巻ノ弐

雷光は我と共にあり

 昨日よりずっと、一帯には雨が降り注いでいる。

 時節柄ではあるが、こうも続くとやはり気も滅入るというものだろう。

 遠雷が響く中、「我こそが、この暗雲たる空の支配者なのである」と居丈高に告げた雷獣は、首に巻いた布をたなびかせながら、上空へと駆けあがっていった。

 かねてより、鼻をひくつかせ、ピンと張った髭を湿り気を帯びた風にそよがせていた白旺はくおうだ。雷を心待ちにしていた姿を知っているだけに、佐田彦さたひこは呆れながらも見送ったものである。

 雨期は、彼にとって活躍の場。それを奪うつもりは毛頭ない。むしろ、今の今までおとなしく居ついていたほうが驚きなのだ。

 降り止まぬ雨の中、雷獣は未だ戻ってくる様子はない。



「にゃー、まだ?」

「稲光を伴う空となれば、奴の領分。そう易々と戻ってくることもないのではないか?」

「にゃー、いなくなったの?」

「さてな」

「…………」

 佐田彦が言うと、紅丸は黙りこんだ。眉は下がり、泣きそうな面持ちとなる。

「もう少し言い方を考えるべきだと思うわ」

「だがな、お絲――」

 非難の目を向けられた佐田彦が反論を試みようとしたところ、朝餉を下げにやってきた絲はするりと視線をかわし、紅丸の前へと膝をついた。

「ねえ、紅丸」

「いと、にゃー、もうかえってこない?」

「そんなことはないわ。白旺は黙っていなくなってしまうような子ではないもの」

 滲んだ涙を拭いてやりながら、絲は言葉をつづける。

「白旺は雷獣だもの。雷が鳴るところには、仲間がいるのだと思うわ。会いに行っているのではないかしら?」

「なかま?」

「雷さまにご挨拶しているのかもしれないわね」

「ごあいさつ?」

「紅丸だって、神社へ行けば、宇迦さまにご挨拶をするでしょう? それと同じことよ」

「ごあいさつ、だいじ。すけろくもいってた」

「あら、きちんと覚えているのは偉いわね。助六さまとはいつも会えるわけではないでしょう? 遊びに来てくださったら嬉しいわよね」

「うん」

「白旺にだって、ご挨拶したり、お話をしたりする同族がいて。そしてそれは、こんなふうなお天気でなければ、出来ないことなのよ」

「らいじゅーだから?」

 絲が肯定すると、紅丸は口元を結んで小さく頷く。けれど、やはり不安がぬぐえないのか、絲の胸元に顔を埋めて離れない。

 小さな頭を右手で抱え、もう片方の手で背をゆっくりと、あやすように叩く。

 今日の小袖は、曇天に合わせたようなねずみ色だ。赤や紺を基調とした色合いが多い中、紅丸にしては珍しい色である。これは、佐田彦へと仕立てた単衣ひとえを羨ましがった紅丸が、「おなじがいい」と願ったせいだった。さらに、同じ布は白旺の首元も飾っているはず。

 三者が同じ反物から出来た衣を纏っている図はひどく面白いもので、絲はひそかに笑いを堪えたものである。

「ねえ、紅丸。今日は一緒にお団子を作りましょうか」

「だんごをつくるの?」

「小豆を洗うだけではなくて、お団子も丸めてみない? 上手に作って、白旺が戻ってきたら、出してあげるの。きっと驚くわよ」

「ぼくがつくったのをあげるの?」

「そう」

「いともたべる?」

「勿論」

「さたひこもたべる?」

「無論だ」

「ぼく、つくる!」

 さきほどまでの落ち込みが嘘のように言葉を強くした紅丸が、部屋の隅へ向かう。複数ある前掛けの中からどれを使うか、吟味をはじめた後ろ姿を見やり、佐田彦は嘆息した。

「すまぬ、助かった」

「雨が止めば戻ってくるだろうって、そう言っておけばいいのに。佐田彦さまは心を操ることは得意なくせに、紅丸に対しては不器用なのね」

「――どう扱ってよいものやら、幼子おさなごは難しい」

「嘘はつきにくいわよね。なんだか見透かされているような気がしてしまうもの」

 出会った頃はどこかうつろな心を漂わせていた紅丸だが、ともに過ごすうちに変わってきた。人懐こく、素直なところは、生来の彼が持っていた資質なのだろう。

 街中を歩いていると、時折、小さなあやかしや小鬼と出くわすが、ふらふらとついていこうとしたり、彼らの声に耳を傾けたりと、どうにも危うげだ。佐田彦が傍にいれば対処も出来るが、一人で外へ出すのはまだ不安が残る。

