第74話 慈悲1

「この者たちは、堀内の伏兵に襲われた私を、助けてくれたのです。奴ら、女子供と老人だけと見て、我らに襲い掛かりました。危うく、私も手籠めにされるところで……」

「なに?」


 頼定の雰囲気が一変した。それまでの落ち着いた雰囲気が吹き飛び、突如として、殺気が立ち上る。


 安宅家の家臣たちからも、揺らめくような殺意が放たれる。大八に至っては、血管が切れそうなほど顔を上気させていて、初は慌てた。


「ご、ご心配なく! あわやというところで、この夜叉丸党が助けてくれたのです!」

「それはまことか、初?」

「まことも、まこと! 槍や刀を持った武者たちを相手に、印地で立ち向かった、この者たちの雄姿といったら! ここで処罰などしたら、それこそ安宅家の体面に傷がつきますっ!」


 初は勢い込んだ。ここで押し切らねば、夜叉丸たちは、ただでは済まない。最悪、斬り殺される恐れもある。


「叔父上たちも知ってのとおり、この者たちは先日、堺の湊にて、我らにたのむと申しました。世間の習いに従えば、こやつらは安宅家の下人となったはず。下人が主人を助けるのは、しごく当然のことでございましょうや」


 な? と初は、夜叉丸たちを振り返った。一瞬、虚を突かれたような顔をした子供たちは、初の視線を受けて、一斉にうなずきだした。


「そ、そのとおりでございます!」

「我らは、姫様をお助けしたのです!」

「安宅家への恩義を返すため、励んだ次第で!」


 口々に、自分たちの正当性を訴える。

 光定の瞳に、強い光が宿った。


「だが、その者たちは、我らのもとから逃げだしたぞ?」


 その一言に、夜叉丸たちは黙り込んだ。


 ここにいるのは、妻と娘に頭が上がらない、いつもの温厚な光定ではない。海賊衆を率いる武人としての光定だ。


「こやつらが、初を助けたこと。まことならば、たしかに手柄じゃ。褒美をくれてやるのが筋であろう。

 だがな、この者たちは、憑んだ主人に恥をかかせた。それもまた事実じゃ。武門に連なるものとして、これを見過ごすことはできん。この者たちには、相応の罰が必要だろうて」


 決して声を荒げているわけではない。低く静かな光定の声は、しかし、だからこそ異様な迫力をもって、夜叉丸たちに届いた。


 海賊衆であろうとも、武士は武士だ。逃げた下人を処罰できないようでは、体面が悪い。それはすなわち、武士の尊厳を傷つける行いだからだ。


 この時代、誰もが舐められたら終わりだ。少しの弱味も見せられないのは、河原の子供も、武士も同じである。

 わずかでも、初の論理に綻びが見えれば、光定は容赦なく夜叉丸たちを処断するだろう。


 泣き出した幼子たちの声を背に聞きつつ、初は乾いた喉に唾を流し込んだ。


「……たしかに、許される話ではありません。しかし、この者たちにも事情があったのです」

「ほう、それはどんな?」

「それは──」


 初は、思考を回転させた。何かないかと、めまぐるしく視線を走らせる。

 奇怪な格好の中年男を、初は視界にとらえた。


「──それは、和邇王殿です!」

「……は?」


 男は、頓狂な声を上げる。


 夜叉丸たちが処断されると思い、念仏を唱えていた和邇王は、いきなり名前を出されて唖然とした。


「わ、私めがなにか?」

「この河原一帯を治めているのは、和邇王殿に相違ないか?」

「治めているなどと、そんな大それた。拙者はただ、青涯和尚様の教えを広めているだけのことでして」


 おや? と初は、わずかに眉尻を動かした。


(こいつ、先生の知り合いなのか?)


