沈む
*
その夜、島村の家をぬけだして、賢志はほら穴へ行った。そこは岩場が海岸線ぞいに広がり、打ちつける波の音も、砂浜より荒い。水深もかなり深いようだ。今は真っ暗で何も見えないが。
夜の海はぶきみだ。
黒く、ぬらぬらと輝く海面から、今にも何かが現れそうな気がする。
昼間の明るく開放的な姿とは真逆のまがまがしさ。
それも、海のもつ一面。
祭は明日だ。
ほら穴のまわりは無人である。
岩場をつたって、ほら穴へ向かう。足をふみはずせば、海へまっさかさまだ。
慎重に歩いていく。
満潮までは、まだ少し時間があるらしい。だが、確実に水位は高くなってきている。この感じでは、帰るころには岩場は波の下かもしれない。
ようやく、たどりついた。暗い、ほら穴を懐中電灯で照らす。なかが思っていたより広いことにおどろいた。とくに奥行きだ。懐中電灯の光が届かないほど深い。
「蒼太くん。いるかい?」
返事はなかった。
ゴツゴツした岩肌をじゅんぐり照らしていくが、姿も見えない。
だまされたんだろうか?
てきとうに言いわけして逃げだしただけ?
あきらめきれず、奥へ奥へとふみこんでいく。
ゆるい坂道になっていた。奥へ行くほど、海抜高度が高くなっている。
十メートルか、二十メートルは歩いただろうか。
とつぜん、行き止まりになった。
八畳ほどの空間があり、一段高くなったところに小さな祠がある。ここが祭の夜、巫女が竜神に祈りをささげる場所なのだろう。
何もない。帰ろう。
ふりかえってみた賢志はギョッとした。
入口あたりに、うごめく黒いかたまり。それが刻一刻と、こっちに向かってきている。
波だ。
満潮が近づいている。
出口はふさがれた。
そうだ。あの夜も、こんなふうに、巫女は一人、この場所に閉じこめられた。
そして、朝、引き潮になる前に殺された。
見えない殺人者によって。
でも、ほんとにそうだろうか?
たとえば、祭の前夜である今日。ここには誰もいない。見張りもついてない。前もって、犯人が前夜からひそんでいたとしたら……?
そう思った瞬間、背後でかすかな物音がした。キイッと木のきしむような音。
扉だ。ほこらの扉がひらいた音……。
その瞬間、何かがとびかかってきた。ふりはらおうとして、懐中電灯をとりおとしてしまった。
蒼太か?
暗くて姿が見えない。
でも、ナイフのようなものを持っている。ころがった懐中電灯の光のなかに、にぶく刃が光る。
しばらく、二人でもみあった。
ようやく、光のあたるところに来る。
襲撃者の顔を見て、賢志はハッとした。蒼太じゃない。南義行——殺された咲良の父親だ。
「なんで、あんたが……」
義行はナイフをふりかざしながら叫ぶ。
「よくも娘を——咲良を殺したな!」
「ま——待ってくれ! 勘違いだ!」
義行は耳を貸さない。迷わず、ナイフをふりおろしてくる。
賢志はその手をつかみ、必死で押しかえした。
「聞いてください! おれじゃない!」
賢志を刺そうとする義行。
押しかえそうとする賢志。
力が拮抗し、はずみでナイフがはねとんだ。あわてて、義行がかけよろうとする。
賢志は義行をつきとばした。義行が賢志の足にしがみつき、ふたたび、もみあい。
「なんで、おれを殺そうとするんですか!」
「蒼太が言ったんだ。ここで待ってれば、咲良を殺したやつがやってくると」
なぜ、蒼太はそんなことを言ったんだろう?
「あなたは蒼太にだまされてるんだ。そもそも、あの夜、あなたは見てたんだろ? ここに近づく者が誰もいなかったのを」
義行はだまりこむ。一瞬、動きも止まる。
そのあいだに、賢志はナイフをひろいあげた。
すると——
「そのナイフで、南さんを刺すの?」
蒼太だ。
蒼太の声が洞窟のなかにひびく。
おかしい。さっきまで、ここには賢志と義行しかいなかったはずなのに。
少年の笑い声がした。
「おれがどこから来たか、わからない? そんなはずないよね。あの夜、あんたが自分でしたことだもんね」
「な……なにを言ってるんだ?」
「あの夜、あんたは入口から人がいなくなると、こうやって、ほら穴に近づいた。夜の海は暗いからね。離れた船の上からじゃわからない。南さんが気づかなかったのは、しかたない」
「蒼太くん……」
マズイと、賢志は思った。
やっぱり、見てたのか。
目撃者だ。
そのために取材のふりをして、さぐっていた。誰も真相に気づいてないか、確証を得るために。
「あの夜、おれはこの島にはいなかった!」と、叫んでみる。
すると、落ちついた答えが返ってきた。
「あんた、水泳、得意なんだってね。高校のころはインターハイにも出たって、島村さんから聞いたよ。フェリーはここを出たあと、となりの島に寄港する。となりの島からなら、十五キロもないよね。あんたなら、らくに泳いで行き来できるね?」
やっぱり、知っている。
「みんな、知ってるよ。竜神さまに聞いたからね」
とつぜん、足元までせまっていた黒い海から、蒼太が現れた。全身ずぶぬれで、髪や指先から海水のしずくをしたたらせている。その姿は、この世のものとは思えない妖艶さがあった。
「あんたが殺したんだ。咲良を」
そう。おれが、殺した。
往復三十キロの遠泳なんて、わけもない。見張りのついた洞窟へも、そのまま泳いで入れる。潜水で侵入すれば、誰の目にも止まらない。
半年前。初めて蒼太を見かけた。遠目ではあったが。カメラのファインダーごしに見つめ、どうしても欲しいと思った。
保護を訴え、島をつれだそうと考えた。だが、咲良がいるかぎり、蒼太は島を出ると言わないだろう。
だから——
「君が……いけないんだ」
蒼太は笑った。
笑って、賢志の首に腕をからめてきた。
そのまま、夜の海に沈みこんだ。
深い、深い、海の底へ。
沈んでいった。
意識は遠のく。だが、とても幸福だ。
蒼太と二人でなら。
たとえ、暗い海の底でも……。
*
数日後。
賢志の遺体が浜に流れついた。
だが、その後、蒼太の姿を見た者はいない——
超・妄想コンテスト
『海』優秀作品
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