月の唄4



 夜が来て、月が闇をてらす。

 狂おしいような満月でした。昨夜、二人の信頼を誓いあった月よりも、さらに明るく、大きく、怖いくらいです。


 わたしはもはや、なれたもの。庭木をのぼって、鉄柵を乗りこえ、屋敷に侵入しました。


 お屋敷のなかに入るのは初めてではありません。

 でも、いつも、決まった部屋にしか入れてもらえませんでした。玄関ホールに近い応接室だけ。


 今夜はどうしたんでしょう?

 わたしが勝手にドアをあけてホールに入っても、マヒロはやってきません。


「マヒロ……いないの?」


 もう行ってしまったの?

 以前、とつぜん、いなくなってしまった“伯爵さま”のように?


 わたしは二階へ上がっていきました。

 いつも、二階の窓のカーテンがゆれているから。

 きっと、そこがマヒロの部屋なんだと思いました。


 ホールのらせん階段は外国の映画に出てきそう。

 花もようの手すりをつかみ、のぼっていきます。


 それにしても、思っていたより、屋敷のなかは荒れていました。二階に行くと、ますます、ひどくなりました。壁紙なんて、はぐれてるし。ゆかに穴があいてるとこも。


(ウワサどおりのオバケ屋敷だ!)


 人が住めるとは思えないほどの荒廃ぶりに、笑いたくなりました。


 こんなところに、マヒロは住んでるの?

 たった一人で?


 マヒロの深い孤独が身にせまってきます。


(この部屋だ)


 いつも、マヒロが外を見ている、窓のある部屋。

 わたしはその部屋のドアノブに手をかけました。そっとひらくと、真正面に大きなガラス扉の窓が。


 窓いっぱいに、大きな満月。

 その月を背に、マヒロが立っています。窓枠に足をかけ、今にも、そこから飛びたってしまうかのようなそぶりで。


「マヒロ——!」


 わたしはマヒロにすがりつきました。


「行くの?」

「ここには、もういられない」

「どうして?」


 マヒロがミカさんを殺したから?


 その言葉を飲みこみました。

 でも、マヒロはわたしの考えを理解したようです。

 何かの本で読んだことがあります。マヒロの種族は人間の心を読めると。

 それとも、ただ単に、わたしの表情を見れば、誰にでもわかることだったのでしょうか?


「おれじゃないよ。信じて」


 わたしは無意識にうなずきました。

 マヒロが言うなら、信じます。

 わたしたちは、どんなときにも信じあうと、月に誓ったから。


 そのとき、階下から、誰かがかけあがってきました。

 わたしたちの話し声を聞いて、部屋にとびこんできました。


「おまえが、ミカを殺したんだな!」


 コウジさんです。

 とびかかってくるコウジさんの腕を、マヒロは片手で押さえます。


「昨日、見てたね。おれとミカがいるとこ。でも、見たなら知ってるだろ? おれはミカとはすぐに別れた。一人で帰ってくミカのあとをつけてたじゃないか? おれね。目はいいんだよ」


 コウジさんはだまりこみました。

 マヒロは笑い、コウジさんの顔をのぞきこみます。

 マヒロの目が月光を反射するように、青く光って見えました。


「おや、でも、そうか。君はミカが家のなかに入るのを見届けた。そのまま、夜明けまで、ミカの部屋を見守った。ミカは出てこなかった。君はあきらめて帰った」


 わたしは不思議に思いました。

「新聞では、ミカさんは夜明け前に亡くなってたみたいって、書いてあったよ? それって……」


 ミカさんはちゃんと自宅に帰った。

 そのあと、家のなかで死亡した……ってこと?


