第72話 名誉

「ここは、どこじゃ!? なんで、わしは縛られておる!?」


 地面に転がった有馬楠若ありまくすわかは、周囲を見回してまなじりを吊り上げた。手足を縛られている状況に、ひどく腹を立てている様子である。


「あれ? あいつも連れてきてたのか?」

「ええ、夜叉丸が連れて来いっていうから」

「気を失ってたんで、そのへんに転がしといたんです」


 肉を奪い合っていた二人が答える。


 身動きの取れない楠若は、縄を解こうと手足を捻った。河原の石に手足を擦り付け始めたので、周囲の子供たちが、慌てて押さえ込みにかかる。


「なあ、姫様! こいつって、あんたの家来か?」

「なっ! ……愚弄する気か貴様!? わしは、熊野海賊衆のっ」

「熊野? ってあれか、いつも絵解えとき(地獄絵図、極楽絵図を使って物語る芸能者)が語ってる」

「街道を下った先にあるっていう、極楽の入り口だろ? だから、何だってんだ」

「待てよ。熊野衆なら、海乱聖かいらんひじりの一味じゃねえのか、こいつ?」


 子供たちが恐々と見つめる中、夜叉丸は肩を怒らせながら、楠若に近づいていく。途中で、初を振り返り、


「こいつ、姫様の家臣ですかい?」

「違う。そいつは、有馬家の──」


 初は口を噤んだ。さすがに、武家の当主が子供に捕まったとあっては、体面が悪かろう。


 安宅家の身内ではないとわかり安心したか、夜叉丸は居丈高な態度で、楠若に接した。


「やい、てめぇ! よくも俺様の郎党に、手ぇ出してくれたな!?」

「貴様、先日の盗人どもの頭目か!? 説明せよ。これはいったい、どういう仕儀じゃ!? 事と次第によっては、ただではおかぬぞ!」

「そりゃ、こっちの台詞じゃ! お前のせいで、俺の面目は丸潰れよ! この落とし前、どうやってつけてくれる!?」

「なにが面目じゃ! 盗人に守るべき体面など、あるはずがなかろう! 我らの荷を奪っておきながら、よくもまあ、いけしゃあしゃあと」

「なんじゃと!?」

「やるか、貴様!?」


 夜叉丸と楠若が睨み合う。片方は手足を縛られたままなので、微妙にシュールな光景だった。


「ええい、忌々しい縄じゃ。誰ぞ、早う解かんか!?」


 楠若は身をよじるが、誰も手を貸そうとしない。その様子を見て、げらげら笑っていた夜叉丸の脛を、楠若は蹴りつけた。


「痛った!? ……この、何しやがる!」

「貴様、わしを愚弄したな!? そこに直れ、叩き斬ってくれる!」

「上等じゃ、やれるもんならやってみい! おい、岩太がんた! 俺の刀、持ってこい!」


 この時代の人間の名誉意識は、尋常じゃない。他人に笑われたら、その時点で殺し合いになる。

 武士の楠若は、ここで夜叉丸を斬らねば沽券にかかわるし、夜叉丸も棟梁として弱味は見せられない。


 岩太が、ぬぼぉっとした顔で刀を差しだそうとするのを、初は大急ぎで止めた。


「やめんか、二人とも! 童の前だぞ!?」

「姫様は、引っ込んどいてください! この野郎、俺たちを凡下と侮りやがって。あの世で後悔させてやる!」

「侮って何が悪い! 犬ころ風情が、生意気に人の言葉を話しよって」


 楠若は、口汚く吐き捨てた。顔色を変える子供たちを見渡し、侮蔑するように、口端を吊り上げる。


「畜生なら畜生らしく、無様に吠えて見せたらどうじゃ。ほれ、わんと鳴いてみい」


 ひゅっ、と夜叉丸が息を詰めた。

 痩身から、滾るような怒りの感情が立ち上る。夜叉丸だけではない。周囲の子供たちの瞳にも、煮えたぎるような殺意が宿っていた。


 夜叉丸が、岩太の手から刀を奪い取る。子供たちは、手近な石や棒、竹串を握って楠若に殺到する。


 身動きが取れず、無念そうに歯噛みした楠若の顔が、次の瞬間、一変した。


 雲霞の如く群がり寄っていた子供たちが、動きを止める。


 初は無表情に、倒れた楠若を見下ろした。

 股間に振り下ろした足を、ぐりっと捻る。何か柔らかいものが抉れる感触がして、楠若の口から、言葉にならぬ悲鳴が上がった。


「おっ、おまっ……おっ」

「ないわぁー……さすがに、今のはないわぁー。これはさすがの俺も、許容できないわー」


 もう一回、今度は縦に押し込みながら、捻りを加える。


 蛙が潰れたような声。額から、びっしりと脂汗を流した楠若が、身体をくの字に折って逃れようとする。初は、そこからさらに、もう一捻り加えた。


「武士だからって、言っていいことと悪いことがある。他人を畜生呼ばわりしていい奴なんか、この世のどこにもいなんだよ、おい」

