第59話 料理2

 広間に戻ると、酔い潰れた家臣たちが転がっていた。


 まさに死屍累々。前衛芸術みたいな寝相をさらす家臣たちに、初は目眩を覚える。大八に至っては、庭の池にはまっているが、あれ死んでないだろうな?


「すみません。うちの馬鹿どもが、ご迷惑を……」

「いえいえ、いつものことですから。それより、それが初姫様の」


 料理を目にして顔を輝かせる宗陽に、初は半眼になった。この状況よりも、料理のほうが気になる宗陽も、大概である。


 まだ意識を保っている家臣と客人たちが、初の料理を求めて、集まってきた。皆、足元が覚束ない様子で、はたから見ると、獲物を求めるゾンビの群れのような有様である。


「これは、鯛の刺身ですかな?」

「いや、上に何か掛かっておるぞ。この汁のようなものは、いったい」

「こちらは、南蛮人の作るフリートですかな? 衣に何か混ぜているようですが」


 見慣れぬ料理に、警戒心が働いているらしい。

 視線を交わし合う客人たちに「では、まず私が」と亀次郎が皿に箸を伸ばした。


 鯛のカルパッチョを口に運び、ゆっくりと噛み締める。眉間に皺を刻んでいた顔が、みるみるうちに緩んでいった。


「うむ、美味い。この刺身にかかっているのは、油ですな?」

「そのとおり。綿の実から採った油を、ニンニクと一緒に熱して香りを移し、刺身に振りかけたんだ」

「簡単な料理ですが、なかなかいける。こちらは、揚げ物ですか。衣に混ぜてあるのは、柚子、紫蘇、それに南蛮胡椒。さくりとした衣に、薬味の風味が良く合っておりまする」


 遠慮なく、次々と料理を口にする亀次郎に、客人たちも触発されたらしい。我も我もと箸を伸ばす。


「なんと! 刺身に、これっほど油が合うとは」

「このフリートも、なかなか。衣に混ぜ物をするというのは、新しいですな」


 好意的な言葉を述べる客人たちに、初は胸を撫で下ろした。この時代の人間と、現代人の味覚は、大きく違う場合もあるだけに、ほっとした。


 初は、真っ先に箸をつけてくれた亀次郎に、目配せした。


 亀次郎には時折、初が作る料理を味見してもらっている。今回作ったカルパッチョとフライも、以前に食べてもらってたものだ。

 目だけで微笑む亀次郎に、初は指先で小さく手を振った。


「堪能させていただきました。どちらも、大変に美味な料理でございました」


 床に両手を着いた宗陽は、初の料理を褒め称えた。


「どちらの料理も、一見簡単そうに見えて、随所に工夫が凝らされている。刺身にかけられた油は、嫌な臭いもなく、舌触りもさらりとして上品。フリートの衣からは、柚子と紫蘇の香りが立ちのぼり、南蛮胡椒が味を引き締めている。刺身の盛り付け一つとっても、堺の料理とは違いますな。華やかでいながら、決して押しつけがましくない。どこか京料理に通ずるところがありまする。安宅家では、都の料理人を雇っておられるので?」


 すみません、それをやったのは菊です──とは言い出せず、初は曖昧に微笑んだ。


「簡単な料理ばかりで、お恥ずかしい。本当は、もっと凝ったものを作りたかったのですが」


 恐縮する初に、宗陽は「ほう」と興味をひかれた様子を見せた。


「後学のためにお聞きしたいのですが、それはどのような料理でしょうか?」

「そうですねぇ。野菜や貝と一緒に、葡萄酒と水で煮込んだ、アクアパッツァもいいですね。乳脂と牛の乳がお嫌いでなければ、クリーム煮という手も。他にも、土鍋で米と一緒に炊き込んだり、低温の油でゆっくりと調理すれば、コンフィもできますな。それから──」


 初は、思いつく限りの調理法を口にする。宗陽は、初が紹介する料理の数々を、目を丸くしながら聞いていた。


「いやはや、鯛だけで、それほど多くの料理を思いつかれるとは。しかも、わたくしが見たことも、聞いたこともない料理も多い。これまで、様々な料理人を見てまいりましたが、姫様ほど多様な技を持った者を、わたくしは、とんと存じ上げませぬ」

「いえ、私も他人に聞いただけですので」

「ほう。では安宅家には、異国の料理人もおられると」

「あー、いや。それは、その……」


 口ごもる初を、宗陽はじっと見つめた。その瞳に、酩酊の気配はない。

 一瞬、視線に鋭い光を宿した宗陽は、初が気付く前に、もとの穏やかな顔を取り戻した。


「……噂どおり、面白い方ですな、初姫様は」


 宗陽の呟きに、初は身構えた。


「う、噂って、どのような?」

「ああ、いえ。悪評を聞いたわけではありませぬ」


 宗陽は、かしこまって言った。


「手前どもの店は、安宅荘との取引が多いですからな。出入りの商人や船乗りたちから、初姫様について、様々な話を聞き申した。どの方も、姫様の聡明さと美しさを称揚しておりますれば。中には、姫様のお知恵に助けられたという方も」


