろう。

 一人と一体を見送り、絲は佐田彦の傍へと寄った。

「そんなに悩むほどのことはないと思うのだけれど」

「祭りというものが、俺にはよくわからぬ」

「神さまの国には祭りはないの?」

「神々が集まることはあっても、俺が宴席に出るわけではないからな」

 宴席というからには、酒呑みの場なのだろうか。長屋の男衆が寄り集まって騒いでいる様を思い起こし、絲の眉が寄る。

 常世とこよの事情はわからないものの、佐田彦は「人」である。現世の祭りをまったく知らぬわけではないであろうに、なにを思案するのか、頭を捻る。

 それとも、近くで祭りが行われないような場所に住んでいたのだろうか。

 佐田彦が生まれたのは、今より二百年ほど前の時代だという。

 どこの、どんな場所の、どんな家に生まれ、どんなふうに常世へ住まうようになったのか。

 絲は、事情をよく知らない。

 佐田彦は語らなかったし、絲もそれを聞き出すことはしなかった。それでなくとも、紅丸のことがあったし、玉藻前たまものまえや、彼女を介して宇迦之御魂神うかのみたまのかみとも通じ、小間物のやり取りもした。絲の心中は休まることもなく、心の臓は常に打ち鳴らされている。

 もっとも、そのおかげで、佐田彦との暮らしも深く考えることもなく日々を過ごせてしまい、改めて考えるとよくわからない心情だ。

 当初はあれやこれやと野次馬根性が見えた住人たちも、あまり騒がなくなった。二人で居たとしても、揶揄からかわれることも少なくなった。それはそれで、変な心持ちである。

 佐田彦に対する想いがどういった類のものなのか。間を置いたせいなのか、判別が難しくなってしまった。

 絲としては、佐田彦が近くにおり、紅丸がいて、白旺がいる生活が日常となり、それを心地よいと感じている――それだけで、今は十分だと考えてしまっている。これでは、進展などあろうはずもない。

 それ以前に、佐田彦はいつまでこの地にいるのかが、わからない。

 神使であるからには、自己の都合で所在を固定することなぞできはしないだろう。

 心の奥底で、「いつか居なくなるのかもしれない」という気持ちがあり、だからこそ、佐田彦の事情や生い立ちやらに立ち入ることに躊躇するし、深く踏み込んでいいのかもわからない。

 佐田彦が「常世の住人」であることを知っているのは絲だけで、その不安を誰に打ち明けることもできない。

 結局のところ、絲は見ない振りをしているだけなのだ。

 今の幸福に浸り、先の不安を考えないようにしている。

 知ることが恐ろしい。

 もしも、佐田彦が去るとしたら、自分はどうすればよいのだろう――。

 そのことを思う時、胃の腑が重くなる。

「お絲?」

「な、なにかしら」

「どうかしたのか」

「なんでもないのよ」

「負の気を溜めるのは良くないことだ」

「……そうね」

 良くない感情は、やがて澱みとなり、鬼を呼ぶ。

 それを退治することが、佐田彦が現世に留まる理由だ。

 ならば、それがあるかぎり、男はここに居るのだろうか――。

 とろりと胸に浸透するなにかを引き剥がし、絲は笑みを浮かべた。

「お御籤はどれぐらい作るの?」

「この紙、すべてだな」

「兵衛ったら、いくつ売るつもりなのよ」

「あの菓子は、ひとつが大きくはないからな。一人が複数買うと踏んでおるのではないか?」

「だからって、多すぎるでしょうに」

「奴曰く、御籤を入れたり入れなかったりするらしい」

「入っているかどうかも、運のひとつ、というわけね。兵衛らしいわ」


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