第三話 月の唄(ミステリー)

月の唄1

 〜忘れない。あのころの願いを〜



 その人を見るのは、いつも夜でした。

 寝静まった街を煌々こうこうと照らす満月のもと。

 あるいは凍てつくように、きらめく星空のもと。


 当時、わたしは十四歳。

 重いぜんそくにかかり、いなかの祖父母の家で療養していました。学校も休学です。


 祖父母の家は昔からの別荘地に近く、とても空気の澄んだところです。

 ですから、星空の美しさは格別でした。夏ともなれば、天の川まで、くっきりと見渡せます。高原の景色とあいまって、その美しさは神秘的でした。


 体にはよかったのですが、なにしろ、中学生です。遊ぶ場所も友だちもいない。いなか暮らしは退屈でした。


 あるとき、となりの家に人が引っ越してきました。となりといっても、あいだに小さな林をはさんで、数百メートルは離れています。

 その家は長らく、ほったらかしの洋館でした。昔は大金持ちの別荘で、有名な女優や政治家が遊びにきたという話です。今ではむしろ、幽霊屋敷として知られています。


 となりのオバケ屋敷に人が越してきた——!


 わたしには抑えられない好奇心でした。

 さっそく、遊びに行きました。最初にたずねたのは昼間です。

 ぜんそくは発作のないとき、いたって健康です。散歩に行くと言えば、いくらでも外へ出ることができました。


 となりの屋敷は外から見たかぎり無人でした。

 ほんとに人が引っ越してきたのか、疑わしいかぎりです。唐草の鉄柵には本物のつる草がからまり、庭も荒れほうだい。遠くに見える館に、人影はありません。


 わたしはガッカリして、きびすをかえしました。


 でも、去りぎわ。

 視線をそらした瞬間に、屋敷のなかで何かが動いたようでした。ふりかえると、カーテンがゆれています。


 もしかして、誰かがあそこから、こっちを見てたのかも?


 気になりましたが、日が暮れてきました。

 祖父母が心配するので、わたしはいったん帰り、夜を待ちました。


「サヤちゃん。今日はとなりのお屋敷、見にいってたでしょ? あそこには伯爵さまが住んでたのよ。おばあちゃんが子どものころの話だけどね」


 夕食の席で、祖母はなつかしそうに、そんな話をしていました。とってもイケメンの伯爵で、子ども心に胸がときめいたものよ、とかなんとか。


「へえ。そう」


 なんて気のない返事をしていたけど、内心は興味津々でした。


 じゃあ、その伯爵さまが帰ってきたのかな?

 だとしたら、残念だけど、すごいおじいちゃんね。

 そんなふうに考えて。


 真夜中。祖父母が寝入ったころに、わたしはこっそりベランダから外に出ました。

 月が怖いくらい明るい夜です。もうじき満月なんだなと、なんとなく思いました。


 洋館に近づくと、ドキリとしました。

 明かりがついている。

 やっぱり、誰か住んでるんだ。


 二階のカーテンがゆれていました。

 ながめていると、とつぜん、背後から——


「こんばんは」


 わたしは「わッ」と声をあげて、とびあがりました。

 くすくす笑い声。


 ふりかえると、二十歳くらいの青年が立っていました。

 月光のなかで初めて、その人を見たとき、わたしは、これがほんとに生きた人間なのかと圧倒されました。


 美しい——


 容姿は完璧に整っています。

 洋風の目鼻立ちのくっきりした美青年。


 しかし、ただ美しいというのではなく、何か異様な存在感がありました。

 それは満月の夜にだけ咲く花のような、どこか物悲しい美しさ。


「君、昼間も見てたね」と、彼は言いました。

「ごめんなさい。となりに人が引っ越してきたっていうから。友だちになれないかなって」


 わたしがあんまり図々しかったのか、彼は笑いました。


「素直な子、嫌いじゃないな。おれは、マヒロ。君は?」

「サヤ」


 マヒロとはすぐ友だちになりました。

 まるで世界に二人だけしか存在しないかのように。


 でも、なぜか、いつも会うのは夜ばかり。

 昼間に遊びに行っても、誰の返事もありません。

 夕暮れ時に、屋敷から飛びたつコウモリや、庭をかける黒い犬は見ましたが。


「ねえ、マヒロ。マヒロって、昼間は働いてるの? お屋敷、誰もいないね。そのわりに、朝から誰も出てく人がいないんだけど」


 マヒロは考えこみました。そして、真剣な顔で、こう打ちあけました。


「じつはね。おれは病気なんだ。先天的な遺伝子異常で、治しようがない。君、知ってるかな。紫外線にあたると皮膚が炎症を起こす病気」

「知ってる。ブラピがデビュー映画でやってた。いっつもボディースーツとマスクで、全身おおってね」

「その映画は見たことないけど、たぶん、それ。だから、昼間は外に出られないんだ」


 ギュッと胸がしめつけられました。

 こんなに美しい人が、陽光のなかを歩けない。

 それは世界の素晴らしさの半分を生まれつき失っているということ。


 わたしの顔をのぞきこんで、マヒロは言いました。


「でも、気にしてない。おれ、好きだよ。この月も、星も。夜風も。夜は、おれの世界だ」


 わたしたちは杉の大木にもたれて、くちづけをかわしました。わたしにとっては、最初のキス。


 そのとき、わたしは気づいていました。

 マヒロのついた嘘に。

 だって、くちづけすれば、心臓はかさなるものですから……。

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