第44話 祭りの後2

 何を言うのかと振り返ってみれば、沙希が真剣な面持ちで身を乗り出している。


「猶重兄様は論外ですが、亀次郎兄様ならば、まだ、ぎりぎり、どうにか許せます。姫様だって、見知らぬ相手よりも、幼い頃から一緒にいる亀次郎兄様のほうが安心でしょう?」


 いくらなんでも、暴論過ぎる。


 光定も、周囲の目を気にしてか、しきりに当たりの様子をうかがっていた。


「これ、沙希っ。お主、自分の言っていることの意味がわかっておるのか?」

「だって、姫様が他所へ嫁がずに済む方法なんて、これくらいしか」

「頼むから、滅多なことを言わんでくれ。妙な噂でもたったら、どうするんだ」


 なだめる光定に、沙希は頬を膨らませた。


「亀次郎か……」


 ふと、初は想像してみた。


 まあ、顔は不味くない。最近は、成長期に入ったのか、背もぐんと伸びて、館の侍女たちの中にも、騒ぐものが出始めている。爺臭いのは相変わらずだが、細々としたことに気が付いて、なかなかに便利な奴である。鍜治場で実験を披露した際には、必要な資材をどこからともなく調達してみせた。物事に対する執着心が薄いだけで、仕事ができないわけではない。頭の回転も速いし、勘だって悪くない。


 もぞりと、初を身を起こした。腕を組み、ちょっと真剣に考えてみる。


 亀次郎は、従兄だ。結婚するのに問題はない。家を継げない次男坊だが、初にとって、そこはどうでもいい。

 初にとって重要なのは、今の環境を継続させること。つまり、鍜治場での仕事さえ続けられれば、あとのことは些末事に過ぎない。


 亀次郎ならば、気心も知れている。初の趣味も、やりたいことも、理解している。出世欲とも無縁そうだから、周辺の領主と違って、初を政治的に利用する心配もない。


(おや? もしかして、かなりの優良物件なのでは?)


 なかなか良い思い付きのような気がする。


 子作りだけが問題だが、それはいろいろと対策のしようもある。なんだったら、適当な女性を雇い入れて、子供だけ生んでもらうという手も──


「親父、言われたとおり、積み荷を帳面にまとめ、て……」


 舟造場に入ってきた亀次郎は、びくりと肩を震わせた。


 思考に没頭していた初は、物件の姿を、じっくりと観察する。その不躾な視線に、亀次郎は今にも逃げ出しそうになった。助けが入らなければ、本当に逃げ出していたかもしれない。


公主ひめ


 柳雪リューシュエは、亀次郎に続いて、舟造場に入ってきた。


 いつもどおり、蘇芳色の作業着姿である。長い髪を一括りに束ねた姿は、長身も相まって、ちょっとした美男子のようである。


 亀次郎に、ねっとりとした視線を向けていた初は、雪が持ってきた包みを見て、跳び上がった。


『できたのか!?』

『まだ試作品だ』


 舟造場の端、大工たちが休憩所として使う床の上を、初は大急ぎで片付けた。


 先ほどまでの気怠さは、どこへやら。大工たちの荷物を放り投げ、確保したスペースに、雪は布包みを広げる。光定と沙希は、何事かと、雪の手元を覗き込んだ。


 出てきたのは、数本のネジだった。


 どれも、長さは三尺以上(約一メートル)。太さは、大人の親指ほどもあるだろう。

 露骨にがっかりした沙希を尻目に、初は一本ずつ、ネジを取り上げた。職人に注文したノギスで各部の太さを測り、ネジのピッチ、ネジ山の深さ、目視で振れが出ていないかを確かめる。


『……やっぱり、一定しないな』

『私の腕では、それが限界だ。それ以上を求めるなら、やり方を工夫する必要がある』


 雪が作ってきたのは、旋盤の送り装置に使用するためのネジだ。


 源右衛門たちに頼んだ旋盤の開発は、一定の水準に達したところで、足踏みを続けていた。部品の精度とか、構造の問題とか、いろいろと理由はあるが、一番の原因は、やはりネジだ。