 このおかしな格好の男と、青涯はどういう関係なのか。一瞬、問い質しそうになって、初は言葉を飲み込んだ。

 今は、そんなことを気にしてる場合じゃない。初は、急いで話を組み立てた。


「今の世の中、身寄りのない童が暮らしていくのは、並大抵のことではありません。世間からは鼻つまみ者と呼ばれ、厄介者扱いされる。身を寄せ合ったところで、その日の暮らしさえままならぬ。そんな童たちを哀れみ、手を差し伸べたのが和邇王殿だったのです!」


 初は、こぶしを握った。


「聞けば和邇王殿は、この河原で暮らす者たちに対して、常日頃から心を砕いておるとか。貧しい者には施しをし、病を患った者には、念仏を唱えて往生を祈る。まこと、仁者の鑑の如きお方だと」


 褒められて嬉しいのか、和邇王の頬が緩む。実際には、この男のことなど何も知らないが、初のでたらめも、ある程度は的を射ているのか。


 夜叉丸たちの表情を見るに、本人がそう思っているだけの可能性が高そうだった。


「夜叉丸党も、自分たちがここで暮らせているのは、和邇王殿のおかげと、心より感謝しておるのです。しかし、しかしですよ? 和邇王殿の施しにも、限界があります。この河原には、ただでさえ貧しき者たちが多い。和邇王殿の施しだけに頼るわけにもいかず、さりとて食べ盛りの幼子たちを放っておくこともできない。仕方なく盗みを働くことも、しばしばでした。

 こんな自分たちを、和邇王殿が許してくれるはずがない。そう思い詰めていた夜叉丸たちですが、和邇王殿は、変わらぬ仁愛を注いでくれた。それなのに、自分たちは、まだ何も和邇王殿に恩返しができていないと、この者たちは訴えるのです!」


「な!」と初は、夜叉丸たちに同意を求める。勘の悪い連中に歯を剥いたり、片目を瞑ってみせたりして、なんとか同意させた。


「なんと……この者たちが、そんなことを」


 小さく震える和邇王。どうやら、初の話を信じたようである。


「私の慈悲の心……この小人しょうじんたちに、しかと伝わっていたのですね」

「あいつ、俺たちをダニとか蛆とか、ひでえ嫌いようで」

「しっ! 静かに!」


 不満を述べようとした夜叉丸を黙らせる。

 感涙にむせび泣く和邇王に、初は畳みかけた。


「和邇王殿は、慈悲深いお方ですから。決して所場代を求めたり、税を納めるよう迫ったり、あまつさえ盗みの上前をはねるような真似はなさりません。ええ、なにせ慈悲深いお方ですからっ」

「それは、もちろん。当然のことですなぁ」


 ほっほっ、と涼しい顔で受け流す和邇王。夜叉丸たちが胡乱な眼差しを向けるが、一向に気付く気配はない。

 思い込みの激しい人間の中には、自分の行動を素で忘れる奴もいる。皮肉を言ったつもりの初は、和邇王の面の皮の厚さに、ちょっと感心した。


「夜叉丸党の一味は、我が安宅家に仕える前に、和邇王殿へ恩義を返そうと決めたのです。

 世間の習いに背くとわかっていながら、逃げ出したのは、これが理由。だからどうか、どうか叔父上たちには堪えていただきたく!」

「なるほど、そんな理由があったとは。それでは我らも、この者たちを責めるわけにはいかんなぁ」


 うんうん、とうなずく光定は、声が震えている。大事な場面だというのに、さっきから笑いがこらえきれていない。

 初は、にやにや笑う光定の様子に、急に羞恥心がこみあげてきた。しかし、ここでやめるわけにはいかない。


 初は、腹の底から這い上ってくる、むず痒さを押し込めて、和邇王を見た。


「……夜叉丸たちは、あなたに頂いた恩情に報いぬ限り、我が安宅家に仕えることはまかりならん──そう申しております」

「うんうん、実に殊勝な心掛けで」

「その旨を和邇王殿に申したところ『そのような些末事は気にせずともよい。せっかくの良いお話、謹んでお受けしなさい』と諭されたとか」

「うんう──」


 うん? 

 

 和邇王は首を傾げた。

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