「ほぁっ、やっ、よっ、あっ」

「悶えてないで、返事しろ。ハイはどうした、ハイは?」

「はっ、はやぁぁあぁぁぁっ~……!」


 ちょっと気持ち悪くなってきたので、初は捻るのをやめた。


「ったく。これだから、いいとこのボンボンは。庶民の苦労ってもんが、まるでわかってねぇ」


 腰に手を当て、初は周囲を見回した。


 揃って股間を押さえた子供たちが、一塊になって、こちらを見つめている。なにか、度し難いものをみるような眼差しだった。


「俺、ぜってぇあの人には逆らわねぇ……」

「あそこまで無慈悲になれるなんて……」

「やっぱり人の心が……」


 ひそひそと囁き合う子供たちに、初は眉根を寄せる。それを見た子供たちが、一斉に背後へと後退った。


「おい、夜叉丸」

「は、はい! 何でございましょう!?」


 へっぴり腰で出てきた夜叉丸に、初は申し訳なさそうに告げた。


「悪いが、こいつをぶちのめすのは勘弁してやってくれ。こんなのでも、名のある国人衆の一人でな。手を出すと、後々、面倒なことになる」

「へ、へえ。そりゃあもう、姫様の仰せのままに」


 へこへこと頭を下げる夜叉丸に、初は嘆息した。


(ま、ちょっとやり過ぎたしなぁ)


 うずくまったまま、小刻みに震えている楠若に、初は少しだけ罪悪感が湧いた。

 男として、その痛みは理解できる。咄嗟のこととはいえ、もう少し手心を加えるべきだったか。

 すっかり怯えてしまった子供たちに、初は頭を掻いた。

      









 やり過ぎだったと反省した初は、楠若を小屋の中に運び込んだ。ちょっとはマシになるだろうと、腰をさすってやろうとした時だった。


 河原の石が、わずかに擦れ合う音に、初はちらりと目線を上げる。一陣の風が吹きすさび、次いで、どさどさと人の倒れる音が響いた。


「……は?」


 初が瞬きする間に、五人の子供たちが倒れている。背後を振り向けば、さらに二人。正面に向き直る間に、また三人。


 次々と倒れ伏す子供たちに、初の思考は固まった。人間、あまりにも不可解な状況に直面すると、考える能力自体が失われるらしい。


(なんだ? ……何が起こって……?)


 風除けの筵が開けられ、夜叉丸が顔を覗かせる。


 楠若を助けることに、最後まで不満そうだった夜叉丸は、倒れ伏した郎党たちに、何事かと目を見開いた。


「なんじゃ、お前ら腹でも下して……」


 一歩、踏み出しかけた夜叉丸の身体が、転倒する。背中から床に叩きつけられ、肺から息の漏れる音が、鈍くあたりに響いた。


「な、なにがっ!?」


 動きかけた唇が、ぴたりと止まる。


 口内へ突き込まれた切っ先に気付き、夜叉丸は硬直した。歯と歯の隙間、わずかな空間から生えた刃を、ぎょろりとした目玉が追いかける。


 柄を握る白い手、その先にある白い面に、夜叉丸は静かに身を震わせた。


「ウヌカル……お前、なんでここ──」

「姫様、お下がりください」


 首筋に、するりと細腕が巻き付く。背後に忍び寄った声の主は、困惑する初の身体を、がっちりと抱き留めていた。


「菊、お前もっ!?」

「申し訳ありません、姫様。途中で見失い、お迎えが遅く」


 耳元で囁く菊の声は、常になく平静だった。あまりにも抑揚がなさ過ぎて、いっそ人間味を感じられないほどである。


 小屋の中を片付けていた伊助は、一連の流れを、ぽかんと見つめていた。

 いまだ事態に追い付いていない、その視線が、ふと初の背後へと向けられる。そのまま伊助は腰を抜かした。


「──そこの下人。これは、どういうことか?」


 菊の呟き。床にへたり込んでいた伊助は、それだけで悲鳴を上げた。


「貴様、まさか図ったのか?」

「待て、菊! そりゃ誤解だ。これはその、ちょっとした手違いで」

「お静かに、姫様。甘やかすと、下人がつけ上がります」


 頑なな菊は、初の言い分を聞きそうにない。


 夜叉丸の身じろぎに、ウヌカルは逆手に握った刀を動かした。刃先が、さらに深く口内へと差し込まれて、夜叉丸の額に汗が流れる。震える伊助は、何かにひどく怯えた様子で、動けない。


 粗末な小屋の中を、重苦しい静寂が支配していた。


「あのう、この肉なんだけど。おいらが貰っても……」


 筵をめくった岩太は、ぱちりと、意外に可愛らしい目元を瞬かせた。口内に刃を突き付けられた夜叉丸を見て、小動物のような瞳が吊り上がった。

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