 宗陽は、膝を使って初に、にじり寄った。少々真剣みを増した声を発する。


「初姫様の博識ぶりは、聞き及んでおりまする。なんでも、熊野権現のご加護を受けられたとか」


 またその話か、と顔をしかめる初に構わず、宗陽は続けた。


「初姫様が作られたという螺旋型水車。あれは、素晴らしきものにございます。流れの少ない小川でも、工夫次第で使用できる。ここ堺でも、重宝がられておりましてな。特に、鉄砲鍛冶や刀鍛冶たちは、大量の注文が入っても、難儀せずに済むと称賛しておりまする。他にも、勝手に種を植えるカラクリや、稲を刈り取るカラクリ。手を使わずに、物を作るカラクリも作られたとか」


 自動播種機じどうはしゅきと田植え機のことか。矢作村で喜多七たちに試してもらったが、満足いく性能を出せたとは言い難い。

 物を作るカラクリは、旋盤の話に、尾ヒレが付いたのかもしれない。


(どっちも出来たのは最近のことなのに、良く知ってんな)


 初は、宗陽の情報収集力に舌を巻いた。


「今や姫様は、工房の明人たちを従える立場にあるとか。明人たちの中には、姫様に教えを乞う者もいると聞きまする」

「従えるというのは、言い過ぎですよ。まあ、多少の知識を教えたりはしてますけど」

「ほう、それはそれは」


 宗陽は、つるりとした顎を撫でた。考え事をするときの癖なのか、顎先を指で摘まみながら、しきりに一人で頷いている。


「ときに、つかぬ事を伺いまするが。初姫様は、何用でこの堺へ参られたのですかな?」


 そろりと、こちらの隙をうかがうように、宗陽は身を乗り出した。


「もしや、何か商談を持ち込まれるのが、目的では?」


 片眉を上げる初に、宗陽は、我が意を得たり、とばかりに微笑んだ。


「これまで安宅家の商談は、民部大輔みつさだ様、周参見すさみ左近太郎さこんたろう様が担われていたはず。それが突如、あの螺旋型水車を造ったという初姫様が来られたとなれば、何かあると考えるのが道理でございます」


 視線で問うてくる宗陽に、初は平静を装った。


 ここで動揺を見せれば付け込まれる。初の乏しい経験からも、宗陽が一筋縄ではいかない相手であることは、理解できた。


(相手は会合衆の中でも、筆頭格の大商人だ。交渉は、慎重にやらないと)


 小さく息を吐き、腹に気合を入れた初は、探るような眼差しを向けてくる宗陽を見返した。


「実は、少々困った事態になりまして──」


 初は、自分が陥っている状況について、宗陽に語って聞かせた。


 腹芸は苦手だ。下手に小細工を弄しようとすれば、逆に信頼を失う可能性がある。


 これまでに、自分が再現してきた現代の商品、発明品。それらが領民の役に立っていること。さらなる製品の開発を行いたいが、そのためには資金が足りないことを、初は簡潔に述べた。


「お家の方々からは、銭の融通を受けられないのですかな? 安宅家ならば、その程度の資金、造作もないと思いまするが」

「皆、女のやることと侮っております。これまでの発明品も、たまたま上手くいっただけだろうと」

「なるほど、それは難儀な──では、青海殿に援助を求めては? 紀州屋は、今や押しも押されもせぬ大店。青海殿を会合衆にと推す声もありまする。あの方ならば、喜んで銭を出すのでは?」

「……紀州屋は、安宅家と近すぎますので」


 青海に頼りたくない理由を、どう説明したものか。

 悩んで曖昧な返事をした初を、どう思ったのか。宗陽は「なるほど」と、一人納得してうなずいた。


「初姫様は、その発明品に銭を出してくれる方を、探しに来られたと。そういうわけですね?」


 初は、こくりと首を縦に振った。


「できれば、宗陽殿にお願いしたいのですが」

「たしかに、初姫様がお作りになられた品は、どれも素晴らしきものばかり。姫様が、新たな品を作り出す手伝いをしたとなれば、御仏の覚えもよろしくなりましょう」

「ではっ──」

「ですが、わたくしとて紅屋を預かる身。いくら安宅家の姫君とはいえ、おいそれと銭を貸すわけにはまいりませぬ」


 宗陽の視線が、鋭さを増した。


「初姫様には、手前どもに、何かしらの益を与えていただかねば」


 つまり、何か銭になる商品を寄越せ、ということか。

 初は、口元をほころばせた。どんな無理難題を課されるかと思えば、


「その程度のことで、よろしいのですね?」


 微笑む初に、宗陽は意外そうな顔となる。


 初は、身を翻すと、屋敷の廊下へ出て手を叩いた。


「菊、アレを持ってきてくれ」

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