 そんな時に役立っているのが、白旺だった。

 なりは小さいし、尊大な性格に若干の難はあるものの、生まれたばかりの「小豆洗い」よりは、妖怪としての歴は長いだろう。雷獣としての格が、仲間うちでどう評されているのかは別だが。

 自身をどこか過剰に評価している白旺と、それを素直に受け入れ懐く紅丸。

 身体の大きさとちぐはぐな二体の関係は、見ていると非常に面白いものである。絲と直太郎のやり取りもまた、それに近い。佐田彦自身はわからぬことだが、兄弟というものの気安さなのだろう。



  ◇◆◇



 空は良い。

 雨粒は毛皮に弾かれて肌に直接浸透することはなく、表面を撫でていくだけだ。風に乗り、上空へと駆け上がると、ピリピリとした気配が色濃く漂ってくる。

 高鳴る鼓動は遠雷と呼応し、高揚感を湧き起こす。

 我こそが支配者なり。

 声なき声で叫ぶ中、仲間の声が聞こえ、白旺は速度を緩めた。


「なんだ、おまえ生きていたのか」

「地へ落ちて、とっくに死んだものと思うておったぞ」

「死にぞこないの恥さらしめ」

 長い尾を揺らしながら、三体の雷獣がこちらを見下ろしている。

 白旺は、ふんと鼻先を反らせ、笑ってみせる。

「あの程度のことで、この俺様が命を失うとでも? そのようなこと、あるわけがなかろう。地へ降り立った俺様は、一帯を掌握すべく活動を続けておったまで。すでに一人の人間を支配下におき、世話をさせておるのだ」

 専用の座布団は太陽の光を存分に含み、ふわふわと身体を包みこむし、タレのついた団子は絶品である。何枚もある衣は、舎弟である紅丸よりも数が多く、毎日取り換えても余りうるほどの枚数だ。

