第75話 慈悲2
初は、構わず続ける。
「さらに! 和邇王殿は、夜叉丸党が見知らぬ土地で苦労せぬよう、持参金まで持たせてくれというのですよ!? なんと素晴らしいお方でしょうか。まさに仁愛にの心、ここに極まれりといったところでして」
「ち、ちょっとお待ちを! 私、そのようなことを申した覚えはっ」
「なんとっ! 一人につき、一振りの刀まで与えて下さると、そう申すのですね!?」
元服した男子には、刀を与えるのが習わしだ。これは武士でも庶民でも変わらない。
夜叉丸党には、すでに元服年齢に達した者もいるので、刀は必須だ。これがないと、安宅荘へ行ったとき舐められる。
「ひとり一振りですと!? そんな大金、払えるわけ……」
「よいのですか、青涯和尚にご恩を返さなくても?」
初は、慌てる和邇王に、つかつかと歩み寄った。
「あんた、青涯和尚の弟子なんだろ?」
「そ、そうでございます。和尚様が堺へいらしたおり、薫陶を受けて」
「なら、これはいい機会だぞ? あいつらは、これから安宅荘へ連れていく。何人かは、海生寺へ預けることになるだろう」
初は、困惑する和邇王へ、ずいと顔を寄せた。
「いま恩を売っておけば、青涯和尚からの覚えもめでたくなるぞ。そうなれば、海生寺からの支援だって受けられるかもしれない。あんただって、坊主の端くれだろ? なら、ちょっとは慈悲の心を見せたらどうだい」
和邇王の顔に、徐々に理解の色が広がっていく。
初と夜叉丸たちの間で、素早く視線を往復させた和邇王は、しばし逡巡したのち、
「……あの子らを、このまま放り出すわけにはいきませんからな」
居住まいを正し、澄まし顔でうなずいた。
「知り合いの問屋に頼んで、手ごろな刀を……」
「叔父上、堺の鍛冶屋に注文を。下人とはいえ、安宅家の者が、安物をぶら下げるわけにはいきますまい」
「よかろう。馴染みの職人に、話を通しておく」
顔を青くする和邇王を尻目に、初と光定はほくそ笑んだ。
夜叉丸たちは、事の成り行きについていけず、ぽかんと口を開けている。
やれやれと緊張を解いた初は、子供たちを安心させてやろうと、一歩踏み出した。それを制したのは、頼定だった。
「初、叔父上も。いくらなんでも、稚気が過ぎますぞ」
「なんじゃ頼定、そんな怖い顔をして」
口元を引き結ぶ頼定に、光定はからからと笑った。
「初の話を聞いたじゃろう? こやつら、形は汚いが、なかなかの忠義者よ。雇うてやっても、損はあるまい。何より、面白そうじゃて」
「戯言を。いくら初を助けたからとて、それで無罪放免というわけにはいくますまい。こやつらが、我が安宅家の体面に泥を塗ったのは、確かなのですぞ」
「ですから、兄上。それには理由があると……」
頼定の視線。頭上から降り注ぐ圧力に、初は口を噤んだ。
「……初、お前も大概にせよ。身の程を超えた行いは慎めと、言うたばかりであろうが」
「しかし、この者たちはっ」
「仏心を示せば、道理を無視しても良いというのか? たしかに、この者たちを救いたいという、お前の行いは尊いのやもしれぬ。だがな、この世の道理を無視し続ければ、やがて、道理そのものに背かれよう。お前は、自分が何をしようとしているか、わっているのか? ただ目の前の事柄に、流されているだけではないのか? それでは、そこいらにいる犬畜生と、何も変わらぬぞ、初」
唇を噛み締める初に、頼定は膝を折った。初と視線を合わせ、諭すように言った。