「だから、こいつがやったんだよ! こいつは、だって、ヴァンパイアなんだろッ? 霧とかコウモリになって忍びこんだんだよ!」


 わたしは断言しました。


「昨日の夜なら、わたし、夜が明けるまで、ずっと、マヒロといたよ。たとえば……マヒロがほんとにヴァンパイアだとしても。二つの離れた場所に同時にはいられない。でしょ?」


 コウジさんはちょっと言葉につまりました。

 すると、また背後から、べつの気配。

「だまされちゃいかん。その女はすでに吸血鬼に噛まれとる。吸血鬼の命令に、なんでも従う下僕にすぎん」


 ミカさんのおじいさん。

 森岡先生です。

 でも、その目を見たとたん、わたしは怖くなりました。正気の目ではなかったからです。


「吸血鬼は退治しなけりゃならんのだ! その女も殺せ!」


 さけぶと、いきなり、わたしに襲いかかってきました。

 おどろきました。

 森岡さんの手には、オノがにぎられています。


(そうか。この人だったんだ。ミカさんもマヒロに噛まれたと思って——)


 悟ったときには、もう遅い。

 わたしは、ぼうぜんと立ちつくしました。

 自分の上にふりおろされる刃を見つめながら。


 けれど——


 何が起こったのか、今でもハッキリとはわかりません。

 わたしの前に、サッと黒い影が走ってきました。

 わたしを包みこんだような……?


 次の瞬間、ものすごい悲鳴があがりました。

 続いて、ドン——と、激しい衝撃音。

 目をあけると、森岡さんがいなくなっていました。


 窓があいています。

 下をのぞくと、地面に森岡さんが倒れていました。凶器のオノを手にしたまま。

 窓辺で、コウジさんはガチガチ歯の根をならして、ふるえています。


 でも、マヒロは?


「マヒロ? どこ? どこに行ったの?」


 マヒロはどこにもいなくなっていました。

 さっきまで、そこに立っていたのに。


「マヒロ! 行かないで——マヒロッ!」


 呼んでも、もう応えはありません。



 *



 あれから、八年がすぎました。

 わたしは大学を卒業しました。

 最後の春休み。

 わたしは祖父母の家に帰ってきました。


「よかった。サヤちゃん。あんな怖いことがあったから、ここにはもう来てくれないんじゃないかと思ってたよ」


 ひさしぶりに会って、祖母は嬉しそうです。


「ぜんそくで勉強、遅れたから、追いつくの大変だったんだよ。ほんとは来たかったけど」

「そうだよねえ。元気そうで、よかった」


 わたしは元気です。

 ぜんそくもすっかり治ったし。

 もしも、それでも、ふさいでるように見えるとしたら。それは、大切な人の不在のせい……。


 その夜、わたしは祖母に聞いてみました。


「森岡さんって、なんであんなことしたのかな? 研究のしすぎで、おかしくなっちゃったの?」


 祖母は悲しげな顔をしました。


「森岡さんの奥さんは若いころに亡くなったんだよ。原因不明の貧血でね。ほら、ヘモなんとか。あれが壊れてく病気だったらしいよ」

「ヘモグロビンね」


 それは純粋に病気だったようです。

 でも、森岡さんは奥さんの病気を、吸血鬼のせいだと思ったのでしょう。そう思わないと、やってられなかったのかもしれません。

 ヴァンパイアのせい——そう思って、復讐の対象を作りあげないことには。


「となりの人は帰ってきた? あのあと、急にいなくなったじゃない」

「となりの人? 誰だい? それ」


 祖母はマヒロのことを、すっかり忘れていました。

 祖母だけではありません。

 あのとき、マヒロが消えたあと、たくさんの人が屋敷に来ました。警察や救急隊員。

 でも、誰も、そこに人が住んでいたとは思わないのです。人間の生活したあとがないと言って。


 わたしの見たのは夢?


 みんなは病がちな少女の幻想だと言いました。

 でも……。


(今夜は、満月だ)


 あれから、百回めの満月。

 わたしは今も満月にお祈りしています。

 わたしとマヒロの信頼が永遠であることを。


 そして、信じています。

 きっと、マヒロも同じ願いを月にかけていると。

 約束どおり、会いにきてくれると。

 願いが叶う百回めの満月に。


 だから、わたしは、ここへ帰ってきた。



 ——月は唄う。あの人の声で。

 信じて。約束を。かならず、と——



 あの人は待っている。

 青ざめた月光のもと、屋敷への扉をくぐれば。

 きっと……。




 了

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