 今日、纏っているのは曇天に紛れて移動するため、ねずみ色。空と同化し、風と踊るにふさわしい装いなのである。

 不敵に笑う白旺に、三体の雷獣たちは顔を見合わせ、あざけりの表情を浮かべた。

「よくもまあ、それだけ口がまわるものだな」

「口だけで生きているようなものだからな」

「さすが、落ちこぼれは言うことが違うわ」

「言うに事を欠いて、人間を支配下においているだ? 法螺ほらを吹くのも大概にしろ」

「支配下におかれているの間違いではないのか?」

「こき使われておるのだろうて。ようやっと逃げてきたのだから、言うてやるな」

 キキキと身体を揺らして笑う同族らに、白旺は毛を逆立てる。

「俺は嘘などついておらんし、支配下におかれているわけでもない。自由である」

「だが、雨期となったおかげで逃げてこられたのだろう?」

「逃げてなどおらぬわ。見回りである! 賀根町かねまちは、俺様の町だからな、当然であろう」

「見たことがあるぞ――」

 一体の雷獣が、下界へ視線を落としながら言った。

「背の高い変わり種の男と、小さな童と歩いておったな。童にかまわれておったではないか、すっかり人のしもべであったな」

「俺様が、あやつを導いてやっているのだ!」

「犬猫と同じ扱いをされておるということか」

「違う! 俺様が雷獣であることは承知していること」

「知っておるうえであの扱い、さすがだな」

 何を言っても混ぜ返してくる彼らに、白旺は苛立ちを隠せない。揶揄の声は、次に共にあった人へも向かっていく。

「小さなほう、随分と弱いが微かな妖気もあったが、あんなものにまで使役されているのか」

「違うと言っておるだろうに。あれは、言うなれば、俺様の舎弟である」

「だが、大きな男のほう、あれは力ある者だな。ただの人ではなかろうて」

「――佐田彦は、稲荷神の神使である」

「ほう、稲荷神とな」

 神に繋がる者であるとわかれば、大きくは出られないのだろう。また、稲荷神ともなれば、雷とも縁がある。彼らの眷属となれば、ただの雷獣よりも格上となる。

 ちらりと視線を絡ませあった三体だったが、もとから格下に見ている白旺に、願い出る行為はしたくはないのだろう。声を張りあげ、囲うようにして告げる。

「その立場、おまえでは荷が重かろう」

「俺達三兄弟が、替わりに担ってやろうではないか」

「おまえはこのまま空へ残ればよい。ちょうど雲も厚いし、風も良い。気をつけておれば、落ちることもなかろうぞ」

「雲はこのまま次の町へ向かう。おまえはそちらを管轄すればよい」

「この町は、俺達に任せておけ」

「阿呆そうな小さなあやかしは、我ら三人で封じてやろう」

「稲荷神の眷属は、我らだけでよい」

「得体の知れぬ小さな童姿の妖怪が傍にはべるとは、身の程を知らぬ阿呆だな」

「間の抜けた顔をしておったし、漂う気も弱々しい。我らの力があれば、恐れることもないな」

 興が乗ったか、三体は楽しげに語りはじめる。

「風に乗せて何処かへ運んでやろうか」

「雲へと上げてしまえばよいのでは?」

「だが、我らの領域へあんなものを運ぶのは好かぬ」

「すぐさま落としてしまえばよかろうに」

「雷を導き、落として焼いてしまうのはどうだ」

「人へ落とすのか」

「人ではなかろうに」

「小さなものへ落とすのは、骨が折れるが、それもまた一興」

「狙いがつけにくいまとへこそだ」

「では、競争するか」

「仕留めた者が、眷属をまとめるおさとなるが、よいか?」

「承知」

「――待て」

 白旺は唸った。

 さっきからこやつらは何を語っているのか。

 封じるだの、風に乗せるだの、雲で運び去るだの、まして、こぞって雷を落としてやろうなどと、不届きなことばかり。

 はらわたが煮えくり返る。

 自分でも、何故ここまで腹を立てているのかわからぬまま、白旺は三体を睨みつける。

「手は出させぬ。あれは俺様の配下である」

「あれも稲荷神の眷属なのか?」

「そうではない。俺様も、眷属などではない。俺様は雷獣であるし、佐田彦とて俺様を眷属として扱っておるわけではない」

「では、あの小さいやつがおらずとも問題はないではないか」

「あるのである!」

 問題はある。ありまくるのである。

 毛を逆立たせ、白旺は唸った。

 パリパリと雷気が一帯を舞い、白旺のもとへ収束する。

 同族である彼らに雷をぶつけたところであまり意味はないのではあるが、それでも強い「気」は、相手の力を削ぐ。

 強い思いは、気となり、相手へ向かう。

 風は白旺の意に従い、渦を巻く。

 雨は勢いを増し、相手の身体を強く打った。

「貴様、何をする」

「引け」

「身勝手なことを――」

「勝手なのはどちらであるか。ここは俺様の町であるし、あれは俺様の舎弟である」

「なにを言っておるのだ、おまえは」

「たしかに弱いし小さいし阿呆ではあるが、それがなんだというのだ。そんなことは承知なのである。いなくなってしまえば、絲が哀しみ嘆くであろう。絲は俺様のものであるからして、哀しませるわけにはいかぬのである」

「いとってなんだ」

「佐田彦は図体のわりに抜けておるところも多く、あれもまた俺様が導いてやる必要があるのである。まったく、手のかかる奴らなのである」

「だったらよいではないか」

「黙れと言った」

 ピシリと走った雷光が、一体の前肢へ刺さる。悲鳴をあげて空中でのたうちまわる雷獣に、残る二体は距離を取った。そろりそろりと場を離れようとしている二体に目をやるわけでもなく、白旺は指で虚空に陣を描く。

