第73話 暴風

「や、夜叉丸に、ひどいことするなぁっ!?」


 この時代の子供としては、岩太は飛びぬけて大きい。その巨体が、ウヌカルを目掛けて突進した。


 振りかぶられたこぶしに、ウヌカルは、その場から飛び退く。岩太のこぶしが橋の橋脚を打ち据え、頭上の橋板から、ばらばらと乾いた泥が降り注いだ。


「いいぞ、岩太! やっちまえ!」

「うおおおっ!?」


 夜叉丸の声に、岩太はでたらめに腕を振り回す。狭い小屋の中を巨体が暴れまわり、中にあったものを、めちゃくちゃに殴りつけた。


「おい、やめろ! むやみに暴れるんじゃない!」

「姫様、こちらへ」


 菊の腕が、初を小屋から引きずり出す。


 外に出ると、河原には安宅家の家臣たちが、ずらりと並んでいた。


 陣形を指揮する頼定の隣を見て、初は「あっ」と声を上げる。


「叔父上! なぜ、こんな場所に?」

「ちょうど宇治から帰ってきたところへ、頼定が現れてな。早めに仕事を切り上げてきて、よかったわい」


 光定の傍らには、何やら奇妙な格好の男が立っていた。


 どうやら、幾枚もの切れ端を綴り合わせ、一枚の布地に仕立てているらしい。目が、ちかちかするような派手な服装である。華奢な首元には、大小様々な数珠をぶら下げ、総髪を撫でつけた姿は、奇怪な道化のようだった。


 中年と思しき男は、訝しがる初を目にして、柔和な目元を細めた。ざわりとした不快感が、初の背筋を這い上った。


「怪我はないか、初? 手荒な扱いなど、受けて」

「姫様ぁーっ!?」


 光定たちの背後から、駕籠に乗せられた大八が飛び出してくる。


 痛めた足を引きずり、河原の石に躓いて転び、ほとんど這うようにして、初の足に掴みかかった。


「よくぞ……よくぞ、ご無事で! 姫様の警護を任されておきながら、この大八、一生の不覚っ! もし……もし姫様に何かあったら、わしは腹を切る覚悟でっ」

「大丈夫! ほら、なんともないから。大八も、落ち着いて!」


 取り乱す大八を、なんとか宥めようと声を掛ける。


 初と大八のやり取りを見ていた頼定の眼光が、周囲の河原へと向けられる。


 家臣に槍を向けられた子供たちは、一塊になって、身を寄せ合っていた。泣き出す幼子たちを、年長組が後ろに庇っている。


 小屋から走り出たウヌカルに、岩太は追いすがった。

 風除けの筵が、太い腕に引き裂かれる。全身に泥やゴミを被った岩太が、野獣の如き声で咆哮した。


「お、お前らっ! 夜叉丸に怪我させたな!? みんなに、怪我させたな!? ゆ、許さないぞ!」


 駆け出した岩太の足を、槍の石突が打ち払った。脛をしたたかに叩かれ、倒れた岩太の上に、投網が投げ付けられる。

 網目に手足を捕らわれた岩太は、もがくたびに自由を奪われていく。


「姫様、ご無事で何より」


 岩太の足を払った亀次郎が、得意そうに笑う。


 家臣たちによって、後手を捻り上げられた夜叉丸が、連れて来られた。河原に膝をつかされた夜叉丸は、派手な格好の中年男を見て、目を剥いた。


和邇王わにおう! てめぇ、俺たちを売りやがったな!?」

「人聞きの悪いことを申すでない。私はただ、和尚様の教えに従って、善行を為しただけのこと」


 和邇王というらしい中年男は、ひょうひょうとのたまう。夜叉丸は、眦を吊り上げて、


「ここいらの貧乏人どもから、銭を巻き上げておいて、善行も糞もあるか! 海乱聖かいらんひじりが付いてるからって、いい気になりやがって。どうせ、俺らが所場代しょばだいを払わないんで、厄介払いするつもりだろ。このエセ坊主!」

「このガキ、和邇王様に向かって、なんて口を!?」

「こんな糞ガキども、今すぐ叩っ殺しちまえ!」


 和邇王の配下らしき男たちが、気勢を上げる。


 夜叉丸の訴えも馬耳東風と聞き流した和邇王は、両手を合わせて合掌した。


「か弱き乙女をかどわかした、悪鬼羅刹どもよ。人の道に外れたのみならず、獣肉を食らうとは、見果てた所業。つつしんで、縛に付くがよい」


 胡散臭い念仏を唱え始めた和邇王の横を抜け、光定は子供たちの前に進み出た。


 馬上から降り立ち、居並んだ子供たちを睥睨する。通り過ぎ様に、初に微笑みかけた頼定は、そのまま光定の隣に並んだ。


「貴様ら、よくも我が家の姫に手を出してくれたな。この落とし前、どうつけてくれよう」

「やっちまえ!」「はりつけだ!」と、和邇王の配下たちが叫ぶ。


 幼子を庇う子供たちに、家臣が刀を突きつける。網の中で暴れ続ける岩太は、家臣たちに蹴りつけられても、吠え続けた。いまにも網が破られそうになり、慌てて組み付いた亀次郎が、気味悪げな顔をしている。


 夜叉丸の背後には、同じく捕らえられた者たちが跪いている。その中に伊助の姿を見つけ、初はぐっと腹に力を入れた。


「お待ちください、叔父上、兄上!」


 静止しようとする菊の手を振り払う。大八が、着物の裾を離さないので「おい、離せ大八」「この大八! もう一生、姫様のお傍を離れぬ所存でっ!」「今は、そういうのいいから。ほれ、ハウス!」


 夜叉丸たちの前に立った初は、意外そうな顔をする光定を見上げた。


「なんじゃ、初。まさか、そやつらを助けよと申すわけではなかろうな?」

「まさかも何も、こやつらには罰せられる理由がありません」


 初は、胸を張った。腰に手を当て、いかにも困惑してますよ、という顔をつくる。


「むしろ、夜叉丸党には感謝せねばなりません。なにせ、危機に陥った私を助けてくれたのですから」

「助けた? この者たちがか?」


 訝る光定の隣で、頼定も眉根を寄せる。説明を求めて振り返るが、菊は澄まし顔で、口を開く気配はない。


 菊が見せてくれた阿吽の呼吸に感謝つつ、初は頭の中で、この場を切り抜ける論理を組み立てた。

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