「お前の行いは、我が家の富を当てにしたものであろう? たしかに、我が家は日ノ本有数の富貴よ。だがな、それとて無限ではない。物事には、限度というものがある。目に映るすべての人間を救うなど、我ら人の身には過ぎたる願いよ。叶わぬ願いを追い続ければ、必ずどこかで歪を生ずる。そのとき、お前はどうするつもりじゃ? わしや叔父上とて、いつも助けてやれるとは、限らぬのだぞ?」
うつむく初に、頼定は息を吐いた。まるで、聞き分けのない子供を前にしたような、仕草だった。
「そもそもじゃ。こんな年端もいかぬ童ばかり、何人も雇えるわけがなかろう? 見たところ、ざっと三十人というところか。三分の一は、まだ物心ついたばかりの幼子よ。いくらお前の頼みでも、父上が許可せん──」
ふと、頼定の雰囲気が緩んだ。そろそろと顔を上げた初は、糸目を開いた頼定を目撃した。
「……初、あれは誰じゃ?」
「あれ?」
頼定の視線を追い、初は壊れた小屋に目をやった。
橋げたの下。引き裂かれた筵が折り重なった中で、何かが蠢ている。
手足を縄で縛れた有馬楠若は、瓦礫の下から抜け出そうと、必死の形相で全身をくねらせていた。
「いっけね、忘れてた!」
早く掘り出してやろうと、駆け寄りかけた初は、頼定に肩を掴まれる。
「あれは、有馬家の当主に相違ないか、初?」
「え、ええ。夜叉丸たちが、私を助けるついでに、連れてきて……」
糸目を眇めた頼定は、立ち上がった。いまだ家臣たちに、捕らえられたままの夜叉丸に近づき、
「あれを捕らえたのは、お主か?」
「へ、へい! ……姫様に悪さを働こうとしていたので、これはいかんと思い、捕らえた次第でして……」
「よくやった。褒めてつかわす」
へ? と、どんぐり眼を見開く夜叉丸に、頼定は微笑みかけた。
「お主、夜叉丸といったか。あとで、良い名を考えてやる」
「へ、へへえっ!」
戒めを解かれた夜叉丸が、平伏する。
初は、何がなんだか、さっぱりだった。説明してもらおうと光定を見るが、にやにやと笑うばかりで、取り合ってくれない。
初が戸惑う間に、頼定は小屋の残骸を掻き分けると、楠若を引っ張り上げた。
「このっ……離せ! わしは、有馬家のっ」
「有馬家当主、楠若殿とお見受けいたした。拙者は、
なおも暴れようとする楠若に、頼定は顔を寄せる。
「ここには、頼りになる家臣もおらぬ。この河原周辺は、好ましからざる者も多い。そんな中に、ひとり残られるおつもりかな?」
楠若の頬が引きつる。騒ぎを聞きつけて集まってきた河原の住人たちを目にして、楠若は唇を噛みしめた。
「悪いようには致さぬ。丁重にもてなす故、安心召されよ」
頼定は、楠若を家臣に預けると、呆然とする初に歩み寄ってきた。
「兄上、今のは」
「今回だけだからな。肝に銘じておくように」
厳しい表情を作りつつも、頼定は糸目をさらに細める。
それが頼定からの許可と気付いて、初は足元から崩れるような安堵を感じた。
「ほれ、何をしておる。呆けていないで、お主の奉公人共を安心させてやらんか」
思わず座り込みそうになった初の背を、光定は支えた。憔悴した顔を持ち上げる初に活を入れ、送り出される。
ふらついていた足を一歩、また一歩と送り出すうちに、足元が定まってくる。
やがて、しっかりとした足取りで歩き出した初は、夜叉丸たちの前に立った。
めまぐるしく変わる状況に、ついに腰砕けとなった子供たちに、初は笑いかけた。
「喜べ、お前ら。我が家に仕えさせてやるぞ」
「えーっと……それってつまり」
「今日からお前たちは、我が安宅家の奉公人だ。とりあえずは、雑用から始めてもらおうかな」
初の言葉にも、夜叉丸たちはしばらくの間、反応できないでいた。
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