 軌跡は光となって輝き、描かれた五芒星が膨張する。円形に作られた力場は彼らを閉じ込め、逃がさない。

「は、白旺っ、おまえ、なにを」

「とっとと、去るがよい。俺様は賀根町の守護者たる、いと気高き存在、白旺さまである!」



  ◇◆◇



「おかえりなさい、白旺」

「ふむ」

 西の空が茜色に染まる頃、白旺は裏店うらだなの一角へと降り立った。

 夕餉の支度をしていたのか、井戸から戻ってきた絲に声をかけられ、鷹揚に頷く。

「ちょうどよかった。白旺も食べる?」

「食してやってもよいのである」

「じゃあ、用意するわね。先に行って待っていてくれる?」

「ふむ」

 ゆらりと二又の尾を揺らし、白旺は佐田彦の住む部屋へ向かう。扉を通り抜けると、土間には佐田彦がしゃがみこんでいた。

 気配を感じたのだろう。こちらを振り向いたわけでもないのに、声がかかる。

「もうよいのか?」

「今日のところは十分である」

「そうか」

「ところで、小豆丸はどうしたのだ」

「紅丸ならば、絲を手伝うのだといって、あちらの店へ――」

「あ!」

 そこへ、声が飛んできた。

 絲から話を聞いたか、紅丸が頬を赤くして部屋へと駆けこんでくる。突進してきた子供をすんでのところで避け、白旺は天井へと逃れた。

「なにをするか、危ないではないか」

「おかえり!」

「う、うむ。――かわりないか」

「おかわり? あるよ!」

「違う!」

「うー?」

「紅丸。白旺は、おまえが元気に過ごしていたかと訊いておるのだ」

 噛み合わない会話に苦笑しながら、佐田彦は紅丸の頭を撫でる。

「あのね、だんごがあるんだよ」

「それがどうしたというのだ」

「ぼくのだんごだよ」

「他人の物を奪うほど落ちぶれてはおらぬわ」

 宣言する紅丸に白旺が切り返した時、膳を抱えた絲が仲裁に入る。

「違うのよ。今日はね、紅丸がお団子を作ったの」

「作っただと?」

「千切って、丸めて、串に刺して。餡子を混ぜたり、タレをつけたり。まあ、色々よ。白旺のために作って待っていたのよね」

「そう、あげるの。いと、おだんご、ぼくのやつ」

 音もなく着地した白旺に、皿を掲げ持った紅丸が寄ってくる。落とさぬよう苦心しているのか、平素よりもゆっくりとした歩みだった。

 なんとなくその場で座して待っていると、辿り着いた紅丸が団子が載った皿を置いた。

 なるほど、たしかにこれは紅丸が作ったのだろう。形はいびつで、その辺りに落ちている石ころのような、でこぼことした形をしている。団子の球体は実はとても職人技であったのだなと、白旺はひそかに感心した。

「めしあがれ」

 絲の真似ごとなのか、誇ったようにそう言うと、にっこりと嬉しそうに笑みを浮かべている。

 夕餉の前に団子か――

 期待に満ちた目で見られると反論もしにくく、白旺は一本の串を持ち上げた。

 タレ自体は萩屋のものなのだろう。鼻で感じる匂いはいつもと変わらない。

「おいしい?」

「まあまあだな」

「いと、はくおー、おいしいって」

「だから、にゃーではな――」

 反射的に言いかけて、ふと止まる。

 はて、この小さな神見習いは、今、なんと言ったか。

「はくおー?」

「白旺さま、である」

「おかわりする?」

「……喰わなくもない」

「いと、にゃーがおかわりって」

「だから、にゃーではない!」

 ころりと戻った呼びかけに、白旺は叫ぶ。

「あしたも、おそらいく?」

「明日は晴天であろうから、行くとしても夕刻であるな」

「じゃあ、あそぼうね」

「――仕方がないから、相手をしてやろう」

 にゃーがいいって言った。

 跳ねるように絲の下へ駆けていく姿を見送りながら、白旺は欠伸を噛み殺す。

 不格好な形の団子、雨風と雷にさらされ、汚れてしまった首に巻いた衣、湿り気を帯びた冷たい座布団。

 けれど、不思議と心はあたたかい。

 雲の上にいては知らなかった世界が、ここにはある。

 今日の夕餉を求めて、雷獣はピンと尾を立て、一行に歩み寄った。

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