 日本の職人たちの腕をもってしても、十分な精度を備えたネジの作製は、おぼつかない。明の工人たちにしても、それは同じだ。


 鍜治場の職人たちは、皆、他の仕事を抱えている。旋盤の開発は、その合間を縫って行われているため、どうしても優先順位が低くなる。


 一度、専属の職人を雇おうかとも考えた。


 作ってほしい現代の品物は、旋盤以外にもある。開発だけに専従する人間も、そろそろ必要だ。今までいなかったのは、鍜治場の忙しさ故である。


 ただでさえ、注文が殺到して人手が足りないのだ。そんなところから人を引き抜いたりしたら、絶対に子墨から恨まれる。

 そこで思い出したのが、雪の存在だった。


 雪は、鍜治場には属さず、青海の屋敷で働いている。壊れた道具を直したり、荷物運びをやっていると聞いた初は、青海に頼んで、雪を雇わせてもらった。


 初には、鍜治場での仕事で、海生寺から給金が出ている。最初は断ったのだが、銭はいくらあっても困らないからと、青涯に押し切られた。

 貯め込むに任せていた銭を、雪の給料と鍛冶仕事のための道具、材料の購入費に充て、雪は現代の品物を再現する専門の職人になった。


 ネジの検分を終え、初は他の試作品にも手を伸ばす。


 雪が持ってきたのは、ネジだけではない。旋盤で使うための工具鋼──金属・非金属材料を削るための刃物に使う地金も、雪には作ってもらっている。


『これ、坩堝で作ったんだよな?』


 初の問いに、雪は無言でうなずいた。


 驚くべきことに、雪は坩堝製鋼法を身に着けた職人だった。


 日本の刃物は、先端技術の塊だ。


 純度の高い鋼を生み出す製鋼技術。その鋼を刃物に仕立てる加工技術。どちらも高水準を誇る日本の刃物は、現代において世界的に高い評価を得ている。


 だが、戦国時代においては、少々事情が異なる。

 刃物の加工技術は、それなりのレベルにあるのだが、こと製鋼技術に限っては、中国のほうが遥かに優れている。


 なにせ、ヨーロッパでは18世紀になるまで実用化されなかった坩堝るつぼ製鋼を使いこなし、高炉の燃料には木炭ではなく、コークスを使っている国だ。はっきり言って、レベルが違う。


 この事実を知ったとき、初は驚愕した。子墨から、坩堝を使い始めたのは千年は前だし、コークスも三百年前から使っていると言われて、意識を失いそうになった。


 中国の製鉄技術は相当なもので、農具に車軸、日用品から子供の玩具に至るまで、日々大量の鉄製品が供給されている。


 それを生産する設備も凄まじく、大型の高炉にキューポラを使って鉄を溶かし、炉には水車で風を送っている。さらに坩堝製鋼法に加えて、パドル炉、平炉。これはあくまで推測だが、原始的なベッセマー法まで開発されているらしい。


 正直、なんで産業革命が起きていないのか、不思議でならない。鍜治場の工人たちが持っている技術は、それくらい優れたものだった。


『それは出雲の鉄に、明から取り寄せた鉄を混ぜてみた。こっちは、暹羅シャムの鉄。これは、安南ベトナムの鉄を使っている』


 鋭く研がれた刃先を、初は指先で慎重に撫でた。


 現在、旋盤の工具鋼には、炭素鋼を使っている。


 簡単に言うと、日本刀を小さくした刃物だ。この時代の刃物は、純度や造りの巧緻はあれ、基本的にすべて炭素鋼で出来ている。


 金属を強化するために使われるレアメタルは、未だその大半が存在すら知られていない時代だ。現代では盛んに使用されている合金も、この時代では何一つ手に入らない。これは、由々しき問題だった。


 現代の技術を再現するためには、精度の高い部品を量産する必要があり、精度を出すためには優秀な刃物が必要となる。


 最初は、現代の工具鋼を再現しようとした初だが、レアメタルを採掘し、精錬するとなると、手間も金も時間もかかる。そもそも、必要とする原料が、どこで採れるのかもわからない。


 ならばと、領内の刀鍛冶や包丁鍛冶にバイト(旋盤の切削加工に使う刃物)を作ってもらったが、どれも満足のいく出来にはほど遠い。


 こうなったら、いっそ地金から見直そう。


 思い立った初は、急場の策として、いろいろな国から鉄を取り寄せ、混ぜてみることにした。

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