月の唄2

 *



 そのころでした。

 わたしたちの街で、奇妙な事件が起こったのは。

 小さな子どもや、女の人が謎の病にかかりました。

 原因不明の貧血です。

 突発的に血液が欠乏し、かるい記憶障害におちいる。重度の場合は、何日も眠ったまま目をさまさない。

 そんな病気です。


「風土病だねえ。大昔にも、はやったんだよ」と、祖母は言います。

「貧血が風土病なんて、聞いたこともないよ」


 わたしは反論しますが、ガンとして祖母はゆずりません。わたしが強情なのは、きっと祖母の遺伝だなと思いました。


「おばあちゃんが子どものころにも大流行したんだよ。あのころは大勢、学者が来て、いろんなとこを調べていったっけねえ」

「へえ。そうなんだ」


「そういえば、この森には吸血鬼がいるんだ、なんて言ってた学者さんもいたねえ。街外れにある赤い屋根の一軒家。あそこに住みついてねえ」

「森岡さんって表札のうちね」


「そうそう。森岡先生。あの先生も、すっかり年だろうねえ。前はよく見かけたけど。奥さんが早くに亡くなってねぇ。孫のミカちゃんは高校生だったかねえ」


 森岡ミカ——


 その人は知ってます。

 いつも自転車に乗って通学するのを見かけます。


 わりと美人で、幼なじみらしき高校生男子を、下僕みたいに従えてる姿が印象的。

 いえ、その男子(たしか、コウジと呼ばれてた)だけじゃないみたい。つねに友だちといっしょで、華やかな空気を持っています。


「ふうん。あの人のおじいさん、学者なんだ」


 でも、わたしには関係ない人たちだ。

 わたしは病気が治れば、両親のもとへ帰るし。

 それに、わたしの友だちは、マヒロ。

 マヒロさえいればいい。


 ところが、そうも言ってられない事態になったのです。


 それは祖母と話した数日後のことでした。

 いつものように、こっそり窓からぬけだして、お屋敷に行くと、唐草の鉄柵のあたりに、マヒロが立っていました。

 マヒロは一人じゃありませんでした。

 ミカさんと二人。

 抱きあって、くちづけているのです。


 わたしは立ちつくしました。ショックのあまり、何も言葉が浮かんできません。


 しばらくすると、マヒロはミカさんを離しました。


「さよなら。もう、お帰り」


 マヒロがささやくと、ミカさんは人形みたいに従順に帰っていきました。ふらふらして、ちょっとようすが変でした。


 ミカさんが見えなくなるまで、マヒロは見送っていました。そこで、ようやく、わたしに気づきます。

 一瞬、ハッとしましたが、すぐに微笑みました。

「やあ」と、ふつうに話しかけてきます。信じられません。


「マヒロ。あの人と何してたの?」

「ヒ、ミ、ツ」

 平然と言って、ふふふと笑う。


 そんなマヒロが憎たらしいはずなのに、わたしの胸は、さらに熱くなるのです。

 困ったことです。

 なんで、こんな人を好きになってしまったのか。


 わたしはまだ幼かったので、感情をそのまま、マヒロにぶつけました。


「あの人じゃないと、ダメなの? わたしじゃダメなの? ねえ、マヒロ。言ってよ。わたしだって、あなたのために——」


 マヒロは長い指のさきで、わたしの口をちょんと押さえました。キザなしぐさが、とにかく、マヒロには似合うのです。


「それ以上、言ってはダメだ。いっしょにいられなくなるよ」


 やっぱり、そうだ。

 思ってたとおりだ。

 わたしは確信しました。


「わかった。もう言わない」

「ありがとう。ほんとに好きなのは君だけだ。だから、君には何もしない」

「ねえ、マヒロ。わたし、大人になったら、きっとまた、ここに帰ってくる。だから、そのときには……」

「そういうのもいいかもね。おれは長いこと一人だったから」


 マヒロの瞳は、とても悲しそう。まるで何千年も一人、さまよってる人みたい。


 わたしは、とっさに思いつきを言いました。


「ねえ、知ってる? マヒロ。この街の言い伝え。満月にね。百回、お願いすると叶うんだって」

「満月に? ふつうは流れ星じゃない?」


「この街では満月なの。もちろん、一晩じゃダメ。百回、違う日の満月にお願いするの」

「初めて聞いたな。そんな言い伝え」


「ねえ、二人でお願いしようよ」

「いいよ。なんて?」


「わたしたちの信頼が永遠に続きますようにって」

「愛じゃないんだ?」


「ほんとの愛は信頼がないと成立しないんだよ」

「女の子だね。愛の真理を悟ってる」

「おばあちゃんが言ってた」


 マヒロは笑いました。

「いいよ。お願いしよう。今夜のあの月に」

「約束ね。百回、お願いしたら、また会おうね」


 なんで、そんなことを言いだしたのか。

 なんとなく、予感があったからかもしれません。


 マヒロが、わたしのもとを去っていくような予感が……。

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